変態パラドクス

蒼風

第24話 動き出した、歯車

「どうしたんだい?そんな所にうずくまって」
無言。
「えっと……僕なんかじゃ頼りにならないかもしれないけど、話してくれないかな」
――喧嘩した。
「喧嘩?誰と?」
クラスの子。
「なるほど。その子とは仲が良かったの?」
こくん。
「そっかぁ……それで、もやもやしちゃったんだね」
こくこく。
「うーん……えっとね、黎くん」
うん。
「黎くんは、喧嘩したくてしたわけじゃないんだよね?」
……うん。
「だったら、きっと相手の子も同じだよ」
ホントに?
「ホントさ。仲のいい友達と喧嘩なんて、誰だってしたくないよ」
……。
「その子と、何で喧嘩になっちゃったんだい?」
いってることがコロコロ変わるって。
「……変わるの?」
……分かんない。
「うん」
でも、喜んで欲しくって、色んな事は言った……かも。
「そっか……」
……ねえ。
「ん?」
どうしたらいいと思う?
「どうしたら……かぁ……難しいなぁ」
難しいの?
「難しいと思うよ。人間ってのはとても……ね。だからこそ面白くもあるんだろうけどね」

「取り敢えずそうだな……僕が心がけている事は、相手を良く知る事、かな」
良く知る事?
「そう。例えば『この人何でこんなに勉強が出来るんだろう』とかもっと簡単に『この人はどんな事を考えてるんだろう』とかね。黎くんが良く知ってる人は誰かな」
白光あきみつさん。
「僕?僕かぁ……えっと、それじゃあ、黎くんは僕の事を良く知ってる訳だけど、僕が喜ぶ事って、何か分かるかな」
お酒をあげると喜ぶ。
「あ、あはははは……そうだね。でも、その通りだ。当たってる。だから、黎くんは僕の事を喜ばせられる。ここまではいいよね?」
うん。
「それなら、友達の事を良く知れば、喜ばせられるって事も分かるよね」
分かる。
「だからさ、黎くん。これからは友達の事を良く知る努力をするといいよ」
知る事……。
「そうすれば、友達とも仲良くなれるしね。後は、良いところを見つけたら吸収してもいい」
吸収?
「そう。例えば勉強の出来る子のノートの付け方とか、まあこれは実際に見せて貰わないといけないけど、人の良い所はどんどん吸収したらいいと思うよ」
良いところ……それは白光さんでもいい?
「そりゃいいけど……僕何か大したことないよ?」
そんな事ない。凄い小説家。
「ありがと。でもね、それだって過去の話なんだ。今の僕はただの冴えないおじさんだよ」
違う。白光さんは凄い。
「黎くん……ありがと。期待に応えられるかは分からないけど、良い所を見せられるように頑張るよ」



◇      ◇      ◇



「早すぎた……」
月曜日の朝、目を覚ました黎がそんな事に気が付くまでに、そう時間はかからなかった。当たり前である、いつもはけたたましく鳴り響いている目覚まし時計の音が無いのだから。ちなみにどれくらい早いのかと言えば、
(アラームの時間までまだ一時間、か……)
何とも微妙な時間。二度寝しても良いが、折角やかましい音にせかされずにすっきりと起床出来たのだ、わざわざ寝起きを悪くする必要は無い。第一、そこまで眠くも無いし。
起きよう。黎がそう決めると、その決断を待っていたかのように頭が覚醒してくる。そういえば、メールの返信は来ただろうか。
昨晩。琴音によって無事(最寄り駅から数駅手前まで、ではあるが)送り届けられた遥は、帰宅して直ぐにメールを確認した。以前、久遠と映画を見に行ったときは、分かれた直後にはもうメールが送られていた。今回はいい別れ方では無かったが、彼女ならメールをしてくれるのではないかという淡い期待をもって。
そして、裏切られた。久遠からのメールは無かった。以前とは帰り着く時間が違う事も考慮して、寝るまでの間に何度か確かめた。しかし、それでも新着メールは無い。そんな事に不安を覚えた黎は、昨日寝る前に、久遠にメールを送っていたのだ。感謝と謝罪。そして、何時でも良いので返事が欲しいという旨を書いて。しかし、
「……返信ないなぁ」
やはり、新着メールは無い。昨日の今日。黎がメールをしてからは半日も経っていないのだから当然と言えば当然なのかもしれないが、ひどく落ち込んだ。来るはずのメールが来ないというのはこんなにも堪えるものなのか。
「……シャワーでも浴びるか」
黎はふと、そんな事を考え着く。別に汗をかいた訳でもないのだが、まだ家を出るまでには随分と余裕が有る。沈んだ気持ちも洗い流せるかもしれない。うん、それがいい。そう結論付け、パソコンを落して、着替えを持ち、
「よし」
風呂場へと向かう。照明が落とされ、暗くなった自室。そこに置き忘れられたスマートフォンに、黎は最後まで気が付かなかった。



