異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第四話(三)「あの世界に行くことはかなわない」
ぼくは連盟議会に、魔王城への潜入を手引きしてくれる内通者がいることを報告し、精鋭による小隊で城に攻め入り魔王を討伐する作戦を議題に上げた。反対する国はなかった。
そこで、連盟の国々から城に攻め入るための選りすぐりの戦士を集めた。
「エリンズの重騎兵」トットー。
「押込みの」ブンゴン。
「猛槍の傭兵」ナホイ。
すでに連盟軍としてぼくの部隊に加わっていた「水の精霊術師」マーカムと、「炎の精霊術師」ヘザ。
そして「魔族王子」グーク。
これに、自分で称するのも恥ずかしいが、「六行の大魔術師」ハイアートを加えた七人が「魔王討伐隊」として編成された。
かくしてぼくたちはグークの先導の下に魔王城へ潜入し──
「父上、もう戦を止めてください。もはやこれ以上の抵抗は無為に死人を増やすだけです──あなたを含めて」
グークがうめくように訴えた。すでに四人の親衛隊兵士が倒れ伏した中、黒く重厚なマントに身を包んだ、ぼくと同年代ぐらいの魔族の王──族王ギッタ=ギヌは凛とした立ち姿で、グークの悲壮な顔をじっと見据えていた。
ぼくも、可能ならば魔王を死なせずに戦争を終わらせたい……ぼくは背後の、城内の兵士の侵入をトットーが単騎で防いでいる扉を気にしながら、魔王の反応を待った。
魔王は無言だった。ただ、首を横に振っただけだった。
彼の手に握られた王笏が、何気ない仕草のように持ち上げられた。先端の飾りが白い光を帯びる──飾りの文様は、魔力弾の術式が刻まれたものだった。
エネルギーのほとばしりが空気を震わせてブンと音を立てた。グークは反射的に盾を向けるが、その程度の厚さの鉄で止められるものではない。
被弾する寸前、ぼくの右手の周りにこしらえた魔力の防壁が割って入った。キンと鼓膜に優しくない高音が響いて、魔力弾が脇へそれていく。
安堵をつく暇はなかった。その直後には、魔王はぼくに王笏の石突を繰り出しながら、一足飛びに間合いを詰めてきていた。
その一撃は、先ほどとは逆にぼくの前に割って入ったグークの持つ盾にぶつかって止まった。
グークの顔が険しくゆがむ。
王笏と盾が打ち合った金属音は想像したよりもはるかに鈍く重く、彼はぐらついて膝を落としかけた。
間髪を入れずに、魔王が追撃を加えてきた。辛うじてグークが槌矛で横殴りに受け流すが、その衝撃に右腕が耐えられなかったのだろう。彼はアッと苦悶の悲鳴を上げて、槌矛を取り落としてしまった。
魔王の猛攻は流れるように続いた。王笏の石突は空を切ったが、先の術式はグークにまっすぐ向いている。その術式に魔力が満ちた。
左手の防御術式が間に合い、ぼくは二人の間に飛び込みながら魔力弾を弾き飛ばした──しかし、グークもぼくも体勢が完全に崩れ、刹那に襲い来る笏の強烈な打撃を防ぐ手立てがない。
「……うりゃあっっ!」
文字通り、横槍が入った。
振り下ろされた王笏はナホイの放つ槍の穂先に打ち返され、瞬時の後にくるりとひねり上げられて上空へと跳ね飛んだ。
その王笏が、ぱっと紅の閃光に包まれる。
ヘザが撃った灼熱の火炎弾は、それをねじくれた鉄塊へとあっという間に変ぼうさせてしまった。
さすがの魔王も一瞬ひるみ、ぼくはその隙を逃さなかった。彼の両腕を抑えつける魔術を展開し、強大な魔力の抵抗を感じるも、それを強引にねじ伏せて完全に動きを封じた。
「ギッタ=ギヌ国王陛下──もはや抵抗はかなわない。おとなしく降伏を──」
ぼくは少しずつ歩み寄りながら魔王の顔をねめつけて、努めて穏やかに、しかし威圧するように言った。それでも闘志がついえないのか、魔王は、ぼくの目をにらみ返し──
「ハイアート殿! 父上の目を見てはいけない──」
グークが叫ぶと同時だった。
魔王の紅の左目が、銀色にチカチカと輝いた。どうやっているのか分からないが──瞳の中にあったのは、小さな魔術式だった。
急に、ぼくを闇が包んだ。
光が消えたというよりは、感覚が閉じた感じだった。その中でぼくという存在は小さく小さくすぼみ、無に溶けていくように薄らいだ。
分からない。分からない。ぼくに一体何があったのだろう。
というか、「ぼく」とは一体何なのだろう──
『ハイアート様』
応えるように誰かが言った。声として耳で聞いた言葉ではなかったように感じるが、何かをそう呼んだものがあった。
『ハイアート殿』
『救世の英雄』
『ハイアート卿』
呼ぶものが次々に増し、こだまのように、幾重にも重なる。
『六行の大魔術師』
『ハイアートの旦那』
『ハイアート』
『ハヤト』
『シラカワ』
『白河君』
────「『ハヤ君』!」
最後に何かに強く呼ばれて、急激に、ぼくにすべての感覚と自我が戻ってきた。
途端、目の前の魔王が、背筋が凍るような断末魔を上げた。この世の恐怖を凝縮したような凄絶な表情を浮かべて、仰向けにゆっくりと倒れ伏し、そのまま事切れた。
