無冠の棋士、幼女に転生する

うほごり

閑話「角淵影人」

閑話「角淵影人」

 夏休みが始まって一週間。
 ギラギラと強い太陽の光が照りつけ、玉のような汗がダラダラと垂れる。
 こんな暑い日に外出しなければならなくなるなら、安請け合いなんてするものではなかったですね。
 家を出て十数分。すでにボクの頭の中には後悔と気だるさに包まれていた。
 あまり外で遊ばず、家の中で将棋をすることの多いボクにこの暑さはキツイ。
 夏か冬が選べるなら冬がいい。冬なら厚着をすれば寒さは防げるが、暑さはいくら対策して薄着にしても暑いのは暑いのだ。

「……帰りたいですね」

 ボクはそう独り言をつぶやく。
 しかしボクの足は家に戻ることはなく、目的地への歩みを止めなかった。
 どうせここまできたのならば目的地まで歩く方が近い。それから今日ボクを呼びつけた少女にせめて一言は文句を言わなければ気がすまない。

 家を出て三十分。長い長い灼熱の道を歩み、ようやくたどり着いた。
 白を基調とした看板に崩れた可愛らしい文字で『ふんわり』とだけ書かれたお店。
 パフェとアイスの専門店。女子が好きそうなお店で、正直男のボクが入るのは躊躇う。
 スマホを確認すると一つのメッセージ。どうやら待ち合わせをしていた少女は先にお店の中に入って涼んでいるようだ。
 チリンと鈴の音がなる手動のドアを開き、お店の中に入る。クーラーの涼しげな風が、暑さにやられた体に心地よくしみる。

「おっはー、角淵くん」

 手元の本から顔を上げ、私に向かって手を振る少女がいた。
 歳はボクの二つ下で小学一年生。彼女の名前は空亡さくら。
 こんな真夏日にわざわざボクを呼びつけたボクの天敵だ。

「……はぁ」

 相変わらずニコニコと笑顔を振りまいている彼女にボクはため息をつきつつ、彼女が座っている向かい側に腰をかける。

「……そう言えば何故ボクは今日ここに呼ばれたのでしたっけ?」

 忘れたわけではない。少し嫌味も含めて尋ねてみる。
 さくらはあごに指を当て、少し考えて。

「無料でパフェが食べれるって謳い文句に角淵くんがホイホイされたから」
「ホイホイって……。ボクはゴキですか」

 さくらはひらひらと二枚のチケットを見せびらかしてくる。
 彼女が「このお店のパフェ無料券が二枚当たったから一緒に食べに行かない?」的なことを昨日いきなり言ってきたのだ。めんどくさいと断ってもしつこく言ってくるもんだから、仕方がなく付き合うことにしたのだ。

「別にボクじゃなくても良かったじゃないですか。あなた妹がいるでしょ?」
「私だって桜花とのパフェデート楽しみにしてたんだよー。でも昨日から桜花が夏風邪にかかっちゃってダウンしたの。この無料券の期限が今日まででもったいなかったから、仕方がなく角淵くん誘っただけ」
「……ルナも甘いの好きなはずですよ」
「知ってるよー。角淵くんより先にルナ誘ったけど、ルナは今日用事あるんだって。ざーんねーん。ということで最後に白羽の矢が立ったのが角淵くんってわけ」

 ボクはどうやら三人目だったようだ。
 ルナの用事……となるとアレかな。今日から神無月師匠は大事な棋戦で、ボクの相手は当分できないって言ってたしね。
 ウェイトレスが持ってきてくれたお冷に口をつける。汗をかいて乾いた喉が潤う。

「ということで角淵くんはどれ食べる?」

 ボクの前にメニュー表が広げられる。多種多様。ほんとに多くのパフェの写真が乗せられていた。これだけ多いと逆に何を頼んでいいか分からなくなる。
 顔を上げるとニコニコと無邪気にさくらが笑っていた。ボクが何を選ぶかたのしみにしているのか。

「……抹茶以外ならどれでもいいです。あなたが選んでください」
「ぶっちー抹茶嫌いなの?」
「嫌いです。……あとその呼び方やめてください」
「えぇ、可愛いのに。マイプリティーシスターゴッドエンジェル桜花たんがつけたあだ名を否定するのは許さないよ」

