変態パラドクス

蒼風

第39話 お姉ちゃんは独占したい

「どうぞ」
通されたのは思っていたよりもずっと小さな部屋だった。ひとつのテーブルに四つの椅子。壁には自社から出している作品のカレンダーが掛かっていたが、それ以外に目立った装飾は無く、窓も無い。本当に会議をするためだけの部屋と言った按配。そんな一室に黎と久遠は案内されていた。


考えが有る。そう切り出した黎が持ちだしたのは久遠の姉、雨ノ森奏を頼る事だった。しかし、久遠は奏が劇作家としての顔を持っている事を知らない。黎が教えてしまっても良いが、本人に確認を取らずにばらすのは良くない事な気がする。また、彼女に直接頼るのでなくとも、彼女の伝手で何とかなる可能性はある。そうなった場合の事を考慮して、黎は、「もしかしたら、頼れるかもしれない知り合いが居る」と言って王と久遠を説得したのだった。
そして、黎がメールで今までの経緯と、協力を得たいという事を伝えると、かつて調が自らの住所として書いていた大手出版社を指定し、「名前を言えば案内してもらえるようにしておくから」という連絡が来たのだ。
結局、学校は休んでしまった。黎はともかく、久遠は良いのかとも思ったのだが、王が「何とかしておく」と言ってくれたので、その好意に甘える事にしたのだった。


「それでは、暫くお待ちください」
案内してくれた女性は綺麗なお辞儀をすると、部屋のドアを閉めて、去っていく。ヒールの音が段々と遠くなっていく。
「えっと、」
黎は隣に居る久遠の様子を伺い、
「取り敢えず、座ろっか?」
反応無し。
「えっと……久遠さ」
「ねえ、黎くん」
「は、はい」
「あなたが言ってる頼れるかもしれない知り合いってもしかして」
久遠が詰め寄ったその瞬間、
『ん、あんがとねー』
部屋の中から声がする。やがて、ガチャリと音を立てて、扉が開き、
「よっ……と。はろー」
調こと雨ノ森奏が顔を出した。



