異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第五話(一)「驚くべきぼっち体質だ」
知っているだろうか。
異世界の英雄といえど、現世界に戻ってくると、月曜日は憂鬱になるということを。
惰眠を貪る天国のような一日から、急に学校だの職場だのという義務感に満ちた現実に引き戻される日、それが月曜日。
決まった時間に目覚まし時計のけたたましい音に追い立てられ、早朝のルーチンに押し込められ、家を出る。
これが次の週末まで毎日続くことを想像し、実に気だるくてぞっとしない感覚に襲われる。嗚呼、それが月曜日。
そんな憂鬱な朝を迎えたぼくは玄関の先の門をくぐり、学校までの道のりをだらだらと歩き始めた。
この辺は、先週とだいたい同じ。
唯一違うのは、右隣にハム子がいないことだけだ。
バレーボール部の朝練が再開され、ハム子はまた早い時間に登校するようになったからだ。のべつまくなしに話しかけてきて甲高く笑い声を上げる、朝から元気すぎてとてもうるさい奴だったが、いなければいないで静かすぎてつまらないものだ。
呉武高校の校門に差しかかる。生徒会によるあいさつ推進週間はもう終わっていた。たくさんの学生服を着た男女が、ただ黙って吸い込まれるように校門を抜けていくだけだった。
一年一組の教室へと入る。話し声でざわざわした室内が、ぼくが入ってきた一瞬ふっと静かになったのは、ぼくの気のせいだろうか。
「おはよう、白河。で、この間は副会長と放課後デートしたんだよな?」
周囲が遠巻きに見る中、果敢にも下関がぼくにあいさつをしてきた。
下関は、なし崩し的にこのクラスで唯一のぼくの友人となっていた。決して悪い男ではないが、ちょっと皮肉屋なところもあり、時々癇に障る部分もある。とはいえ、どんな友人でもまったくいないよりは百万倍マシだ。
「おはよう……い、いやー、それはどうか、な……」
「ふーん。じゃあこの間、なぜか小牧さんにつかまって『ハヤ君を悪い道に引き込んではダメなのだ!』と怒られたわけについて、聞かせてもらってもいいかな」
下関は微笑みを浮かべていたが、背後に負ったオーラが、ゴゴゴゴと地響きを立てていた。
「あ、あー、えーと、それはだなー」
「特に、なぜか俺がいつの間にか君とエッチな本を買いに行く予定になっていた件について、詳しく」
「……それについては誠に申し訳ない。どのようにおわび申し上げればよいだろうか」
「いいよいいよ、俺は別に気にしないよ。……君が副会長とのことを詳しく聞かせてくれるなら、だけどな〜」
下関は斜め下から詰め寄ってくる。ぼくはため息をついた。
「分かったよ。あの後朝倉先輩とは、カフェでぼく自身について色々と聞かれた」
「ほうほう、それでそれで?」
下関は腕組みをして、興味深げにせっついてくる。ぼくは眉をハの字にして表情を曇らせた。
「それで──なぜか途中から三国志の字当てクイズを延々とやらされた。今後ともよろしくとは言われたけど、この間のことはそれだけだ」
「え。字って何?」
まぁ、これがごくごく一般人の反応だろう。朝倉先輩の食いつきが異常なだけだ。
「古代中国での、人物の通称だよ。たとえば劉備玄徳だったら、劉が姓、備が諱……要するに名前の部分だ。んで玄徳が字っていう、いわゆる通称に当たるわけ」
「あれ? 劉備が名字で、玄徳が名前じゃないの?」
ああ、割とよくある誤解だ。
「うん。古代中国では、本名である諱は礼儀として公然と呼ばれるべきものじゃないとされていたんで、それに代えて字が使われるんだ。劉備の場合は、劉玄徳って呼び方になる」
「へえ。関羽ってのも、関が名字で羽が名前?」
「まぁ、大体そういうことだね。そんで、関羽の字は雲長ね。聞いたことない?」
「いや、聞いたことないなぁ。その、字……を当てるクイズを?」
「そう、延々とやってた。おそらく君が期待したような色気もクソもない会話だったよ」
「そっかぁ。てか、白河って三国志に詳しいんだ。アレってさ、結局最後はどの国が勝ったの?」
「晋」
「はあっ?」
ぼくはフフッと失笑をもらした。ナイスリアクションだぞ下関。
「うん、気持ちは分かる。でも三国志と言いながら結局三国とも負けて終わるっていう『きれいなオチがついた』感じ、好きなんだよねぇ」
「ああ。シニカルな話好きそうだよなぁ、白河は──そうそう、話を戻すけど、小牧さんには適当にごまかして、君が副会長とデートって話はしてないからね。君たちが変にトラブルになっても困るから」
「どういう含みで言ってるのか分かりたくないが、それについては感謝するよ。ありがとう」
下関は、満面の笑顔でサムズアップした。この笑顔に妙にイラっとくるのは、ぼくの心が狭いからなんだろうか……。
「あ、そうだ。小牧さんに叱られた件、すぐ文句言ってやりたかったんだけど、まだ電話番号もETも交換してなかったんだよな。交換してよ」
ETは、EZトークの略称である。
EZトークは、個人間や登録グループ内で手軽にメッセージを送り合ったり、無料通話ができるアプリケーションソフトだ。
一応、IDは持ってるが、家族以外はハム子としか交換していない。自分で言うのも何だが、驚くべきぼっち体質だ。
「仕方ないな。……えーと、どうやるんだっけ」
下関の顔が一瞬こわばった。その表情が「えっ、憶えてないの? 記憶にないぐらいET交換してないの?」と饒舌に語りまくっていた。
「白河、君──」
「い、いや、分かってるよ。『ID登録』の、『フリフリ』で……ほら、準備できたぞ」
お互いにスマートフォンをシェイクして、交換完了。「お友達」のタブに二人目の名前が並んだ。
「おっ、これでちょうど五十人目の登録だ。メモリアル登録だねえ」
五十人……だと……?