 その顔でぶっちーって呼ばれると彼女の妹とまったく区別がつかない。本当にそっくりな双子ですね。まぁ、姉の方が基本的に雑ですね。主に仕草とか。
 さくらはメニュー表を自分の方へ向けて声を出して悩み始めた。

「んー、というか角淵くんが食べるんだから私に選ばせるって変じゃない?」
「あなたが食べたいのを二つ選べばいいんですよ。それを半分こずつすれば二つの味が楽しめてお得な気がしませんか?」
「おーいいねそれ。…………」

 さくらがその後「……つまりホントなら桜花と交換食べさせ合いっこできたということ!?」と悔しそうにつぶやいていた。これがシスコンという奴ですか。

「王道のチョコバナナパフェは外せないよね。とすると抹茶以外で食べ合わせが良いやつ…………角淵くんはチーズケーキは大丈夫?」
「チーズケーキ? ええ、問題はありませんよ」

 なぜパフェなのにチーズケーキを聞かれたのだろうか。
 ボクのその疑問は数分後に運ばれてきたパフェを見て合点がいった。

「お待たせしました。チョコバナナパフェに苺チーズケーキパフェになります」

 チョコバナナパフェは思っていた通りのパフェだった。
 しかし、苺チーズケーキパフェは……。

「……チーズケーキが丸々乗っかってますが」
「食べごたえがありそうだね、ぶっちー」
「ぶっちー言わないでください」

 パフェの上に三角形のチーズケーキのピースサイズがどっかり乗っている。
 パフェだけでもお腹いっぱいになりそうな大きさなのに、追加でチーズケーキとは……。
 女子にとってデザート別腹とは聞いたことがありますが、まさかここまでとは。

「じゃあ、ぶっちー。半分食べたら交換ね。チーズケーキ残しておいてよ」

 そう言ってスプーンを器用に使いさくらはチョコバナナパフェを口に運んでいく。
 ん〜〜♡、と口元を綻ばせるさくら。
 止まることなく次々と匙いっぱいの生クリームを口に運んでは一口で食べる。
 あまりの食べっぷりに、自分のパフェを食べるのも忘れて唖然と見てしまう。

「ん、ぶっちーも早く食べなよ」

 スプーンでボクを指差してくる。
 ほっぺに生クリームが付いていて、まるで子どもだ。
 ……って、さくらはまだ小一でしたね。

「ほら、ほっぺに生クリーム付いてますよ」
「……ほんとだ。ペロッ」
「それとぶっちーはやめてください」

 さて、ボクもこのパフェを処理しないと……。
 しかし見れば見るほど胸焼けしそうになる。
 意を決してパフェを切り崩し、食べ始める。

「……普通においしいですね」
「普通は余計だよー。…………そういえば角淵くんは将棋してないときは良い子だよね」
「はい?」

 良い子?
 はて、したり顔で一体全体なにを言っているのだろうか。

「角淵くんは将棋してるときはブツブツ独り言呟いてるし、それから嫌味たっぷりな言葉かけてくるじゃん? マジど陰キャって感じ」
「相変わらずあなたは失礼な人ですね」
「でも今日みたいに将棋をしてないときは、嫌味も……ゼロとは言わないけど将棋の時に比べたら少ないし。それに……笑ってるし」
「笑ってる……?」

 ボクが笑うのがそんなに珍しいですかね。
 たしかにボクは感情を顔に出さないクールな人間。
 とはいえ、将棋の時も楽しければ笑っているはず。

「角淵くんが将棋してて笑う時って『計画通り、キリッ』ってほくそ笑んでる時だけだもん。それに比べて今日の笑顔はなんか新鮮。無邪気?」
「多分気のせいですよ」
「角淵くんはまだ小学三年生なんだからもっと無邪気に笑っても良いと思うんだけどなぁ。そんなんじゃ大人になった時に本物の陰キャラになっちゃうぞ」
「一年のあなたが言っても説得力のかけらもないですけどね」

 スプーンを口に入れたまま「ほりゃーほうあけど……」とさくらは喋る。お行儀が悪いです。
 そのあとは無言でお互いに目の前のパフェを食べる。
 しかしこの苺チーズケーキパフェは見た目通り相当重い……。四分の一くらい食べ終わったくらいで胃もたれしてきました。食べ切れる気がしません。

