変態パラドクス

蒼風

第30話 世間は案外狭い物だ

琴音はこほんと咳払いをして、
「えっと……まず前提条件として、アタシは女の子っぽい服があんまり好きじゃなかったんだ」
「そう、なんですか?」
「そ。だから、小さい頃はそういう服を買ってもらっても全然着なかった。どころか、知り合いの男の子に着せてた。実際アイツは華奢だったし、顔も結構可愛かったから、似合ってた。正直言ってアタシよりもずっとね」
間。
「そんな、可愛いアイツを見た時に、今まで感じたことのない衝動が湧き上がってきた。ああ虐めてみたい、って」
「……はい?」
黎は一瞬自分の耳を疑う。流石に琴音もどうかとは思っているのか苦笑して、
「いや、まあ、そうなるよね。でも、あの時湧いてきたのは、確かにそういうモノだったんだ。ま、虐めるっつっても、上履きを隠したりとか、そういうアレじゃないよ?」
「具体的には?」
「例えば、女性物の下着を履かせて、いきなりスカートめくってみたりとか、後ノースリーブの服着せて、後ろから抱き着いて、胸揉んだりとか」
「……は?」
変態だ。変態が居る。余りの変態さ加減に「何言ってんだよこいつ」みたいなトーンになってしまった。
琴音は両手をぶんぶんさせ、
「いや、だってさ。スカートめくると、女の子みたいな声で『きゃっ!?』とか言うんだよ?何しても反応がいちいち可愛いんだよ?そりゃ虐めてみたくもなるって」
「は、はあ」
琴音は同意が得られないと悟ったのか、
「ま、まあ、そういう訳で。アタシは性別関わらず可愛い子が好きなんだけどさ。特に『女装した男の子』を虐めるのが好きなんだと思うんだ。でも、そんな子はそうそう出会えるもんじゃない。アタシもあの子が特別なんだと、ずっと思ってた。けど、」
そこまで言ってびしっと黎を指さし、
「そこに君が現れたんだ」
「え、僕……ですか?」
「そう。初めて君を見た時に感じたんだよ。あの時と同じ衝動を」
「え」
あの時、というのは言うまでもない。彼女が知り合いの男子に女装をさせた時の事だ。と、いう事は、
「じゃ、じゃあ最初に会った時は本気で胸を揉もうと……?」
「うん」
即答。爽やかいい笑顔。黎は思わずクッションごと距離を置く。
「いや、流石に今はしないって」
「今はって事はあの時は本気だったんですか?」
「それは……まあ、それなりに?」
更に少し下がる。琴音が必死に、
「や、でも黎が嫌がるならやらないよ。うん」
「……ホントですか?」
「ホントホント」
黎は元の位置に戻り、
「……ちなみに、ですけど」
「うん」
「僕が許可するとしたら、その、するんですか?」
「そりゃあもう、遠慮なく」
即答だった。一体黎、いや遥のどこがそんなに気にいったのか。
「えっと、」
琴音が再度仕切り直しと言った具合に、
「だからね。アタシは多分、黎……いや、この場合は遥かな。遥の性別に気が付いてたんだと思うんだ」
「……え」
「だって、そうじゃないと説明がつかなかったからね。アタシが可愛いと思う子は今までも居たよ?でも、あそこまでビビッと来たのは多分、アイツ以来」
「そ、そうなんですか……」
黎は琴音の意図に気が付き、
「あ、だから、遥も本来は男だと思ってた、んですか?」
琴音は腕を組んで「んー」と身体ごと傾け、
「どうだろうなぁ……多分本能的には分かってたんだと思う。でも、アタシはそれが『女装した可愛い男性』に感じるものだとは思ってなかった……かな」
「じゃあ、今日会うまでは、」
「遥は女の子だと思ってたよ。心のどこかに違和感は抱えてたのかもしれないけどね」
「そう、なんですか」
沈黙。
「だからね」
琴音が正座して、
「今日会った時はびっくりしたけど、それと同時に凄く納得が行ったんだ。ああ、だからあの子と近い感じがしたんだ……って」
黎は思い切って、
「あの、その時の事なんですけど」
「うん?」
「琴音さん。僕の事を直ぐに見抜いたじゃないですか」
「そうだね」
「どうして、分かったんですか?“遥”の時はウィッグもカラコンも付けてます。ホントに見て分かったんですか?」
追及する。思えばおかしな話である。“遥”という存在が、黎が女物の服を着ただけ、というのなら分かる。地毛と同じ色のウィッグを被っているだけだったとしても、まだ分からなくはない。しかし、実際の“遥”は黎と髪の色も、長さも、瞳の色も違うのだ。分かりやすい共通点は背格好位だが、黎の身長は決してとびぬけて小さくも大きくも無い。恐らく判別材料には出来ないだろう。さて、どんな答えが帰って来るだろうかと思えば、
「どうして、かぁ……」
琴音が散々悩んだ挙句出した結論は、
「……なんとなく?」
何とも曖昧な物だった。
「実は知ってた、とかじゃないんですか?」
否定。
「全然。気が付いたのはあの時が初めて」
琴音は更に考え込んで、
「……もしかしたら、だけどさ」
「はい」
「女装させ慣れてた……からかな?」
「させ慣れてた……?」
「そう。アタシはさ、男の子を着せ替え人形みたいにしてたわけ。でも、女の子の服って男の子の服とは構造が結構違うじゃない?」
「それは……そうですね」
黎は思わず、初めて女装をしたときの事を思い出す。そう言えば最初の頃は随分と苦戦したような記憶がある。
