異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第八話(二)「ドイヒーです」
放課後がやってきた。こんなに待ち遠しくない放課後は、生まれて初めてだ。
ぼくは教室のある校舎から、別棟へと渡り廊下を歩いてきた。こちらは理科実験室や音楽室、視聴覚室といった特別教室や職員室などが集まっており、その一角に生徒会室は存在している。場所は知っていたが、実際に来たことは今までなかった。
「失礼します」
ぼくは引き戸を軽くノックして、部屋に入った。
教室の半分もないほどの手狭な空間の中央に長机とパイプ椅子、両脇の書棚にびっしりと並ぶ多数のファイル。そして部屋の奥に、長机についた二人の人影が見えた。
「ようこそ生徒会へ。さあ白河君、こちらに掛けたまえ」
一人は、ご存じパッツン前髪にポニーテイルの女子生徒、朝倉映美。彼女はぼくを、テーブル向かいの椅子を指して招き入れた。
「君が白河君か。初めまして、生徒会長の新城です」
もう一人は、はっきりした目鼻立ちと整った細面をしているにも関わらず、ビン付け油でも塗ったのかと思うほどテカテカでピッタリと固まった七三分けで八割がた台無しになっている、残念なイケメンだった。
ぼくは朝倉先輩の前に座ると、彼女と会長の顔を交互に見ながら、彼らの言葉を待つ。最初に言葉を発したのは、新城会長だった。
「このたびは大変な事件に遭ったようで、お見舞い申し上げます。さて、君のことは多少、朝倉君から聞きました」
一体どんな風に聞いたのか、想像すると怖い。
「色々と聞いておきたいことはありますが、まず……朝倉君とは、どういった知り合いですか?」
「は?」
ぼくは思わず聞き返した。まぁ、確かにぼくと朝倉先輩の接点については、不思議に思われても仕方ないことだ。
「会長。白河君とは──」
朝倉先輩が言いかけたが、会長は手のひらを差し向けるジェスチュアで、それを押しとどめた。
ぼくの口から聞きたい、ということか。
滅多な事件を起こしたぼくと交友関係があることで、朝倉先輩の立場を悪くするようなことがあってはいけない。慎重に答える必要がありそうだ。
「えっと、ほんの数日前に知り合ったばかりです。朝倉先輩が、前にぼくに会ったことがあるような気がしたということで、少し話をしました。まぁ結局、それはただの気のせいだったみたいで、特に仲の良い間柄ということは……」
会長はこくりとうなずいた。隣の朝倉先輩は、腕組みをして、ムスっとした表情を見せている。
「それにしては、朝倉君はずいぶんと……いえ、そこは別にいいでしょう。白河君、今の学校生活は良好ですか? 部活や委員会には入っていないそうですが、例えばクラスで何か問題があったりは──」
「いえ。ぼくは努めて目立たないように過ごしてきましたので、可もなく不可もなくといった感じで……最近は、とある先輩のおかげでクラス内で浮いてるような気がしますけど」
会長は頭を動かさず、目だけでちらりと横を見る。朝倉先輩はとぼけるように目線を斜め上に逸らした。
「成績の方はどうでしょう。苦手な教科で悩んでいたりはしていませんか」
「特に悩んではいません。一学期の定期テストは、割とよくできていたと思います」
さっきからどんな意図で質問をしているのか分からないが、わざわざ生徒会の心象を悪くすることもない。ぼくは当たり障りなく答えていった。
「そうですか。あとは……えー、そのー……」
「会長。確かに私は、白河君から話を聞くにあたり、お互いに緊張しないようにまずは日常的な雑談などで場を温めましょう、とアドバイスしましたが……正直言って、話題の選び方とかもう根本的にヒドイです。ドイヒーです」
朝倉先輩の辛辣で容赦ない批判に、新城会長は表情こそ変えなかったが、火の精霊が顔の周りでダンスを踊っている。
ああ、この全身からあふれ出るコミュ下手臭。ぼくと同類の匂いがプンプンする。
「い、いや、ぼくは特に緊張はしていませんので、本題に入っていただければ」
緊張というか、警戒していないと言ったら嘘になるが、それよりは早く片づけてしまいたい気持ちの方が強い。
「そうだね。会長、体育倉庫の火事の件については、私から事情を訊くということでよろしいでしょうか」
「……ええ、任せます」