◇      ◇      ◇



取り敢えず椅子に座ってから体感時間にして数十分。最初に口を開いたのは奏だった。
「それにしてもバレるとは思わなかったなぁ」
「それは……僕に、ですか?」
「そうそう」
「でも、名前を知ったら流石に気が付いたと思いますよ」
黎の斜め前に座る彼女の名前は“奏”。そして、黎に女装を勧めた張本人は“調”。確証とまでは行かなくとも、疑いを掛けるのには十分すぎるほどだ。
奏は笑って、
「それもそっか。そう言えばあの時咄嗟に思いついた名前だったなぁ、アレ」
一転、表情を固めて、
「それで、私に相談が有るんだっけ?」
隣で久遠がぴくっと反応する。彼女は奏がここに来てからずっと両手を膝に乗せて、俯いたままだった。黎は軽く頷いて、
「はい。メールでも書いた通り、このままだと文化祭が失敗に終わってしまいます。そうなると、」
「久遠が、お見合いでもさせられるのかな?」
「え……」
その言葉に久遠も思わず顔を上げる。奏は手をひらひらさせながら、
「当たりなんだ?まあ、そんな所だよね」
「……奏さんは知ってたんですか?」
奏は首を傾げ、
「知らないよ?」
「じゃあ、何で」
小さく、低い声で、
「アレのやる事なんてその程度でしょ」
元に戻り、
「ま、一番有り得そうなのがその辺だと思うしね~」
「は、はぁ」
言葉に詰まる。なんだ、今のは。奏の言う「アレ」というのは恐らく彼女達の母親の事だろう。しかし、だとすると、その声のトーンは信じられないほど低かった。親では無く、その仇にでも向けるような。そんな、
「んで、それを何とか成功させたいって事かな?」
奏を見る。その顔は純粋だ。一点の曇りもない。だから黎は、
「えっと……はい」
取り敢えず忘れる事にする。今考えるべき事は文化祭の成功。それだけのはずである。
「それで私を頼ったと」
「そういう事です」
「んー……」
奏は指を顎に当てて考え、
「でも、私に出来る事なんて、大して無いと思うよ?」
「え」
「頼りにしてくれるのは嬉しいんだけど、私は漫画家だからなぁ。文化祭の特別枠っていうのは舞台に上がって何かするって話でしょ?それだと私じゃ厳しいよ。それよりも、」
奏は久遠の方を向き、
「ねえ、久遠」
「……なあに、お姉ちゃん」
諭すような声で、
「私のとこ来なよ。広いんだけど、広すぎて寂しいんだ」
久遠は小さく首を横に振り、
「それは駄目」
「何で?学校までの距離だってそんなに遠くない。学費とかは心配しなくても大丈夫。パパは出してくれるよ。アレだって気にする必要は無いわ。だから、ね?」
奏は手を差し伸べる。しかし久遠は、
「……ごめんなさい」
奏は肩をすくめて、
「そっかー……だとするともう私に出来る事は無いかなぁ」
すっと立ち上がり、
「ゴメンね、星守君。君の頼みだから助けてあげたいんだけど、私じゃ力不足みたい」
「あ、えっと」
ひらひらっと手を振りながら、
「それじゃ」
部屋を出て行こうとする。
「…………」
隣に座る久遠はじっと机を見つめている。その瞳は、一体何を訴えたかったのだろうか。
やがて、奏がドアノブに手を、
「待ってください!」
ここで引いたら駄目だ。そう本能が語り掛ける。だって、彼女は今、黎達に取って唯一の頼れる存在なのだから。
奏は振り向いて、
「ん?どしたの?まだ何か聞いておきたい事でもあった?」
「いいえ」
「じゃあ一体なあに?」
相変わらず笑顔。もしかしたら、今から黎が突きつける事は、その表情から親しみやすさを消し去ってしまうかもしれない。しかし、それでも、
「奏さん……いいえ、朱葉あけはさんにお願いしたい事が有るんですよ」
瞬間。奏の顔から一切の色が消える。やがて静かにドアノブから手を放し、
「……何の事かな?」
笑顔を取り戻す。
「奏さんの事ですよ。琴音さんから聞きました」
本当はここでその名前を出すのも良くないのかもしれない。しかし、そうでもしなければはぐらかされて終わりになる可能性がある。
琴音の名前を出したおかげか、奏は再び椅子に座り、
「……どこまで聞いたの?」
「どこまで、と言われても、僕は全体を知らないので分かりませんよ」
「じゃあ、聞き方を変えよう。作品は知ってるの?」
ここまで来て、誤魔化しは利かないと思ったのか、奏は明確に「作品」という単語を出す。黎は首を横に振り、
「いいえ。その名前と、それが持つ意味だけです」
「なるほどね……」
奏は背もたれに寄りかかり、天井を向いて、一つ息を吐き、
「やっちゃったなぁ、私……」
小さく呟いて、二人の方に向き直り、
「それで、何をしてほしいって?」
「それは」
「ちょ、ちょっと待って!」
久遠が口を挟む。
「え、結局あけは……?って何だったの?お姉ちゃんに関わる事なの?」
黎は久遠の方へと向き直り、
「久遠さん」
「は、はい」
「奏さんが媒体事にペンネームを変えてるのは知ってるよね?」
「そ、それは勿論……あ、」
久遠が何かに気が付く。黎は畳みかけるように、
