爆乳政治!! 美少女グラビアイドル総理の瀬戸内海戦記☆西海篇

スライダーの会@μ'sic Forever

第肆話「九州 大宰府」

 屋代島攻防戦は、九州鎮台・アメリカ連合軍の勝利に終わった。西海九州の枢軸、大宰府と博多湾を擁する筑前に私達が帰還した時、総司令部では陶山すやま聖尚としなお諫早いさはや利三としみつら良識派将校の尽力で、既に「円卓会議」の準備が進められていた。6年前に勃発した「吉野よしの五人衆ごにんしゅう」達の内乱によって、九州軍は多くの優秀な人材を失い、今となっては吉野首相を積極的に支持する武官は、陶山将軍・諫早少佐・蓮池大尉など少数である。

 円卓会議は、大島事変の「戦争責任」を巡って紛糾し、首相が辛うじて議長としての主導権を維持したのも束の間、今度は同島の防衛計画に焦点が定められた。

 畿内軍閥の謀将、宇喜多清真が反撃の駒を動かすのは、もはや時間の問題であろう。山陰山陽地方には、長周を統治する山口のすぎ良運よしつらを始め、磐見の亀井かめい無我むが、出雲の浮田うきた郷家さといえら諸将が続々と布陣し、殊に葡萄月大隊を指揮する松田まつだ清保きよやすの戦力は強大である。また、畿内軍は中華ソビエト共和国やロシア共和国から、軍事支援を受けており、彼らにも警戒する必要がある。屋代島を守備する一方で、九州勢の次なる攻略目標は、隠岐諸島と下関港(馬関)に絞り込まれた。

 そして、「葡萄月」が最期の戦線にほまれを遺さんとする頃、とある神官による和平工作の報せが届いた…。



話「 
・原作:八幡景綱
・編集:十三宮顕

「円卓の騎士は物語の作者、登場人物であると同時に聴衆となる」(国際大百科事典)



 夜中に一睡もできず、屋代島陥落の報を待ち侘びていた吉野菫と九州鎮台総監部は夜が白んで来るに至って漸く陥落の報を聞き、安堵と共に一斉に睡魔に襲われる事となった。本来は朝食を取りながら一同会して今後について協議するはずであったのだが、夜営や深夜勤務に慣れている総監部の軍人や首相府付きの官僚達に対し、あくまで日が昇り、日が沈む、その間を勤務時間として定めて率先してノー残業デーを導入している吉野菫には夜通し待ちは堪え、側近の蓮池夏希と総監部出向中の軍人陶山すやま聖尚としなおの提言で各員3時間の仮眠を取る事となった。総監部に詰めていた高級幹部達が司令部の円卓を立ち、それぞれの仮眠場所へ去って行くと、今度は下っ端達の仕事が本格化する。寝る事を知らないとされていた「鎮台の小姑こじゅうと」こと諫早いさはや利三としみつ海兵少佐と鎮台総監部の作戦課課員の隈部くまべ武雄たけおが指揮を採り、高官が目覚めるまでの時間で多くのスタッフ達が現状の掌握と会議のための諸務をこなしていた。



 高官達が眠りに入って2時間以上が過ぎた。無茶振りをする幹部達に飼い馴らされたスタッフ達は手際良く職務を粗方全うした。会議の準備は出来ている。

 総監部の円卓を中央にした広めの会議室の端へ置かれた腰掛けにもたれ掛かり、蓮池夏希は腕の時計を眺めた。

「……もういい加減起きてこいよ、あの年増」

 どーせ、小一時間で目が覚めて、ベッドの中であーでもないこーでもないって思案中なんだろうけどさ。蓮池大尉は類推した。長い付き合いである。想定の範囲内だ。

 アレなりの労わりだろうしな、おネムのサインは。…まあ、ホントに眠かったんだろうけど。

 コツコツと床を叩く音がして来た。大尉は時計から目を徐々に近づく音の方へやると、陶山聖尚がそこにいた。

「君の目の下のファンデーションは実に濃くなった」

「素敵な化粧だろう? これ、自家製造なんだ。しかも自然に塗りつけられる。そして、いけ好かない野郎にも時折メイクされるんだ」

 言われるまで気にもしなかったが、大尉の目の下には隈があった。主と共に連日働き、自宅には既に一週間以上帰っていない。そして、対面するいけ好かない婉曲口調の男にもそれは共通していた。陶山はまして対馬守備隊の仕事を抱えつつ、総監部にて屋代島攻撃の作戦立案を手伝い、兵站作戦の指揮を採っていた。数年前に起きた軍事クーデターにより多くの軍の有力幹部が討たれたため、その討伐の立役者である諫早利三とこの陶山の負担はその分だけ多くなった。疲労は最高潮だ。

 無論、当の大尉自体、その仕事を請け負っているのだが。

「首相も大分お疲れだったろう」

「他人を家に帰すってのは自分かそれ以外の誰かが負担するって事だ。宇喜多の嫌がらせには堪えていただろうし、すぎの妨害への対処にも苦しんだ。それにアンタの言う通り、戦局も長引いた。そりゃ疲れるってな」

