異世界召喚ゴムパッチン理論 〜自由意志ゼロの二世界往復、異世界で最強でも現世界ではいつも死にそうです
第一話(一)「由来については多くは語らない」
甲高く耳障りな電子音に、ぼくの意識は浅いまどろみに引き戻された。
耳障りなのは当然だ。これは、枕元に置かれていた、目覚まし時計のアラーム音なのだから。
けたたましく鳴いて、ぼくを眠りという天国から追放するのが仕事なのだ。忠実に着実に仕事を果たしているのに、往々にして寝ていた者からイラつかれるというのは、理不尽極まりない。だから、ぼくはその音に感謝して目を醒ますという責任がある。
初めは、大昔のぼくの日常だった生活に簡単には戻れない気がして、ベッドに横たわってもすぐには眠れないだろうと思っていた。
しかし、自分の部屋の自分のベッドという安心感を身体が憶えているのだろう。寝つくまでかかった時間が分からないほど早く寝入った上に、ここ近年まったく体感したことのない熟睡だったのだ。
よく「泥のように」とか「丸太のように」なんて表現されるものだが、先ほどまでのぼくの熟睡ぶりはその程度ではとても表しきれない。
例えば「大宇宙と一体になったように」とか、それぐらいの壮大なスケールで描かれるほどの──
目覚まし時計のスヌーズ機能が働いた。
ぼくは飛び跳ねるように身を起こした。
白く清潔な半袖のシャツに腕を通す。
暦の上では秋だけど高校の制服はまだ夏服という中途半端な季節は、召喚される前と変わっていない。ダーン・ダイマにいた間、こちらの世界はまったく時間が経過していなかったのはカレンダーや時計ですぐに判明した。
何だか、異世界に行く時には時が止まるとかいう設定の、大昔のアニメみたいだと思った。何てタイトルだったかな……ナントカ大作戦、だったはずだ。マジカル? リリカル?
その辺は上手く思い出せないが、とにもかくにもそのアニメのように魔法のハンマーで異世界への扉を開いてくれるぬいぐるみが居てくれるわけではないので、ぼくは「この世界での昨日」もそうしたように、朝も早くから学校という施設へ向かわねばならない。
当時は毎日の通学なんて当たり前のことだったはずなのに、今は、ただ不安ばかりがつのる。
県立呉武高等学校普通科、一年一組、白河速人。
ぼくは生徒手帳に書かれた己の身分と顔写真をしばし眺め、それから短くため息をついてパタンと閉じ、胸のポケットへと差し込んだ。
さらに尻の方のポケットにしまうべく、勉強机の上で充電器につながれたスマートフォンを手に取った。左上隅にアンテナが四本表示されている。昨日までは、二十年以上もここに「圏外」と表示されていたのだ。
電波のないダーン・ダイマでは、この小さく薄べったい板をデジタルカメラとして利用していた。ライブラリには、膨大な枚数の異世界の画像が残っているはずだ。
ヘザに撮った画像を初めて見せた時に筆舌に尽くしがたいすごい顔を見せたことを思い出して、くっくっと失笑がこぼれたが、その直後に訪れた一抹のせつなさが胸をぎゅっと締めつける。
大丈夫。ヘザは上手くやってくれている。
ヘザだけではない。マーカムだっているんだ。ぼくは、彼らを信じている。
ひとつ深呼吸をして、ぼくは学生鞄を持ち上げた。入っているのは筆記具といくつかの教科書とノートとファイルだけだ。一週間分の水や糧食が入っていない鞄はこうも軽いものかと、しみじみと思う。
部屋を出て、階段を降りる。台所をちらりとのぞくと、母親の背姿が見えた。
昨晩もまみえた母だが、何年も離れ、もうここに戻ってくることも再会することもないと考えていたぼくには、震えるほど嬉しくもあり、しかし家族という感覚も久しくどう接したものかという戸惑いもあって複雑な心境だ。
無論、昨晩の両親はぼくが長年異世界で過ごしてきたことなど知る由もないし、学校へ行っている間のたかだか半日程度会っていないだけだとしか思っていないのだから、感動の再会で目頭が熱くなっているのはぼくの方だけで、あからさまに喜ぶわけにもいかなかったのだが……。
「ガウ……お、『おはよう』」
ぎこちなく、ぼくは母の背中にあいさつの言葉をかけた。うっかりダーン・ガロデ語で言いかけて、あわてて日本語で言い直す。
ちなみにダーン・ガロデ語で「おはよう」は「ガウテン」。「祝い」を表す「ガウト」と「朝」を表す「エン」が音便化して──って、これから先使うあてのない言葉の話をしても仕方ない。ぼくは少し悲しくなって、唇を小さく噛んだ。
「おはよう。朝ご飯できてるわよ」
振り向きもせずに、母は答えた。ぼくのために弁当を作っている最中のようだ。
今思うと、母が毎日弁当を作ってくれることは、実に尊い。昔のぼくは何と感謝が足りていなかったのだろうと、苦々しい思いになる。
食卓の上には、一人前の食事がきちんと並んでいる。ご飯、味噌汁、目玉焼きのウインナーソーセージ添え、漬物。一分の隙もない完璧な朝ご飯だが、少し冷めている。
冷めているが、大した問題ではない。昨日までぼくが食べてきたのは、固いパンと塩の味しかしない肉やスープだったのだ。昨日の晩ご飯の唐揚げなんか、あの香ばしい匂いだけでまた感動して泣きそうになってしまった。
ご飯が冷めているのは、たぶん父親の分も一緒に据え膳したからだ。その父親は、さっさと食べ終わってもう家を出てしまったのだろう。ぼくの微かな記憶では、明日からのナントカ記念とやらで高知に出かけたはずだ。
