変態パラドクス

蒼風

第26話 嘘だけではない僕たちの事

校医のあずま源三郎げんざぶろうは、何かといい加減な男であった。まず、身なり。白髪交じりの髪やヒゲは伸びるままに任せて放置している為、一歩間違えれば浮浪者に見えない事も無い。加えて、性格。体制なんぞ糞くらえの精神を持つ彼は例え仮病でサボりに来た生徒でも追い出すことは無かった。それどころか、一緒に酒でも飲もうと言い出すほど。
それでも、彼が校医をやめさせられないのは、そう言った不正が生徒と彼だけの秘密になっている事に加えて、その腕の確かさにあった。怪我等の治療は勿論の事、彼が来てからと言うものの、不登校の生徒がぐっと減ったという実績が、彼の地位を確かなものにしていた。
そして、その男が出した結論はこうだった。
「一応、俺の見る限りだと普通の風邪だ。ただ、ここだと細けえ検査が出来ないからな。一度意識が戻ったとはいえ、一回倒れてんだ。病院には行っといたほうがいいかもな」
琴音によれば、黎が教室を離れた後、久遠の意識が一回戻ったのだという。保健室に連れてこられた時には再び意識を失っていたが、その様子は「気絶した」というよりは「眠りに落ちた」といったもので有ったため、幾分、安心することが出来た。
「にしても、だ」
源三郎は腕を組んでどっしと背もたれに寄りかかり、
「なんで学校来たかねぇ……朝の時点でもまあまあ熱は有っただろうによ」
その視線は遥と並んで座っている琴音に向いていた。
「……分かんない」
琴音はふるふると首をふる。
「へえ、お前さんにもあの嬢ちゃんの事で、分からん事が有るんだな」
「そりゃ、あるよ……ありすぎる位、分からない事だらけだよ」
「分からない事だらけ……ねえ」
源三郎は琴音を品定めするような目つきで見つめた後、
「小僧」
黎に呼びかける。
「……僕、ですか?」
「そうだ。お前さん以外には居ないだろう。アンタは余り見ない顔だけど、嬢ちゃんの知り合いかい?」
嬢ちゃん、というのは恐らく久遠の事だろう。黎は軽く頷き、
「はい。一応は」
「……一応、ねえ。その割には随分と深刻そうに見えるけどな」
源三郎の表情は変わらない。じっと、黎の方を見つめる。その瞳にはどんな事にも動じない力強さを感じた。
「……僕は、彼女を騙してしまったんです」
その力強さに負けるように、黎はぽつりと零す。琴音が心配そうに、
「は……黎?」
それでも、続ける。
「最初は、本当に偶然だったんです。仲良くもなりました。でも、その関係には偽り……嘘が有ったんです」
「…………」
源三郎はただ、見つめている。その考えは読めない。
「その嘘が今日、バレたんです。勿論、倒れたのは高熱が原因かもしれません。でも、その、最後の原因を作ったのは、僕、なんです」
視界が滲む。今更ながらとんでもない事をしてしまったと後悔する。
「もっと早くに……告白して、謝っていれば、こんな事にはならなかったかも、しれないのに……ただの勘違いで……済んだのかもしれない、のに」
そうだ。最初は勘違いに過ぎなかったのだ。それを知ったうえでそのままにしたのは誰だ?自分じゃないか。考えれば考えるほど後悔が、
「なあ、小僧」
「……はい?」
黎は顔を上げる。それを見た源三郎はふっと表情を和らげ、
「お前さんが何をしたのかは知らねえ。言いたくねえなら言う必要もねえ。だけど、一つ聞かせてくれ。アンタと嬢ちゃんの関係は、嘘だけだったのかい?」
「……え?」
「もしかしたらアンタは嘘をついて、嬢ちゃんを傷つけたかもしれない。だけどな、もしそうだったとしても、アンタと嬢ちゃんの関係が全部嘘だとは限らねえ。違うか?」
「で、でも僕は彼女を」
「傷つけたかもしれねえな。でもよ、人間関係ってのは一度傷がついたら、修復不可能か?」
「そ、それは……」
「何行き詰ってんのか知らねえが、小僧。アンタはまだ全然詰んじゃいねえ。あんまり頼りにならねえかもだが、俺が保証してやる」
そこまで言って、ふっと黎の後ろ、久遠が寝ているベッドが有る方に視線をやり、
「……少なくとも、相手を拒絶するなら、寝言で人の名前を呼んだりはしねえよ」
「よ、呼んだんですか?」
初耳だった。
「ああ」
源三郎は確認する様に、
「だよな、不良娘」
琴音は抵抗するような声で、
「そうだけど、その不良娘ってのやめてくんない?」
