変態パラドクス

蒼風

第31話 並び立てなかった者の苦悩

「久遠のお姉さん、つまり奏はね、すっごく自由な人なんだ」
「自由……ですか」
首肯。
「そう。自由。やりたい事は何でもやらせてもらったし、欲しい物はなんでも買ってもらえた。結果として、あの人は凄く自由奔放な性格になった。この辺りは前にも話したよね」
「えっと……はい」
琴音はどこか遠くを見据えるように、
「自由奔放な性格って言ってもさ。通常は直ぐに一人で旅行に行っちゃうとか、そういうのを言うじゃない?でも、奏は違ったんだ。文字通り、完全な自由奔放。自分が世界の中心。あの人の思考回路は、そういう風に出来てた……いや、多分今もそう」
黎は当たり前の疑問を挟む、
「でも、そんなに上手くは、」
「行かないよ。常人ならね」
常人なら。と、いう事は、
「……奏は明らかに天才よ。それも数年に一度、なんていうレベルじゃない、ね」
琴音はふうっと息を吐き、
「最初はね、漫画だったの」
「え?」
余りに唐突過ぎて理解が追いつかない。
「奏が手を出した分野。描き始めたのは多分、中学か高校の時。最初は流石に上手くなかったけど、あっという間に上手くなった」
間。
「幸い、奏は身近に出版関係の人間が居たわ。だから、すぐに見いだされて、連載にこぎつけた。一回世に出たら、後は凄い勢いで有名になっていったわ」
身近に居た出版関係の人、というのは、
「えっと、琴音さん」
「ん?何?」
「その出版関係の人、ですけど。それって奏……さんのお父さん、ですよね?」
琴音はきょとんとして、
「え、良く知ってるね」
「前に、久遠さんから聞いたんです。父親が出版社に勤めているって」
「勤めて……?」
首が45度傾く。黎は思わず、
「ち、違いました?」
否定。
「いや。間違ってないよ?でも、勤めてるっていうか、社長さんだよ?」
「…………はい?」
「や、だから、ひーちゃんのお父さん」
「え、社長さん?」
「そう、社長さん」
びっくり。確かに社長だろうが平社員だろうが勤めている事にはなるだろうが。
「えっと……どこまで話したんだっけ」
琴音は自らの記憶をさかのぼり、
「そう。有名になったんだ。漫画家として。でも、奏はそれで満足しなかった」
「漫画家として成功したのに、ですか?」
「そ。それで、奏が次に選んだのは小説だった」
「小説……」
漫画家にして、小説家。そのプロフィールに黎は覚えが有る。
「奏はそこでも成功した。今度は名前を変えて、父親というコネクションも使わなかった。それでも、ね。それだけの力が奏にはある。だから我儘が通る。だって、そうでしょう?あの人に逆らって、機嫌を損ねられて、作品を作ってもらえなくなるかもしれない。もし、作ってもらえたとしても、そのクオリティが落ちるかもしれない。奏はそれでもいいよ。でも、彼女の作品で“もっている”出版社があったとしたら」
「……逆らう訳には行かない?」
「そう。それどころか、大手の出版社だって、彼女の機嫌を損ねられない。極端な話、彼女の機嫌を取る方が、新人を発掘して、育てるよりも楽という可能性すらある」
「それは……」
黎は続けるべき言葉が見つからない。確かに、それだけの力があるのなら、無視する訳にもいかないだろう。極端な話、奏が「ここで連載したいんだよね」と言えば通る可能性が高い。
「……奏の、漫画家としての名前は王天人おうてんにん。そして、小説家としての名前は公太郎」
黎は、その名前に聞き覚えが有った。それは、
「久遠さんが、好きな作家の名前、ですね」
「そう。あの子は姉としても、そして作家としても奏の事が大好きなんだ。そして、同じように、奏も久遠の事を大事にしてる。それは、もう、過保護すぎる位にね」
「だから、同人誌を……?」
「それもそうだけど、もっと根本の話」
「根本、ですか」
「そう。知ってると思うけど『MUSIC-A-LIVE』は連載が開始して日が浅い。勿論奏の新作って事で注目はされてるし、固定のファンも居る。でも、その知名度が全国区になったのは、割とここ最近。でも、一年前。確かにオンリーイベントは開催された。何でだか分かる?」
「えっと……」
返答に窮する。正直な所、考えたことも無かった。自分が好きな作品の、オンリーイベントが開催されるから参加した。それだけである。確かに、作品の知名度に対して、開催が早いような気はしていた。しかし、規模はそこまで大きくなかったし、作家そのものは有名なんてもんじゃない。それくらいは有るのかなと思ったし、現にイベントとしては成功していたように見えた。
そんな黎の様子を見ていた琴音がぽつりと、
「久遠の為」
「えっ」
「あのイベントの開催理由よ。『MUSIC-A-LIVE』は、幾ら人気作家の作品とはいえ、やっぱりオンリーイベントを開催できるほどでは無かった。だけど、奏は久遠がミュジカを好きな事も知ってた。二次創作の漫画を描いてる事もね。だから、久遠の為だけにイベントを開催した……もっと正確に言うなら開催“させた”んだ」
驚愕。開いた口が塞がらないというのはこういう状態の事を言うのだろうか。琴音は妙に満足げな顔で、
「そうだよな。そうなるよな。でも、それがあの人。雨ノ森奏なんだ」
そこで一旦言葉を切り、
「そして奏は、開催に自分が関わったイベントには必ず顔を出すようにしてたんだ。まあ、大体が久遠に会うためだった……けどな」
そこまで聞いて、黎ははっとなり、
「もしかして、僕が会ったのが、イベントに顔を出した奏さん……っていう事ですか?」
