異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第二話(二)「ハイアート殿は甘いでござるな」
ぼくは、過去の思い出を振り返りながら、スマートフォンの画面をぼんやりと眺めていた。
そこにはぼくとオド老師、そしてアーエン師匠の笑顔が表示されている。召喚されてから六年が経過した頃に光の精霊力が電気に近い性質があることを発見して、常々電池切れを危ぶんでいた腕時計と、とっくにバッテリーの上がったスマートフォンを動かせるようになった時に撮った写真だ。
この時ぼくはすでに精霊術と魔術の基本と本質を高い水準で会得し、術の新たな可能性を研究して、応用する段階へと移行していた。その可能性の着想には、ぼくの元の世界には当たり前にある概念が役に立っていて、それを実現するたびにオド老師は驚き、また同時にとても喜んでくれていた。
そのオド老師が病で亡くなったのが、この年だった。
アーエン師匠はオド老師の遺言に従って、遺品を王宮資料室に納めるためにゲイバム王国へと向かった。その際に共に来て王国に仕官しないか、と誘いを受けたが、ぼくはそれを断って旅に出ることにした。
本の中でしか知らない、ダーン・ダイマという世界のあり様を、この目で見ておきたかったのだ。
スマートフォンに写真として残る、数々の村や都市と、そこに生きる人々との出逢い。ぼくの魔術は多くの人たちの助けとなり、行く先々で仕事に事欠くことはなかった。
写真を次々に右から左へスワイプしながら記憶をたどるうち、一枚の映像で手が止まった。
左肩が特に分厚くふくらんでいる重厚な板金の鎧かぶとに身を包んだ青年の騎士が、緊張にこわばった表情をこちらに向けて映っていた。腰の両側には、柄の短いまさかりがそれぞれ一本ずつぶら下がっている。
エリンズ騎士王国の重騎兵、トットー。
彼との出逢いは、ぼくが旅を始めて最初の大事件に関わるきっかけとなった。エリンズを悩ます大盗賊団との激戦だ。
トットーと共に大盗賊団の大幹部であった「押込みの」ブンゴンを捕らえると、ぼくらに数々の暗殺者が差し向けられたのだ。それらを退けつつ、大盗賊団の頭領へと迫った時のことが、その写真と共に鮮やかによみがえる──
ぼくとトットー、そしてブンゴンの身体は風の精霊に運ばれて、一気に古城の宮殿の屋根の上空へと持ち上げられた。
屋根の上に立つ大盗賊団の頭領と二人の側近の影を発見し、一瞬遅れて彼らもこちらを見て取るや、側近らは手にしていた小型の弩を向けた。
だが、こちらが一手早い。すでに左右の手で描いていた二つの術式から魔力の弾丸がほとばしって、弩の翼を叩き折った。
直後にぼくは屋根へと着地し、トットーたちは背中からごとんと落ちた。謝っている暇はないが、自分以外を同時に空に浮かせたのは初めてだったから、多少乱暴な着地になったことはご容赦いただきたい。
「いたた……ぬしら、もう逃げ隠れはできぬぞ! 神妙にお縄を頂戴するでござる!」
それでも即座に立ち上がり双手にまさかりを携えつつ、トットーは夜の寒空にビリビリと響く怒声を張り上げた。側近たちは威圧感にうろたえるも、フードを目深にかぶりランタンを掲げている頭領はまったく動じた様子を見せなかった。
「分かった、分かった。もう抵抗はしねぇよ。……だが一つ、訊いていいか。どうしてここが分かった? そいつが漏らしたのか」
ランタンを持つ手と逆の手を開いたまま頭の高さに上げて、頭領はブンゴンを一瞥した。ブンゴンはぼくの背後に身を隠しながら、しかめ面だけをのぞかせていた。
「彼に暗殺者を差し向けておいて、裏切り者呼ばわりする気か?」
「そいつは心外だ。少し言い訳をさせてほしい……俺はブンゴンを助けるつもりで、あんたとトットーを狙わせたつもりだった。だが、うっかり暗殺者に標的の顔を伝え忘れちまったのさ。それで……」
「ふざけたたわ言だ。おまえは──」
その時不意に、ぼくは背後から外衣の袖を引っ張られた。
「旦那! 奴はあのランタンで毒粉を焚いておりやす!」
ブンゴンは毒物のエキスパートだ。会話に持ち込んで時間を引き伸ばし、毒ガスを追い風に乗せて吸わせるのが奴の狙いだったのだ。
それを聞いた瞬間、ぼくは即座に風の精霊力を働かせた。びゅうと空気が鳴き、辺りに逆風が巻き起こった。
その途端、頭領の側近の二人が苦悶の叫びを上げた。見る間に顔色が土気色に変わり、のどをかきむしりながら次々にくずおれた。
殺すつもりではなかった。とっさの風精霊術で風向きまでコントロールできなかったのだ。しまったと思った瞬間、悔悟の念で胸の詰まる思いに襲われた。
頭領は精霊術の発動より一瞬早く襟元の布で口を覆い、毒ガスを吸い込むのを免れたようだった。
しかし、その直後に──
「ぬぅん!」