「い、一体、何が……」
「……父上は、心を侵し支配する魔術を貴殿に使った。貴殿に抵抗されたために、その反動で精神が崩壊し死に至ったのだ……」
グークが王の亡骸の傍らにひざまずいた。やる方ない想いが、表情の険しさに表れていた。
「愚かな……その危険性を最もよく知る者が、何と愚かなことを……!」
魔族の王子は、そっと王の胸に手を携えると、頭をうつむかせて肩を震わせた。
かける言葉も見つからず、ぼくは複雑な思いで見守っていたが、不意に背後から聞こえた悲痛な叫び声にはっとして振り返った。
「ハイアート卿! トットー卿が……!」
ぼくは扉のそばで、泣きそうな声でぼくを呼んだマーカムの元に駆け込んだ。
開いた扉から続く回廊はおびただしい兵士らの遺体で埋まり、トットーは、そのただ中であぐらをかいて座っていた。
「……トットー……?」
ぼくは震える声で彼を呼んだが、身じろぎ一つ返すことなく。
両手にまさかりを握りしめ、闘志をみなぎらせた顔つきのままで、かの騎士は、すでに──
多くの犠牲を出しながらも「魔界戦争」は終結し、予定通り連盟軍による魔界の統治が始まった。特に大きな混乱もなく、国内は荒廃からの立て直しが着実に進んでいった。また「魔王討伐隊」は戦勝の英雄となり、連盟の国民はもちろん、世界中がぼくたちを「七英傑」と称して讃えた。
しかし、連盟に属した諸国は魔界戦争にかかった戦費の負担が大きかったことを理由に、魔界をそれぞれの国に分割統治させよと求めた。ぼくは最初の約束通り、魔界を王国として復活させた後の和平条約にて賠償することを頑として譲らなかった。
予想はしていたが、議会は激しく紛糾した。
その結果、五つの国が連盟を離れ、他の魔界周辺の国々と共に魔界を攻めた。魔界という地域が謎めいていたためまことしやかに語られていた、魔王城には巨万の財宝が眠っているという伝説も、戦争への原動力となっていた。
そして手痛いことに、最初の一撃は宣戦布告もなく、鹿屍砦の警戒任務に当たっていた連盟軍デゼ=オラブ部隊の突然の反乱から始まったのだ。鹿屍砦は内側からひとたまりもなく占拠され、間を置かず、蝦蟇口砦を背後から急襲しこれを陥落せしめた。
連盟は臨時に魔界を守るための連盟軍を再編成しようとしたが、国同士のしがらみや力関係などからいくつかの国が中立を宣言したため、臨時連盟軍「魔界防衛大隊」は以前の連盟軍に比べてかなり小規模なものとなってしまった。
そして隊の長官にはぼくが任命された。もちろん、ぼくはそれを受け入れた。
ぼくには、この再び始まってしまった戦争を決着させる責任がある。
そして開戦から一年が過ぎた。その間「魔界防衛大隊」は北と南から侵攻する敵勢を、北は城塞都市キンデー、南は馬槽砦を防衛線として退け続けた。この時、北の主勢力であるモビ・タリダ王国軍を魔界本土から撤退させることに成功し、ぼくはこれを反攻の機会とみて、鹿屍砦を奪還する作戦に撃って出た。
とても攻めがたい砦だった。何度も精霊術師隊を城壁近くまで肉薄させて一斉掃射を繰り返すが、敵の反撃はまったく止まなかった。城壁を乗り越えるタイミングをつかめないまま、蝦蟇口砦からの敵の増援が到着するまでのタイムリミットが近づきつつあった。
「仕方がない、ぼくが前に出る。ヘザ、しばらくの間ここを任せるよ」
ぼくは、参謀として傍らについていたヘザに言った。ヘザは強くかぶりを振った。
「ハイアート様、いけません。長官に何ごとかあれば、部隊は総崩れになります」
「しかし、もう時間が──」
言いかけたが、その言葉は、ヘザに届くことはなかった。
パッチン!
──こうしてぼくは、ダーン・ダイマにおける約二十七年間の冒険を終えた。
もちろん今もヘザやマーカムが心配だし、グーク王子や魔界の行く末が気がかりでたまらない。
しかし、ぼくを召喚したオド老師はもういない。
今はもう、ダーン・ダイマに召喚魔術を使える魔術師はいないのだ。
たとえぼくが向こうに行くための魔術を編み出せたとしても、それは召喚魔術のあの複雑な術式に匹敵するものになるだろうし、それに注ぐべき魔力も計り知れないほどの量になるはずだ。
ぼくという『無垢なるもの』を生むこの世界に、そんな魔素がどこにあるというのか。
もう、あの世界に行くことはかなわない。ダーン・ダイマの英雄シラカー・ハイアートには戻れない。
今のぼくにできることは、日本のごく平凡な高校生・白河速人として生きることだけなのだ。
ぼくは鼻から長い吐息をもらし、それからクローゼットを開いて、クリーニングに出すべき夏服を次々にひっぱり出していく。
豊かで、和やかで、穏やかで。
何もない、やるせない、この日常に。
ぼくはいつまで、こんなもどかしさを抱えてゆくのだろう──
窓から仰ぐ、すっかり雲の高くなった秋空のしみるような青さに、ぼくは目を細めた。
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