異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十四話(一)「どんだけカレージャンキーなんだよ」
結論から言おう。惨たんたる有様だった。
何がって、中間試験のことだ。
ぼくの近況には、心を悩ますことが多すぎた。いつ召喚されるか分からないし、朝倉先輩ともわだかまりを残したままだ。
このまま勉強がおろそかになっていては、留年の危機すら忍び寄ってくる。
先々の不安ばかりがつのり、この昼休みという貴重な時間にあっても、ぼくは机の上に突っ伏したままうっ屈とした気分で過ごしていたりするのだ。
「まぁ、元気出せよ白河。期末試験で挽回しようぜ」
下関が、ぽんとぼくの肩を叩いて言った。彼も試験の出来具合においてはぼくと五十歩百歩だったのに、ずいぶんと呑気なものだ。
「……まあ、そうするしかないんだけどな。そういえば下関、ジュリの方はどうだ。元気か」
「ありがたいことに、ケガの治りも順調だし、何よりあれ以来ひとつもかんしゃくを起こさないでいてくれている。本当に白河のおかげだよ」
ぼくは机に顔を伏せたまま、げんこつを差し出した。下関がこぶしをコツンとそれに合わせる。
「……というか白河、そろそろ連行の時間だぜ」
「ああ、そろそろか。……下関、一緒に来てくれたっていいんだぞ」
「やめとくよ。俺だって、君らの貴重なラブラブタイムを邪魔する気はねえもん」
「だからラブラブじゃないと──」
顔を上げて、反論しようとしたその時、教室の入口付近に巨大な人影がちらついた。
「ハヤ君! 一緒に学食に行くのだ!」
……ハム子の連日の「連行」に抵抗は無意味だとここ最近分かってきたので、ぼくはため息をついて席を立った。
「行ってらっしゃい」
下関は、笑顔で手を振った。
「あやふんほふあふ、ふんははいひゃひやふほ?」
「こらハム子。口にものを入れたまましゃべるな」
ぼくは口の中をカレーライスでいっぱいに膨らませたハム子をたしなめた。
このバカは昔から、口に限界まで詰め込んで食べるクセがある。ハムスターか。ハム子だけに。
学生食堂は九割がた席が埋まっており、生徒たちはそれぞれに思い思いの昼食を楽しんでいる。
机の上に並ぶ、うどん、ラーメン、カツ丼、そしてカレーライス。購買のパンや弁当を持ち込んで一緒に食べている生徒も少なくない。
ハム子は昨日もカレーライスを食べていた。おとといも、その前も。
というか、学食でハム子がカレーライス以外を食べているところを見たことがない。
好物だとは知っていたが、よく飽きずに食べ続けられるものだと感心する。
「んはー。あのね、ハヤ君のクラス、文化祭何やるの? って言ったのだ」
二十秒ほどかけて口の中のものを片づけたあとに、ハム子が言った。
「なんか、ビデオ上映らしいよ。みんな当日は他を回って遊びたいからって、前日にテレビを据えて椅子を並べて、当日にビデオを流す役を置くだけという、仕事の少ない催物にしたんだとさ」
ぼくは眉をしかめた。人のことは言えないが、なんてやる気のないクラスなんだろう。
ただ撮影班だけは、妙にやる気があった。あの連中はドラマを撮るか、ドキュメンタリーにするかで、すごい論争を繰り広げていたが……あれ? 結局どっちに決まったんだっけ?
「うひふぁへー、えんうぇふぃにあっあおあ」
「なんでそう何度も何度も同じことを繰り返すんだよ、おまえは。一度にそんなに口に入れて食べるなと、昨日もおとといもその前も言ったよ?」
ぼくがなじると、ハム子は口をもごもごさせながら、肩をすぼめて縮こまった。
「ごめんなさいなのだ。こうじゃないと食べた気がしないっていうか……」
また二十秒待ってから、お決まりの言いわけを聞く。ぼくは深く嘆息をついた。
「君なりのおいしい食べ方にケチをつけたいわけじゃないんだが……少なくとも食べながらしゃべりたいなら、しゃべれなくなるまで食べちゃダメだろ」
「はーい、気をつけるのだ。あ、うちはねー、演劇になったのだ。『美女と野獣』だよ」
演劇とはまた、えらく準備に労力が要る上に、当日も大変なものを選んだものだ。
三組はやる気があって何よりだ。ぼくは、一組でよかったと胸をなで下ろしたい気分だが。
「ふーん、やりがいがあっていいな。ハム子は、ビースト役でもやるのか」
「私も出演するならそれかなって思ってたんだけどねー……ふふふ、聞いて驚けなのだ。満場一致でベル役を任されてしまったのだ」
おおっと、これは驚きだ。
一年三組一同の勇気に敬意を表したい。
「そっか。じゃあ一応、本番は観に行ってやるかな。どうせ暇だし──」
「失礼。お隣に座ってもよろしいですか」
不意に後ろから、落ち着いた男の声がした。
「あ、どうぞ──って、新城会長?」
ぼくは目を瞬かせた。
あのテカテカ七三の残念イケメン、新城生徒会長がチャーハンの載ったお盆を手に隣の席に座ろうとしていたのだ。
「憶えていてくださって光栄です、白河君」