「で、あろうな。あの島が、即日落ちると思う方がどうかしている」

 そっちかい。大尉は小声で吐き捨て、スボンのポケットに手を突っ込んだ。

「会議前は禁煙だ」

「……畜生ッ」

 大尉は箱の半分まで引っ張り出していた煙草を苛立ち共々押し込んだ。

大尉は煙草が吸えないと途端に機嫌が悪くなる。具体的には、舌打ちが増え、歯軋りし、顔の陰影が濃くなるほどに顔を顰めるのだが、これが周囲には不評―というより恐怖―で、皆が近寄らないようになる。しかし、この陶山と空気を読めない小姑諫早だけは一向に構わず近くにやって来て、何事もなかったように接して彼女の機嫌を損ねる。

「吸ってきても良いか?」

「間もなく刻限だ。君のリラックスタイムは長いのでな。2分以内に帰って来るなら認めよう」

「ああ、そうかよ」

 顰めた面から覗かせた眼が陶山の顔に突き刺さる。喫煙所は会議室から歩いて5分の所にある。なお、2分で戻って来られる所には化粧室がある。

 高官達がやって来る刻限。流石に大尉達も仮眠中の首相達を起こしには行かない。以前、睡眠薬を飲んで眠った首相をベッド蹴り飛ばして起こしに行った事はあるが、それ以後大尉と諫早が睡眠薬を隠してしまったため、特に起こしに行く必要もない。それに、どうせもう起きているはずだ。最近は(年齢によると断定できる)体力低下が原因で疲れが取れず、起きにくくなっていると首相本人は言うが、仮にも元アイドルである。中には覚醒剤打って仕事する事を余儀なくされるアイドルがいるとさえ云う業界にいた女であり、例え年増になっても、最近腰周りに肉が付き出していても、肌が衰えてシミが増えたのを悩んでいるのを見て思わず「もう見る影ないですね」って言ったら(言わずにはいられない、この愉快さ)、顔真っ赤でブチ切れた挙句号泣して東京とのテレビ会議がお流れになったりしても、いざとなればスクッと起きて来る。ああ、煙草欲しい。そう大尉は強く強く思っていた。重要な作戦の前に深酒で寝過ごして大敗を呼び込んだ会津藩士佐川さがわ官兵衛かんべえじゃあるまいし、こんな重要な時に寝過ごしたりはしない。ああ、ヤニ欲しい。大尉は強く思った。

 そんな事を思っていたら、会議室の戸がノックされて開かれた。

「おはよう諸君」

 入って来たのは、千々石ちぢわリカルドRicardoブラジルBrazilから帰化した日系人3世。陸軍少将であり、鎮台随一の精兵「ガスパルGaspar西にし」旅団を率いる猛将として知られていた。かつて「我らがローラン」と呼ばれたガリア帝国の将軍ジャンJean ランヌLannesの如く兵の模範たる男であったため、「ランヌの再来」と讃えられていた。姓の通り日系人だが、顔立ちは明らかに西欧人のそれであり、しかも所謂ラテン アメリカ人のステレオイメージとは離れ、色白で怜悧さを思わせる切れ長の眼をした北欧風な男である。ミュンヘン生まれのドイツ移民も混じった家系でもあり、本人がそう言わなければ日系人だとは思われない長身の男である。

「おはようございます、将軍。少しはお休みになれましたかな?」

「ミスター・スヤマ、そしてミス・ハスイケ。貴方達の好意には感謝したい。すっかりこの通りだ」

 胸を叩く身振りを付けて自身の健在を示すリカルドに、大尉は無言で軽く会釈した。

「将軍が一番乗りですね」

「ああ、こういう時ぐらい一番になりたいからね」

 リカルドは屈託なく笑みを浮かべた。この男にはこういう子供じみた感傷を抱く所がある。

「他の方もこちらへ?」

「ああ、先程ジェネラル・コテダとアドミラル・アリマを下の階の廊下で見かけた。間もなくこちらに来られよう」

「そうですか」

 大尉は腕時計にチラッと眼をやった。定刻へ秒針が進んで行く。リカルドは自身も会議室の時計を見て、会議の刻限を思い返し、誰に言うでもなく口をついた。

「さて、首相が来たら早速会議だ。…定刻通り始まると良いが」

 ハハッ、とリカルドは軽く笑って数時間前まで座っていた席へと歩いて行った。陶山は何も答えず、席へ近付く後ろ姿をつまらなそうに見ていたが、軽く溜息をついて視線を離した。

 リカルドの様子を見ていた大尉はおもむろに立ち上がって、少し足音大きめに会議室の戸へと向かった。リカルドは眼球だけをずらして大尉の動きを見ていた。

「どこへ行く、蓮池?」

「首相の所。もう起きているだろ。イチイチって言ってくる」

 大尉はやや乱暴な手付きで戸を開き、そのまま執務室へとかかとを向けた。

 陶山は僅かに溜息をついた。リカルドは流し目に戸を見ていたが、やがて関心を失って円卓に設けられた座席へもたれかかった。



 籠手田こてだ泰志やすし陸軍機甲兵科中将と有馬ありま治三郎じさぶろう海軍大将。軍の柱石にして保守派の筆頭格。クーデター後に頭角を現したドイツ留学組領袖の籠手田と、同様に出世した英国留学組の指導者有馬。鎮台の軍事増強に各方面へ著しい貢献をした。千々石リカルドもそうだが、鎮台の軍人達は実直で熱心だ。しかし、政治には関わらせたくない、そういう人物達だった。

