異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十一話(二)「まるで太陽だ」
しめやかに、闇が天地を覆い尽くした。
野営地の中で方陣を組み、きれいに整列した兵士たちが、ぽつぽつと据え置かれたたいまつの灯りにぼんやりと浮かび上がっている。騎馬を伴った兵士、槍や槌矛を携えた徒の者たちは、かぶとに紐で縛りつけたり、にかわで貼り合わせたりして、一様にほの白い羽根を取りつけている。
「よく眠れたかい、ヘザ」
軍団の前に立ち、髪の毛を指に巻きつけてもてあそぶヘザに、ぼくは声をかけた。彼女もまた、頭に鉢巻をして鳥の羽根を挟み込んでいる。
ヘザがたすき掛けにしている革のベルトが目に入り、ぼくは改めて戦いの時が近づいたことを認識した。ベルトの先、腰の位置にはダーン・ガロデの言葉で「トーボレム」と呼ばれる、見た目はどう見ても少し太めのラッパとしか言いようがない銅製の楽器が吊り下がっており、戦闘時はこれを吹き鳴らして号令をかけている。
最初は、ぼく自身がトーボレムを吹くつもりだった。しかしどうやっても音が出せない上に、ヘザが難なく吹けるようになってしまったので、号令は彼女に任せることになったのだ。
そのおかげで、合戦中にぼくが「パッチン」してしまっても、号令が通らなくなるという最悪の事態が避けられたわけだけど、それはひねたものの見方をすれば、ぼくに楽器の才能がなくてよかったネーというコトであって、何だか素直に喜べない。
いや、塞翁が馬だ。幸運だったと思おう。
「いえ……合戦前はいつも、あまりよく眠れません」
「そうなのか? 意外と言っては失礼だが、君はそういったことに心が左右されないと思っていた」
「ハイアート様は、私が石でできているとでもお考えですか。相手がどうあれ、状況がどうあれ、合戦は殺し合いです。私はいつも怖れています──殺されることも、殺すことも」
ヘザは眉根を寄せて、目を細めた。
「すまない。普通は誰だって、平気ではないよな。であれば君も、辛い時は辛いとちゃんと言ってほしい」
「……了解しました。ではハイアート様、出陣前のお言葉をお願いします」
ぼくは無言でうなずいて、一歩前に出た。総勢千五百足らずという、砦を攻めるには非常に厳しい手勢だ。
ぼくは、ひとつ深呼吸をしてから、おもむろに叫んだ。
「魔界防衛大隊の諸君! はっきり言って、我が隊は数に劣る。だがその劣勢は、ぼくが策をもって補おう! あとは君たちの、ここ次第だ!」
自分の胸をドンと叩く。
「戦士たちよ、暗闇を怖れるな! 戦士たちよ、闘志を燃やせ! 槍をうがて! 槌矛を振るえ! この魔界に、正義と、調和と、博愛による平和を! 守るべきものを守るために、打ち砕くべきものを打ち砕くのだ! 奮起せよ、勇猛果敢なる戦士たち!」
オオオッという鬨の声で、周囲の空気がびりびりと震えた。
「全軍、前進────!」
ヘザの凛とした声が響き、ゆっくりと、各隊の先頭が掲げるランタンの光の羅列が前進した。
魔界を囲うように連綿と続く、目もくらむような高さの断崖の一部に、数百メートルにわたりその頭頂部がひさしのように前に突き出て、オーバーハングになっている一帯がある。
鹿でもその崖を登れずに落下し、崖下に死骸の山を築いたということから、この地に建つかの砦は鹿屍砦と呼ばれた。
絶壁をえぐり取ったような地形に築かれた兵舎、厩舎、倉庫や鉄工所などの軍事施設を、高い城壁が緩やかに弧を描いて囲っており、強固な守りを持つ。包囲にもたやすく耐え、時間を稼ぐことで他の砦からの増援と挟撃するというコンセプトを持った防衛システムだ。
砦自体はその周囲同様に真っ暗だが、石壁上部の歩廊に等間隔で置かれたたいまつの火が、城壁の位置を示している。
その火を頼りに、前面にシャッターを下ろし、砦側に火が見えないようにしたランタンの灯りが暗闇の中で各々の配置についた。その後ろには、整列を崩さないよう前の者の肩に手を置いて進んできた各隊の軍勢がついてきている。
鎧の板金同士が擦れ合う小さな金属音以外はしんと静まった夜のとばりの中で、兵士たちは、攻撃開始の合図となるものをじっと待っていた。
「ハイアート様。全軍、配置についた模様です」
ヘザの声がした。その姿は見えず、ぼくの腕をつかむ彼女の手だけでしか、彼女の存在を認識できない。
「よし。では、始めよう──」
ぼくは指先に魔力を宿して、大きめに術式を描きだした。
闇の中で、銀色の図形が浮かび上がる。距離、位置、方向を術式の内にこと細かに刻みつけ、最後にありったけの光精霊力を魔術に流し込んだ。
「行けっ……!」
魔術が発動し、音もなく精霊力が虚空を駆けると、砦の上空で強烈な光が具現化した。