「そろそろそっち食べたい」

 さくらの方は既に半分以上食べ終わったのか、ボクの苺チーズケーキパフェをご所望してきた。
 本当によく食べますね。

「もうボクお腹いっぱいなんですよね」
「えー、せっかくバナナ残したのに……」
「……まぁ、少しは食べますよ」

 しかし、今回のパフェはどう考えても小学生が食べ切れるサイズではない気がする。
 大人でも一苦労しそうなほどの大きさなのだが。

「まぁ、ぶっちーが残したら全部私が食べるし大丈夫」

 そんな言葉を口にし、さくらは小さな口を精一杯開けてパクリとチーズケーキを口に放り込んだのだった。


   ■■■


「あ〜、お腹いっぱいでもう動けないや」
「本当に完食してしまうとは……。あなた将棋やめて大食い芸人目指したらどうですか?」
「んー、私は好き嫌い多いから向いてないかな」

 ボクとさくらは見事にパフェを完食しきった。
 さくらが七割、ボクが三割くらいの貢献度だろうか。
 こんな小さな身体のどこにあの量のパフェが入るのが不思議でたまらない。まるで四次元ポケットだ。

「角淵くん、最近テレビとかでプロ棋士が対局中に食べた物とか、おやつタイムとかがプッシュされてるの知ってる?」
「ええ。将棋を知らない人向けに少しでも興味を持ってもらおうとしてるのでしょうね」

 プロ棋士の対局はボクたちが普段する対局とはケタ違いの時間をかけて行われる。
 そのため対局中の休憩時間に出前を注文するのだが、メディアで最近それが取り上げられています。
 最近はそれを題材にした漫画もあるらしいですね。

「おやつ食べながら対局するの楽しみなんだよね〜」
「そう言えば、さくらはプロ棋士を目指していたんでしたね。女流棋士ではなく」
「そだよー。角淵くんだってプロ棋士目指してるでしょ?」
「もちろんです。……でもさくら、女性でプロ棋士になった人は今までいませんよ」
「じゃあ私が初めてだね」

 さも当然のようにニコっと笑うさくら。
 自信満々なその姿に、ボクは嫌味を続ける事ができなかった。
 正直言って女性でプロ棋士になるのは、ボクは無理だと思っている。
 どんなに将棋の強い女性でも、やはり男との差は歴然としているのだ。
 女流のトップに君臨し続けているあの近衛さんでも、竜王戦などでプロ棋士と対局する場合は何度も負けているのがその証左だ。

「……大変ですよ」
「プロ棋士になるのが大変なのは、男も女も変わらないよぶっちー」
「だからぶっちー言わないでください」

 ボクはポケットからスマホを出すと、店内のフリーWi-Fiに接続してある動画に接続する。

「それでも女流棋戦に興味ないわけではないですよね」
「まー、そうだね。あんまり詳しくはないけど。……これは?」
「今日行われている女流王将戦です。対局者は近衛さんと久遠寺さんです」

 現在の女流界は三強時代と言われている。
 かつて女流最強として全てのタイトルすら独占し、今なお三つのタイトルを保持する古豪、近衛女流三冠。
 そしてその近衛女流三冠から女流名人の座を奪って、長い間防衛し続けている病弱の天才、久遠寺女流名人。
 そして女性でありながら奨励会二段であり、初の女性プロ棋士を目指す女子高生、因幡女王。ちなみに因幡女王は奨励会員なので女流棋士ではない。

 ボクのスマホにはその中の二人――近衛女流三冠と久遠寺女流名人の対局の生中継が映し出されていた。

「そう言えば今日からだっけ。でも久遠寺さんが対局してるなんて珍しい」
「女流名人の防衛戦以外はあまり出場しないですもんね」

 対局はどうやら終盤のようだ。
 久遠寺さんが攻めてはいるが、この攻めが切れれば近衛さんが逆に久遠寺さん側の玉を詰ませるだろう。
 女流のトップ同士の好カードなだけあって、なかなかの接戦だ。

「どっちが勝つと思います?」
「久遠寺さん」
「……即答ですか」
「女流棋士はあんまり詳しくないけど久遠寺さんのことならよく知ってるよ。だってあの『終盤の支配者』だし」