 かつて、同盟者たるアメリカ軍との関係の中で、九州鎮台は崩壊仕掛けていた。反乱者を討伐した後は特に悲惨で、鎮台は各地の平定に失敗し続けた。その最中台頭したのがかつて彼ら非アメリカ留学組の中級幹部達である。反主流派であった彼らは自己矛盾の内でせめぎ合い内部崩壊したアメリカ留学組トップ達の失脚を好機として這い上がって来た、不甲斐ない先達と強敵との激戦の中で生き残り歴戦の猛者と言われて来た彼らは自分達こそ鎮台を支えて来た貢献者であるという自負が強く、反乱と崩壊の原因を作ったアメリカ留学組と、『彼らを重宝して手を噛まれた』吉野菫を内心軽んじているフシがあった。特にドイツ共和国軍機甲師団で抜群の実績を得て帰国しながらも閑職に追われ、反乱平定まで這いつくばりながら生きて来た籠手田中将は吉野菫を激しく嫌っていた。籠手田だけではない。反乱者江上えがみ護智斎ごちさい慶也よしなり陸軍機甲兵中佐を倒し、崩壊寸前の鎮台にて苦闘し続けた陶山を除く現役武官達は彼女を「パフォーマー」と呼んで馬鹿にしきっていた。もしくは意地汚く、こう呼んで嘲笑わらった。

―――――〈アイドル偶像〉と。



 結局、籠手田達は吉野菫という人物を何一つ理解しようとはしなかった。そういう意味で、吉野菫を日々支えて来た者達は、彼らを政治に決して関わらせたくはないと強く思っていた。



 大尉が予想通りにベッドの中で円卓が揃うのを待っていた吉野菫首相を部屋から引っ張り出して会議室へ戻ると、座席には幾人か腰を着ける者が増えていた。出て来た時よりも、少しばかり騒がしい。



「おはよう、みんな。少しは眠れた?」

 会議室に入るなり、吉野菫は元気の良い、明るくはっきりした声を円卓へ掛けた。大尉の機嫌はまた損なわれた。円卓は静まり返り、一刻間が空いた。

「……ええ、それなりに」

 首相吉野菫の対岸にいる有馬治三郎提督が冷めた目付きを首相へと向けながら、抑揚もなく答えた。

 「そっか、そっか。良かったよ、それなりでも」

 首相は少し微笑み、座席を引いた。

 大尉は視線を有馬の横へやった。籠手田泰志中将は首相の顔すら見ず、手元の資料に眼を落として口を開く素振りも見せなかった。そこから二席程離れた座席にいるリカルドも仕草こそ違えど、もたれかかったまま答えようともしない。加えて、リカルドの隣にいて先程まで彼と談笑していた―廊下にも聞こえるほど愉快そうであったのに!―鎮台空軍中将宇垣うがき麟太郎りんたろうも腕を組んで顰めた面を造り、目など瞑って聞いているのかも分からない。有馬のもう一つ隣にいる陸軍きっての勇将、鎮台熊本基地駐屯教導師団長の鹿子木かのこぎ武時たけとき陸軍少将はメランコリーの体勢でハナっから眼中にないと言わんばかりの態度である。

 毎度ながら、大尉は内心吐き捨てた。大尉が流した眼を向けた陶山は彼女の視線に気付き、瞬きを2回した。大尉は鼻で不満を吐いた。

「おはようございます。今日は実に気分が良い」

 大尉の背後から不意に大きな声が掛かった。そして、振り返る前に大尉の背中に平手が一発当てられて、彼女は少し前のめりになった。

「おはよう、川上君。眠れたかな?」

「そういう意味で申し上げましたよ、閣下。なあ、宇垣中将?」

「……あ、ああ、そうだね」

 宇垣が突然の語りかけに驚いているのをよそに、その者は首相の隣に腰を下ろした。

 長身で肩幅の広い男、川上かわかみ兵助へいすけ。言い方が多少癪に障る男だが、この男は冷ややかな空気をのっけから無視して自分のペースに従う。鹿児島生まれの鹿児島育ちだが、上京して〈標準語〉を「学び」、留学もせぬまま国内で日共残党狩りや経済水域の侵犯を繰り返す隣国の巡視船に機関砲を叩き込む軍隊生活を繰り返して来た鎮台海兵大将。元々は陸軍機甲科だが、着任早々に異籍して海兵隊創設に加わり、今では30代にして鎮台の猛者部隊「鎮西海兵隊」の総司令官を務めている。首相である吉野菫に対しても正直に失礼な文言を並べる男ではあるが、しかし、下らない陰湿さを持っているこの円卓においては唯一の清涼剤であった。

「そういう首相はどうです? 先程は随分と眠そうでおられましたな、確か」

「もう、すっかりよ。ほら、この通り!」

 両腕でガッツポーズを決めた首相を見て、周囲は冷めた態度を取っていた。

「わけがわからないですな、閣下。どこが『この通り』なのか、全く伝わりませんよ」

「はっ、はははっ……」

 海兵大将のからかうような口調に、首相は乾いた苦笑を漏らした。

 大尉は小さく息をついた。本当に、この男しかマトモに話す相手もいない。マトモな話をしていると言えるのか、たまに不安にはなるが。

 一抹の真実もある。大将の言った通り、首相は「すっかり」していない。連日の激務のために身体は時折悲鳴を挙げる。大尉が睡眠薬を取り上げたのは、彼女が疲れるに任せて無意識に過剰摂取しないようにするためでもあった。疲労は判断を過剰にする。疲労しきった人間が別個の新たなストレスによって突然爆発し攻撃的に豹変したり、不意に列車が走り込む線路へ飛び込んだりする事もある。首相の場合はこの空気が彼女の疲労感を酷く高めていた。傍目には癪に障る川上兵助の自信に満ちた態度や言動も、衆人環視と村八分のくびきに苛まれている首相にとっては救いに近い物がある。