トットーの気合のこもった唸り声と共に投じられたまさかりの刃が、彼の胸元を深々とえぐった。
声を上げる間もなく、頭領は白目を剥き、口元の周りを真紅に染めた。
「……トットー! なぜ……」
「ハイアート殿、おぬしには見えてなかったでござるか? 奴は、袖口から投げナイフを──」
はたと頭領に向き直る。奴が膝をつくと同時に、手の中からこぼれ落ちた細身の短刀がチンと鋭い金属音を立てて石畳に跳ねた──トットーの一撃が遅ければ、倒れていたのはぼくの方だった。
「……すまないトットー。ぼくが彼らに誤って毒を浴びせてしまったことに、戸惑わなければ──」
「……ハイアート殿は甘いでござるな。されど、人として大切な心をお持ちということでもある……気に病むことはござらん。奴らは生かして捕らえたところで、縛り首になる運命でござる」
「……」
トットーに柔く諭されたものの、ぼくの心情はひどくざわついたままで、ただ押し黙ってうなずく他に、何もできずにいた。
その後、ぼくとトットーは大盗賊団壊滅に関わるブンゴンの貢献を訴えたが、エリンズの法は彼をまったくの無罪とはさせられず、無期限の投獄に処された。結果的にぼくはブンゴンを自由の身とすることができたのだが、それは十年以上も後のことだ。
スマートフォンに映る画像を、どんどん先送りしていく。次に手を止めた時、三十歳近い頃のぼくの隣で興味津々な表情で映り込む、小麦色の肌の大男の写真が表示されていた。
薄茶色のモヒカンヘアを頭の左右に二つ生やしたような髪型をして、顎髭をたくわえたその男は名をナホイと言った。「猛槍」とあだ名されるかの傭兵との出逢いは、森林族諸国の対立による大乱に巻き込まれた時だった。
森林族は多くの部族が小国に分かれていて、そのすべてが「聖樹」と呼ばれた数キロメートルの高さに及ぶ巨大な樹木の立つ「聖地」の領有を巡って争い続けていた。ナホイと共に聖樹周辺の湿地帯で展開された戦場へ足を踏み入れた時、忘れ得ぬ惨劇がそこにあった──
ひざ丈ほどの青草に覆われるぬかるんだ大地を、ぼくはナホイと並んで駆けていた。
頂点が雲にかすむほど高くそびえ立つ聖樹の雄大な姿が間近に見えてくるにつれ、両軍勢の姿がまばらになり、草むらにまぎれて横たわる死体の数が増えていった。
「なぁ、ハイアート……何か様子がおかしいぜ」
ナホイに言われずとも、この戦場の異常さにぼくは気づいていた。
とても静かなのだ。
槍のかち合う音、鎧のすれる金属音は聞こえてくる。しかし戦う者たちの怒号や悲鳴といったものがまったく耳に届かない。
すぐ先の、兵同士の剣戟に目を止めた。お互いに無言で、すでに死人になったような顔をして槍を突き合っていた。ナホイの自軍であり、彼と同じく傭兵であるはずの兵士の方は左腕を血まみれにして力なくだらりと下げていた。
両手で槍も持てない状態で、勝てるはずもない戦いをなぜ続けているのか不可解だった。
そこにナホイが矢のように飛び込んで、瞬く間に二撃の刺突を敵兵に浴びせかけた。叫び声も上げずに敵は仰向けに倒れ、瀕死であるにも関わらず最後まで槍を手放さずにもがき、やがて絶命した。
まるでロボットが壊れて動かなくなったかのような、人間味の感じられない最期だった。
「おい、そんな大ケガで何をしてる! さっさと退却しろ、命が惜しく──」
傭兵はナホイの声が聞こえていないかのごとく、振り返りもせずに、槍を片手で構えたまま他の敵兵へと突進していった。敵兵も何の躊躇もなく迎え撃ち、淡々と、彼ののど笛を刺し貫いた。
「わけが分からねぇ……ハイアート、こいつらは一体どうなっちまってるんだ?」
泣きそうな声で、ナホイが訊く。賃金が目当てでしかない傭兵が、むやみに命を捨てて無謀な戦いをする義理などなく、彼らの行為は理解しがたい。しかし──
「ぼくにも分からない。ただ……あの『聖樹』に近づくほど、長く戦場にいる者ほどおかしくなっているように思うんだ」
「するってぇと……つまり、どういうことだ?」
彼の頭の回転の悪さがまるでぼくの幼なじみの女の子みたいで、懐かしさも手伝って、腹の底から滑稽さがこみ上げてきた。
「つまり、原因はもっと聖樹の近くか──あるいは、聖樹そのものにあるんじゃないだろうか。それが分かれば、もしかしたらこの紛争自体終わらせられるのかもしれない……ナホイ、ぼくは──」
ぼくはその先を言いよどんだ。ナホイにも国に雇われた傭兵としての立場がある。しかしナホイは、かぶとの隙間からのぞく顔を微笑みで満たした。
「分かってるぜ、みなまで言うな! 俺もつき合うぜ──聖樹まで」
ぼくはうなずきを返して、ひと足早く走り出したナホイの後を追った。
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