異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
プロローグ「パッチン!」
パッチン!
音がした。いや、音じゃなかったかもしれない。
全身に走った衝撃のようなものを、音と感じただけにも思う。正直、突然のことで、自分でもよく分からない。
ぼくは仰向けに寝そべっていて、板張りの天井に取り付けられている光の消えたシーリングライトを見つめて、その光景に昔馴染みを感じていた。
リビングのリモコン操作できる灯りに憧れていて、小学生に上がったのを機に自分の部屋をもらえた時に電灯をあれに換えてほしいと親にねだったことを、唐突に思い出す。
……自分の部屋。
そうだ。ここは、ぼくの部屋だ。
魔王城の客間を間借りしているぼくの私室ではなく、遠い昔に住んでいた、ぼくの家の──
自分の置かれている状況が次第に飲み込めてくる。それは気づいた瞬間に、全身の毛が逆立つほどに恐ろしいことだった。
なぜなら、ぼくは数秒前まで鹿屍砦に攻め入る軍を率いて、合戦の真っただ中にあったのだ。向こうでは戦いの真っ最中にいきなり隊長を失ったわけで、それが軍にとって何を意味するものなのか、想像すらしたくない。
ぼくは上体を起こして懐をまさぐり、四角くて平たく、中心に円状の術式を刻んだカグロ石を取り出した。
風の精霊力を蓄えやすい石だが、術式の魔力制御がほとんど効果を為してない今、瞬く間に精霊力が霧散しているのが見える。ぼくは急いで、身体に残っている風精霊力と魔力のありったけをぶち込んで、その「魔器」を起動させた。
「……イアー……様……ハイアート……何処……すか……」
石から、ひどく耳障りな音に混じって、かすかに女性の声が発せられる。
できるかどうかなど考える余裕もなかったが、風の精霊は辛くも時間と空間を越えてダーン・ダイマから音を運んでくれるようだった。ありがたい──ぼくは一縷の幸運に感謝して、魔器に向けて叫んだ。
「ヘザ! ヘザ、聞こえるか! どうやらぼくは、元の世界に戻ってしまったらしい」
向こうからは、ほとんど雑音しか聞こえない。精霊力がどんどん失われていく通信魔器を見つめながら、ぼくは続けた。
「ヘザ、頼む。全軍を、馬槽砦まで撤退させて、防衛体制を構えてくれ」
「……了解……し……」
一際大きなノイズが響いて、ぶつんと音が途切れた。
精霊力と魔力が完全に消え、ただの石くれとなったものをぎゅっと握りしめると、ぼくはため息をついてうなだれた。ヘザ、みんな。どうか無事でいてくれ。
向こうの世界の状況はとても心配だが、いつまでもこう肩を落として悶々としているわけにもいかない。ぼくは顔を上げて、部屋をゆっくりと見回した。
六畳の空間に並ぶ、鉄パイプ製のシングルベッドと、三国志関連の漫画や書籍がずらりと並ぶ本棚と、純和風な押入れの襖。
セピア色の記憶と化していた光景が、鮮やかな色彩でぼくの目の前に実在している。ダーン・ダイマに召喚される直前のままのようなその様相を、ぼくは不思議に思いながら眺めていた。
異世界に召喚されて、そこで「六行の大魔術師」やら「救世の英雄」と呼ばれるようになるまで過ごした長い年月が夢か幻だったのだろうかと一瞬考えるが、よくよく目を凝らせばごくごくわずかながら空気中に精霊や魔素が漂っているのが見える。ぼくが異世界で魔術師となった事実を裏付ける、確かな証拠だった。
さらに視線をぐるりと左に流すと、教科書が無造作に置かれた勉強机が据えられている。これはさすがにおかしい。
召喚されてから、かれこれ三十年近く経っているのだ。
あの時、宿題を終えた後に散らかしっぱなしにしていた机の上が、まるっきりそのままなのはあまりに不自然だ。
まるで、ぼくのいない間中、時が止まっていたかのように──
いぶかしげに首を傾いだ時、ふと、勉強机の隣のガラス窓が目に入った。
窓の外は夕闇が迫っていて薄暗く、ガラスの表面が鏡のように部屋の景色と、立て膝の姿勢でこちらを見ているぼくの姿を映している、はずだった。
「……!」
声にならない叫び声を上げる。
ガラス窓の中の、目をまん丸にした男は、確かにぼくだ。
その装いも、「魔術師の外衣」と称される黒いコートを羽織った、こちらの世界に戻ってくる直前のままだ。
だが、その顔はすでに四十歳を超え、臨時連盟軍「魔界防衛大隊」の長官に就任したのを機に柄にもなく口髭を生やしてみた、中年の顔ではない。
ダーン・ダイマへと召喚されたあの日の、十五歳の少年のものだったのだ。
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