 暫し、両者がやりとりする間に円卓には人が集まりつつあった。「鎮台の小姑」諫早利三海兵少佐、総監部議長の吉岡よしおか吉増よします秀典ひでのり陸軍大将、同作戦部長臼杵うすき栄雄ひでお陸軍中将、同情報部長長倉ながくら晋三しんぞう海軍少将、同兵站部長五島ごとう玄武げんぶ陸軍少将、同人員・人事部長前川まえかわきよし空軍少将、戦略計画・政策部長秋月あきづき慎平しんぺい海軍少将、同運用計画・相互運用部長田原たばる太郎たろう陸軍少将、編成・資源・評価部長田北たきたまもる陸軍准将、C4システム部長原田はらだ辰雄たつお空軍少将等、九州鎮台管轄公安委員会長官米良めらじょう、等高級幹部達が会議室の席に座っていた。

「みんな揃ったね。そろそろ、始めよっか」

 首相は自分の対にある壁時計から目を落とし、円卓を見渡してから開催を告げた。

「えぇ~っと、まずは」

 首相の左隣に腰を据えていた吉岡秀典がゆっくりと立ちながら、間延びした声で口火を切った。

「このたぁびの勝利にぃ、ついてでぇすねぇ、まぁずぅはぁ、首相ぅ閣下ぁにぃ~お祝いぃもぉうしぃあ~げぇまぁすぅ~」

 立ち上がるのに杖をついてフラフラとし、持ち手はふるふると震えている吉岡の祝辞は、最長で1時間を超えた事がある幹部限定の拷問である。理由はこの間延びした話し方と、この先に待つ唐突な昔語りである。会議における名物であり、皺の顔をにっこりとさせ楽しそうな吉岡の口上は幹部達にとってはある種のハラスメントである。

 しかし昨今は合いの手が入るようになった。

「ジジイ、早く終われ。寝ろ」

「川上君、首から下焼却炉に入れて焼くよ?」

 川上兵助の言葉に吉岡はさっさと切り返した。まともに話せるじゃないか、大尉は毎度ながらそう思った。

「口上は舞台の上でやれってんだ」

「川上君、シベリアの雪は却って暖かいそうだ」

 吉岡に対してあまりにも無礼な事を抜かせるのは川上と酔い潰れた鹿子木だけである。かつて東京からの鎮台への出張中に吉岡へ不遜な発言をした川口かわぐち秀和ひでかず達青年将校は翌日、みっちりと質問に名を借りた言葉の絨毯爆撃を受け、無条件降伏の上、泣きながら東京に帰ったという。因みに副官成りたての頃の蓮池夏希もそういう体験をした者の内にいる。

「さっさと始めましょうよ、首相。ほら議長座らせて」

「えぇっと、いや、あのう……」

「川上君、シベリアに閣下を連れて行く気かな?」

「ええっ!? 私も行くの!?」

 吉岡はにっこりとした顔のままである。川上は心底うんざりした顔であるが、真ん中に置かれた首相は気の毒な状態である。これについては鎮台の諸将も人間としては同情している。普段はこのまま川上と吉岡が数分やり合い、首相が抑え込むのだが、今日は趣が違った。

「まあ後で川上君は埋めるとして。閣下、お祝いはまた後で申し上げに伺います」

「は、はあ……」

 吉岡が話を切り上げた。これは珍しい。大尉はやや驚いた。川上はふんっと鼻を噴かせうんざりした顔で外方そっぽを向いた。

 吉岡は立ち上がったまま、円卓を見渡し、

「さぁてぇ」

 とにっこり笑った。

「――――――――始めようか、市民。定刻だ」

 静かに告げられた言葉にはもう遊びがない。

「さて、皆の衆。これからは総括をしなければならない。おわかりか」

「総括、ですと?」

「そうだよ、有馬提督。この度の不手際についてのね」

 有馬はその言葉で吉岡の言わんとした事がわかった。

「即日陥落と楽観視した事はまあ、僕にも責任がある。その為に余計にかかった被害や金についてはスタッフ達が纏めてくれているからそちらに委ねよう。問題は、それまでの経過だよ」

 吉岡は淡々と続けた。その視線の先には長倉晋三総監情報部長と臼杵栄雄作戦部長が捉えられていた。

 2人は蛇の前の鼠のように、窮地の淵にある。首相にはそう見えた。だが、鼠とて部長である。長倉が口を開いた。

「情報部として、敵戦力の見通しに誤りがあったのは認めます。しかしながら」

「結構。誤った情報で沢山の兵士を死なせたね」

「あ、いや、その。それは」

 長倉は二の句を必死に吐こうとしていたが、吉岡はもう一方の目で捉えた臼杵部長へ関心を向けた。

「臼杵作戦部長、敵が水際防御を採ると断言し、結果敵はモグラとなってゲリラ化したが、その点は想定通りだったかね」

「それは、いいえ、想定より外しておりました」

「結構」

 臼杵は対して殊勝な構えであった。それは反論を諦めた、というのと変わらない。

「両部長は己の職権が多数の兵士を失わせる事に全く考えていない。残念だ。嗚呼、口惜しい」

 吉岡は心底悲しそうな顔をして、一見すれば気落ち振りに同情を覚えてしまうほどの様子だった。しかし、円卓の面子はそう思わなかった。

「市民長倉、並びに市民臼杵の両名は自己批判の時間も必要だ。本日を以て両名を更迭する事が肝要と心得る。吉野閣下、如何でしょう?」

「吉岡議長、少しばかりお時間を頂けませんか?」

「彼らに釈明の機会は与えております」

「しかし」

「閣下。体制は弛緩しかんしている。引き締めが必要です。閣下はこの作戦に慎重を期す様に申し上げられましたが、吉見の挙兵から今回に至るまで私も閣下も与り知らぬ所で既成事実を押しなべた輩がおります。もうお気づきの筈」

