異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十話(三)「女子高生に幻想を抱かなくなる年頃は四十歳を過ぎてもやって来ない」
結局押し切られて、ぼくは朝倉先輩と共に、家の玄関をくぐった。
「ただいまー」
「おかえりなさい。今日も遅かったの……ね……?」
奥のダイニングから顔だけをのぞかせた母親が、途中から言葉を失うのが分かった。たぶん、ぼくの後ろにいる先輩の存在に気づいたせいだ。
「あ、こちらは朝倉先輩。ぼくの勉強を見てくれることになって……」
「おじゃまします、朝倉と申します。よろしくお願いします」
先輩はぺこりと頭を下げる。母は絶句したまま、首をかくかくと上下させた。
「先輩、どうぞ上がってください。──あ、母さん。すぐ勉強始めるんで、お茶とか出さなくていいからね」
ぼくたちがダイニングの脇を通過して、階段の上に消えるまで、母親はただ呆然としていた。
いや、分かる。言いたいことは分かる。
ぼくが生まれてこの方、女子生徒を家に連れてきたことなど、ハム子以外には一度もなかった。そのハム子も中学生になって、バレーボールの方で忙しくなると、遊びに来ることは滅多になくなっていた。
そんな息子が、予告もなく、美人の先輩を連れ帰ってきたのだ。緊急家族会議が開かれたとしても不思議ではないほどの大事件だ。
しかし幸いにも、父は昨日から競技場入りしている。確か競輪選手が競技場にいる間は電話等の連絡が一切取れなくなるという話だから、家庭の一大事とはいえ報告もままならない。まぁ、ぼくとしてはこれを大ごとにされない方が助かるのだが。
「これが君の部屋か、実にシンプルだな」
ぼくの部屋に入った朝倉先輩の第一声は、どこかつまらなそうに聞こえた。
「殺風景ということですか」
「そこまでではないが、男の子の部屋というものはこう、もっとプラモデルとかアイドルのポスターで飾られているものかと思っていたよ」
「まぁ、そういう人の方が多いでしょう。無趣味なもので、ご期待に添えず申し訳ないですね」
「いやいや、私が期待しているものはここからが本番だ。では早速家探ししようか」
そう言うと、先輩は本棚のチェックを開始した。
「ちょちょ、先輩。勉強を教えに来たんですよね」
「もちろん、勉強は教える。教えるが、本棚の後ろとかマットレスの下が気になっていては身が入らないというものじゃないか」
「何を探そうとしてるのか大体予想はつきますが、そんなモノはひとつもありませんよ」
「そうか、君はネット派なんだね。あとでブクマをチェックさせてもらおうか。……しかし、本棚は見事に三国志一色だな。横◯三国志と蒼天◯路ではどっちが好みなんだ?」
双方の一巻を見比べながら、先輩が訊いた。そういう答えにくいことを訊かないでほしい。
「どちらも良いところがありますから、一概には……それと、ブクマは見せません」
「照れるなよ、私もよく見てるぞ。しかし、ああも簡単に丸見えだと──」
「わーっっ! あけすけなのも大概にしてください! まだ女子高生に幻想を抱いていたい年頃なんです!」
ちなみに、女子高生に幻想を抱かなくなる年頃は四十歳を過ぎてもやって来ない。これ豆な。
「白河君、ありもしない幻想を追ってどうするのだ。本物の女子高生が手を伸ばせば触れる場所にいるというのに」
朝倉先輩はそう言いながら、マットレスの下に手を入れてごそごそと探っている。本物には間違いないけど、この人の言動はアベレージな女子高生から一線を画している気がする。
「そうは言いましてもね、触ったら犯罪──あっ、先輩! 押し入れはダメです!」
ベッドを離れ、押し入れの方をちらりと向いた先輩に、ぼくはあわてて叫んだ。
押し入れには、異世界から持ち帰ったアレがしまってある。
衣装ぐらいならまだいいが、ゲイバム王国騎士の証たる小剣。アレが見つかったら、銃刀法的なアレが超アレでヤバい。
