異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第十話(一)「正しく痴情のもつれによるトラブルではないか?」
「──あのねハヤ君、うちのモグタン、憶えてる?」
シャツの袖をつかんだハム子が言った。
「モグタンというと……クルクルでバビンチョでパペッピポな謎の生物か?」
シャツの袖をつかんだ朝倉先輩が言った。
「いえ朝倉先輩、ヒヤヒヤでドキンチョな謎の生物ではなく、ハム子ん家の飼い犬です」
シャツの袖をつかまれたぼくが言った。
そう、ぼくは未だに二人の女子に挟まれ、両側からがっちりと拘束されたまま、登校の途にあるのだ。
同じ制服を着て同じ方向に向かう人がだんだんと通りに増えてきて、非常にきまりが悪い。
「ほう。小牧君の家ではワンちゃんを飼っているのか」
「うん、ビション・フリーゼなのだ。モフモフで可愛いのだ」
ハム子は犬バカである。モグタンの話をする時に顔がデレーっとだらしなくゆるむのは、久しぶりにその名前を聞いた今でも変わっていないようだ。
「うちのヤツも超モッフモフでウルトラ可愛いぞ。我が家のは、アンゴラウサギだがな」
「ウサギさん? わぁ、いいなぁ! ピーターラビットは昔よく読んでたけど、飼う機会はなかったのだ」
「小牧君、ピーターラビットとはまったく違う品種だぞ。アンゴラウサギはね……ホラ、うちのカルカン君だ」
先輩はパコっと携帯電話を開いて、待ち受け画像を見せてきた。なるほど、鹿児島銘菓かるかん饅頭にそっくりなウサギだ。
「にゃーっ! すっごくフサフサ! めっちゃモフりたいのだ!」
「そうだろう、そうだろう。でも、これがすごく臆病でな。外に出たがらないし人見知りも激しいんで、触らせてやれないのがとても残念だ」
「そっかぁ。ウサギさんはストレスに弱いっていうもんねー。寂しいと死んじゃうし」
ウサギが寂しいと死ぬというのは俗説らしいが……それより、二人で話し込むのなら、ぼくを間に置いたままにしないでほしい。
「あ、それでねハヤ君。今度の日曜にね、モグタンをマル君と一緒にドッグランに連れて行こうと思ってるのだ。だから、ハヤ君も久しぶりに一緒に行かないかなー、って」
マルか。その名前も久しく聞いていなかった。
彼は、ハム子の弟だ。今は確か十歳で、小学四年生になっているはず。
マルという名前も、当然ながらニックネームである。本名は丸大だ。
長女に姫舞と名づけた母親には一切口を出させず、ハム子の祖父母が決めた名前らしい。
角の立たない大きな心の持ち主に育てと願いを込めたそれ自体は、まったくキラキラしていない至極まともな名前だと思うが……ぼくが姫舞をハム子とあだ名したせいで、絶妙な「やっちまった」感が出てしまった。
ハム子がマル君と呼んでいたので、ぼくもそれにならってマルと呼ぶようにしたが、そうでなければ「ハム男」とあだ名をつけたい欲求に抗えなかったかもしれない。
小牧家の明るい家族計画は今のところ一男一女で打ち止め予定のようだが、もし次男が誕生して「ニッポン」や「イトウ」とかいう名前だったらどうしようかと、つい妄想してしまう。
「ドッグランか。確かに昔は、よく一緒に行ってたな。だが断る」
「えー、何でなのだ」
ハム子が満面に不満をたたえた。シャツの袖をつかむ手に力がこもる。
「日曜は、昼まで爆睡することが国民の義務なんだよ。納税、労働、教育、惰眠の四大義務って学校で教わらなかったか」
朝倉先輩がクスッと失笑を漏らした。
「どこの国の憲法だ。独立国『はやと』か」
「ぼくは独立国家宣言した原子力潜水艦ですか。非核三原則はちゃんと守ってますよ」
「非核三原則というと、あれだな。退かず、媚びず、省みず」
「それは帝王の三原則です、先輩。というかまだそのネタ引っ張るんですか」
「違ったか。ではあれだ、持たず、作らず……もち米せず」
「惜しい。もち米なかったら正月が迎えられない」
「持たず、作らず、モチベ上げず」
「残念。もっとやる気出して行こう」
「持たず、作らず、モジモジせず」
「そうそう。照れずに堂々とね、って何でやねん。……ん?」
ぼくは不意に、右隣からねっとりと絡みつくような視線を感じた。
ハム子が仲間になりたそうに……ではなく、機嫌が悪そうにこちらを見ている。