 首相は何も言わなかった。大尉も陶山も黙って様子を見ている。

「議長、さも当然と申されておるが、それは誰の事を」

「君はいつから私の発言を割ってよくなった、米良君」

 公安委の米良の口出しは差し止められた。言葉と共に向けられた視線を恐れ、米良は吉岡から僅かに顔を背けた。

「不躾な輩達が、大島一件の発端を作り、長倉部長がそれに乗っかり、臼杵部長が早々と立案して話をトントン運びよった。挙句の強硬策でこの惨憺たる結果が起きているのです。おわかりでしょう、閣下?」

「……それは」

 既に承知している。ただ、吉野菫としては、気に入らないが熟練の軍高官を今の局面で更迭する事だけはしたくなかった。しかし、吉岡の言葉に納得したい部分もある。

―――――――――――――――疎んでいるのは、お前らだけじゃない。腹に据えかねているのは、お互い様だ。

「昨今は大宰府において、文武の官が互いを疎み、貶し合い、遂には互いの論功争いを始めて、戦争まで持ち込んだ。私も抜けていたよ。体よくドイツ視察の機会が出来たと思って諫早君を連れて飛んで行ったら、その矢先。おまけに理解し難い渋滞にまで」

「渋滞?」

 端に居た大尉が思わず漏らした。吉岡は思わぬ方向からの声で脱線に気付いた。

「ああ、それは関係なかった。失敬した。あのね、書記君。議事からは差っ引いておくれ」

 吉岡は少しだけ、顔を緩めて、書記役の官吏に告げた。途端に緊張していた有馬達の顔が疲れたように緩んだが、吉岡は再び思い出したようにうんざりした顔になって、続けた。

「みっともなくて、鼻が落ちそうだ。長倉君は過信のあまり情報の取捨選択を誤って臼杵君のミスを誘い、臼杵君は考えれば容易な罠にネギ背負って踏み込んだ。この戦でアメリカに預けた派遣士官団rookiesが少なからず損害を受けた。それを全て両人の責に帰す事は確かに出来ん。出来んがね」

 吉岡は、少々口が荒くなって来た。

「つまらん小僧の策に嵌り、自らの謀で腰を打って、あまつさえ軍旗掲揚の武勲は海兵隊に代行される! 火傷を負ったばかりか、敵の後退までみすみす見逃す! この体たらく、この無様、如何に口汚くしても罵りの言を欠き難い! 山狩りで得たのは、わざとらしく投げ捨てられた岡山旅団のすすけた軍旗だけだ! あの《顔無し》とやらも未だ痕跡一つ見つけらず、見えない陰にただおびえるだけで、長倉君はそれについていったい何のアクションを取ったというのか! 臼杵君はいったいどれだけ効果的な対処を示したのか! 一向に耳そばだてても聞こえてすら来ぬ!」

 長倉が吉岡に恐縮して縮こまっているのを、首相は少し小気味良く思っていた。対して、臼杵が堂々と、どちらかと言えば不遜にも、背を伸ばして吉岡の言の一句一句を聴いている様子であるのが、少し面白くなかった。

「両人の責は罪として論じる事も出来る! 閣下、かの2人をみすみす円卓に加えて置く事が、それを許す事がこの鎮台を蝕む弛緩の根源と捉える事が肝要と心得ます。ご裁可を頂きたく存じます」

 こうも言い切られて、臼杵はなお未だに面持を変えない。却って、立派な物だと首相は想いさえしたが、同時に不快でもあった。

 体制弛緩の根源と吉岡は言ったが、それはつまり、この暴走・独走を容易に許す鎮台の土壌であった。かつては松本まつもと國香くにか兵站課長という稀代の悪党がいて、それと対立と協調を繰り返して鎮台のバランスを取っていた吉野よしの五人衆ごにんしゅうと呼ばれた副官達がいた。特に硬骨漢の江上や波佐見はさみ則貫のりつらの剛健さは兵を強く戒め、松本課長の謀略は大宰府のコントロールを容易にしていた。それが、吉野菫の蝕まれた両腕として曲がりなりにも機能していた時代もあった。しかし、課長は吉岡と協調する「鎮台の小姑」諫早に白昼殺され、五人衆は内訌の末挙兵に及んだ江上の手により崩壊し、江上の死と共に滅んだ。吉野菫は以降江上の挙兵による政治混乱の収拾を口実に左派の吉野へ掣肘せいちゅうを加えようとやって来た東京からの官僚団と大宰府で幅を利かせた非アメリカ留学組の将校達が意趣返しに傲慢不遜、首相何する物ぞと気勢を挙げる様を横目にしながら、黙々と職務を全うして来た。少なくとも、イニシアティブを握れずにいた自分の事も吉岡は含んで非難をしているのだろう。改革の着手をしろ、と言いたいのだ。そう、吉野菫は考えた。

