変態パラドクス

蒼風

第14話 「何でもする」は禁句です

マンションの最寄り駅から電車で数十分。そこから更に徒歩で数分歩いた所にある、何の変哲もない一軒家。それが黎の実家である星守邸だった。帰省と言うのもおこがましいような距離。やっぱり一人暮らしをするような距離では無いと思うのだが。
「さて……と」
扉の前。実家なので鍵は持っているし、その必要は無いが、一応と思いインターホンを押す。
ピンポーン。
ガタガタッ
ガチャッ
『はぁい』
気の抜けた声。恐らくは葵だろう。
「えっと、黎だけど」
『れーくん?もう着いたんだ?早いね』
「まあ、近いからね」
『ちょっと待っててね、今開けるから』
その一言を最後にブツッと通話が途切れる。
静寂。
やがて、「ちょっと」というにはやや長すぎる時間が経過したのち、扉の鍵がガチャッと音を立てて開き、中から、
どうぞ~「いや、どうぞじゃなムグッ」
招き入れられる。と、いうか今何かもう一つ声聞こえたような気がするのだが。
まあいい。葵がどうぞと言っているのだ。気にしなくてもいいだろう。そういう事にして黎は扉を開けて家の中に、
「わぉ」
そこは別世界だった。女性が二人、メイド服に猫耳を付けてお出迎え。夢か。それとも入る家を間違えたのか。葵と言葉を交わしているのだからそんな事は無いはずなのだが、余りの出来事に黎は思わず扉を閉め、門まで戻って表札を確かめる。うん。間違ってない。確かに星守邸だ。ちなみに家族の名前もちゃんと刻印されていて、そこには黎の名前も並んでいる。
黎は改めて気を取り直して扉を開ける。やはり光景が変わったりはしない。猫耳メイドが二人。取り敢えず、聞いてみよう。
「――えっと……これは?」
葵が自信満々で、
「猫耳メイドです」
そんな事は見れば分かる。そして、聞きたいのはそこじゃない。
「何で、猫耳メイドになんてなろうと思ったんですか?」
葵は「何でそんな事聞くの?」という感じに首を傾げて、
「だって、猫耳メイドは男のロマンなんじゃないの?」
一体何を言っているんだこの母親は。
星守葵。彼女の見た目はとても黎の母親とは思えないほど若い。黎とどこか似たその見た目は、美人と言うよりは愛嬌がある。髪はセミロング。
そして、その性格はとっても軽い。若者や若者文化にも非常に理解があり、寛容だ。例えば、
「年頃の男女が付き合ったら、そりゃ一発やっちゃうよね」
こんな感じ。何分自身が夫である白光と非常に仲が良く、今でも時折二人で旅行に出かけている、とは朱莉の談。その先で何をしているのかは、お察しである。家の中では流石に自重しているのだろう。
そんな彼女だから、当然子供に対しても並々ならぬ愛情を注いでおり、特に黎が一人暮らしを始めてからは、その愛情の注ぎどころが無いらしく、帰省のたびに間違った方向に暴発するのだ。それが今回は猫耳メイド、なのだろう。
そして、その暴発の被害者は恥ずかしそう縮こまっていた。
「っていうか朱莉もか……」
「……捕まりました」
彼女は普段からゴスロリ姿だ。比較出来るのかは分からないが、それと猫耳メイドならそこまで恥ずかしさに差は無いような気がするのだが、どうやら違うらしい。
「猫耳って何ですか……そんな媚びるような……朱莉はもっと孤高の存在なのに……」
ぶつぶつと呟く。どうやら猫耳がお気に召さないらしい。黎は再び葵に向き直り、
「それで、一体何で猫耳メイドになろうと思ったの……」
「だから、男の」
「それはもういい」
葵は「ちぇー」と呟き、
「れーくんが帰って来るのって久しぶりじゃない?」
「そうだね」
「だから、喜んで貰おうと思って。でも、どうしたら喜んで貰えるか分からないから色々調べたりしているうちに」
「猫耳メイドにたどり着いた、って事?」
こくん。何とも葵らしい。彼女に悪気という概念は存在しない。あるのは善意のみ。この場合は「久しぶりに帰って来る黎を喜ばせたい」という事。たったそれだけの為に動いている。そんな事は分かっている。だから、
「ただいま。あんまり帰ってこなくて、ごめん」
そんな言葉を聞いた葵は安堵し、
「お帰り、れーくん」
にっこりと微笑んだ。その笑顔には包容力があるような、そんな気がする。



