異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十一話(三)「せめて体育の授業ぐらい真面目にやっておくんだった」
ぼくは城門前に急き込みながら、風精霊を大きく取り込んで全身に満たした。
術式を組み、空を周回する鷺魔物に向けて、螺旋状の暴風を発生させる。
数羽がその乱気流にとらわれ、洗濯機の中の衣類のようにもみくちゃになった。
「騎兵隊! 本陣に向けて一時退却! 一時退却!」
ヘザの声が響き渡ると、騎馬が編隊をバラバラにしながら、こちらに駆けてくる。
多くを暴風の中に閉じ込めたものの、二、三羽の魔物は低く滑空して逃げる騎兵を追撃し、さらに数騎がかぎ爪にかけられて犠牲となった。
ヘザが、高熱の光弾を二連発で、素早く撃ち放つ。
その両方が、向かってくる鷺魔物らの顔面をしたたかに打った。
が、魔物は一旦上空に逃げたものの、大したダメージにはなっていない。
人間を一撃で黒炭の塊に変えられるヘザの火炎弾が、こんなにも通用しないとは!
風精霊力を再充填して、ぼくはもう一発、暴風を上空に見舞った。
魔物がひるんでいる隙に、最後の騎馬が、ぼくたちの脇をすり抜けていく──走り去っていったのは、二十騎程度だった。しかも騎兵隊長と、副隊長の姿は、それらの中になかった。
まさか、これだけしか生き残っていないというのか?
損害という問題ではない。壊滅だ。
砦を制圧する決め手の騎兵隊が、機能不全になるほど痛めつけられた。それは、この作戦の完全な失敗を意味している。
ぼくはぶるぶると肩を震わせ、噛み締めた歯の間から、声を絞り出した。
「……ヘザ、号令を……全軍に、撤退命令だ……!」
「……了解、しました」
トーボレムの響きが、夜の闇をつんざいた。
パン、パン、パァーンと、二回の短音と一回の長音を、三度繰り返す。
「……よし。ぼくたちは軍が退却する間、魔物をここに釘付けにする。倒せるに越したことはないが、精霊力を使いすぎるな。第一の目的は、あいつらを引きつけておくことだ」
「分かりました。全力を尽くします」
ぼくはもう一つ、でかい光源を打ち上げた。辺りが昼間のような明るさに満たされる。
「さあ魔物どもめ、かかってこい!」
言われなくても、魔物らはぼくたちにかかってくるつもりのようだ。暴風から逃れた二羽の鷺魔物が、こちらに向けてまっしぐらに飛来する。
ぼくとヘザが同時に、個々の標的に向けて火炎弾を発射した。ヘザの弾は右翼の付け根に命中し、ぼくのは──華麗なバレルロールで、あっさりとかわされてしまった。
「くそっ……!」
肉薄する魔物の爪を、即座に魔力の防護壁をぶつけて弾く。
一羽は悠然と急上昇で上空へ、もう一羽はよろよろとふらつきながら、戦場を離脱していった。
正直、火炎弾の威力は、ヘザをはるかに上回る自信がある。
しかし、それを当てるセンスが、ヘザに比べると決定的に足りないのが悔しい。
「ハイアート様! お怪我は?」
「ああ、どうにか防御が間に合った。……あの魔物は、翼の部分は他の場所に比べあまり頑丈ではないようだ。狙えるか?」
「仰せのままに」
旋回してきた魔物が、再び高空から急降下してくる。
その距離が、ぐんぐん詰まる。百メートル……八十メートル……。
六十メートル。
ヘザの手のひらから、三発の火炎がほとばしった。
そのすべてが奴の右の翼に集中して、次々とうがち抜く。
その翼が半分にもげて、元の黒いもやのような魔素へと散り散りに分解されていくと、鷺魔物は寒気のするようなけたたましい鳴き声を上げて、地面に激突した。
地上を転がり、あえぎ、もがく。
魔素で出来ている身体でも、苦痛を感じるのかどうかは分からないが──
「……飛んでなければ、簡単なのにな」
ぼくの火炎弾が魔物の頭部を打ち据える。着弾した炎がごうっと唸りを立てると、魔物の頭が消滅していた。
黒い鷺は動かなくなり、凝固して全身を形作っていた魔素がゲル化するごとく崩れ、それから蒸発していくように空気中に漂い出した。
魔素に生まれ、魔素に還る。
本物の生命ではないので語弊はあるが、これが、魔物の一生だ。
「たった一撃の火炎弾で……ハイアート様、お見事です」
