一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。

秀典

5 全力で走り続ける男

 一時限目の授業が始まる。 記念すべき最初の授業は数学なのだが、向うの世界で勉強のべの字すらしなかった俺にとって、今は掛け算どころか、足し算だって危うい所だ。 そんな俺の脳には、先生の言葉がただの呪文にしか聞こえない。


 頑張って起きてようと思っていたんだが、十分じゅっぷんにして意識を失った。 俺が気が付いた時にはその授業は終わり、少しの休憩時間が来ていた。


「ねぇストリーさん、何処の国から来たの?」っと女達だけじゃなく男までもがストリーに群がり質問を繰り返している。


「私か? 私は王国から来たのだ。 王国はこの世界とは違う世界にあるのだが、ちょっとばかりアツシの奴を迎えに来たのだ。 まあ先はどうなるか分からないが、宜しく頼むぞ。」


 しかしストリーは正直に答え、自分の国の事を話し出すと、おもしろーいだとか、へーとか言ってるが、全く信じてないだろう。 もしかしたら妄想癖があるとか思われたのかもしれない。 そんなのだから少しずつ人の群れが離れ、残ったのは一部の人間だけだった。 俺の知ってるアニメや漫画の話をしだしてるし、たぶんそんな感じの人達だろう。


 俺はというと、俺の所には一切誰も来ていない!! れんちゃんだけがほんの一瞬話してくれただけだった。 ちょっとばかり寂しいが、ストリーに友達が出来るのは俺にとっても嬉しい事だった。


 授業は幾つか続き、昼前に体育の授業が始まる。 男女別の高校もあるみたいだが、この学校では合同で授業を受ける事になっている。 俺としてはこの為だけにこの学校に来たと言っても良いぐらいだった。 そう、夏場には水泳も一緒なのだ!! つまり水着が見放題!!


 まあ今の俺にはストリーがいるので、そんな事をしていると殴られてしまうのだが。 そういえば此方では犯罪になるかもしれない、一応教えておこう。 ・・・・・聞いてくれないかもしれないけど。


 今回はマラソンだ、10キロぐらい走って来いと言う、運動しない人間には地獄のような時間が続く。 昔の俺なら、途中で諦めて棄権していた所だが、もう今の俺は違う。 十キロ? そんなんでいいの? しかもただ走るだけなんて、なんて楽な時間なんだ。 そんな事を思うぐらい楽な事だった。 そんな俺の元に、少し不安そうに、ストリーが話しかけて来た。


「アツシ、これはただ走ればいいのか?」


「そうだぞ、町中を走るけど、看板やら先生が道を誘導してくれるから、迷う事は無いと思うぞ。 たぶんストリーなら簡単にやれると思うぞ。」


「うむ、そうなのだ、こんな温い訓練では鈍ってしまうじゃないか。 やはり先生方に許可して貰った、アレを使うしかないな。」


 不安に思ってた事ってそんな事か。 しかしアレ? アレってなんだ?


「ストリー、アレって何の事だ?」


「あれの事だ。」


 ストリーは指をスーっと動かして、木の下に置いてある物体を指さした。 アレは・・・・・知ってる。 知ってるどころか、アレって俺の鎧じゃないか!! 許可を貰ったとか言ってたけど、まさかアレを着て走れって?! 何故アレを持って来たのか!! 俺の鎧だったら、もう一個軽い方があったろうに!!


「アツシの為に持って来てやったぞ。 感謝しろよアツシ。」


「お、おう。」


 実はあの鎧、普通に着る鎧よりめっちゃ重い。 ストリーが俺が死なない様に、防御力に特化したあの鎧を作ったのだが、普通の鉄鎧がだいたい30キロなのに対し、あれはもう50キロ近くもある鉄の塊だ。


 片腕5キロ、両腕で10キロ、足は一つ8キロぐらい。 鎧が20キロで兜は2キロもある。  そんな物を着て毎日走らされている俺が、どんだけきつかったか皆に体験してほしいものだ。 だがそれでも少しは楽な方なのだ、腰に剣が無い分少しだけ軽いから!!


 ストリーも自分の鎧を装着している、こうなったら着ない訳には行かないだろう。 拒否したら、帰ってからその分動かされるからな!!


 俺もその鎧を装着していく。 何度も来ている為に2分程度で着終える。 そんな俺達に周りの目は冷たい。 俺達を見てコスプレだとか言われている。


「アツシ、もし一位になったなら、特別に褒美をやっても良いぞ?」


「褒美? 褒美ってなんだよ? キスとか言うんじゃないだろうな?」


「嫌か?」


「い、嫌じゃないけど!!」


 流石にちょっとハンデがあり過ぎるだろうに、これで勝てとかかなり大変そうだぞ。


 そんな俺達の話を聞いたのか、先ほどまで離れていた男達が此方に寄って来る。10人は居るか、嫉妬した男達は、俺達を邪魔しようとやって来た。


「話は聞かせてもらったぞ先輩!! いやアツシ!! 一位を取ったらキスだと!! お前に一位なんて取らせてやらん!! むしろ俺達が一位を取ったら俺にキスをください!!」


