異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十二話(三)「んむ。」
「あの森に逃げ込むぞ。着地の衝撃で振り飛ばされないように気をつけて」
急降下で、木々が林立するただ中へと飛び込んでいく。
猛スピードで木の幹の間をすり抜けつつ、念動魔術で制動を少しずつかけながら、着地体勢へ。
十分に速度が落ちてきたところを計らって、ぼくたちはざっと下生えの藪の中へと身を躍り込ませた。
草むらや低木の下にもぐり込んで、身を隠すのにちょうどいい具合になっている。ぼくたちはぴたりと動きを止め、そうっと頭上を見上げた。
上空の魔物らは耳障りな鳴き声を上げながらしばらくはぐるぐると飛び回っていたが、やがて鳴き声も羽音も次第に遠ざかって、空に鷺の黒い影はひとつも見当たらなくなった。
ゆっくりと身を起こして、ふーっと、長いため息をつく。
「はー、助かった……やれやれ、久々に肝を冷やしたな──」
「ハイアート様!」
怒気をはらんだヘザの声に、ぼくは肩をびくっと震わせた。
「な、何を怒って──」
「なぜ来たのですか! あなたは魔界防衛大隊にとって、いえダーン・ダイマにとってかけがえのないお方です……私などのためにお命を懸けるなんて、バカなことを──」
「バカなことなんて言うな!」
九年前の出逢いから今まで、ぼくがヘザに怒鳴ったことなどまったく記憶にない。もしかしたらこの時が初めてかもしれない。
そのためヘザも戸惑ったのだろう。一瞬だけ唖然として、それからすぐに、頭を垂れた。
「申し訳ありません、ハイアート様に物申すなど、とんだご無礼を──」
「確かに、ぼくらしくないことをしたと思う」
ぼくはヘザの言葉を遮るように言った。
「ぼくには軍を無事に撤退させる責任があったし、ぼくに責任のあることは何を差し置いても果たすのが、ぼくの信条であり、アイデンティティだった……」
「……」
ヘザは無言で、顔を伏せたままでいる。ぼくは言葉を続けた。
「……でも、それを曲げても、たとえ百万人の兵を放り出したとしても、君を失いたくないと思ったんだ──君を見捨てるぐらいなら、英雄だの、救世主だの、そんなお仕着せは犬にでも食わせてやる」
ヘザは動かなかった。
ただ、時折痙攣するように、身体を揺すらせていた。
「……いけません、ハイアート様……そのように私を……私は…………」
つぶやきは、徐々にむせびに変わっていく。
そして彼女は、堰を切ったように、大きく声を上げて、泣いた。
胸がざわめく。その切なさと、おそらくは──愛おしさに。
ぼくが恋人であったなら、引き寄せて、このクセの強く長い髪をかきなでてやるのだろう。
だがそうではなく、そうあるべきでないぼくは。
彼女に指ひとつ触れることもなく、まぶたを伏せがちにして、ただただ、沈黙した。
ヘザは上体を起こし、それから呆然と、辺りをうかがった。辺りがすでに真っ暗になっていることを、不思議に思っているようだった。
「目が覚めたか。体調はどうだ」
ぼくは微笑んで、言った。
ヘザは泣き崩れたあと、気絶するように眠りに落ちた。ぼくは彼女の傷を魔術で癒し、そのあとはただ、目を開けるまでじっと、寝顔を見守っていた。
「ハイアート様……も、申し訳ありません。うっかり眠ってしまうなんて──」
「いいんだ。昨日もろくに眠れていないのだろう? ちゃんと眠らないと身が持たないぞ」
「……はい。ありがとうございます、ハイアート様」
ヘザはぺこりと頭を下げた。
「──さて、朝までもう少し時間があるな。今度はぼくが眠らせてもらうよ。防衛術式は据えてあるが、一応、危険がないか警戒していてくれないか」
「はい。お任せください」
ぼくはもう一度ヘザに微笑むと、二時間で鳴るように腕時計のアラームをいじり、それからどっと草むらに身体を横たえる。
あっという間もなく、ぼくの意識は夢の世界へ旅立っていった。
ふと気づくと、ぼくは白い闇の中で、仰向けに寝転んでいた。
確かに夢の世界に旅立ったとは言ったが、比喩のつもりであって、本当に夢を見ようと思ってそう表現したわけではない。
というか、夢の中で「夢を見ている」と認識するのは初めての体験だ。明晰夢、って言うんだっけ。
偶然にせよ興味深い。面白い夢だといいんだが──
ずしりと、ぼくは身体に何かの重みを感じた。
瞬きをする間に、寝そべるぼくの上に覆いかぶさるように、女性の姿が出現していた。
──朝倉先輩だ。
あの時と同じように、うるんだ瞳で、ぼくをじっと見つめている。
それから、やはり同じように──唇をタコのようにとがらせて迫ってきた。
えっと、えっと。
タコのとんがった口みたいなものは、実は口じゃなくて排泄器官なんだよね……って、豆知識なんか披露している場合じゃない。一体何で、ぼくはこんな夢を見ているんだ。
明晰夢だから、ぼくの願望がダイレクトに現れている、ということなのだろうか。
あの時、表面上は迷っていても、深層心理では彼女とキスをしたかったと──
頰に手の当たる感触がして、ゆっくりと、ぼくの口に朝倉先輩のそれが近づいてきた。
嫌では、ない。
やはりぼくは、それを、望んでいるのか。
いや、ダメだ。
ぼくが心の奥で望んでいたとしても、ぼくが身勝手に見る夢の中で、身勝手にしていいことじゃない。こんなのは、ただ彼女に申し訳ない気分にしかなれない。
現実の方では、この時点で先輩を押しのけてしまった。
少し残念だが、前と同様に彼女を押し返して──
と思ったものの、不思議なことに、ぼくの身体はぴくりとも動かせなかった。
なぜだ。ぼくの夢なのに、明晰夢なのに、自由がきかないなんて──
んむ。
唇の感触。柔らかさ。伝わる体温。
夢にしては、あまりにも……リアルすぎる。
え、何? これ現実?
