異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第七話(二)「ひどく味気のない肉だった」
「……さて。北方の国境から侵入してきた軍勢について、詳細を話してくれ」
「はい。斥候の報告によれば、軍勢はおよそ三千人程度、モビ・タリダ王国大湿原族領軍のものと思われます。国境守備隊は劣勢のため、事前に伝えておいたハイアート様のご命令どおり、即座に山岳地域へ隠遁し……ゲリラ、と言いましたか……その戦術により、敵勢の損害は些少ですが、こちらの戦力も維持しつつ進軍を遅らせることに成功しており、敵軍が獺麓村に到達するまで、あと三日間以上はかかると思われます」
「よし。キンデーに伝令は出したか?」
「はい。ご命令どおり、最低限の防備を残し、王国駐留軍を獺麓村に向かわせるようにと、早馬を出しています」
「ありがとう。あとは一刻も早く、村に向かうだけだ。急ぐぞ」
びゅうと風が唸る。ヘザの長い天然の巻き毛が一層、激しく躍った。
北方の守りの要である城塞都市キンデーの市民の食を支えているのは、山地の多い魔界において例を見ない広さの平野にある、都市周辺の農村である。
平原は麦や家畜の生産力が高いが、外敵からの攻めに対しては守りがたいため、国境の警備を越えてきた侵略軍には山間のキンデーまで下がって防ぐことに注力せざるを得ず、そこまでの農村地帯はたびたび掠奪を受けていた。
その一つ、獺麓村に降り立ったぼくたちは、すぐに村長と村の自警団に、急ぎ村民にできる限りの蓄えを持ってキンデーへ避難するよう通達し、その支度に協力するよう命じた。
未収穫の麦を刈って荷造りし、間に合いそうにないものはすべて焼却した。荷をまとめた作物や、馬や豚などの家畜をどんどん荷車に詰めて、逃げ出す準備の整った者から、次々に街へ送り出していく。ぼくとヘザも、昼夜を問わず避難の手伝いに奔走した。
そして三日目に最後の村民を送り出して、何とか敵軍の襲撃前ギリギリに間に合わせることができた。すっかり辺りが暗くなる頃、ぼくは村内のすべての家屋を巡り終えて、もう誰も何も残っていないことを確認すると、村の中央の広場に戻ってきた。
広場では小さな焚き火が灯り、その傍らで、ヘザは暇を持て余しているのか、指先に髪の毛を巻きつける手すさびをしていた。彼女はぼくに気づくと、さっと立って一礼した。
「お帰りなさいませ、ハイアート様。今からお食事をご用意します」
用意と言っても、彼女がしたことは、木の棒に刺した塩漬け肉を焚き火の周りに立てただけだ。これだけ見るとキャンプみたいだが、これはレジャーなどではなく、この世界の日常だ。
「……キンデーからの軍は、多く見積もっても六百名程度でしょう。真正面から当たっても勝つことはほぼ不可能です。どうなさいますか、ハイアート様」
「ここでぼくたちが敵軍を迎え撃って、戦力と士気を削ぐ。その直後に軍をぶつければ、小勢でも勝機は十分にある」
「三千の軍勢に対し、ふたりだけで戦うというわけですか」
「そうだ」
わざと無茶苦茶な言い方をしたが、ヘザに取り乱した様子はない。
「了解しました。では、私は何を行えばよろしいでしょう。ご命令ください」
「いやいや、その受け応えはちょっとおかしいだろう。『何バカなこと言ってんだ』って文句のひとつも言ったらどうなのさ」
「ハイアート様が冗談めかしたり、もったいつけた物のおっしゃり方をするのは、今に始まったことではありませんから」
逆に一本取られてしまった。
「君には敵わないな。村を空っぽにしたのは、もちろん村民の保護と、敵に掠奪されないためもあるが……元々の目的は、この村に罠を張るためなんだ」
「罠ですか。とても有効ですが、どんなものを仕掛けるのでしょうか。以前に使った『地雷』を村中に敷くのですか?」
ぼくは首を横に振った。「地雷」は、地面に術式を刻み、それに何かが触れることを引き金にして、周辺に火と土の精霊力を放って焼けたつぶてをばら撒くという、ぼくが開発した魔術だ。
最初の頃は有効だったものの、今は隊列の先頭数十名が倒れたあとは、敵側の魔術師によって簡単に術式を消されるようになり、広範囲に仕掛ける労力に効果が見合わなくなってしまった。
「できる限り多くの敵の戦力を、罠と悟られないように村に誘い込んでから働く罠でないといけない。案はあるが、とても大掛かりなものになる。しかも、失敗するおそれが多分にある、完璧とは言えないものだ。だから、君に命じよう」
「はい」
「ヘザ──君は、この作戦の大成功を祈っていてくれ。以上だ」
「……了解しました」
ヘザは伏し目がちに、顔を曇らせた。何もすることはない、と遠回しに言われたことを悟ったのだ。
しばしの沈黙が、二人の間にたたずむ。
パチン、と焚き火が音を立てた。
「……また、多くの人を殺すのか」
これから仕掛ける「罠」のことを考えていて、ついぽろりと、言葉が口からこぼれた。
言葉に出すと、その憂いがますます、ぼくの胃袋をぎゅうと絞り上げてくる。
「ハイアート様」