◇      ◇      ◇



すっきり。
シャワーから出て着替えると、びっくりするほど憂いは無くなっていた。
結局の所、黎に出来ることはただ一つ、メールの返信を待つことだけなのだ。その結論に気が付くと、霧が晴れるようだった。当然ながら、黎として久遠と接する機会はあるだろう。しかし、それはあくまで“黎”と“久遠”の話である。“遥”と“刹那”の話ではない。黎として探りを入れてもいいが、久遠との関係性はただのクラスメート、或いは生徒会役員仲間である。その程度の相手が突然、休日の出来事について聞いてきたら流石に怪しい。
だから、暫くはメールを待つ。黎がシャワーを浴びながら決めた取り敢えずの方針はそれだった。と、いうよりこれくらいしか打つ手がないと言うのが実情である。何度もメールを送ったら心証を悪くするだけの可能性も有るし、他に出来るとすれば誰かに相談する程度だろうか。女装の事を含めて相談できる相手となると琴音か調くらいしか思いつかないが。
という訳で、黎は現在、(暫定的な物ではあるが)軽い気持ちで、教室の机に座っていた。問題が解決したわけではないが、悩んでも仕方がないと分かっただけでも大分楽だった。
「あれ」
落ち着いて、改めて教室内を眺めていると、違和感に気が付く。
(久遠……着てないのかな?)
彼女の特等席である、教壇のすぐ前。普段はピンと背筋を張って読書に勤しむ久遠が座っているのだが、今日はその姿が無い。起きたのが早かったとはいえ、黎が学校に着いたのはいつもとそこまで変わらない。にも関わらず、である。もしかしたら休み、なのだろうか。
「おっす。元気してるか?」
主を失った席を眺めていると、その視界ににぎやかな金髪が映り込む。
「……まあまあかな」
そんな反応を見て伊織は二度、三度瞬きをして、
「えっと……なんかあった?」
「は?」
黎は言葉の意味が分からず、すっとんきょうな声を出してしまう。
「いや、なんか悩んでそうだからさ」
悩んでる。その言葉が黎の胸にちくりと刺さる。洗い流したはずの憂いが首をもたげてくる。
とは言え、その事を伊織に話す訳にもいかない。だから、
「……く、雨ノ森さん、休みなのかね?」
「会長が?」
伊織はぐるっと振り向いて、
「あら」
黎の方に向き直り、
「珍しいな……確か一年からずっと皆勤じゃなかったか?」
「そ、そうなのか?」
肯定。
「ああ。確かそうだったと思うけど」
皆勤。だとすれば尚更休むわけにはいかないのではないか。黎は心配になってくる。
「ま、そのうち来るんじゃねえか?何も朝早く来てなきゃいけない訳じゃないし」
「それは……そうだな」
伊織は唐突に、
「っていうか、来るわ。うん。来るね」
断定。黎は不思議になって、
「なんでそんな事が分かるんだ?」
「なんでって、そりゃ、招集かけた本人が休むわけにはいかないだろ」
困った。伊織は黎と違うタイプの人間だが、少なくともとんちんかんな事をいう奴では無い。むしろ話は分かりやすい部類のはずだ。それなのに、伊織の言っている事が全く分からない。招集とは一体何のことなのだろうか。
さて、一体どう答えた物かと思案していると、
「どうした?あ、もしかしてまだメール見てないのか」
「……メール?」
伊織は頭をガシガシと掻いて、
「あー……そういう事か」
ポケットから自らのスマートフォンを取り出して、軽く操作すると、
「ほれ、これだよこれ」
その画面を見せてくる。そこには「臨時招集」という四文字が躍っていた。
「あー……」
「ホントに知らなかったのか……」
「ああ」
「メーリングリスト使って送られてるヤツだから、届いてないって事は無いと思うんだけどな……確認してみ」
「そうだな……」
伊織に催促されて、黎はポケットを探る。無い。鞄のポケットを探る。無い。中も探す。無い。
「……あ」
思い出した。
「ど、どうした?」
「……多分、家だ」
今朝。着替える前にシャワーを浴びた。しかし、その時にスマートフォンをポケットに入れたりした記憶はない。どうやら自室に置いたままの様だ。
「おいおい……って事は俺が教えなかったら、知らないまま帰ってた……って事か?」
「多分ね」
伊織は失笑して、
「お前はホントに……」
「何だよ」
「いや、良いけどな。取り敢えず、そういう事だから。会長さん、流石に学校には来るんじゃねえのって事」
「あぁ」
黎は漸く合点がいく。確かに生徒会の臨時招集に会長が居ないのはおかしい。
「そそ。っていうか……」
伊織はぐぐっと近寄り、
「もしかして、会長さんの事気になってんのか?」
「そんな事」
ある訳ない。そう否定しようとする口が自然と止まる。果たして本当にそう言いきれるのだろうか。黎と久遠は殆ど言葉も交わした事の無いクラスメートだ。気になる、なんてことは有り得ない。
では、遥としてならどうだろうか。“黎”は“遥”として、“久遠”は“刹那”として、何度か会った。疑似的な物ではあるが、デートだってした。そして、
「ない」
「え、でも、今明らかに意味深な間が」
「ない」
「あ、はい。分かりました」
断言して、顔をそむける。だって、仕方ないじゃないか。観覧車での“顛末”は、思い出すだけで顔が赤くなる。それは意識している、という事とは関係ない。きっとそうだ。
伊織も、そんな雰囲気を察したのか、
「えっと……んじゃ、また放課後にな」
とだけ言い置いて去っていく。黎が顔を上げた時、彼は既に別の友人と談笑していた。

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