 全く、これで戦勝祝いなどとよく言えたものだ。首相は内心苦笑した。

 一刻押し黙り、そして首相は再び吉岡を見上げた。薄暗い照明の中ではわかりにくいが、身体に対して少し白んだ色をした顔をした吉岡は、黙って首相を見ている。

「私からの更迭は致しません。その代り、臼杵並びに長倉両氏には本件の始末について、責任を自ら取ってもらいます」

「責任を自分で? それはまた何を?」

 円卓の向こう側にいる千々石リカルドから声がかかった。彼は成り行きを詰まらなそうに見て、少し飽きたような顔をしていた。

「軍の将官なんですから、どう責任を取ったらよいか言わずともわかるでしょう」

 首相はリカルドに視線を向けなかった。

「美談に仕立てるつもりか」

 鹿子木武時は苛立った声でつぶやいたが、首相は鹿子木の方をしっかり向いていた。

「三ケタを悠に超す死者が出た責任を取る事がどうして美談になるのです、鹿子木師団長?」

「古来、兵を失った責任の取り方って言うのは、大抵慰撫の為の前芝居。総大将がさっぱり首を打ち落とさないでいるのはそういう意図があるからだろう」

「勝手な類推結構よ、師団長」

「何?」

 首相は何かスイッチが入ったか、間髪入れずに鹿子木の物言いに喰って掛かって相手を挑発した。また始まったか、と大尉は思った。少し、椅子を音立てた鹿子木を隣席の米良が袖を掴んで止めた。

「私はね、師団長? 責任を、と言ったのよ。芝居をしろ、だなんて一言も申しておりません」

 首相の眼差しは鹿子木に向けられている。突き刺した、冷たい視線。だが、鹿子木は何を恐れるでもなく、睨んだように首相を見詰めている。

「議長が何を言っているか俺にはさっぱりわからんのですがね、首相閣下? この戦争を発したのは紛れも無く首相、あなたの筈だ」

「そうね、それが?」

 それが? 鹿子木は怒気を含んで返した。

「長倉部長の情報を聴いて、戦支度をはじめろと指示をしたのは閣下、臼杵部長の立案に判を捺したのは他ならぬ両閣下ではないか。なぜ、2人の首を獲る? それも返り血も浴びずに、腹を切らせる真似をして」

 尤も、実際に腹を切るわけではない。あくまで慣用の物言いである。しかし、長倉や臼杵が今後も続くであろう吉野体制で再び返り咲く日は全くない。鹿子木は強く憤った。

「お腹を召すかどうかはあくまでご両人にお考え頂く事ですわね、師団長」

「何を戯言っ!」

「まずは、この度の総括。損害を査定し……てくれてるでしょうけど、それを踏まえた上で次を考えなくてはなりません。ご両人の事についてはあくまでその後です。総括にはご両人にやってもらわなくてはならない事が仰山出て来るわけですから、それを終えてくれないと困ります。……それとね、師団長?」

 首相は鹿子木を睨み付けた。鹿子木も目を逸らさない。

「先ほどより、誰に向かって物を申している?」

「何っ!」

「あなたは、円卓に名を連ねてこそいるが一介の師団長に過ぎない。先ほどよりの物言い、聞き捨てならない。一々訂正をしてもらう必要は無いから取り敢えず」

 首相は一刻間を置いて

「黙りなさい。本日、円卓において指名を除きあなたの発言は認めません」

 そう告げた。

「おのれっ! 何様のつもりかっ!」

「何様はいずれか? 私は鎮台の首相を主上より任じられております。吉野菫個人への不敬無礼な物言い、市民としては一向に構わない。が、この場における私を首相と知ってその態度ならば、それは皇帝陛下への不敬となる事をよくよく理解しておきなさい」

「な、ぬぅ」

 鹿子木は二の句をつごうとしているが、しかし、語彙と頓智とんちが欠けていた。

「その上で、言いたい事があるのならば、どうぞ。円卓議長は今だけ、あなたに発言を認めます。さあ、一分以内に始めてくれますか? さあ、どうぞ」

 円卓議長とは吉野菫、鎮台首相である。やり込められた鹿子木は怒髪どはつ天を突きながら、米良に袖を掴まれ、二の句に当てる語を見付けれず、そのまま一分を過ぎ、発言権を失った。

「……結構。閣下がそう考えるのであれば、それはそれで」

 吉岡は鹿子木が黙って席へ腰を据え直したのを横目に、打って変わった静かな口振りで賛意を告げた。

 結局、長倉部長と臼杵部長の件について、更迭或いは自賠責いずれにおいても円卓は異存なかった。鹿子木もその点自体は異議を申し立てる事なく、結局そのままの流れとなった。

 長倉部長と臼杵部長は後日辞意を表明した。軍歴のキャリアに傷がついた長倉はまもなく健康上の理由で退官し、臼杵は名誉連隊長として左遷された。



 円卓は今後を打ち合せた。屋代島を攻め落とした後、宇喜多清真は如何に攻めかかるつもりか。それを考えなくてはならない。少なくとも、取られたままの大島をそのままにしておく事はできない。山陰陽の覇者として「アミールamir」或いは「パシャpasha」などとも―前近代的という揶揄も含んではいるが―呼ばれた宇喜多が、喉元の匕首となる大島の鎮台勢力をそのままにするはずがなかった。