「いやー……忘れるわけないですよ」
その顔面と髪型のかけ離れ具合はもはやギャグの域で、インパクトがありすぎて忘れられるわけがない。
「ハヤ君、生徒会長さんとお知り合い?」
ハム子が、スプーンをくわえたまま訊いた。
「まぁ、ちょっとあってね。それにしても、会長も学食でお昼することもあるんですね」
「週に一回は、ここのチャーハンを食べに来るんですよ。シンプルで、飽きのこないこの味が好きなんです」
そう言って微笑み、新城会長はレンゲから一口、チャーハンを口に運ぶ。
「ああ、おいしい。たぶん毎日食べても飽きない味だと思いますが、こうして一週間ぶりに食べると、一層幸せな気分になれます」
「なるほど……ハム子も、カレーを一週間我慢してみたらどうだ」
「無理。三日が限界なのだ」
ハム子は迷わず、即座に首を横に振った。どんだけカレージャンキーなんだよ。
「──ところで、白河君。少し、君と話したいことがあるのですが……放課後、生徒会室に来ていただけないでしょうか」
「えっ。生徒会室ですか」
挙動不審が顔に出ていたと思う。今のぼくに、生徒会室は敷居が高い。
「……心配しなくとも、今日は生徒会の仕事はないと役員に伝えています。私の他には誰も来ませんから──来ていただけますね」
ぼくはうなずいた。
彼が話したいことというのは、きっと──朝倉先輩のことだ。
そうであれば、ぼくには、話をせねばならない責任がある……。
放課後の生徒会室に、新城会長は、灯りもつけず夕闇の薄暗い中、ひとりでたたずんでいた。
ぼくが部屋に入って、しばらく経っても、会長は一言も話さないままだった。
たぶん、最初に話すべき言葉を、考えあぐねている。
「……ああ、えっと……今日は、いい天気でしたねぇ」
やっと出てきた言葉がこれだ。
これはおそらく、今回も「日常会話で緊張感をほぐす」を実践しているつもりなのだ。
コミュ下手具合は、もしかしたらぼくよりずっと上かもしれない。
「い、いえ、雑談は結構です。話があるのでしょう──朝倉先輩のことで」
「……やはり、心当たりがあるのですね」
会長は無表情でつぶやいたが、代わりに水精霊が、その心情を語ってくれている。
「先輩が……何か、ぼくのことを──」
「逆です。ここ最近の朝倉君は、以前ではあり得ないようなささいなミスを何度もするようになり、つまらなそうに仕事をするようになりました。自信に満ちた態度も、得意げな笑い方も、朝倉君の顔から消えてしまいました。そして、何より──」
新城会長は、小さく咳払いをしてから、言葉を継いだ。
「──何より、たまに楽しそうに話していた君のことを、まったく話さなくなりました」
「あ……」
短く声を漏らしたあと、ぼくはうつむいて、両者の間に再び沈黙が訪れた。
会長はもう一度、今度は強めに咳払いをして、話し始めた。
「……私は、君たちの間にどんないさかいがあったのかなど、立ち入ったことを知りたいわけではありません。彼女の仕事の能率低下は、生徒会長としての立場からはゆゆしきことですが、私は……私はそんなことよりも……」
会長の奥歯がぎりっと鳴るのが、ここまで聞こえてきた。
「……今の朝倉君の姿は、私の……私の好きな朝倉君ではない……正直に言えば、私には君を殴りたいほどに、やるせない思いがあります……」
実際のところ、以前に死にそうなぐらい殴られたが……無論、彼に言うべきことではない。
「それでも、一発も殴らないんですか、ぼくを」
「私は暴力は嫌いだし、殴れない理由もあります」
「──なにがしかの武術の心得がおありだから、ですね」
珍しく、新城会長の目に驚きの表情が宿った。
「そうです。実は昔から中国武術をたしなんでおり──どうしてそれを?」
身をもって実感したのもあるが、それを示す証拠がもうひとつある。
「拳ダコですよ。見る限りでは、相当に鍛えていらっしゃいますね」
会長は右手のげんこつにできている、変色した厚い皮の層をちらりと見た。
「目ざといですね、君は。確かに毎日、布を巻いた丸太を打っていますが……ただこのこぶしで、人を殴ったことは一度もないですよ」
ぼくは苦笑を噛み殺した。彼の記憶にはないけれど、ぼくが彼のこぶしを見舞われた記念すべき第一号か。初めての割には容赦なかったな。
「そして、これからも感情でこぶしを振るうことはしません。朝倉君の元気は、腕力では取り戻せないのですから」
「……では、ぼくに何を……」
「朝倉君と会って、ちゃんと話をしてください。どちらに非があるにせよ、彼女は、君との仲違いを非常に悔やんでいるはずです」
会長は、ゆっくりと頭を垂れた。
「生徒会長ではなく、新城鋭一として……彼女の笑顔を愛するただの一個人としてお願いします」
ぼくは心臓が縮こまる思いがした。
どうして、朝倉先輩はぼくに執着するんだろう。どうして、この人ではなかったんだろう……。
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