 さくらが言った『終盤の支配者』とは久遠寺さんのその圧倒的な終盤力から名付けられた二つ名だ。
 現役のプロ棋士が出場する詰将棋大会で女流棋士ながら幾度も優勝を掻っ攫っていくほどの実力者。
 それが久遠寺女流名人。
 女流に詳しくなくても久遠寺女流名人だけは知っている人も多い。
 その久遠寺さんが自陣への攻めを無視して、敵陣へと攻め入っているのだ。
 多分彼女にはもう勝ちが見えている。
 まぁ、でも……。

「じゃあボクは近衛さんに賭けます」
「おっ、いいね〜。じゃあ私は久遠寺さんの勝ちに千ペリカ」

 ペリカ?
 どこの国の通貨でしょうか。
 たぶんジンバブエドルみたいな紙くずなのでしょうけど。

 持ち時間25分しかない女流王将戦の本戦。
 時間が切れたら40秒で指さなければならず、考える暇もないスピーディな将棋となる。

「局面は終盤。しかも久遠寺さんの得意な速指しだよ。ふふふっ、賭けは私の勝ちだよ」
「……それはどうでしょうね」

 確かにこれが女流名人戦なら久遠寺さんがほぼ確実に勝つだろう。
 彼女の女流名人戦に対するこだわりはかなり強い。しかしそれ以外の棋戦となると……。

「あれ……?」

 さくらが素っ頓狂な声を漏らす。
 急に久遠寺さんが攻めの手を緩めたからだ。
 そしてそれを近衛さんは見逃さずに逆襲を仕掛け、一気に久遠寺さんの玉を詰ましたのだ。

「賭けはボクの勝ちですね」
「どうして……」
「久遠寺さんはトーナメントは弱いんですよ。勝ち抜いたとしても病欠で不戦敗になってしまうから、近衛さんクラスが対戦相手だと勝ちを譲ることがあるんです」
「えぇ〜なにそれ〜」

 さくらが唇を尖らせて不満を口にする。
 真剣勝負なプロの世界でわざと負けるなんて非難されても仕方がない。
 とはいえ久遠寺さんの場合は身体が弱いためしょうがないのでしょうね。

「私そういうの嫌いだなー。将棋は勝ち負けを競うものじゃん? だから盤を挟んだなら勝ちを目指さないと相手に失礼ってもんだと思うんだけど!」
「ボクもそう思いますけど、世の中には勝ち負けにこだわらない変人がいっぱいいるんですよ」

 例えば宗一そういちのような将棋星人。
 彼とはもう何年の付き合いになりますが、いまだに彼の考えは理解できません。
 彼に比べれば、さくらは単純でわかりやすいですね。少し大人びたところもありますが基本子供っぽく、シスコンで大食い。ボクより二つも下でボクと同じくらいの棋力があるのは驚きですけどね。

「さくら」
「なに、角淵くん」
「全国大会でもし当たることがあったら、今度はボクが勝ちます」
「おっ、宣戦布告?」

 さくらが「シュッシュ!」と口に出してシャドウボクシングの真似事をする。
 ボクは苦笑して言葉を続ける。

「ボクのモットウは――逆襲。負けっぱなしは嫌なんですよ」
「…………そうだね」

 薄く笑うさくら。
 何かを懐かしむような――そんな表情。

「さて、そろそろ出よっか。桜花がベットでお土産待ってるしね」

 さくらはパフェ二つ分の無料券を出した後に、妹へのお土産にシュークリームとケーキを2個ずつ買っていた。妹へのお土産と言いつつ、自分の分もちゃっかり買っていますねこれは。まだ食べるつもりなんですか。もうボクは一年は甘いものは食べたくないです。

「うげぇ、あっつーい、溶ける」

 店を出た途端、あつあつの鉄板の上に落とされた氷のように溶けるさくら。……もちろん比喩表現です。
 むわっとする暑さと、照りつける太陽と光とのコンボが今が夏であることを痛感させる。

「ねぇ、角淵くん。日が沈むまで……」
「帰りますよ」
「むぅ〜〜」

 ボクが無視して歩き始めると、後ろからさくらも遅れて付いてきた。

「角淵くんって家こっちなの?」
「ルナの家の隣ですよ」
「ルナの家まだ行ったことないんだよねー。でも駅の近くって聞いたから、方向はこっちの方なんだね。じゃあ途中までは一緒に帰ろっか!」

 ニコっと上目遣いで笑いかけてくる。
 不覚にも少し可愛いと思ってしまった。
 それを誤魔化すようにボクは一つため息をつき、雲ひとつない青空を見上げるのだった。

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