夢だけど、夢じゃなかった?
そんなはずはない。ここはダーン・ダイマだ。
朝倉先輩もト○ロも、ここにはいないんだ……
……ピピピピピピ……
どこからともなく耳障りな電子音が聴こえてきて、朝倉先輩が弾かれたように顔を離した。
直後、ぼくはパチっとまぶたを開いた。
眠りから覚めて、目を開けたはずなのに、直前の夢の光景と同じように、頰に手を当てて、ぼくを見下ろす朝倉先輩がいる──?
驚いて、二、三度、素早く目を瞬かせる。
その一瞬の後に、それは先輩ではなくなっていた。
というか、ヘザだ。
まったく同じ格好で、ぼくの上に覆いかぶさるようにして、ヘザがぼくを見下ろしている。
ピピピピと、腕時計のアラームが鳴り響く中。
ぼくとヘザは、しばらくの間、凍りついたようにお互いの顔を見合わせていた。
「……えっと。ヘザ、何を……?」
ぼくが上ずった声を上げると、彼女は例の「アハドー伯爵邸晩餐会事件」の話をした時ぐらいにしか見せないような、あわてた表情を見せた。
「あ、ああああの、そのですね、私……あ、朝になった、ので、おこ、起こそうかと、しただけで──し、失礼しました!」
ヘザはぱっと跳びずさって、着地と同時に、ひれ伏した。
ぼくは呆然とそれを見ていたが、ふとアラームが鳴りっぱなしなのに気づき、腕時計のボタンを押して停止させた。
「いや……驚かせてすまない。もう十分明るいし、出発しようか」
ぼくは立ち上がった。まだ太陽の姿は見えないが、足元が見えるぐらいには、明るさを増している。
「は、はい……了解しました、ハイアート様」
ヘザはぼくの後ろにさっと着いたが、なぜかうつむき加減にして、ぼくの顔を見ようとしなかった。
それから夕方にかけて、ぼくたちは歩き続けた。道中は鷺魔物をはじめこれといった脅威もなく、ようやく鹿屍砦を攻める直前に陣を張った場所まで戻ってきた。
兵の姿はなかったが、戦闘の跡も見当たらず、新たに煮炊きした後などが見て取れた。
おそらく本陣に戻った軍はここで一旦食事や休憩など態勢を整えたのちに、ぼくとヘザの次に指揮権限を持たせている精霊術師隊長の判断で馬槽砦まで退却したのだろう。とにかく、無事に撤退できていて何よりだ。
そしてありがたいことに、航空舟は元あった場所にそのまま残されていた。おかげでぼくたちは、日付が変わる前に馬槽砦までたどり着くことができた。
砦では、軍のみんながぼくらの帰還を喜んでくれた。精霊術師隊長いわく、翌朝にはぼくとヘザは魔物に殺されたという報告を魔王城に出そうとしていたらしい。危うく、誤った情報でグークたちを混乱させてしまうところだった。
一晩明けて、ぼくは攻砦部隊の状況を確認した。他はともかく、騎兵隊の損害が大きすぎる。一度本部に持ち帰って、今後の方針を話し合わねばならないだろう。
連盟議会への報告も必要だが、結果的に敗戦の報告となることを考えると、とても気が重い。
諸々の事務手続きを済ませ、ぼくとヘザは魔王城へと飛び立った。
「……ご苦労だった。砦の防衛体制の立て直しと、魔物の対策については後日改めて考えることにして、貴殿はしばらくゆっくり休まれるといい。……君もヘザ殿も、無事で本当によかった」
グークは報告書の紙の束をテーブルに置いて、渋い表情で部屋をあとにした。
司令本部という名の会議室に一人残されたぼくは、小さくため息をついて、それから連盟あての書簡を作り始める。
しかし、三枚目の用紙を無駄にしたところで、ぼくは文書作成をあきらめた。
連盟の王侯たちのご機嫌を損ねないように事実を伝えるという叙述的テクニックは、間違いなくヘザの方が上なのだ。
彼女には先に休んでもらい、今回の後始末をすべて自分でやるつもりだったが、仕方ない。
ぼくはヘザを探しに会議室を出て、最初に彼女の自室に向かったが、不在だった。
それから食堂や厨房、使用人室、中庭なども覗いたが、ヘザの姿はまったく見えない。
さらに城内のあちこちうろうろとさまよっているうち、どこからかか細く、彼女の声が聞こえたような気がして、ぼくは聞き耳を立てながら出どころを探った。
足が向いた先は、モエドさんの私室だった。
なるほど、ここは盲点だった。彼女がモエドさんの部屋を訪ねていても、別段おかしくはない。
ぼくはドアの前に近づいて、ノックを──
その時突然に、素っ頓狂なモエドさんの大声が、ドアの向こうから響いた。
「ええーっ? 『しちゃった』んスか?」
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