玉は磨けば瑠璃になる

蒼風

1.第一希望は「ヒモ」

「それじゃ、今日はここまで。解散~」


放課後。形式ばった事が何よりも嫌いな美波みなみ一三かずみが出席簿をひらひらとさせながらホームルームの終わりを告げる。そして、それと同時に教室内がにわかに騒がしくなる。寄り道の計画を立てる者、ちょっとした雑談を始める者、部活動へと向かう者。その内容は様々だ。


神楽坂かぐらさか利光としみつはそんな中、静かに帰り支度を進める。部活動に所属している訳でも無ければ、寄る所があるわけでも無い。さっさと帰ろう。そう思っていた矢先、


「あ、そうだ」


扉の前で美波の足が止まり、


「神楽坂」


利光を呼ぶ。


「……なんでしょうか?」
「この後ちょっと職員室に来てくれるか?聞きたい事があるから」
「えっと、はい」
「ん」


美波は利光の了解を得られたことで満足したかのように教室を立ち去る。


「聞きたい事……?」


利光は思わずくりかえす。聞きたい事とは何だろうか。教師が生徒に、となればその内容は大分限定されてくるような気もする。例えば友人関係。例えば成績。

しかし、利光はそのどちらにも問題があるようには思えなかった。交友関係は決して広くはないものの、問題を起こすことは無いし、成績だっていい方だ。学期末の試験では学年順位を二桁に落とした事は無い。


とすると、


「よっ」


突然。背後から声を掛けられる。聞き覚えのある……いや、聞きなれた声だ。利光は振り向いて、


「おう、香菜かなか。どうした?」
「いや、それはこっちのセリフ。どしたの、美波ちゃんに呼び出されるとか、トシくんらしくない」


そう言って首を傾げる。同時に小さくポニーテールにした茶髪が揺れる。


片瀬かたせ香菜かな。利光にとっては家族の次に親しい存在。所謂幼馴染というやつだ。物心ついたころからずっと一緒に居るから余り意識したことは無いが、顔立ちはいい。完璧な美人という訳ではないが、どこか人懐っこい印象を受ける。


そんな彼女は続けて、


「しかし呼び出しかぁ……困ったな」
「困った……って、アレか?」


香菜はうんうんと頷いて、


「そ。漸く新巻のアレが出来上がったから、トシくんに見てもらおうと思ってたんだよ」
「そうか、それはなんか……すまんな」
「ううん。別に急ぐって訳じゃないからいいよ。取り敢えず、美波ちゃんの所、行くんだよね?」
「そういう事になるな」
「りょーかい。それじゃ、終わったら連絡してよ。先、帰ってるからさ」
「おう」


香菜は、利光との約束を取り付けると満足したようで、


「んじゃ、またね」


駆け足で去っていった。



◇     ◇     ◇



所は職員室。どう見ても仕事をする環境には見えない机の前。美波みなみ利光としみつが椅子に座って向かい合う。


「さて、と……神楽坂」


美波が語り掛ける。利光は二つ返事で、


「はい」
「何で呼ばれたか分かるか?」
「分かりません」


即答だった。美波は「だろうな」という顔で、


「ちょっと待ってろ」


机の上から一枚の紙を取り出す……というよりは発掘して利光に見せ、


「これ、なんだか分かるか?」
「……進路希望調査用紙ですね」
「そう。進路希望調査用紙。ちなみにこれは神楽坂、お前の物だ。これについて何かコメントはあるか?」


利光は再びノータイムで、


「無いですね」


ここにきて美波は深く溜息をつき、


「あのなぁ、神楽坂。これで問題が無いなんて良く即答できるな」
「そうでしょうか?」
「そうだ。第一希望がヒモ。第二希望以降無しってどういう事だお前」
「どういう事も何も、進路の希望を聞かれたから書いただけですよ。それ以外の希望は特に無いですしね」


美波はガシガシと頭を掻いて、


「にしてもこれは無いだろう……ヒモっていうのは相手が居て成り立つことだぞ?」
「まあ、そうですね」
「そんな都合のいい相手がポッと湧いてくるとでも思ってるのか?」


利光は肩をすくめて、


「さあ?見つかるといいんですけどね」


美波は深く溜息をつきながら首を傾げ、


「分からんなぁ……神楽坂。お前は運動も出来るし成績だって悪くない。友人だって決していない訳じゃない。なのに何で進路希望がこれなんだ。大学にだって進めるし、そうじゃなくたって幾らでも道はあるだろう?」


利光は眼鏡を直して、


「まあ道はあるかもしれませんね。でも、ヒモの方が楽でしょう?」


美波は唸って、


「うーん……じゃあ、これとは関係なしに、神楽坂の得意な事ってなんだ?」
「得意な事……ですか」


考える。自分に出来る事は色々ある。美波の言う通り成績だって上位をキープしているし、運動神経だって悪い方じゃない。ただ、それらは全て「悪くない」だけだ。得意か苦手かで言われれば得意だが、今あげるような事では無いような気がする。


そうなると残るのは日常生活での事だが、こちらも大したことは、


「あ」
「おっ、何かあるのか?」


利光は逡巡して、


「えっと……一応」
「何だその煮え切らない反応は。珍しいな」
「はあ」
「んで、何を思いついたんだ?」
「編集です」


美波は目をぱちぱちさせ、


「へんしゅう?」
「はい」
「それって、雑誌とか漫画とかのやつか?」
「そうですが」
「また何でそんなものが出てくるんだ?」
「えっとですね……」


困った。確かに利光は編集まがいの事をしているし、それが一定の成果を出しているのも事実である。しかし、それはあくまで利光と香菜かな、二人の秘密であって、公然の事実ではない。バレたら文句では済まないかもしれない。

しかし、その事を語らなければ美波は納得してくれないだろう。さて、どうした、


「あ」


瞬間。美波が何かに気が付き、


「もしかして、片瀬にアドバイスでもしてるとかか?」
「……っ」


唐突に真相を突き詰められた利光は思わず息をのむ。美波はそれをみて悪戯っぽく笑い、


「なるほどねぇ……そうか、そういう事なんだねえ」
「一人で納得しないでもらえますか」
「やーだ。しかし、そっか、それなら……神楽坂」
「何でしょうか」
「取り敢えずこの進路希望調査書の受け取りは保留だ。もし、受け取ってほしいっていうんなら、お前に一つ頼みたい事がある」
「頼みたい事……ですか?」
「そうだ。もし、それを解決してくれるのなら、」


美波は手元の「進路希望調査書」をはためかせ、


「これ、受け取ってやるよ。それでどうだ?」
「……あの、それだったら書き直して」
「却下だ」
「何でですか」
「だって一度受け取ったからな。それに、今書き直させたら間違いなく適当な事書いてくるだろ?」


図星だった。美波は肩をすくめ、


「な。だから、一つ頼まれてくれって」


利光は諦める様に溜息をつき、


「……それで、何をすればいいんですか?」


美波はニッと口角を上げ、


「決まってるだろう、編集をしてもらうのさ。悩める文学少女の、ね」


そう、言いきった。

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