一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。

秀典

3 マナーと量の戦い。

「フェレックス……レックス……レック……フレック……う~んと、今日から貴方はニックスよ」


「師匠、僕の名前変えるんですか? そんなに呼びづらかったですか?」


「違うわよ、名前を変えたら少しは運が良くなるんじゃないかって思ったのよ」


「なるほど、そうですね。分かりました、じゃあ僕は今からニックスです。改めてよろしくお願いします、師匠。じゃあ早速ですが、僕は何の修行をすればいいのでしょうか!」


 お金を貰ってるからにはそれなりに何かしなければ駄目よね。
 もしこいつが切れて、詐欺師か何かになられても困るし。


「それじゃあ貴方の力を見せて貰いましょうか。う~んと、それじゃあ食事にでも行ってみましょうか。貴方の驕りで」


「師匠、何で食事なのですか? 力を見せるって何を?」


「ニックス、貴方、私の様になりたいんでしょ。まずは食事のマナーから見てあげるわ。貴方の驕りで」


「確かに、食事のマナーは大切ですからね。それじゃあ僕の行きつけの店に行きましょうか」


 本当はお腹が空いていただけなんだけれど、まあついでで見てやれば良いだろう。
 私達はその店へと向かうのだが、その道中も何度かチンピラ達に襲われたが、それはまあ置いておいて、ニックスの案内でその店へと到着した。


「師匠、此処です! 此処が僕が何時も言っている店です! 中々良い雰囲気でしょう?」


 ここか…………ここは知っている。
 一度は入ってみたい店って事で、そこそこ有名な店だ。
 私も一度だけ行ってみた事がある。
 料金は高いけど、その分味は良い。
 でも庶民では中々行く事が出来ない店だ。
 こんな所に通ってるとなると、ニックスは本当に貴族か何かの息子なんじゃないだろうか? 


「いらっしゃいませ、お客様。お荷物をお預かりいたしましょう」


「ええ、お願いするわ」


 私は手荷物を店員に預ける。
 と言っても小さなポーチぐらいなんだけど。


 店の中は飾り付けはされているものも、豪華というよりは落ち着いた雰囲気で、まるで絵画のようとでも言えばいいのだろうか。
 対応されているだけで自分が王侯貴族にでもなった気分だ。 


「! これはフェレックス様のお連れのお方でしたか、今まで手を抜いていたわけでは御座いませんが、少し気合を入れ直さないといけませんね!」


 ニックスは随分この店に通っている様だ。
 名前まで憶えられているなら相当なんだろう。
 まあいくら金を持ていて顔が良くても、此奴と付き合おうなんてもう思わないけど。
 少し遠くから見てるだけが一番良いわね。 


 席の前に立つと椅子を引いて貰い、そこに座った。
 此処に通いなれているならマナーなんて完璧なんだろう。
 何方かというと私の方があやふやだ。
 ニックスの奴、まさか私を試そうとしているの?
 いいわよ、やってやろうじゃないの! 
 私はテーブルに飾ってあるナプキンを広げ、膝の上に掛ける。


 私もある程度は知っているんだ、この男に馬鹿にされるのだけは避けなければ。
 ニックスがニッコリと笑いかけている。
 しかし私には、お前に出来るのか、あ~ん、という顔にしか見えない。 


 そして一品目の料理が運ばれて来た。


「野菜と生ハムのカナッペで御座います」


 小さなカリっと焼いたパンの上に、生ハムと野菜が乗せられた料理。
 手で持って一口でいける。
 確か手でつまんでも良かったはずだが、私はナイフとフォークで切り分け、それを食べる事にした。


 テーブルの上にはナイフとフォークが幾つも並べられている。
 これは手の近く、外側から使うのが正解だったと思う。


「師匠、僕のマナーは如何ですか? 結構自信があるんですけれど」


「…………まあまあね」


 ニックスは私なんかが比べ物にならないくらい優雅な手つきで、料理を切り分けている。
 もしかして見せびらかしているのかしら。
 何だかぶん殴りたくなってきた。
 此奴に絡んでいたチンピラの気持ちが少し分かって来たわ。