「いや俺に!!」 「俺が!!」 「俺と!!」 「私と!!」


 中には変わった女子もいたみたいだけど、欲望塗れの男達が、俺が俺がと騒ぎだしている。 彼女持ちっぽい男達は騒ぎに乗らなかったみたいだけど、この機会を逃さず全力で来る気がする。


「ふむ、良かろう。 アツシが負ける訳が無いし、やってやっても良いぞ。」


「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおお!!」」」」」


 その答えを聞き、完全にヤル気を出した男共。 それに引き換え、引いて行く女達。 もし誰か別の男が勝って、ストリーがキスでもしたら、それに嫉む女子も居るのかもしれない。 それを救えるのは俺だけだ!! 俺が勝さえすれば何の問題もない!! と思う。


 全員がスタートの位置に着くと、体育教師高山がスタートの合図を掛けた。


「用意・・・・・スタート!!」


 高山が軽く手を下げ、全員が動き出した。 俺は全力で走り出したが、十人あまりが俺の周りを囲んでいる。 この男共も本気のようだ。 もう先に行った奴も居たかもしれないが、人垣が邪魔で何人飛び出したのか分からない。


「うおらああああああああああああああ!!」


 俺の全力に、一人、また一人と脱落していく。 基本マラソンで全力で走るなんて馬鹿な事なんだが、それすら忘れる程に、男共は飢えていたらしい。 ちなみに俺はというと、この状態で1キロ程なら全力で走る事が出来る。 そこから調整して独走してやろうと思っている。


 周りに居た男達は全員が脱落し、残りは前に行った何人かだ。 そのまま何分か走り続けると、一人目の奴を発見した。 全力で飛ばしたのだろう、かなりフラフラになりながら走り続けている。 そのまま横をすり抜けて一人目を抜いた。


 そのままゆっくりとペースを落とし、先を見つめると、先には男女二人が走っている。 一定のペースで走り続けている二人は、相当走りこんでいるのだろうか、まだ息一つ切れていない。


 もしかしたらその二人は付き合ってたりするのかもしれない、そうだったならたぶん一位は狙わないと思う。 しかし念のために抜いておく事にしておこう。


 少しペースを上げて、四キロを過ぎた辺りでその二人と並ぶ事になった。 俺が更にペースを上げると、その二人もペースを上げて行く。 だが俺がもう一つペースを上げると、その二人は諦めて、完走出来るだろうペースをまもっている。 俺がペースを落とすのを待ってるのかもしれないが、それはあり得ない。


 このまま走り続け7キロを過ぎた頃、前にもう一人を発見した。 驚異的なペースで走り続けるその男は、後ろを振り返り俺を見つけると全力で走り、足を動かし走り続ける。


 もしかしたら彼奴が先頭なのかもしれない。 キスを渡してなるものかと、力を振り絞りその男と並んだ。 しかしその男の体力も尋常ではなく、俺とのスピードは互角だった。


「んにゃろおおおおおおおおおおおおおおお!!」


 そのまま決着は付かず9キロを過ぎると、ゴールである元の学校が見えて来た。 俺の体力ももうキツイ、だがストリーの唇は俺の物だ!! こんな誰とも知らない奴に渡す訳には行かない!!


「ぐぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬぬ!!」


「・・・・・スピーディー。」


 その言葉と共に、その男の速度が上がる。


 何をしたのか、何を言ったのか、俺だけがそれを分かった。 それが魔法だと分かったのは、俺も魔法を一つだけ持っているからだ。 魔力の流れというか、そんな物を感じたのだ。


 そしてこの魔法というもの、ゲームだとMPとかそんな表記だが、俺達の場合は数字とかは分からない。 説明し辛いのだが、例えば電気のスイッチを押すと電気が付くとしたら、そのスイッチを押すという行為を忘れるという感覚だろうか?


 なので自分が魔法を使えるのなら、まず何回使えるのか自分で確認しなくてはならない。 そして、魔力が殆どない状態で更に強い魔法を使った場合は、ごっそりと体力までも持っていかれてしまうのだ。 戦場でその状態になったのなら、どうなるのかは分かるだろう。 敵の真ん中でそうなったなら、歩く事も出来ずに死、そんな事もあるだろう。


「例えそうであっても、俺が負ける訳にはいかねぇんだよおああああああああああああああああ!!」


 ゴールまで後200メートル!! 男との距離は広がって行くばかり。 1メートル、2メートル、3メートル。 そして100メートルを切った時に、俺の横から風が通り抜けた。 その風は魔法を使った男を追い越し、ゴールテープへと向かって行った。


「私の勝ちだな。 私が1位なので約束は無しだ。」


「ストリー!!」






 どうやらストリーは、俺の後ろを追っていたらしい。 まあそれはいいんだが、問題はあの男だ。 スピーディーという魔法を使ったあの男、いったい何者なんだ?



コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品