友人は数ではない。決して負け惜しみではなく心底そう思っているが……何だろう、この敗北感は。
ほどなくして一時限目の授業が始まり、いよいよ退屈な日常の本格的なスタートだ。
何度も催すあくびをかみ殺すのに必死になっていると、ぼくは目の端に、以前にも見た光景をとらえた。
下関の顔に、水の精霊が多数漂っているのだ。
何があったんだろう、と思った直後に、ポケットの中でスマートフォンがぶるっと震えた。こっそり取り出して見ると、下関からETのメッセージが届いた通知が表示されていた。早速のご利用とはありがたいが、そのメッセージには悪い予感しか覚えない。
ちらりと下関を一瞥すると、分かりやすく青い顔をして、こちらを覗き込むようにして見ている。ぼくは眉をしかめながら、メッセージを開いた。
『今、あいつらから連絡があった。おまえの女は預かっている、校庭の体育倉庫に一人で来いと、白河君に伝えろって。どうしよう』
あの不良たちが、腹いせにぼくに復讐しようということか。くだらない動機だとは思うが、ぼくが蒔いた種だ、責任はぼくにある。
いやそんなことより「おまえの女」とは一体誰のことなのだ。やっぱりハム子のことなのか。ガンテツを連れてきた時に一緒にいたし、その後も登下校はずっと一緒だったし、そう思われても仕方ないのか。
あちこちに誤解されるだけならまだしも、こんなことに巻き込んでしまうなんて、ハム子に何と言って謝ればいいのだろう。うかつな自分に腹が立って仕方がない。
『ぼくに任せて。もし授業が終わっても戻ってこなかったら、教師を連れて現場に来てくれ』
下関あてにメッセージを送ると、ぼくは手を挙げて立ち上がった。
「先生、お腹が腹痛なんでトイレ行ってきます!」
言い終わるか終わらないうちに、どこからどう見ても病人とは思えないダッシュ力で、ぼくは教室を飛び出していった。
件の体育倉庫は、校庭の外れにポツンと立つプレハブ建の小屋だ。
普段は鉄製の引き戸の掛け金にゴツい南京錠がかけられており、必要時以外に開けられることはない。しかしぼくが息急き切って駆け込み、その扉に取りついた時には、南京錠はどこかに消えてしまっていた。
あいつらは、中にいるのか。隠れて待ち伏せしている可能性が高いな。
ぼくは扉の後ろに身を隠しながら、ゆっくりと戸を引き開けた。そっと中を覗く。
分厚いマット。サッカーやバレーのボールカゴ。テントの支柱や天幕。
身を隠せるところは、たくさんある。
どこかで何かが動いたら瞬時に反応できるように、注意深く見回しながら扉の中に滑り込むが、すでにもぞもぞと派手に動く物体が倉庫の一番奥のビニールシートの上にあった。
「むー、んー、むーっ」
バレーボール用のネットで全身をぐるぐるに巻かれ、口をテープで何重にもしっかりと塞がれたハム子だった。拘束されるのに使われたアイテムを見るに、朝練の終わりに体育倉庫に用具を片づけに来た所を捕まった、ってところか。
「ハム子。もう少し待ってくれ、今──うぐっ!」
不意に、背中に強い衝撃を受けて、ぼくは倉庫の奥へと転がり込んだ。
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