 既に間諜より報告が上がってきた。山陰陽都督で勇将と聞こえる松田まつだ清保きよやす率いる師団が大島から撤退した守備隊残存部隊と後詰で抽出し動員されてくれ(安芸広島湾)に留まっていた元日共軍出身の将兵からなる精鋭「葡萄月」大隊と合流するため呉港到着していると情報部は伝えて来た。

 「葡萄月」大隊はかつての革命暦に由来した名前で、共産主義思想を未だに有しているとされるが手放すには惜しい日共からの投降者を一纏めにした戦力だった。密かに財政窮乏につき、外貨稼ぎに仲違いしていたロシアへ貸し出されてアフガン戦争にも従軍したという噂もある日共の兵士達を多数含んでおり、アフガンに留まらず星川の挙兵、ダウンフォール作戦、清水の一揆と負け続けの実戦経験ではあるが、生死を分かつ戦場で臆病者の誹りなく戦い生き残った実力者達が最後の仇花を咲かせに山陰陽に雇われたのである。

 その大隊を預けられている松田は馬関を巡って度々武力衝突した際に鎮台軍の相手としてよく戦った将軍だった。齢40程の長身の男、人となり堅実で装飾を嫌い、意識しているか否かは兎も角清貧を重んじたかの如き生き方で宇喜多からも信用されている人物だった。政治的に難しい立場にある防長への派遣部隊の指揮を託された松田は武力衝突をともすれば大それた戦に持ち込みたい鎮台の強硬派や東京からの派遣士官達の意図を見抜き引き際を考えた反撃と防衛に徹し、結果鎮台側は傷ばかり負って、これまで得た物は少なかった。若い頃は日共の紅衛兵殺しに名を揚げ、磐見匹見の山間を利用した拠点で日共兵や少年ばかりの紅衛兵、名誉欲に面の張った政治将校を待ち構え、味方10余騎と鵯越ひよどりごえを倣った強襲を仕掛けて70人余りを撫で斬りにした事で一躍テロリストの仲間入りをした。日共崩壊後は出雲に属して山陰を巡る畿内・宇喜多との抗争や防長方面のマフィア狩りに手を尽くし、盟友出雲介いずものすけ尊久たかひさの狂死後は乞われて山陰陽都督の将軍として今度は鎮台を相手に腕を振るっていた。あくまで国内の非正規戦出身の将だが、正規の戦でも如何なく発揮された軍才は山陰陽都督の将官でも随一であった。かつての同胞殺し(紅衛兵を軍兵が同胞として扱っているかは実際不明だが)で反共主義者であるはずの松田に従わされた当初の反発を除いて将軍の人となりに共感した「葡萄月」大隊で彼の命令に背いた者は1人としてないと間諜は報告していた。畿内や宇喜多の軍隊と戦い続けた山陰陽出雲の師団と鎮台の拙攻に付け込んでまんまと翻弄し撤退し得た大島守備隊残党を円卓は「松田勢」と仮称し、強敵と見做した。

 円卓は屋代島の守備隊の司令官に千々石リカルドを当て、大島守備に関係する部隊凡そ1万3千人の指揮を託した。また、同盟者たるアメリカ軍の協力を得て、山陰陽都督府と北平政府との通商関係を断ち切るために北平(北京)並びにモスクワから派遣された士官による軍事訓練キャンプを抱え島全体が軍事施設として機能している隠岐を叩く事とした。制圧のために鹿子木隷下部隊を優勢な海上戦力と共に送る事も合わせて決められた。加えて、大島を巡る抗争で否応なしに主戦場となる見込みとなった防長、それも主要港を備える下関と政庁を有する山口、飯田いいだ長門ながと県令存命中の良好な関係を下に北九州小倉こくらと通じる鉄道を敷いた際に基幹駅と定められ整備された小郡おごおり駅、合わせて三つの要所を叩くための航空攻撃も立案されたが、これは吉野菫によって反対され、下関港への海上戦力による攻撃に留める事となった。あくまで民間人を巻き込まず、和戦の選択肢を保っておきたい吉野の強い意思であった。



「どうしても、空爆はいかんかね?」

「当たり前よ」

 大尉の口振りは少し呆れたようであったが、首相は気にもかけず当然の如く言い切った。

 円卓は今閑散としていた。円卓周辺には4人おり、腰掛けて会議資料を団扇うちわのように扱って弄んでいる大尉と、コーヒーカップを片付ける首相、そしてそれを手伝う陶山と諫早だ。こういう時大尉はまず手伝わない。少なくとも片付けられない女である大尉にそれを頼む者も大宰府にはいない。鎮台政府執務室のコーヒーカップがオフィス用のプラスチック容器になったのは、値の張る高級輸入品を悉く割り続けた―決して故意ではない―蓮池夏希一人のためである。