自信を喪失してしまったかに見える会長をよそに、朝倉先輩はあふれんばかりの意気込みを感じるスマイルをぼくに向けた。
「白河君。盧植」
「子幹」
条件反射的に字を答えてしまい、ぼくはプッと吹き出してしまった。こんな時に仕掛けてくるなんて、大胆不敵もいいところだ。
「よし、つかみは上々。さて、今回の火事の原因は、不良生徒らの煙草の火の不始末が原因ということでいいかい」
「はい。体育倉庫の中でケンカになった際に、彼らは煙草をくわえていて──」
「ケンカの最中に火がついたままの煙草が落ちたのに気づかなかった、と」
ぼくはただうなずいた。
「しかし、なぜケンカなんてことになったのか。君は、そういうこととは無縁に思えるが」
「彼らに呼び出されたんです。ぼくが彼らのスマホを壊したと思い込んでいて──」
「……ん? まさか先週のボヤ騒ぎも」
本当に勘のいい人だ。
「そうです。ぼくはちょっと触っただけで、勝手にスマホのバッテリーが燃えたんです」
まぁ、触っただけというのは嘘だが、その嘘まで見抜かれそうで、ちょっと心配だ。
「──それを、無理矢理君のせいにして因縁を……か。ずいぶん短絡的で不道理な話だが、ヤンキーという種族はツッパってナンボの商売ってことなんだろうね、たぶん」
「そうですね。ぼくには、理解できかねます」
「それで、小牧君は君を呼び出すための人質に取られたってことでいいのかな。そこで、君はバカ正直に一人で行ったわけだ」
「……結果論ですが、彼らは外から体育倉庫を見張っていました。ぼくが他の誰かを伴っていたなら、彼らはその場から立ち去って、また別のやり方でぼくたちを襲おうとしたでしょう」
「確かにな。結果オーライとは思うが、危険なことにやたらと足を突っ込むのはよくない。やたらとツッコむのは私のボケだけにしてくれ」
「ナンデヤネン」
手の甲ではたく振りをする。朝倉先輩はくっくっとのどの奥で失笑した。
「白河君、お話を聞かせてくれてありがとう。会長、大体の事情は分かったと思います。それで次は──」
新城会長は、片眉を上げた。
「小牧君の方ですか? 先ほども言いましたが、それは失礼ではないかと……」
「そのことですが、これから白河君がお見舞いに行くそうなので、彼に同行させていただこうかと」
我ながら、下手なことを言ったものだ。
あれは下関への建前で、本当に見舞いに行くつもりはなかった。
適当に理由をつけて、朝倉先輩のご同行を断らせてもらおう。
「朝倉先輩、ハム──いや、小牧は……」
言いかけて、ぼくは、ぱちぱちと目を瞬かせた。
新城会長のうなじの辺りに、何か、もやっとした黒い影がうっすら見えたような気がしたのだ。
そちらに向き直る一瞬のうちに、それは見えなくなっていた。
見間違いかもしれない。
しかし、見間違いでないのなら──あれは、魔素だった。
魔素。
それは魔術を操るための魔力の源であり、ダーン・ダイマではありふれた存在だ。
しかし、魔力を制御できない人間には、それは精神に異常をきたす「毒」となる。
ぼくは見たことがないが、ダーン・ダイマでも、ごくまれに魔素への精霊染性のない者がいる。そういう人は必ず、魔素除けの魔術を施した何らかの装飾品を肌身離さず身につけているらしい。
魔素に精神を冒された者は、感情の起伏が激しくなり、時には己の強い衝動を抑えることができず、暴力的な振る舞いをするという。
そして、精霊が人の喜怒哀楽に引き寄せられるのと同様に、魔素は人の強い負の感情に引き寄せられ、強い負の感情を持つ人もまた魔素に引き寄せられる。
負の感情……それは憎しみや恨み、そして嫉妬……。
悪い予感がする。
ぼくの勘違いだったらいいのだが、そうでなければ、今の新城会長に近づくのは危険だし、誰も近づかせるべきではない。
「……小牧は、きっとにぎやかな方が好きだと思います! 朝倉先輩も来ていただけるなら、ぜひご一緒に! ささ、すぐ出ましょう! 善は急げです!」
ぼくは、朝倉先輩の手首をつかむと、部屋の外へ引っ張り出そうとした。特に抵抗もなく、彼女は勢いによろけながらも、ぼくについてきた。
「おっとっと……おいおい、急に人が変わったようだな──まぁ、積極的な君も悪くないが」
困ったような笑顔にほんのりと火精霊を漂わせつつ、朝倉先輩は言った。
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