しかし。
「ふふ、ここか。この中に白河君の恥ずかしい秘密が隠されているのだな」
逆効果だ。先輩は怪しく目を輝かせて、ふすまに手をかけた。
「ダメですって!」
「フヒヒヒヒ。よいではないか、よいではないか」
ぼくは先輩をはがい締めにして、押し入れから引き剥がした。彼女は不気味に笑いながら、束縛を解こうと手足をばたつかせる。
その足が、ぼくのかかとを河津がけのように引っかけた。
「あ」
もろともに、ベッドの上に倒れ込む。
……これは、偶然の産物だ。アクシデントだ。
とはいえ、朝倉先輩がぼくの腕を枕にするような形で共にベッドに寝そべり、至近距離で顔を向かい合わせているという、はた目には何とも言いわけのきかない状況に、ぼくの心臓はぼくの意に反して暴れ出している。
それは女性への不慣れさからくる無意識の反応であって、決して何かを期待しているとか、下卑た欲や衝動に駆られているせいではない。……たぶん。
それに──この状況に困惑しているのは、ぼくだけではなさそうだ。
「あっ……すみません、先輩」
「やっ……き、君は何をしてるんだ。こういう場合はだな、ラッキースケベの法則に基づいて、手の位置が、こう──」
「……先輩。お顔が真っ赤です」
「!」
急に早口でまくし立ててきた、先輩のしゃべくりがピタリと止まる。紅潮した頬に、ますます赤みが差した。
ぼくは短く息をついて、苦笑いを浮かべる。
「無理して、ボケでごまかさなくたっていいじゃないですか。腕を抜きますから、ちょっと頭を上げてくだ──えっ?」
朝倉先輩が、シャツの襟近くをギュッと握って抑えつけてきたので、起こしかけた上体が再びベッドの上に落ちた。
「せ、先輩……何を……?」
「……君は、どうなんだ。こんな時に……胸が熱くなったり、ドキドキしたり……そういうのはないのか……?」
質問の意図が見えない。
そもそも、普段から彼女の言動に「ぼくをからかって遊んでいる」以上の意図を見出せたことは、ひとつもない。
「……まったくない、とは言いませんが……先輩、今度は一体、何を企んでるんですか?」
ぼくの服をつかむ手の握力が、少し、強まった。
「企んでるだなんて……私はただ、知りたいだけなんだ」
「……ぼくのことを、ですか? 確かに不思議に思われるところはあるでしょうが、ぼくはそこまで熱心に追求されるような価値のない、つまらない人間です。もう許してはくれませんか」
先輩は、頭を左右に小さく振った。
「君のことだけではない……私は、私の心が知りたいんだ」
「……心が、知りたい……?」
おうむ返しに訊くと、彼女は顔をうつむかせて、小声でつぶやいた。
「……君の家に来て、玄関を通る時……君の部屋に入る時……このベッドが目に入った時……そのたびに、私の感じたことのない気分に襲われる。そして今も……息が詰まるような、心臓が鷲づかみにされているような──私の中のよく分からない何かに心の自由を奪われている、そんな感覚だ。もし、君も同じなら、聞かせてほしい……その感覚の正体が、一体何なのか」
「……」
かける言葉が見つからない。その感情に思い当たる名前はあるが、若さゆえの過ちは犯したくない。
「白河君。私は、私の中の私が知らない私を知りたい。君とこう話したらどうなるのか、君にこう触れたならどうなるのか、と……それを重ねていけば、いつか分かる気がするのだ……その正体が」
朝倉先輩が、再び顔を上げてこちらを見た。
その瞳が、何かを求め訴えるようにうるみ、光に映えてきらめいている。
「──この間の借り、今ここで返させてくれないか。思えば、あの時にどこか未練めいたものを感じてから、私の中に見知らぬ何かが棲みついたのだ。君が許してくれるなら、だが──」
先輩の手が、ぼくの頬に、そっと添えられた。
緊張に満ちた顔が、不器用な唇が、こわごわと近づいてくる。
この唇に、ぼくは責任を持つことができるのだろうか?