「え、えーと……ハム子? どうしたのかな……?」
「ハヤ君は……副会長さんとは、すごく仲良しなのだ」
ますます不機嫌になるハム子。シャツの袖を握る力が強くなって、肩口からちぎれそうだ。
「ハム子。コレがそう見えるのなら、君は眼鏡かコンタクトレンズの購入を検討すべきだ」
「視力の問題じゃないのだ。私と遊ぶのは断るのに、副会長さんとは、私にウソまでついてデートに行ったりもしてるのだ……」
ハム子はただでさえ少し突き出ている唇を、さらにとがらせる。──つい先ほど、「エッチな本を買いに行く」とウソをついたことの詳細を聞いた朝倉先輩がいつもの勘のよさをフルに発揮して、
『なんだ、別に小牧君も連れてきてよかったのに。私がデートだと言ったから、気を遣って二人だけで会おうとしてくれたのか』
などというメガトン級爆弾発言を投下してくれたため、無事ハム子にもバレたのだ。
「いや、デートってのは先輩が勝手に言ってるだけで、ぼくは、ただ話をしにいっただけ……」
「つれないなぁ、白河君。君も楽しかったと言ってたではないか」
「先輩はちょっと黙っててください! と、とにかく、それは誤解……」
「ずるいのだ! 私もハヤ君とデートしたいのだ!」
…………。
冷静に、状況を整理しよう。
ここは通学路だ。呉武高校に通う生徒が多数同じ路をたどっている。
そしてぼくは今、二人の女子生徒に、左右からつかみかかられている。
そこでハム子が、こんなことを、大声で叫んだ。
結論。
もう死にたい。
「ちょ、おま、声が大きい……」
「ただ寝てるだけだったら、デートぐらいしてくれたっていいのだ! 一緒に遊びたいのだ!」
シャツの袖どころか、腕の肉まで少しつかんでいる。痛い痛い。
というか、ハム子は一体何をムキになっているんだ。意味が分からない。
「お、落ち着けハム子。はたから見たら、まるでぼくが痴情のもつれでトラブルを起こしているみたいになるだろう」
「いや、正しく痴情のもつれによるトラブルではないか?」
「先輩は黙っててって言ってるでしょ!」
「副会長さんとしたハヤ君には、私ともする責任があるのだー!」
「さらに誤解を招く言い方するなあぁぁ!」
ああもう、収拾がつかない。
ぼくは、パンと強く柏手を打ち鳴らした。
突然の破裂音に、二人がきょとんとした顔をする。
「……よし! よーし分かった! ハム子の言うとおり、日曜はドッグランで遊ぼう。ただマルも一緒だし、モグタンだっているから、デート……っていうのとはちょーっと違う、よな?」
「別にそこまでこだわらなくても。デートと思えばデートでいいではないか」
朝倉先輩がカラカラと笑った。
「じゃあ逆に、デートと思わなければデートでなくていいですよね。先輩とのことも、デートとは思ってませんから」
デートって言いすぎて、デートという言葉がゲシュタルト崩壊してきた。
一般的に何をしたらデートになるものなのか、もうそれすらよく分からない。
「んー……ハヤ君が一緒に遊んでくれるのなら、もうどっちでもいいのだ。──あ、副会長さんも一緒にどうです?」
さっきとは打って変わって明るい表情のハム子だが、まだ腕の肉に指先が食い込んだままだ。痛い痛い痛い。
「日曜は呉武市内の三つの公園をはしごして、清掃のボランティアをする予定なんだ。せっかくのお誘いをお断りするのは非常に心苦しいが、白河君とゆっくり楽しんできたまえ」
話がひと段落して、ほーっと息をつく。
しかしその安堵もつかの間、ぼくたちがもう校門のすぐ近くまで来ていたことに、ぼくは今さらながら気がついた。
ぼくは多少身じろいで抵抗するも、二人の歩くスピードはまったく衰えない。
「ま、待って、せめて学校に入る前に、袖を放してくれ……」
「寂しいことを言うなよ、しばしのお別れまでもう少しじゃないか。その間ぐらい、つき合ってくれたってバチは当たらないだろう?」
「もっともなのだ。あ、ハヤ君、昼休みは一緒に学食に行こうよ。あとで迎えに行くねー」
あああああ、もうダメだ。ぼくの平穏な高校生活は完全終了した。
こうして、ぼくは周囲の視線を痛いほどに浴びながら、ハム子と朝倉先輩と、三人仲良く並んで構内へと突入していったのである。
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