異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十三話(一)「ハヤ兄ちゃんと結婚したくないの?」
「バカ者、声が大きいっ」
間髪入れず、ヘザの声が続いた。
ノックをし損ねたぼくは、握りこぶしを作ったまま、呆然とドアの前で立ちつくした。
──「しちゃった」?
しちゃったって、何をだ。ぼくのあずかり知らぬ所で、ヘザがミスか何かを犯したというのだろうか。
しかもそれを、ぼくに隠そうとしている?
まさか。おおよそ、彼女らしくない行動だ。
よっぽど重大なミスか、特別な事情があるのか……。
「申し訳ないっス。ですが、ヘザ様がそんなことをなさるなんて……驚きっスねぇ」
「まぁ、それは……つい衝動に駆られた、というか……辛抱たまらなかった、というか……」
先ほどよりはやや下げ気味のトーンで、ヘザとモエドさんが会話を続けている。
その会話を、うっかりドアの側で耳をそばだててこっそり聞いている自分に、ぼくは気がついた。
盗み聞きなんて趣味の悪いことをしてはダメだ。それは分かっている。分かっているが……どうしても気になってしまう。
大丈夫、ぼくは口が固い方だ。ヘザが何をやらかしたとしても、ぼくは誰にも言わないし、そのことで彼女を責めたりもしない。
「……で、どうだったんスか」
「どうだった……というと?」
「またまた、トボけちゃって。ご感想っスよー。柔らかかったーとか、気持ちよかったーとか、ドキドキしたとか、ムラムラしたとか」
「~~~~! し、強いて挙げるなら……今君が言ったこと、ぜ、全部、かな……」
「ヒュウゥゥ~~☆ ヘザ様ってば、カッワイイ~~☆」
……何か、会話が思っていたのと違う方向に転がってきた気がする。これはいわゆる「ガールズトーク」とかいうモノではないか?
盗み聞きの罪悪感が輪をかけて大きくなるのを感じる。これは、男子がこっそり聞いてはいけない内容だったかもしれない。ど、どうしよう。
「も、モエド魔術官! 確かに私はいけないことをしたし、相応のそしりを受けても仕方ないが……あまりにも調子に乗りすぎではないか?」
「まぁ、そっスね。申し訳ないっス。でもヘザ様……初めてだったんスよね? 魔界の法律じゃ初犯は比較的に大目に見てもらえるんスよ? ウシシシ☆」
「はー……もう、何とでも言ってくれ。ともかく今は……大それたことをしてしまったと、激しく後悔しているのだ。私は一体、どうすればいいと思う?」
「じゃあ、正直に言って謝っちゃえばいいっス。あたしは、あの方はそのこと自体は全然嫌がらないと思うんスよ。で、それと一緒にヘザ様の思うところもぶっちゃけちゃえばいいんじゃないっスか?」
「え、あのことを……は、ハイアート様に──」
ぼくに?
やはり、ヘザがぼくに対して後ろめたい何かを──何のことだろう?
そこを聞き漏らすまいと、ぐっとドアに耳を近づけた、その時。
首から下げていた木彫りの「勲章」が、扉に当たってコツンと音を立てた。
「何だ、今の音は……誰かそこにいるのか?」
まずい。盗み聞きが見つかったら、怒られるなんてもんじゃ済まない。
ドアのノブが回る音がして──
パッチン!
不意に全身に感じる衝撃。
目の前の光景が、一瞬で、我が家の一階の廊下に変ぼうする。
ああ、何て絶妙のタイミングなんだ。こんな風に「パッチン」がプラスに働くこともあるなんて、思いもよらなかった。
しかしやはり、今のぼくは人目についてはまずい格好をしている。ぼくは間を置かずに走り出すと、一目散にトイレに飛び込んでいった。
外衣を脱いで一旦タンクの下に隠し、首にかけていた「勲章」は、ポケットにねじ込んだ。
ほっと息をつく。
コンコン。
トイレのドアが軽く叩かれる音がして、ぼくはドキッと心臓を躍らせた。
ドアを少し開けて、首だけを外にのぞかせる。
朝倉先輩が立っていた。
一瞬だけ、夢の中の先輩と、その時の行為が脳裏によみがえって、照れ臭さに耳が熱くなるのを感じる。
だが、カバンを抱えて、すでに帰り支度を終わらせたように見えるその姿に、ぼくは目をパチパチとさせた。
「あ、朝倉先輩……?」
「……白河君、すまない。わ、私が、どうかしていた」
先輩が、力なく頭を下げる。声色がわずかに震えていた。
召喚される寸前、彼女を無理やりに放り出してしまったことを思い出して、ぼくの心は一気に罪悪感に満たされてしまった。
「いっ、いえ、ぼくは……」
「君が嫌がることを無理強いするつもりではなかったんだ。私のわがままで……本当に、申し訳ない……もう、君には会わないから……どうか、許して……ほしい……」
最後は消え入りそうな鼻声で声を絞り出すと、先輩は逃げるように、小走りで玄関に向かう。
違う。誤解だ。
ぼくは、朝倉先輩を、嫌がったわけじゃない。
それどころか、もしかしたらぼくは、夢にまで見てしまうぐらいに……。
トイレから飛び出して呼び止めようとしたが、かける言葉に迷った瞬間に玄関の扉がバタンと閉じて、彼女の姿は見えなくなってしまった。
バカかぼくは。一体何をためらっているんだ……自分で自分をなじるものの、ここでとっさに言うべきことの正解が分かるようなら、ぼくはコミュ下手なんかやっていない。
苦しいのか、悲しいのか、何とも形容しようのない感情に苛まれて、どのくらい立ちつくしていたのか、よく分からない。