◇      ◇      ◇



その後は猫耳メイドに扮した葵(朱莉は気が付いたら普段のゴスロリ姿に戻っていた)に接待された。田舎の親戚のようにお菓子を勧め、飲み物も出してくれた。それくらい自分でやると言ったのだが、
「いいの、座ってて!」
と無理矢理座らされてしまったので、以降は口を出さないでいた。
晩御飯は焼肉だった。何故かと葵に聞いたら、
「特別な日と言ったら焼肉じゃないの?」
と言われた。彼女の中ではそういう事になっているらしい。
準備をして、三人で食卓を囲む。この時も葵は箸を譲らなかった。鉄板を温め、食材を並べて、焼く。ある程度鉄板が埋まり、葵も手持ち無沙汰となった時、黎は何となく、
「そういえば、父さんはどうしたの?」
葵は苦笑しながら、
「白光さんは旅行に行ってるわ。多分、数週間は帰ってこないと思う」
「そんなに?」
びっくり。確かに星守白光という人間は旅行好きだ。小説家という職業柄もあり、閑散期繁忙期の別無くふらっと出掛けては、土産物と写真、それに土産話を引っ提げて帰って来る事が多かった。しかし、それも大抵は数日。長くても一週間位。数週間も家を空けるというのはなかなか珍しい気がする。
葵もそれは流石に思っていたらしく、
「まあね。最初聞いた時、私もびっくりしたわ。そんなに長く留守にする事って無かったから」
「そう、だよね」
「だから、聞いたの。何でそんなに長いのって。そしたら小説の取材だって言うから」
「取材」
更にびっくり。白光は確かに小説家だ。しかし、ここの所は余り自分の作品を書いていなかったように思える。書いたとしても長期の取材が居るような物にはしない。それが「たまたまそういう作品にならなかった」のか「そういう作品にならないように調整している」のかは素人の黎には分からない。しかし、どっちだったとしても、長期の取材を伴う作品を書きたいと白光が思った、というのはかなりの驚きである。漸く、彼が帰ってきたのかもしれない。
「それを聞いたら駄目なんて言えないわ。『お気をつけて行ってらっしゃい』って送り出したの。まあ、元々駄目なんていうつもりは無いけどね」
沈黙。葵が肉を裏返していく。
「――れーくんは、白光さんに会いたかった?」
「まあ、それは」
「やっぱり?」
「でも、」
「?」
「取材に行くなら、僕でも送り出したと思うからいいよ。それに、あの人とは時々会ってるしね」
そう言って苦笑する。白光は何故か定期的に黎の住むマンションに訪れるのだ。全く前触れも無く、唐突に訪れては旅行のお土産だとか、その辺で買ったたこ焼きだとか、そんなものを持って上がり込んでくる。白光と会えること事自体は嬉しいので、文句は言わないが、正直あらかじめ連絡位は入れてほしい。突然訪れたせいで、女装した状態で遭遇する事となり、大爆笑された。それでも、似合っているとは言ってくれたし、誰にも言ったりはしないと約束もしてくれたのだが。
「この辺、そろそろだいじょぶそうだね」
葵が箸でくるくると指し示す。
「お、ホントだ」
確かに良い感じだ。
「それじゃあ「駄目」、まだ何も言ってないよ!?」
葵はジト目で、
「だって、れーくん、自分で取ろうとしたでしょ?」
「それは、そうだよ。自分で食べる分なんだから」
葵は両手でバッテンを作って、
「だーめ。今日のれーくんはお客様。座ってて」
「でも」
「いーから」
その有無を言わせない雰囲気に黎は引き下がる。基本はやんわりとしているが、芯のしっかりとした人だ。「これ」と思った事は頑として譲らない事が有る。多分、今回もそうだ。
葵は黎の取り皿を持ち、鉄板から次々と、
「何か付け過ぎじゃない?」
「いいの。男の子なんだから、ちゃんと食べないと。いざって時に持たないよ」
そのいざって時は、一体どういう時なのかはあえて聞かないでおいた。やがて、びっくりするくらいの量が盛られた皿が黎の前に配膳され、