彼女の想いを無碍にしたくない気持ちがある──受け入れてから考えることもできるかもしれない。それでは手遅れなのかもしれない。
普段ならさして悩まずにゼロかイチかで判断できていたはずのぼくの思考能力が、まったく機能しない。まるで、熱に浮かされているかのように。
しかし、この時。
左手首にある腕時計の淡い銀色の輝きが、思いがけず目に飛び込んできた時に──急激に頭が冷え、迷いや戸惑いは一気に吹き飛んでしまった。
即座に「異世界召喚ゴムパッチン理論」に基づく考察が、頭の中を猛スピードで駆け巡る。
──「魂」を召喚された際、自分が身につけているものと身体で認識しているものはすべて「肉体」とともについてきた。衣服などが置いてけぼりにならないのは、そのためだと考えられる。
では今、ぼくに密着している状態の「朝倉先輩」は、召喚された際にぼくの肉体と共についてきたりはしないのだろうか。
──否。先輩自身の「魂」が魔術により引っ張られない限りは、先輩はこの世界との「縁」に固定されたままで動かない。大丈夫だ。
しかし、ぼくがこれからダーン・ダイマで英雄としての「使命」に従事するならば、いつもの魔術師スタイルを欠かすことはできない。
その格好のまま不意に日本に帰ってきたら、ぼくは早着替えなどというレベルを超越して突然「変身」した姿を朝倉先輩の至近距離にさらして、逃げたり隠れたりする暇すらない状況に陥る。
それは、非常にまずい。
魔術や魔素中毒のことを不問にしてくれた朝倉先輩なら、あえて訊かないかもしれない。
そうだとしても、彼女を不思議がらせる材料は可能な限り少ない方がいいし、第一、そんなあからさまな異変に対してまるっと無視してくれることに賭けるなんて、危険すぎる。
すべきことは、たったひとつ。
今すぐに、朝倉先輩の目につかない所まで逃げることだ。
「……うおりゃああぁぁぁっ!」
気合一閃。
ぼくは朝倉先輩の身体を跳ね飛ばして、強引に立ち上がった。短い悲鳴を上げて、彼女の華奢な身体がベッドの下に転がり落ちる。
「あっ、すみません、先輩──ぼく、トイレに行ってきます!」
またかよ。何度目だ、この言いわけ。
ぼくは内心自嘲しながら、素早く引き戸を開けて、部屋から飛び出した。
「白河君! 待っ──」
後ろから、先輩の呼び止めるような声が聞こえたが、ぼくはがむしゃらに階段を勢いよく駆け降りていく。
一階にたどり着き、廊下を右に折れたその瞬間、ぼくの姿は現世界からかき消えた。
ドダーン!
ぼくは召喚術式の石舞台の上で、直前まで走っていた勢いのまま、うつ伏せに倒れ込んだ。
「ひゃっ……! 大丈夫ッスか、ハイアート様」
「……」
ぼくは突っ伏した姿勢から、おもむろにごろんと横向きに寝そべった格好になって、ごんぶと三つ編みロリお姉さんの方へ向き直る。左腕を頭のつっかえ棒にして、苛立ちを示すようにトントンと床を右手の指先で叩いた。
「あのさぁ……仕方ないとは思うけど、こっちの都合はまったくお構いナシだな! まぁ、それは置いておくとしても……召喚魔術のことについて、ちょこっと話を聞かせてもらうからね、モエドさん?」
「は、ハイッス。魔術のことでしたら、何でもお訊ねください……」
モエドさんは、にらむように見据えてくるぼくに対して、小動物のように震えていた。
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