どこか遠くで鳴っているチャイムが聴こえてきて、ぼくはふと我に返り、トイレから衣服を取り出すと、自分の部屋の押し入れに、三着目となったそれを押し込んだ。
その間もぼくは、何かを考えるという能力を喪失したかのように、ただ憮然としていた。
ふと、机の上に目をやって、試験勉強をしなければいけないと頭の中にぼんやりと思い浮かべたものの、それに対する意欲はさっぱり動かない。
ただただ、うっ屈とした気持ちがいつまでも晴れずに、時間だけが過ぎていった。
そして、そのまんま時間が、日曜日の朝まで過ぎていくのだった。
「ハヤ君、おはよー! いい天気になったね!」
約束の時間に少し遅れて小牧家の前に到着すると、白い毛糸玉のような犬を連れたハム子が手を振って出迎えた。黒を基調にピンクの差し色の入ったジャージの上下という装いからして、犬と一緒にガッツリ走る気に満ち満ちているのが分かる。
彼女の握る赤い手綱の先につながれたモグタンも、興奮気味に尻尾を振っている。ぼくが小学生の頃と比べて大きくなった気がしないが、それはたぶん、ぼくもその時よりは大きくなったからだ。
「おはようハム子、モグタン。久しぶりだなー……マルは?」
「まだ出てこないのだ。マル君、全然朝ご飯を食べ終わらなくて……あの子最近、ご飯を三杯も食べるようになったんだよ? すごくない?」
「ああ、そうだな。四年生にしてはすごい食欲だ。さぞかし大きく──」
その時、ガチャっと音を立てて、玄関のドアが勢いよく開いた。
「姉ちゃんお待たせ! ──あっ、ハヤ兄ちゃんだ! おはよう!」
出てきた人物を一目見て、ぼくはぎょっとした。
こっぱ短くさっぱりとさせた栗色の髪に、ひざ丈の半ズボンの少年。
マル……だと思うけど、本当に小学四年生だよな?
「お、おはよう。見ないうちに……でっかくなったなぁ」
ぼくは盆と正月にしか滅多に会わない親戚のおじさんみたいなことを、嘆息混じりに言った。
ハム子の弟の丸大──通称マルは、駅の改札を子ども料金で通ろうとしたら二度見されるだろうぐらいに、とても小学生には見えない背格好になっていたのだ。
「でっかくなったでしょー。マル君、百四十九センチだったっけ」
「春の身体測定だとね。今はもう百五十センチ越えたと思うよ」
マルはえへへと笑った。ハム子といい彼といい、その背の高さは家系のなせる業かと思うが、君たちのお母さんはそんなに背は高くなかったよな?
そういえば父親は見たことがないが、そっちの方がでかいのか……。
「ハヤ兄ちゃんは、全然大きくならないね。姉ちゃんと同年なのに、全然追いつかないじゃん」
「ぼくは平均よりちょっと低いだけで、おまえらが規格外すぎるんだよ。ちょっとは自覚しろ」
あとひとつだけ言いわけさせてもらうと、ハム子は五月、ぼくは十二月の誕生日だから、今はハム子の方が一歳年上だ。
「姉ちゃんが人より大きいのは分かってるけど、兄ちゃんも同じぐらいにはならないと、ケッコンしたら大変じゃない?」
はい?
ケコウンは、ダーン・ガロデ語では「川の小道」って意味で、農業用の水路のことを指すんだけど……なぜだろう、日本語の方の意味を、脳が把握しようとしない。
「ちょっ……何言ってるのだ、マル君!」
ハム子が、顔の周りに火精霊をふらふらさせながら怒鳴った。あれ、そんなに怒るような言葉だったっけ。
「違うの? 母さんがよく、ハヤ兄ちゃんのお母さんに娘をヨメに行かせるって話をしてたから。それってコンヤクじゃないの?」
コン・イアーク? そんなダーン・ガロデ語はないな。
違う違う、日本語だ。えっと、ヨメに行かせるってのは……夜目、余命、嫁。
ああ「嫁に行かせる」か。
だからえーと、「婚約」で、「結婚」か。やっと理解できた……。
いや理解できたけど、理解できない。
《 》ぼくらの関知しない所で勝手な約束してんじゃないよ、頼子。
「婚約なんて聞いてないのだ。お母さんたちが勝手に言ってるだけなのだ」
「え。じゃあ姉ちゃん、ハヤ兄ちゃんと結婚したくないの?」
「…………」
ああ、子どもって何て無邪気なんでしょう。
結婚したくないと思っていても、それはぼくの前では断言しづらいだろう、という配慮を心得ていらっしゃらない。
ほら、ハム子も答えに詰まってるじゃないか。
こういう時は、ぼくから言ってやらなきゃダメだな。
「いいかい、マル。ぼくとハム子はね、小さい頃から一緒に育った『きょうだい』みたいなモンなんだ。きょうだいは結婚できないだろう? だからしないんだよ」
よし、完璧な回答だ。
これでハム子も困らずに済むだろう──
ポコっ。
ぼくは、ハム子が持ってた手提げのトートバッグで脳天を殴られた。
え、なんでぼくが叩かれるの? というかそのトート、犬のアレを入れる用の……。
「もー、ハヤ君! 早くドッグランに行こうよ! 閉まっちゃうよ?」
「いや、まだ開いてもいない時間だし……あ、こら。待てよハム子」
モグタンを連れてのしのしと歩いていくハム子を、ぼくとマルがあわてて追いかける。
「ねえハヤ兄ちゃん。姉ちゃん、なんで怒ってるの?」
「ぼくの方が聞きたいよ……」
マルに訊ねられて、ぼくはため息と共に答えた。
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