一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。

秀典

1 時の流れは世界を変えて、ありもしなかった歴史へ変わる。

 英雄の誕生より時は流れ。
 魔法が発展し一般化された時代に、一人の教師が歴史書を携えて、学校で授業をしていた。


 レグルス・ブラックブックス    (教師)
 ミツハ・セリアリス・ヴォ―ドレッド(帝国の令嬢)
 バール・ザ・ウォーリアス     (大昔の英雄)


 王国が崩壊し、三百年を越える時が流れる。
 魔法という技能が一般化され、殆どの人間がその力の恩恵を受け入れている時代。
 丁度、年がかわった聖帝国歴五百三十七年の冬の日。
 隣に人が居れば間違いなくそちらに目が向く程に人に紛れる顔をした男。

 それこそがこの俺、レグルス・ブラックブックスと呼ばれる者だ。
 本名なんてとうの昔に捨て去った男の名である。

 帝国の領地にあるブリュンヒルデ高等学園で、誰に気にされる事もなく教師という職業を続けていた。
 この手に持つのは学園の教科書と、もう一つ、真っ黒の表紙をした本である。
 タイトルは書かれていないが、戦記と呼ばれる重要な物だ。

 その中に書かれるのは、この大陸全ての国に記されるのを禁止されている歴史書だった。
 もう殆どの人間がその存在を忘れ、何があって今の世界になったかも知りはしない。
 天使の存在、悪魔の策略、魔族と呼ばれた王国の民も、もうこの世界には存在しないのかもしれない。
 そう思わせるほどに長い時が流れた。

 今この世界に、真の歴史を教え広めているのはこの俺しか居ないだろう。
 俺の受け持つこの教室では、二十二人の少年少女が俺の授業を聞いている。
 教壇に立った俺は、手に持った真っ黒な本をパタンと閉じた。

「で、この王国という国が滅びてしまった訳だね。現在このブリュンヒルデ高等学校があるこの場所こそがその跡地なのだよ」 

「せんせ、先生。そんな作り話ばっかり言ってるからモテないんだよ。もうちょっと真面に授業やってみたら?」

 授業の合間合間にこの話を続けていた所で、誰一人信じてはくれない。
 それでも続けるのは俺の傲慢だろうか?
 俺が生きて来た時代を、王国が無かったことにされるのが我慢できなかった。
 それだけの話である。

「この土地は千年も前から帝国領だよ先生! 馬鹿なことを言わないでください!」

「そうそう、大英雄レティシャス・グラムソード達七人の英雄達がこの帝国を建国して……」

「待った待った! そこはリーゼ・フレイムハートと、その息子リッド様、そして他五人だろう!」

 教室の内では学生による無駄な議論が巻き起こっていた。
 王国という国が存在していないから、帝国の成り立ちさえも変えられてしまっている。
 全てが間違っているというのに、誰一人それが間違っているとも思っていない。
 それほどに統制され、ここで話しているのが政府にバレてしまえば、俺は追われる立場になる。

 この学園に赴任してそろそろ一月といった所で、そう言う事も起こり得るタイミングだろうか?
 俺はまだ、学生の顔と名前を覚えたぐらいではあるが、もう監視されて突入する機会を窺っているのかも知れない。
 まっ、そんな奴等に掴まるような俺ではないが、面倒事はごめんなのだ。
 そろそろ逃げるのを考えないとな。

「あ、あの、先生。ちょっと話を聞いて貰えませんか」

 終業の鐘が鳴り、俺は何時も通りにこの教室を出ようとしたが、一人の女学生に呼び止められた。
 彼女の名はミツハ・セリアリス・ヴォ―ドレッドという、この国の首相の娘に当たる人物である。
 産まれた時から高度な教育を受けている、サラブレットというものだろう。

 人物像としては、茶色の髪でおかっぱ頭。
 美人というよりは可愛らしさを前面に押し出したような小柄な少女だ。
 体つきは小柄ではあるが、その頭脳はこの学園でもトップクラスで、いわゆる優等生である。

 そして先ほど話題に出た、レティシャスという英雄の血を引く者でもある。
 まあその英雄のレティが、サラブレットと呼べるのかは別の話だが。
 あの男はそんな人物ではなかったはずなのだけどな。
 むしろその嫁であるストリアの血が濃く継がれているのかもしれない。

「ミツハさん、私に相談とはどんな話でしょうか? 勉強の話ではないですよね? 恋愛事なら別の人に……」

「ち、違うんです! と、友達には相談できなくって……」

 本来、女生徒の悩みを聞くのは俺の役目ではない。
 この学園には、同じ性別の教師に、悩みを打ち明ける場が設けられている。
 勉強や恋愛でもなく、冴えない俺に話す様な事とは、どうも想像がつかなかった。

「分かりました。落ち着いて話せる場所に行きましょう。二人ではなんですから、女性の立ち合いもあった方が……」

「ひ、一人でお願いします!」

「なら誰も居ない場所で話を聞きましょう」

 俺は彼女を空き教室に誘い、二人っきりで話を聞くことにした。

「ここならいいですかね? では話を聞きましょうか」

「あ、あの、じつは家の屋敷でおかしな人を保護したらしくて、何故かその人が家で働く事になっちゃって……」

「まさかそいつに酷い事をされたとか?」

「いえ、違うんです。意外と良い人みたいで打ち解けたんですけど、先生の事を話したら会ってみたいって。何か人探しをしているらしくて……あの、一度屋敷に来て会ってもらえませんか? 」

 政府の奴等が張った罠とも考えられるが、無碍にあしらうのはしたくはない。
 もし罠なら、その時に逃げればいいだけの話だ。

「そうですか……まあ、いいですよ。じゃあ今度時間をとって」

「きょ、今日お願いします! 今日なら両親が居ないので……」

「分かりました。行ってみるとしましょうか」

「は、はい!」

 俺はミツハの案内で、彼女の住む屋敷へ案内された。
 一般家庭の三倍ぐらいはあるが、屋敷としては小さな部類だろう。
 ほんの小さな庭があり、そこには家庭菜園とか色々やってる形跡がみられる。
 旬の野菜類は、実をならさずに少ししおれて居たり、あまり上手くはいっていないようだ。

「た、ただいま」

「ミツハちゃん、おっかえりなさ~い!」

 その屋敷の扉をミツハ自身で開けると、たった一人の使用人が走って来ていた。
 この男がミツハが言っていた奴なのだろう。
 ぱっと見二十代ぐらいに見えるエプロンした男に、とんでもない昔の記憶が蘇ってくる。

「ミツハちゃん、その人が言ってた先生ですか? やっぱり見たことないけど、王国のことを知ってるなら俺のことしってます? 俺バールって言うんですけどね。この国の英雄だったりするんですけど」

「いえ、全く覚えがないですね。俺ちょっと用事を思い出したんで、ちょっと帰らせて貰いますね」

 果てしなく知り合いで、まだ生きているとは思わなかった男である。
 三百年は見なかったはずだが、俺が生きているのだから、この男が生きていても不思議ではないのか?
 俺は嫌な顔をして、これが罠出ない事を知ると、その場で扉を閉めて見なかったことにした。



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