「そうなんだ。朱葉って言うのは、奏さんの劇作家としてのペンネームなんた」
呆然。やがて久遠は身を乗り出して、
「え、でも、お姉ちゃんそんな事教えてくれなかったよね?」
「うん。まだ劇作家としては結果が出てなかったからね。だから、秘密にしてたんだ」
「でもでも、琴ちゃんは知ってたって」
「あの子は、自分で見つけてきたんだ。それで、『これ、奏だよね』って」
「そ、そうなんだ……」
久遠はまだ煮え切らない感じで、すっと椅子に腰かける。奏は黎の方を向き、
「それで?私に何をお願いしたいって?言っておくけど、劇作家としてはまだ知名度も低いよ?」
「それは……」
「それに、文化祭までもう三週間も無いんでしょ?その間に話考えて、脚本を書かないといけない。流石の私でもそれはかなり厳しいよ」
その目には反撃の意思が灯る。
「それに、演者だって集めないといけないよ?ちょっとした役だったら私の力で何とか出来ると思うけど、主役級は絶対無理だよ。後、成功の基準が分からない。あの人の事だし、もしかしたら端から成功なんてさせるつもり何て無いのかもしれないよ?」
「それは……」
確かに、文化祭が成功したかどうかの基準なんて人によって様々だ。目立った問題が無ければ成功と見る人も居るだろうし、来場者数という明確な数字によって切る人も居るだろう。
そして、今回基準を設ける人間は久遠の母だ。だから、
「久遠さん」
「はい」
「えっとお母さんは文化祭の話を出す前時に他に何か言ってた?」
否定。
「ううん、何にも。ただ、『文化祭が失敗したらお見合いさせる』って事だけで」
「お見合い」
そう。文化祭が失敗した時の代償として、彼女は久遠の見合いを提示している。しかも、彼女は文化祭が明確に「失敗」となるように動いていると思われる。特別枠の問題がその証左だ。
何故だ。彼女は、本来ならば久遠を妨害する必要性は微塵も無いはずなのだ。漫画に関してだって、歪な解釈ではあるが、取り上げたりはしなかった。その彼女が何故。
「黎」
突然、奏が話しかけてくる。
「あの人の考えなんて読もうとしても無理だよ。あの人は久遠を自分の管理下に置きたいだけなんだから」
「管理下に……?」
それは、おかしくないか?自分の管理下に置きたいのなら、見合いなどさせるはずがない。むしろ逆だ。他の男とくっつくくらいなら、
「あ……」
「ど、どうしたの?」
気が付いた。気が付いてしまった。彼女は、
「僕を認めていない……?」
「はい?」
奏が不思議な顔をする。仕方ない。だって、自分でも「そんな事が有るのだろうか」と思っているのだから。でも、そう考えると全ての辻褄が合うのだ。
「久遠さん」
「な、なに?」
「お見合いの話は、今日になって急に出てきたんですよね?」
「え、ええ」
久遠は「あ」と思いつき、
「そういえば、昨日の夜、お父さんと何か話し込んでたかも」
それだ。間違いない。と、なると、
「ごめんなさい」
黎は久遠に頭を下げる。久遠は困惑し、
「え、な、何で黎くんが頭を下げるの?」
顔を上げ、
「久遠さんのお母さんが今回の事を決めた原因は、恐らく僕に有るからだよ」
「え?」
黎は奏の方を向き、
「奏さん」
「……何?」
「さっき言いましたよね。あの人は管理下に置きたいだけなんだ、って」
「……それが?」
「だとするとおかしいんですよ。だって、管理下に置きたいなら、結婚なんかさせる必要は無い。むしろお見合いは真逆の行為だと言っていい」
奏は吐き捨てる様に、
「自分の認めた相手とくっつけたいんじゃないの?知らないけどさ」
黎はぴっと指さして、
「それです」
「え、どれ?」
「認めた相手とくっつけたいという事です。恐らく、今回、お見合いをさせようとしているのはそういう事なんだと思うんです」
久遠が隣から、
「でも、そうだとしたら、お母さんは」
「今のままでは、どんなに頑張っても認めてくれない可能性は高いと思う。恐らく、どこかしらの欠点を指摘して、お見合いをさせるだろうね」
奏が不満げに、
「じゃあ、どうするのさ」
「問題はひとつです。何故久遠さんを急に誰かとくっつけようと思ったか。その答えは一つです。久遠さんが『明らかに認められない相手』……つまり、僕とくっつきそうになっていたから」
「くっつ……!?」
久遠が思わず顔を俯ける。奏は必死に平生を保ちながら、
「……ホントなの?」
「少なくとも、奏さんのお母さんはそう考えているんだと思います」
奏は何かを振り払うようにぶんぶんと首を振り、
「いやいや、そうじゃなくて……」
「だから、やるべき事は一つです」
「あの人がどう思ってるかとかじゃなくって現実として……え?」
奏があっけにとられた顔で黎の方を見る。久遠は未だに俯いている。その顔は赤くなっているのだろうか。そんな彼女との未来の為に、
「僕が、久遠さんのお母さんに認められればいいんです」
そんな可能性を提示した。

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