源三郎は「ふん」と鼻で笑い飛ばし、
「やなこった。俺からしたら、お前さんは何時まで経っても不良娘だよ」
「むー……」
琴音は源三郎に恨めしげな目つきをぶつける。
「あの……」
「ん、どうした小僧」
正直な所「小僧」というのもやめてほしいのだが、聞いてくれそうもないので、言わないでおく。
「えっと、二人は知り合い……なんですか?」
「まあな」
源三郎はにやりとして、
「なあ小僧」
「な、なんでしょう?」
琴音を指さして、
「こいつの昔話とか、聞きたくねえか?」
琴音が引きつった笑顔でその手をがっしと掴み、
「やだなぁ先生。そんなつまんない話してもしょーがないでしょ」
ぎりぎりぎりぎり。
「つまんねえかどうかはお前さんが決める事じゃねえだろ。少なくとも俺は面白いと思うけどな」
そう言って源三郎はくっくっくっと笑う。
「やだなぁ、そんな訳ないじゃん。あははははは」
琴音はひきつった笑顔で必死に謙遜する。どんだけ聞かれたくないんだ。
「そうか、面白くねえかぁ……」
やがて源三郎が押し負け、
「ま、つまんなくても聞かせるんだけどな。あのな」
「わー!わー!わー!」
琴音がばたばたと手を振り、必死にガードする。それで聞こえなくなるわけでは無いので、大声も上げる。源三郎は、そんな中をかいくぐり、黎の隣まで、
プルルルルルルル……
「おっと電話か」
来たところで電話の着信に気が付き、舞い戻る。
「はい東ですが……っててめえか」
知り合い?
「ああ、嬢ちゃん?嬢ちゃんなら今はベッドで……」
間。
「迎えに来るってお前そういう事はもっと早く……え、もうそろそろ来る?テメエは何でこういつも」
瞬間。ガラッと音を立てて保健室の扉が開く。そこには一人の女性が立っていた。年齢は分からないが、随分と痩せた人だ。女性は保健室の中をぎょろりと観察する。
そして、その視線が琴音をとらえると、女性はふうっと溜息をついて、
「また、あなたですか」
琴音を睨みつける。
「またって何ですか。アタシが何かしましたか?」
「したでしょう。自覚が無いのですか?」
琴音はありったけの冷たさを込めて、
「あるわけないじゃないですか。何もしてないんですから」
女性は明らかに不快感を見せ、
「何もしてない?良くそんな事が言えますね。あの子を引き込んだのもあなたでしょう?」
琴音が椅子を蹴って立ち上がり、
「なっ!?ち、違いますよ!あれはひーちゃんが」
「そんな訳ないでしょう。違うと言うのなら何故、部長の名義があなたなのですか?」
琴音がたじろぎ、
「うっ……そ、それは」
「ほら、ごらんなさい。やっぱりあなたが引き込んだんでしょう?」
「う、うううう」
にらみ合う二人。それを見た源三郎がやれやれといった感じで割って入り、
「ほーらお二人さん。どうどう」
女性は攻撃の対象を源三郎に変え、
「あなたは……あなたもあの不良の味方をするんですか?」
「別に味方はしねえよ」
「じゃあ、なぜ間に入るのですか」
「そりゃ、保健室は言い争いの場じゃないからな。俺は一応、ここの主だから、止めにも入るってもんさ」
「何が主ですか……そんな身なりして」
「おっと、痛いねぇ。中身は一応ちゃんとしてんだから、勘弁してもらいたいね」
女性は源三郎の肩に手を掛け、
「そんな訳ないでしょう……全く。そこをどきなさい」
「どかねえよ」
ようとして、ひるむ。今までとは違う、真剣な源三郎の声はそれほどの圧があった。
「……っ」
「テメエがどんな考えで、誰を嫌おうが知った事じゃねえ。でも、今はそういう時間じゃねえ。俺が大事ないと結論付けたとはいえ、アンタの娘が一度は倒れたんだ。だから、迎えに来た。違うか?」
「それは……そうですけど」
「だったら、さっさと娘を病院にでも連れてってやんな。テメエの糞下らねえ我儘をまき散らすのはその後にしろ。いいな」
女性は息を飲み、
「わ、分かりました」
源三郎は砕けた雰囲気に戻り、
「わかりゃいいんだ。それで、どうする?自家用車かタクシーかは知らねえが、俺が運んでやろうか?」
女性は首を横に振り、
「結構。私が運びますので」
つかつかとベッドへと歩み寄る。その視線が黎に向けられることは最後まで無かった。




          

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