呼ばれて、ぼくは顔を上げた。炎の向こう側に座っているヘザは真っ直ぐにぼくを見据え、そして、揺れる紅い光のせいなのか、微笑んでいるように見えた。
「ヘザ……?」
「私は、分かっています。ハイアート様が本当はお優しいお方だということは、私がよく存じ上げております」
心にしみる一言だった。
「……ヘザはいつも、そういう風に言ってくれる。正直に言えばありがたいし、救われる気分になる……」
ぼくは、深く吐息を漏らして、再び顔をうつむかせた。
「……だが、ぼくは君が言うような、優しい人間なんかじゃない。ぼくは、ぼくの大事なものしか大事にできない──とても利己的で、浅ましくて、恥ずかしい人間だ。ヘザ、君はぼくの従者だからって、そこまでぼくをかばう責任はないんだよ」
「従者だからでも……かばっているわけでもありません……」
ヘザの声が、急にか細くなった。言葉にしづらいことを、必死に絞り出すかのように。
「わ、私は……ハイアート様が、お優しいから、お優しいと申し上げているのです。世界中の全ての人があなた様を悪しざまに批判したとしても、私だけは──」
ヘザの言葉が途切れた。
目を伏せ、唇をきゅっと強く結び、自分の衣服の胸元を握りしめて、身をこわばらせている。
パチン、とまた焚き火が音を立てた。
「……あっと、いけない。少し肉が焦げてしまったな。ハハハ」
彼女が何を言おうとしていたのかは分からないし、気にはなるが──それをただすのも気まずい感じがして、ぼくはごまかすようにつぶやくと、焼けた肉を手に取った。
ヘザはいつも、ぼくが食べ始めるのを見届けたあとで、自分も食事をとる。しかし彼女は、身体を縮こませた姿勢のままで、微動だにしない。
「──ヘザ。肉が黒焦げになる前に、君も食べろ。どんな時でも食事は必ずとってくださいと、君はぼくにいつも口をすっぱくして言っているだろう」
おもむろに、ヘザが瞳を開いた。
怒っているようでも、泣いているようでもなく、ただ無感情で、力のある視線がぼくを刺す。
「了解しました」
いつもの平静さを取り戻したようなヘザの答えに、ぼくは短く嘆息をついて、肉に歯を立てる。ひどく味気のない肉だった。
遠くの山の端が、陽光にきらめき出した。
闇が次第に、藍色に溶けていく。平原を舞う微風もほどよく温かみを増していて、「冷たい」という触感から「涼しい」というそれに変わっていた。
その涼感をたたえる澄んだ空気を胸の隅々まで吸い込むと、身も心も清冽に洗われていくようで、たまらなく心地よい。
大自然に囲まれた中での、実にさわやかな早朝のひと時。
そんな清々しさの中、ぼくは、数千人単位で人をぶっ殺す仕掛けを施していた。
とてもじゃないが、こんなかつてないほどに素晴らしい朝を迎えた時にすることじゃない。気持ちのいい朝は、気持ちよく迎えたいものだ……。
「よし」
村の周囲に術式を描き終え、ぼくは独りごちた。
それから、周囲が明るくなってきたこともあり、ちょっと偵察でもしようかと、ぼくは宙に浮かび上がった。
宙に浮かぶとかそんな簡単に言うな、と日本人としての常識もあるぼくがぼく自身に即ツッコミを入れたくなる。
でも、簡単なのだから仕方がない。風の精霊術で、ぼくの周囲の気圧を、上部を小さく下部を大きく変成させるだけで、ぼくの身体はあっさりと浮いてくれるのだ。
世に風精霊術師は数多けれど、ぼくの知る限りでは、こういう芸当ができるのは揚力の原理を知っているぼくだけだ。こういう異世界人のアドバンテージは、企業秘密にしておかないとね。
ゆっくりと上昇しながら、ぼくは魔力で小さく術式を描くと、右目の前に指で輪っかを作って覗き込んだ。光の屈折率を変える光精霊術を細密に操作し、望遠鏡と同じ役割を果たすようにした魔術だ。輪っかを作るのは術の行使を分かりやすくするためのポーズで、実は特に意味はない。
さて、魔術の望遠鏡で、はるか遠くの街道の先を見やる。
……いる。五キロメートルほど先で、大規模な野営が見える。敵軍の陣で間違いないだろう。
天幕などを片づけて、陣容を整え、攻めてくるまでに二時間といったところか。少し急ぐ必要がありそうだ。
ぼくは急降下で、村の広場へと向かう。
「おはようございます、ハイアート様。今から朝げの支度を──」
広場に降り立つと、ヘザが今まさに、昨晩の薪に火を着け直そうとしているところだった。
「待て、火は焚くな。食事している暇はないぞ、敵勢がまもなくここに──」
ヘザは、無表情で、ぼくの口にひと欠けのパンを押し付けてきた。
それだけで、言いたいことは、いやというほど伝わった。
なのでぼくは、パンをがぶりと噛みちぎった。
「《 》ヘザ。君は航空舟に向かい、そこ(むごむご)で待機だ。ぼくは罠の最後の仕上げを(んぐっ)する」
「了解しました。──ハイアート様、しゃべりながら食べますと、消化によろしくないですよ」
ヘザはくるりと背を向けると、足早に立ち去っていった。
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