「……多分、な。去年のやつなんて、小さなイベントだ。その会場に似たような人間が二人も居るって事は、まあ考えにくいだろうな」
沈黙。
琴音の言っている事に根拠は無い。しかし、違うと言い切れるだけの根拠もまた、存在しない。しかし、
「……琴音さん」
「何?」
「奏さんの写真……とかってあります?」
そう、写真。一度しか会っていないとはいえ、流石に見れば思い出すのではないだろうか。そう考えたのだが、
「あー……」
琴音は歯切れ悪く、
「どー……だったかなぁ……多分持っては居ると思うんだけど、ぱっとは出てこない、気がする」
そう言いながら振り返って、本棚を眺める。はて、そこに何が、
「あっ」
「な、何。どしたの?」
琴音がびくっとなって黎の方を伺う。
「い、いや、えっと……ですね」
思い出した。思い出してしまった。琴音が飲み物を取りに行っている時に勝手に写真を見てしまった事を。そして、ぬいぐるみの下に隠された写真立て達の事を。
きっと琴音の考えている事はこうだ。写真は有る。しかし、ぬいぐるみの下に隠してしまった中の一枚だ。さあ、困った。今更そんな所から写真を取り出すのも気が引ける。しかし、すぐそこにあるのに出さないのもどうかと思う。そんな所だろう。
それならば、
「さっき……ですね」
「う、うん」
「本棚の上が気になって、ですね。つい、見ちゃったんですよね」
もう存在を知っていると、伝えればいい。いや、元から言うつもりではあったのだが、
「な、何を?」
黎はぬいぐるみが無く、不自然な空白となってしまっている所を指さして、
「そこにあった、写真を、です」
琴音が指し示された辺りを見る。そして、ギギギという音がしそうな位、ゆっくりと振り返り、
「え、見た、の?」
「は、はい」
その顔は心なしか赤い。やっぱり見られたくない物だったらしい。
「えっと……どこまで見たの?」
「どこまで、ですか?」
「う、うん」
さて、困った。「どこまで」というのは一体どういう事だろうか。写真を見るのに程度は存在しないはずだが。
琴音は言葉を選ぶようにして、
「えっと……どんな写真を見たのかなぁ……って」
「どんな、ですか……」
黎は記憶をたどり、
「えっと……昔の琴音さんと久遠さんの写真……でしたけど」
「うんうん」
「……」
琴音は急に夢から覚めたような顔で、
「……え、それだけ?」
「そ、そうですけど」
そんな反応を見て、嘘ではないと判断したのか脱力し、
「そ、そっかー。うん。そうだよね。アハハ……」
明後日の方を向いて、
「はぁ……」
思いっきり溜息をつく。ぬいぐるみの下にある写真立てはそんなに見られたくない物なのだろうか。
やがて琴音は気を取り直して、
「ちょっと……待っててね」
立ち上がって本棚を探り、
「よっ……と」
一冊の本、というかアルバムを取り出す。そして、パラパラとめくった後、その中から一枚の写真を取り出して、
「黎」
「あ、はい」
黎に差し出して、
「ほい。奏さんの写真」
「ど、どうも」
黎はおずおずと受け取り、裏返しだった写真を表に向け、
「あっ」
ビンゴだった。そこに写っていた奏は確かに、黎に調と名乗ったあの女性で間違いない。あの時は意識しなかったが、奏も結構な美人である。セミロングの明るい茶髪に、やや切れ長の目。そして、その笑顔やポーズは自由奔放さを全身で表すようだった。
「ど、どう?」
黎が黙ってしまった為か、琴音がこちらを伺ってくる。
「あ、えっと。多分、この人で間違いない、と思います」
琴音は苦笑して、
「やっぱ、そう?」
「はい」
「いやぁ~そんな気はしたんだよねぇ」
そう言って手を差し出す。黎は持っていた写真を渡し、
「あ、どうも」
「どういたしまして」
琴音は黎から受け取ったそれをアルバムへとしまい込み、
「……ねえ、黎」
「は、はい」
唐突に話しかけてくる。
「才能ってのは、難しいもんだよね」
「は、はい?」
思わず疑問形になる。しかし、琴音はそんな事は気にもせず、
「はっきりと形が有る訳じゃない。でも、明らかに“持ってる人”は居る。それを知った時に“持ってない人”はどうしたらいいんだろうね」
アルバムのページをめくりながら、
「いや、“持ってない”って自覚出来ればいいのかもね。それを自覚出来ないってのが、多分一番辛い事なんだ」
漸く、顔を上げ、
「アタシはさ。多分、何にも“持ってない”んだ。あの子に……いや、あの子達“達”と並べるようなもの何て、何も、ね」
諦観と羨望をごちゃ混ぜにしたような、不安定さで、
「でも、黎は違う」
「ぼ、僕……ですか?」
「そう」
断言。黎は笑って、
「僕なんて大した人間じゃ」
「大した人間だよ」
遮られた。
「少なくとも、大した事ない人間は、奏から気に入られたりはしないよ」
「そ、そうなんですか?」
「そうよ。あの人は自由奔放だし、知り合いは多いけど、本当に興味を持つ人間は限られてるわ。アタシが知る限りでは、二人目。ちなみに、一人目は久遠だから、身内以外では多分初めて」
どうやら黎は奏に相当気に入られていたらしい。しかも、琴音によれば血縁以外では黎が初めてだと言う。一体どこがそんな気に入られたのだろうか。
沈黙。やがて琴音がパンと音を立ててアルバムを閉じ、
「さて、と」
にかっと笑う。
「それじゃ、これからの作戦を立てよっか」
その表情はもう、曇っていなかった。

          

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