「──昔、とある赤い服の軍人さんがこんなことを言ったんだ。『当たらなければどうということはない』ってね。ヘザ、やはり火精霊術の熟練度では、ぼくは君にとてもかなわない」
「……恐縮です」
ヘザがぺこりと頭を下げる。彼女の顔の周りを風精霊がふわふわしているのが見えて、ぼくはわずかに口の端を持ち上げた──嬉しいなら、もう少し素直に喜んでもいいのに。
「……さて。撤退の状況はどうなってるだろう?」
ぼくはつぶやいて、城壁の方を望んだ。
はしごの上に自軍の姿はなく、城壁の下でうごめく人影もわずかとなっていた。
しかし、砦からの追撃は、まったくない。
背中を見せて一目散に逃げる敵軍の後を追わないなどということは、普通は考えられないが──
「ハイアート様! 魔物が!」
ぼくたちはとっさに、地面にへばりつくように身を伏せた。その頭上スレスレを鷺魔物の爪がかすめていく。
先ほど放った暴風の効果が弱まって、捕らえていた数匹の魔物たちが脱出してきたようだ。怒り狂ったようにたけり立ち、ぼくらの頭上をぐるぐる回って、襲撃の間合いを計っている。
敵軍の追撃がないのも当たり前か。下手に砦の外に出て、魔物どもの注意をひくようなバカな真似は、誰だってしたくない。
「あの数は相手にしきれない。ぼくたちも応戦しつつ後退しよう」
「了解しました」
ぼくとヘザは後方を気にしながら、早足で本陣へ向かっていく。
幾度も襲い来る魔物の攻撃を、魔術で力場を生成して防ぎ、火炎弾で牽制しながらの退却だ。
何度か灼熱のつぶてに打たれ、逃げていったものも数匹いたが、遠くの山の輪郭が白んでくる時間になっても、依然として魔物らの追跡が続いた。
「しつこい奴らだな。ヘザ、疲れていないか」
「はい、少し……ですが、まだやれます」
とはいえ、二人ともかなり息が上がっている。
本陣まで逃げられれば、そこには航空舟がある。あれを使えば、空を飛ぶ敵にも少しは有利に戦えるはずだ。
だがこんな時に、ぼくはうっとうめいて、地面に転がってしまった。腿もふくらはぎもひどくくたびれていて、ひざがガクンと落ち、足がもつれたのだ。
ダーン・ダイマで冒険の数々をくぐり抜けるうちに、体力はそれなりについていたはずなのだが……まさか体力まで、文化系で運動不足気味だった十五歳の頃の肉体に戻ってしまったということなのか?
運動部に入るとまではいかずとも、せめて体育の授業ぐらい真面目にやっておくんだった……ガンテツが何かと二人組を組ませようとするからいけないんだ。
いや、そんな薄ら暗い青春の思い出に打ちひしがれている場合じゃない。この機を逃さず、素早く舞い降りてきた一匹がかぎ爪を突き立てようと迫る……。
突然、鷺魔物の全身が猛烈な炎に包まれた。
そのまま飛び去ろうとするが、やがて炎の中で輪郭がゆがみ、崩れて、墜落していった。
「ハイアート様、こちらへ早く──」
ヘザが駆け寄ってくる。危ういところを助けられたものの、今の精霊術の威力からすると、彼女の精霊力は一気に空っぽになってしまっただろう。危険な状況だ。
その大ピンチの最中に──
「ヘザ、後ろ……!」
ぼくはカラカラの喉から精一杯の大声を上げたが、ヘザの反応は一瞬だけ遅れた。
背後から急激に迫る魔物に対し、彼女は身をねじってかわそうとするが、その爪が、たすきに掛けたトーボレムを吊るすベルトに引っかかった。
あっという間もなく、ヘザの身体が上空へと持っていかれる。
「ヘザ……!」
「ハイアート様……私に構わず……撤退をお急ぎ──……」
その時、太陽が山から完全に顔を出し、幾筋もの光線が闇夜を引き裂いた。
魔物たちはゲーっと次々に高く禍々しい鳴き声を上げ、日光を避けるように、西のまだ藍色の残る空の彼方へと飛び去っていこうとする。
その中の一羽のかぎ爪に、ヘザを引っかけたままで。
山道の先を行く兵士の集団と、連れ去られていくヘザを、ぼくは交互に見やった。
ぼくには、自軍を無事に撤退させる責任がある。
敵軍に比べとても劣勢で、一兵卒たりと無為に消耗できない状況であればなお、それは重大だ。
しかし──
ぼくは魔物の群れに向けて助走をつけながら術式を展開し、頭上に揚力を発生させると、急上昇で高空へと舞い上がった。
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