「だから、さ。アタシが着せたりしてたのよ。後はウィッグとかも、アタシが付けてた。だから、女装する前と、した後を何度も見てるのよ。それも間近で。だから、じゃないかって」
「だから、女装してなくても“遥”だって分かった……って事ですか?」
「まあ、かもしれないってレベルだけどね」
「な、なるほど……」
女装をさせた事が有るから。「これ」という決定力のある根拠、ではない。しかし、“遥”の性別は元をただせば男なのだ。幾ら女装に慣れ、ウィッグやカラコンで見た目を誤魔化したとしても、限界はある。きっと本職なら一発で見破っただろう。だとすれば、琴音が黎=遥だという事に気が付いても、そんなに不思議はない、のかもしれない。
黎が一応納得したと思ったのか、琴音がおずおずと、
「えっと……一つ聞いていい、かな?」
「いいですよ……と、いうか幾らでも聞いて下さい」
快諾する。琴音は「じゃあ」と仕切り直し、
「すっごい根本的な事なんだけど、何で女装してたの?」
「あー……」
曖昧な反応を拒絶と受け止めたのか慌ててフォローするように、
「いや、別に答えたくなければいいんだよ?でも、やっぱり気になるじゃん。だから、出来ればで良いから、理由を教えてほしいなぁって」
「いいですよ」
琴音は既に断られた気持ちになっていたようで、
「そうだよねーやっぱり聞かれたくない事だよね……って良いの?」
「えっと……はい」
肩透かしを食らったような顔になりながらも、
「そ、それじゃあ、えっと……どういう理由で?」
黎は経緯を頭の中で整理して、
「……はじめは偶然だったんです」
「偶然?」
「ええ。琴音さんは僕が同人誌を書いてるのは知ってますよね?」
首肯。
「知ってる。それがどうしたの?」
「その同人誌の即売会で、僕は一人の女性に出会ったんです」
「それって、ひーちゃん?」
黎は首を横に振り、
「違います。久遠さんと会った時点ではもう、女装をし始めてから結構時間がたってましたから」
「じゃ、じゃあ、誰?アタシの知ってる人?」
一瞬検討しかけて、すぐに否定する。そもそも黎は調のプロフィールをほとんど知らない。琴音が知っているかどうかすら、確かめようがない。
「えっと、多分知らないと思います。調って名乗ってたんですけど」
「調……」
琴音の表情が一瞬固くなる。
「……もしかして、知り合いですか?」
否定。
「ううん。知り合いでは、ないかな」
何だろう。この歯切れの悪さは。知り合いではないという事は、昔同じ名前の人物を見たことが有る……とかだろうか。
「それで?その調さん?が、どうしたの?」
琴音は続きを催促する。その顔に先ほどの固さは無い。
「……調さんは僕に女装を勧めた、張本人なんです」
「え」
「彼女が言うには、僕は『空っぽ』らしくって。それで、女装をするといつもは出すことのない自分が出せるんじゃないかって」
琴音は手で制しつつ、
「ちょ、ちょっと待って!」
「はい?」
「って事はだよ?黎は見知らぬ女性の勧めを受けて女装を始めたって事?」
「えっと、はい……あ、でも調さんは服もくれたんですよ」
「そ、そうなの?」
「はい。最初はびっくりしましたよ。女性ものの服とか、そういう一式が送られてきて」
そこまで言うと琴音が明らかに雰囲気を変え、
「え、待って待って。その調さんとやらは女性物の服を送ってきたの?」
「はい」
「ちなみに住所は、」
「教えてないですよ。流石に」
それを聞くと、琴音は顎に手をやって考え込んでしまう。黎にも聞こえないような声でぶつぶつと独り言を漏らす。やがて、彼女の中で一つの結論が出たのか、
「……なあ、黎」
「は、はい」
「その同人誌即売会ってのは『MUSIC-A-LIVE』のオンリーイベントか?」
「え」
余りに唐突過ぎて一瞬戸惑い、
「……えっと、たしか、そうだったかと」
琴音は軽く二、三度頷き、
「それじゃ、その調さんはどんな感じの人だった?」
「どんな感じ、ですか」
また曖昧な質問だ。しかし、調に関しては明確な印象が有った。
「えっと、お金持ち、ですかね?」
「お金持ち……?」
「はい。あくまで見た目からの印象ですけど」
そこまで言って思い出し、
「あ、そういえば、細かいお金を持ってなかったです。ああいうイベントだと、通常は五百円玉とか、千円札とかに崩しておくんですけど、調さんは一万円札しか……琴音さん?」
沈黙。琴音は完全に考え込んでしまった。名前を聞いた時の反応といい、やはり調の事を知っているのだろうか。
やがて、彼女の中で一つの結論が出たのか、顔を上げ、
「黎」
「な、なんでしょう?」
「これから、アタシは、自分が知ってる一人の女性について説明する。もし、気になる事あったらどんどん質問してほしい」
黎は琴音の意図が掴めず、
「えっと……それは、どういう」
琴音は続ける。
「アタシの見立てだけど……その女性は多分黎の言ってる調、だと思う」
「……!」
瞬間。全身の血がすっと引くような感覚に襲われる。
「……その人の名前は?」
琴音は一つ、間を置いて、
「――雨ノ森あめのもりかなで。久遠の、実の姉だよ」
そう、告げた。

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