「山口までタンクを走らすより、上から叩いた方が効果あると思うけどなあ」

「山口だけで済むと思ってるの、蓮池大尉は?」

「いいや、全く。萩も岩国も皆焼き潰さないとな。特に岩国は念入りに」

「あんたねぇ」

 首相は盆にカップを重ね置いて、手を止めた。

「どうして円卓のおっさん達と同じ様な事言うかな? 私が、『そうですね、バンバン焼きましょう』とでも言うと思いましたかね!?」

「それも全く」

「なら、どうして」

「あのね、おばさん」

「あ?」

「……いや失敬、菫オネエサン」

 大尉はそう言うと、円卓から腰を上げ、首相から数歩の距離をとった。

「正直な話をするとね、おねえさん?」

「……もういいから。次は無いけど。で、何よ?」

「和戦の構えは無理だと思う訳よ。恐らく、円卓も、吉岡の爺さん含めてね」

「あんたも防長の武力併合がお望みな訳ね」

「今日からはそうだな」

 今日からねぇ、と呟きながら首相は盆を手に取り、円卓までカップを取りに来た真新しいスーツの新入り官吏へと渡した。

「それは大島が落ちたからかね、蓮池大尉」

「その通りです。落ちなければ、博多港のイージス艦とアメリカ本土からミサイル撃たせたでしょうけど」

「なんて無茶苦茶を抜かしおる」

 同じようにやって来た女性の官吏へ盆を突出した諫早利三は、平然と答える大尉へ苦々しさを覚え、率直に伝えた。

「おっぱじめたんだから当然でしょうに。爺さんの言うおかしな連中にまんまとやられたとはいえ、戦争にゴーサインを出したのは他ならぬ鎮台政府なんですから。始めた以上は勝たないと」

「そんな事はわかっている。私が欲しいのは、そんなガキの答えじゃない」

「なら、どうなさるおつもりでしたかね、諫早将軍は? 大島を今漸く落として息の切れている軍に上陸なんか出来るとお思いで」

「鹿子木には命じたではないか」

「言わずもがな、あれは撒き餌だ」

 適当にあしらった大尉に諫早は怒りを示した。

「貴様、友軍を撒き餌呼ばわりとは如何なる存念かっ!?」

「餌は餌、撒いた餌だから撒き餌、違う?」

「蓮池っ!」

 諫早は怒気を強めた。大尉は団扇もとい書類を煽る手を止め、つまらない物を見る目で諫早を見据えた。両人の間には緊張感が常にある。不遜な大尉に不服の諫早、分かり易い構図である。

 大尉は元々、理由は分からないが(分からないでもないが)諫早を嫌っていた。諫早も何となくだが、彼女の仕草一つ一つに気に食わないところがあって仲が悪かった。

 その点、陶山聖尚は不感症気味に思えるが人が出来ていた。

「両人、控えられよ。常なる事とはいえ、まるで成長が無い振る舞いは目に障る」

 少なくとも、この2人よりは、である。

「陶山君、君は彼女の物言いに何ら思う所無いと申すかっ!」

 諫早は仲裁の言葉で更に燃え上った。陶山は抑揚もなく、平然と返した。


「常なる事にて、いささかも。実に蓮池らしい振りであった」

「何という。貴様にも礼節を教えなくてはならないのか」

 諫早は嘆息した様子だった。

「撒き餌、と蓮池は申したな」

「ああ、言った。お気に召しませんかね、将軍様?」

「君はまるで中学の子供だ」

「何です?」

 大尉も少し、熱を帯びた。陶山は相変わらずの様子だ。

「誰是構わず皮肉を述べ、無意味に喧嘩腰で挑み、事を煽り荒立てる。騒ぎに騒ぎ、捻くれて考える事を真理に通ずると思い込んだ、餓鬼の精神に相違無い。下らん。君が控えて、諫早将軍に事を述べれば、波は穏やかだったというのに」

 大尉は言い切られてそのまま何も言わず、ふんっ、と顔を背けた。何も言えなかった。すぐに拗ねた様で押し黙る。だから子供だと言われるんだって、と首相は内心苦笑した。

「但し、撒き餌という言葉の意味は肯定しておく」

「陶山君っ!」

 陶山に諫早は咬みつかんばかりの表情で怒鳴り込んだ。

「隠岐に海上戦力と鹿子木の戦力を動かせば、出雲と境港の戦力は山陽に下りては来られない。戦況如何によっては隠岐への逆襲も視野に入るだろう。そちらの戦力が石西へ回らなければ浜田の亀井かめい無我むがは益田の軍を迂闊には使えん。口を減らせば後は大田おおだの予備しか残らないからだ。そうなれば我らが長州へ攻め入る時にやって来る敵の増援を最小限に出来る。そして結果的に大島の負担も軽くなる。松田のみを相手に出来るからだ。事実としてはそうだ」

 陶山はあくまで変わりなく述べた。諫早は紅潮したままである。

「だが、それでは……っ!」

「鹿子木は最悪、中華ソビエトの上陸軍と出雲の浮田うきた郷家さといえの軍団に潰される。海上の戦力は舞鶴(丹後若狭湾)の艦隊と旅順(遼東半島)に集結中の中華艦隊が叩く」

「陶山君、君は冷血動物だ!」

 陶山は紅潮した顔を陶山に肉薄させ、罵った。陶山より背丈が足りない諫早だが、少し猫背気味である平素の陶山には丁度良い位置に顔があった。両人は互いの吐息が濃く面を覆う所で相対していた。

「まだ先は述べていないが」

「述べずともそこから先はわかっておる!」

「そうか」

 陶山は淡々と述べた。それが諫早は更に腹を立てて、今にも掴みかからんとしていた。発端の大尉はいつの間にか居なくなっていた。後始末に来た職員達は傍観せざるを得ない。触らず、しかし決して目を離さない。衆目がそこにある。

「はあい、そこまでぇっ!! みんな取り敢えずストォップ!!」

 首相は小柄な身体を両人の間に割り込んで行った。こうしてやらねば収まらない。鎮台ではよくある事である。

 だが、こういう日はいつまでも続くわけではない。


【吉野アイオライト菫】
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(KYOHEI)

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