異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十二話(一)「また何かやっちゃいました?」
大空に高く飛び出したぼくは、全身を前に傾けて降下を始めた。
落下により加速をつけた後、再び揚力を上げて高度を保つ。
これを繰り返し、最後に重力と揚力を釣り合わせることで、ぼくの身体はかなりのスピードで滑空を始めた。
奇妙な言い方だが、ハンググライダーをハンググライダーなしで乗っているような感じだ。いや、ハンググライダーはおろか旅客機にすら乗ったことはないのだが。
空のはるか先に、鷺の魔物たちが、朝日から逃げるように飛び急いでいる。遠すぎてよく見えないが、その中の一羽にヘザがぶら下がっているはずだ。
もっと速く飛んで追いつきたいところだが、これが精一杯だ。
風の精霊術で手からジェット噴射を出して推進……なんてことも考えたが、それはできない。
風を強く吹き出して推進力を得るのは、そこに反作用が働くからなのだが、手から精霊力を発し、それを風へと具現させた場合、精霊力と手の間には反作用が生まれないのだ。逆にそうでなければ、風精霊術師は手から暴風を出して敵を攻撃したら、その暴風で自分がぶっ飛んでしまうことになる。
風精霊術を使って加速する方法としては、背後から強風を吹かせて身体を押すという方法もありそうだが、風を当てる面積が大きくないとあまり効果はなく、面積を大きくするためには身体を立てる必要があり、そうすると今度は空気抵抗が大きくなって非効率に……。
結局、今の飛び方が最も魔力・精霊力のコストパフォーマンスがよく、術自体も複雑すぎず発動が安定するという結論に落ち着いた。
ただこの滑空飛行法は、まっすぐ飛ぶには問題ないが、戦闘機のようなマニューバを求めようとするとその時々に細かい動作の術式を描き起こしてやる必要がある。
さすがにいちいち術式を描いていては反応が遅く、機動性のない飛行物体は弓や精霊術の的でしかないため、今まで戦闘に利用することはなかった。
そういう意味でも、ちょいと風向きを変えてやるだけで上下左右、自在に動かせる航空舟の発明は画期的だった。とはいえ、それも敵陣営に風精霊術師がいない時だけしか使えない。空を飛べるというアドバンテージは、決して過信できないのだ。
魔物を追ううち、それらの影は魔界に連なる山々の中で、特にひと際高く、剣のように尖った岩山の頂きへと吸い込まれていく。
魔物にも必要なのかどうかは疑問だが、あそこが奴らのねぐらなのだろう。
とその時、群れの中の数羽がぐるりと弧を描いて反転した。
ギャアギャアとうるさく鳴いて、こちらに向かってくる。ナワバリを侵す敵と判断されたのだろう。
まぁ、実際にそのつもりだったから、精霊力はここに来るまでにフルパワーで充填している。
ぼくは火炎弾を数発、右手から放射した。
当然のごとく、鷺たちはひらひらとそれをかわし、ぼくの前方に集まりつつ接近してくる。
「やっぱり当たらないか……それなら、これでどうだ!」
ぼくは炎を放ちながら、左手では水精霊力を高めて大精霊術の準備をしていた。ちっとも当てられない火炎弾を撃ったのも、その真意は、ぼくの前方に敵を集めるためだった。
貯めに貯めた巨大な水精霊力を派手にぶっ放す。直径数十メートルの範囲内が、窒素も凍るような冷気で包まれた。
「エターナルフォースブリザード! 相手は死ぬ」
ごめん。ちょっと言ってみたかった。
いつものように隣にヘザがいたら、例の無表情のまま「何ですか、それは」とか言われて、こっちが凍らされてしまうからな……。
口から出たのは冗談でも、実際の威力はジョークで済まない。急速冷凍された魔物たちは一様にピタッと動きが止まり、そのまま地上へと墜ちていった。
その先を見送る余裕はないが、たぶん、地面にキスをした瞬間にバラバラだろう。
とにかく、一気に邪魔者は片づいた。先を急がねば──
グエーッと甲高い鳥の声が頭上から聞こえて、ぼくはぞくっとした。
冷凍地獄を迂回したらしい一羽の黒い鷺が、脳天から急降下で迫ってきている。
速すぎる。これは、かわせない。
脊髄反射的に術式を組み、手の前に防御壁を生み出すのがやっとだった。
強烈なくちばしの一撃。
防御壁は破られなかったものの、激しい勢いは殺せない。
ぼくの身体は地面に向かってまっ逆さまにすっ飛んでいった。
空中制御の術式を──いや、間に合わない。
地面に衝突する寸前、体内に保っている土精霊力を集めて術を放つ。
固そうなその地盤を、サラサラの砂に変成した。
ドンと音を立てて、ぼくの全身が砂の中にめり込む。
思った以上に衝撃が少ない。
地面の下が空洞だったためだ。
ぼくは大量の砂もろともに、その空間へと滑り落ちていった。
滑落が収まるのを待って、ぼくは光精霊術の灯りを点した。
地下空洞は思いのほか広く、そしてゆるく下るトンネルのような形状をしていた。
壁面や天井は固い岩肌のように見えたが、果たして自然の洞窟なのか、人工の坑道なのかは、地質学的に素人のぼくには判断できない。