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう」
黎だって小食という訳では無い。しかし、限度はあると思う。これくらいの量でも、久遠なら大喜びしそうだな、などという事を考える。
やがて、葵が朱莉の分→自分の分と配膳し終えると、
「それじゃ、食べましょ」
そう言って両手を合わせ、
「いただきます」
黎と朱莉もそれにならい、
「「いただきます」」
そう挨拶をして、食べ始める。
「れーくんは5日まで居るんだよね?」
おっと、まさかいきなりその事を聞かれるとは思わなかった。まさか、予定が入っていそうな雰囲気でも嗅ぎ付けたんじゃないだろうな。
黙っていても仕方が無い。黎は大人しく白状することにする。
「えっと、実は5日は出掛ける用事があるん」
「何で!?」
最後まで言わせてもらえなかった。隣に座っていた朱莉からも、
「―――どういう事ですか?」
追及される。ちなみにいつもより低い声。
「えっと……」
さて、困った。黎と久遠の関係性は非常に複雑だ。詳しく説明をしようとすればどうしたって“遥”について触れなくてはならない。別にばらしてしまってもいいのだが、なんとなく隠しておきたいような気がして、
「学校で、生徒会に入ってるのは知ってるよね?その生徒会長との打ち合わせみたいな事が有って。それでどうしても、外せなくって」
そういう事にする。咄嗟に思いついた嘘だが、半分くらいは本当である。人間、10割全部が嘘であるよりも、一割でも真実を混ぜる方が、説得力が増すというのをどこかで見たことが有る。だから、出来る限り嘘の比率を減らしたのだ。
「ホントに~?」
「嘘臭いですね……」
全然信じてもらえなかった。どういうことだ。
「ほ、ホントだよ。生徒会長って二年生でさ。それで、苦労も多いだろうから、助けてあげたいって思って」
「助けて……?」
朱莉が呟く、疑問形だ。
「う、うん」
「ふむ……」
少し考え込み、
「分かりました。信じましょう」
「え」
唐突に手の平を反す。
「よく考えたらこんな事で疑っても仕方がありませんしね。ちなみにですが、その生徒会長は男性ですか?女性ですか?」
「えっと……女性だけど」
それを聞いた葵がいきなり身を乗り出し、
「その子は可愛いの?」
「うわっ」
「どうなの?」
ずいっ。
「えっと、そうだな……美人ではある、と思う」
ずずいっ。
「それって、デートのお誘いじゃない!?」
「そんな事、」
有る訳ないと否定しようとするが、なんとなく引っかかる。友人を連れてくる今回はともかく、前回はデートで無かったと果たして言いきれるだろうか。そんな逡巡を肯定ととらえたのか葵は更にテンションを上げ、
「やっぱりデートじゃない!準備は大丈夫?お金は持ってる?エスコート出来る?夜の準備は?女の子はデリケートなのよ?」
暴走する。どうして葵は息子の恋愛をここまで後押しするのか。
「で、デートじゃないって。ただの打ち合わせ。それだけだよ」
「ホントに~?打ち合わせをしていくうちに、『先輩!僕会長の事が好きなんです!』『後輩君!』とかならない?」
「ならない!」
と、いうかその小芝居はどこで覚えたんだ。つくづく若い母親だ。
「取り敢えず、そういう訳だから。5日の朝には出るよ。多分、その後はマンションの方に帰ると思う」
そこまで言われると葵は肩を落し、
「そっかー……三日間一緒に居られると思ったんだけどなぁ……」
その凹み方を見て、流石に黎も少し申し訳なくなり、
「まあ、4日までは居るからさ。ほら、僕に出来る事なら何でもするから」
突然顔を上げ、
「それじゃあ一緒にお風呂に」
「入りません」
葵は(´・ω・`)という顔になる。何でも、は出来ないかもしれなかった。


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