その光はサーチライトのように指向性をもって、他を闇に包んだまま、砦の胸壁部分だけを鮮やかに照らし出す。
「何という明るさ……まるで太陽だ」
その光にうっすらと姿を照らされたヘザが、空を見上げて惚けたようにつぶやいた。
「ヘザ、号令」
「あっ……申し訳ありません」
彼女は作戦行動の開始を告げるトーボレムを吹き鳴らした。強く、長く、高らかに一回。
一気に、戦場が動き出した。
後方からの地響きのような陣太鼓の打音が戦意をかき立て、喊声と、大勢の足音と鎧同士が打ち合う金属音で場が満たされる。
異変に気づいた砦の歩哨が一人、胸壁から顔をのぞかせた。
その瞬間、精霊術師隊から繰り出された一条の光線がその顔を灼いて、彼は悲鳴を上げる暇もなくくずおれた。途端に、城壁上部に敵兵らがあわただしくうごめき出すのが見える。
精霊術師には、散らばるように配置し、常に動きつつ近距離から狙いすまして攻撃するように命じてあった。敵側からすれば、闇の中から飛来する火炎弾がどこから来るのか、反撃しようにもどこに射ったらよいのか分からない。
いたずらに射ち返そうとすれば、身体を胸壁の狭間から露にした途端に高熱や冷気の塊をぶつけられるのだ。相手の抵抗は、壁の後ろからの狙いの定まらない弓射と散漫な投石に終始した。
砦内から警鐘の音がかすかに聞こえてきた時には、すでに城壁に数本のはしごが掛けられていた。
胸壁から身を乗り出してはしごを外そうとしたり、はしごの下に向けて弓射や投石をしようとする兵士は、着実に精霊術の的になった。
そうして、頭に白い羽根をつけた兵士が城壁の上に立つまでには、驚くほど時間を要しなかった。以前に真正面からこの砦を攻めた時には、近づくことすらできなかったことがウソのようだ。
盾を構えた兵士が数人登りきり、歩廊の左右を御すると、今度は長槍兵がどんどん駆け上がっていく。城壁上部の一角に橋頭堡が築かれつつある中、ぼくはヘザの肩をぽんと叩いた。
「ぼくたちも進もう。彼らが城門までたどり着くよう援護するんだ」
「了解しました。ハイアート様、流れ矢や敵の精霊術に十分お気をつけください」
手の中に小さく光を生み出して、足元を照らしながら暗中を進む。
はしごの下まで向かう道中、矢を受けて地に倒れ伏した兵が数人あったが、その少なさにぼくは夜襲の成功を実感していた──
「ハイアート様、止まってください」
不意に、ヘザが外衣の背中を引っ張った。
「どうした。何かあったか」
「……妙な音がします。鳥の羽音のような……城門の方からです」
ぼくは城門の方を見やる。そこには、砦に突入した兵が内側から門を開いた時に突入する役目を持った騎兵隊を待機させている。
その位置を示すためのランタンが、妙にぐらぐらと揺れていた。
風精霊術を操って、その周辺の音を、耳元に引き寄せてみる。
……確かに、鳥の羽音。それも一羽や二羽ではない。
加えて──激しく鋼を打ち据える音と、人と馬の悲鳴。
戦闘が起こっている?
ぼくは、手にしていた灯りの光精霊力を増幅させると、新たに術式を刻んで、騎兵隊の方へ向けて撃ち放った。
それは、隊の頭上で留まり、八方を白々と照らし出す。
そんなバカな。
騎兵隊は、苛烈な攻撃に打ちのめされていた……それも、敵国の兵士ではない。
黒く、巨大で、首の長い、鷺のような鳥の姿を形取った──「魔物」の群れだった。
少なくとも十を越える翼を広げた影が、上空に弧を描いて飛び交い、絶えず舞い降りては、騎兵たちに鷹のごとき凶悪なかぎ爪の一撃を加えていく。
闇の中から突然の襲撃を受けて、反撃もままならなかったのだろう。人馬の多くが、すでに地に身体を横たえて動かなくなっていた。
「魔物」とは、濃度の高まった魔素から出ずる、擬似生物だ。
その生ずる仕組みについては未だ謎が多いが、魔素の引きつける人の負の感情──憎しみや恨みや嫉妬といったもの──が、それに見合った姿形や意思を魔素に与え、まるで生命を持つようにふるまわせると言われている。
故に魔物と一口に言ってもその外見は様々で、基本的には人間が脅威を抱くようなもの──猛獣や、鬼や悪魔といったものに似た形を取ることが多いという。
そして、与えられた負の感情がそのまま無軌道に暴れ出すかのように、ただひたすらに猛り狂って人間を襲うことが、魔物のかりそめの生命としての「本能」なのだ。
「ヘザ、ぼくたちで騎兵隊を救出しよう。それから──」
ぼくはその後の句を続けられなかった。
あまりに突然で、あまりに予想外のアクシデントに、思考がついていかない。
「──ああもう、考えるのはまず騎兵隊を救出した後だ! ヘザ、ついて来てくれ」
「了解しました」
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