背後の「道」は砂で完全に埋まっているし、砂を掘って地面に戻るのは、地表に出た先で再び魔物に襲われる危険性を考えるとあまり良いアイデアではない。
逆に、洞窟の先へと進み、別の場所から地上に出られたなら、鷺魔物を上手くやり過ごせるかもしれない。
しかし、それには大きな問題がある。この洞窟の、魔素の異様な濃密さだ。
これほど澱んだ場所であれば、強力な魔物が多数発生していてもおかしくない。
「……確か、グークが前に使っていた魔術が……」
洞穴の静寂と暗闇を不安に感じたせいもあり、ぼくは声に出してつぶやいた。
あれは数年前、魔王討伐隊として魔王城を目指した時のこと。
戦のせいで魔界に魔物が増えているので、道中はそれらに警戒しながら進むと言って、グークが魔物を感知できるらしい術を使っていた。その時に彼が組んだ術式が……。
「ここが、こうなって……これでどうだ?」
かすかな記憶をたどりながら、ぼくは術式を再現する。
途端、五感とは別の何かの感覚が、辺りに広がっていくのを感じた。
何でそれが分かるのかがまったく分からないが、視覚でも聴覚でもない、まさに第六感というべき謎の感覚器官でそれが認識できるのだ。
今までに感じたことのない感覚の発現と、その情報の氾濫に、ぼくは酒に悪酔いしたような気分を覚えた。
腰を下ろして休みたい欲求をこらえて、ぼくは、闇に覆われたトンネルの先へと歩き出す。
一刻も早くヘザを救出に行かねばならないのだ。この不思議な感覚は、前に進みながら慣れていくしかない。
この気分の悪さはいつまで続くのだろうと気がかりに思っていたが、意外にもたった数分のうちに、ぼくはこの新たな感知能力の感じ方を飲み込み始めていた。
闇や岩壁を無視して広がるその「視界」が、遠くや近くに幾つか、直接脳が反応するように何かを捉えるのが分かる。
イライラとか、もどかしさに近い「障り」として、それを感じるのだ。
それらのそれぞれの距離感や、それらが大きい塊か小さな塊かも、ぼんやりと認識できている。
ぼくは直感した。これが、魔物の気配だ。
それを感じようと集中するほどに、その気配の輪郭がくっきりと浮かび上がってくる。見ずとも聞かずとも「分かる」この新感覚が、何だか愉快に思えてきた。
あれは、結構大きいな。こっちのは子犬ぐらいに小さい気がする。
そして──あちらにあるらしい、やや大きめの魔物の気配は、かなりの勢いでこちらに向かって接近している。
ヤバい。能天気に楽しんでる場合じゃなかった。
でも、相手の動きが丸見えなら、いかようにも対処できる。
火と土の精霊力を準備して、地面に術式を施す。人には通用しなくなって久しい「地雷」の術式だが、魔物相手ならまだまだ現役選手だ。
来た道を少し戻り、カーブの先へと身をひそめる。
魔物は牛とも馬ともつかない吠え声をこだまさせながら、とても素直に駆け込んできて……そして、とても素直に罠にかかった。
激しい轟音。
大型の魔物だったとしても、ひとたまりもないほどの威力を込めたから、まず即死だろう。
ただ……ちょっとだけ、精霊力を盛りすぎた。
爆発の衝撃の直後に、ドドーっと、崩落の響きがトンネルの向こう側から伝わってきたのだ。
あああああ。ぼく、また何かやっちゃいました?
微妙に使い方の間違った某小説投稿サイトのテンプレ主人公のセリフを心の中でつぶやきながら、洞窟内に充満する土ぼこりに咳き込みつつ、そこに踏み込んだ。
懸念したとおり、礫石で洞窟がぎっちりと埋め尽くされてしまっている。
魔物の気配はなくなっているが、一緒に進む道もなくなってしまった。
と言っても、この先に進んだところで、どこに向かっているのかも分からないし、むしろ出口がある保証すらない。
まずは地上に出るべきだ。結構な距離を歩いてきたから、ここから出てもあの黒鷺に見つかるおそれは低いだろう。
ぼくは積み上がった岩石の坂を、再び崩れ出さないよう、おそるおそる天井近くまで上ってきた。ここから土精霊術を使って斜め上に穴を開けて進むのはたやすいが……一度崩れた洞窟の天井だ。下手に穴を開ければ、再び崩落する危険性が否めない。
考えろ。ぼくの世界の技術では、どうやって安全にトンネルを掘っている?
「……そうだ。シールドマシンだ」
誰に聞かせるでもなく、ぼくはつぶやいた。
小学生の頃、社会科見学で海底トンネルを解説する展示施設を観に行って、それを見たことがある。確か、ドリルのようなもので土を削り取り、同時に坑道の内壁面をコンクリート製のブロックで補強しながら掘り進む機械だ。
つまりは──
まず前方、直径二メートルの円状の範囲を砂に変成して、念動で背後へと送り出す。
その直後に、その周囲の土を、コンクリート並の固い密度へと変成。
それを高速で繰り返す術式を、押し込みながら前進すればいいわけだ。
ぼくは魔力を指先から出して、術を現すための図形を空中に描き始めた。
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