S級の競輪選手と言うけど、それがどれほどの選手なのか、普段の平凡な父親の姿からは想像がつかない。すごいのかもしれないし、その上にスーパーSとかウルトラレアとかあったりして、そこまですごくないのかもしれない……。
いやいやいや、ソーシャルゲームのガチャじゃないんだから。
心の中でセルフツッコミしてから、ソシャゲだのガチャだのという言葉もひどく久しく感じる自分にうろたえる。
果たして今のぼくは日本の現代社会に適合できるのか、ますます不安に感じてしまった。
「……いただき、ます」
一言一句確かめるようにゆっくり発音しつつ、テーブルに着き、箸を手に取った。
言葉の問題は結構深刻だ。昨晩も食事をとりながらテレビを観ていたが、時々意味が上手く思い出せない単語があって、これはヤバいなと思ったものだ。
今もダイニングと一体になったリビングでは、台所にも聞こえるように少し大きめの音声でテレビが点いていて、ニュースを観ながら「過熱」がダーン・ガロデ語で「馬のくつわ」を意味する「カネス」と頭の中でごっちゃになってしまい、日本語での意味がすぐに出てこない。
「あら、怖いわねぇ。速人、あなたのスマホ、熱くなり過ぎたりしてない?」
そうだ、「熱くなり過ぎること」だ。
ニュースはスマートフォンのバッテリーが炎を上げる事故を伝えており、母が心配げに訊ねてきたおかげで、ようやく意味を理解できた。
「ぼく……のは、日本製だから、この事故を起こした、スマホのメーカーとは……違う。から、大丈夫だと、思う」
「そう。でも気をつけるのよ、ヤケドとかしたら大変だから」
「うん。『過熱』には注意する。ごちそうさま」
ぼくは朝ご飯を食べ終えて、歯磨きをするために一旦ダイニングを離れる。ミントの匂いを漂わせて戻ってくると、食卓の食器は片づけられていて、代わりにファンシーな柄の巾着に包まれた弁当箱が慎まやかに鎮座していた。
「母さん、お弁当、ありがとう。行ってくるよ」
「ファッ? あ、い、行ってらっしゃい」
突然で不意をつかれたかもしれないけど、母さん、ぼくは昨日から母さんが毎朝丹精込めてこさえてくれる弁当に感謝できる大人になったのです。
玄関を出ると、門の向こうにセンターラインのない、普通自動車同士がすれ違うのにちょっと緊張してしまうくらいの広さの小道があり、そこをちょうど、スポーツバッグを左肩にかけた女子高生が歩いていた。
ぼくは、この女子高生を知っている。このぼくより高い背丈と、くりくりくせっ毛のショートカットを知っている。
「おーい、ハム子。久しぶり……だな」
故にぼくは、やや大きめの声でこう呼びかけた。前に顔を合わせたのが一学期の終わる少し前だったので、実に約二十七年と約二ヶ月ぶりの再会だ。懐かしく感じても無理はない。
「あっ、ハヤ君! おはよー!」
家の門がガシャーンと音を立てて揺れた。「突進」と呼ぶにふさわしい勢いで、ハム子が飛びついたのだ。やることが見るからにガサツだが、中身もまぁ、割とそのまんまだ。
ハム子というのは、当然ながらニックネームである。
本名は小牧姫舞だ。
いや、ルビの振り間違いではない。本当に姫舞と書いて「ぷりま」と読むんだ。
彼女とは小学一年生に同じクラスになって知り合って以来、たまたま家が割と近所だったことから家族ぐるみで親交の深い間柄であり、いわゆる幼なじみだ。
仲は良かったが、このキラキラしすぎた本名で彼女を呼ぶことがちょっと恥ずかしくて、つけたあだ名が「ハム子」だった。由来について多くは語らない。察してほしい。
「こんな遅い時間に出るのは、珍しいな。あ、朝練……に行かないのか」
「うん。顧問の先生が出張してるから、来週まで部活がないのだ」
名前から分かるとは思うが、ハム子の母親は彼女をバレリーナにしたい夢があったようだ。しかし「名前のとおりプリマを目指すはずだったんだけど、バレエはバレエでも、なぜかバレエボールの選手になってしまったのだ☆」という鉄板の自己紹介ネタを持つほど、ハム子は中高一貫してバレーボール部に青春をかけていた。
身長一七九センチという恵体も手伝って、すでにレギュラー候補との噂だ。そのためか夏休みもほぼ部活動と合宿に費やしたらしい。夏休み前に「海とかプールとか夏祭りとか、ハヤ君と行きたかったのになぁ」と、ボヤいていたのを思い出す。
「でも、結局そういう時も、自主練……とかしてただろう。だからその、珍しいなって」
「そうなんだけど、少し前からちょっぴり足首を痛めてたから、先生にこの機会にちゃんと休めって言われてるのだ。それよりハヤ君、一緒に学校行こうよ」
ぼくは答えずに、苦笑いを浮かべて門から外に出た。どうせ何を言っても勝手についてくるのは分かっている。ぼくが歩き出すと、ハム子はサッとぼくの左隣に寄り添ってきた。
「こら、右側歩けよ。ここ、結構車通るんだから」
「……うん。ありがと」
ハム子は、左肩にかけていたスポーツバッグを右肩にかけ直しながら、道の端から少し空けていたぼくの右側の隙間に回り込んだ。
徐々に思い出してきたが、ぼくは昔から彼女に何度も同じことを注意している。いくつになっても進歩のない、実に困った奴だ──
ぼくは、叱られているのになぜか妙にゴキゲンそうなハム子を尻目に、短くため息をついた。
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