「春野菜のサラダで御座います」


 ウェイターが二品目の料理を運んで来る。


 二品目はサラダか。
 このサラダというものは結構面倒臭い。
 それなりに切り分けられているのだが、口に入れるにはそれなりのサイズに調整しなければならないのだ。
 大きな葉っぱが口に入らない、何てことにならない様にしなければならない。
 ニックスの方は…………随分と余裕が感じられる。
 手際よく口に運び、ちゃんと味わっている様だ。


 私も何とかそれを食べ終わると、三品目の料理が来る。


「ジャガイモとコーンのスープで御座います」


 三品目はスープ。
 このスープもとても厄介だ。
 皿にこつんとでも音を立ててはいけないという、面倒臭いルールがある。


 私は皿に当たらない様に、スプーンを動かし、口へと運んでいく。
 これはたぶん美味いのだろう、でも頭の中にはマナーの事でいっぱいで、味は二の次になってしまっている。
 せっかくの料理が勿体ないが、そんな事を気にしていられる余裕はない。


 このスープという物には罠が仕掛けられているのだ。
 食べ進めていくと、量が少なくなり皿とスープとの間が無くなってしまうという罠が!


 だがまだ諦めるには早い! 少し皿を傾けるとスプーンにスープが貯まっていく。
 まだある程度なら飲めるのだ! しかしそれでも限界は来てしまう、もはやスプーンではすくえない領域に達した。


 この状態では諦めるしかない、そう、スープは”今は”諦めるべきだ。


「ブレッドで御座います」


 スープの途中で運ばれて来たブレッド。(パン) これこそが救い、残ったスープに浸して、残りを食べる様に出来ている。 


 私は手でパンを一口大に千切り、スープに浸し、それを食べきった。
 本当はこういう所は二時間ぐらいかけてゆっくりと食べる物なんだけど、私にはそんなゆったりしている時間はない。
 此奴との活動を終わらせて、新しい男を探さないとならないからだ。
 競技の様に次々と運ばれてくる料理、それを急いで食べ尽くす。
 次の料理は…………


「サーモンのソテーで御座います」


 次は魚か…………気を付けるべきは骨だ。
 まずは先に取り除かなければならない。
 口から骨を取り除くのはマナーが悪いと言われている。
 しかしこの魚は骨を取り除かれているみたいだけど、一応念の為に切り分けて、骨の有無を確認し、それを口へと運んで行った。


「師匠、少しお腹も膨れて来ましたね、もう少しゆっくり食べませんか?」


「いいえ、そんな時間は無いわ! 此処にはマナーを見る為に来たんだもの。食事にばかり時間を掛けていては、次の事が出来ないじゃないの!」


「分かりました、僕、頑張って食べます!」


 コース料理。
 一つ一つは小さくても、トータルで見ると普通の食事より多くなる。
 お腹の事考えると、ちょっと辛いかしら?


「フルーツのシャーベットで御座います」


 口直しだろうか、まだまだコース料理は続く。
 それを口に運ぶと、ジャリっとした氷の感覚が心地いい。
 まだお腹はいっぱいにはなってないけど、此処は半分だけにしておきましょうか。


 次はたぶんお肉だ。


「子牛のステーキで御座います」


 ナイフで簡単に切れる柔らかい肉だ。
 口の中にジワリと肉の汁が広がっていく。
 この辺りになると少し味を楽しめるようになったかな?
 次は…………


「チーズで御座います」


 一切れのチーズ。
 ほんの少し匂いがキツイが、食べてみると美味しい。
 そろそろお腹がいっぱいになりそうだ。


「フルーツの盛り合わせで御座います」


 食べやすい大きさに切りそろえられ、色々なフルーツが盛り付けられている。
 リンゴ、オレンジ、ブドウ、名前までは分からないが珍しい物も入れられている。


 お腹の方もそろそろ不味い、だがまだ料理はタイミングよく運ばれてくる。
 もうそろそろ終わりも近いが、私の方も満腹が近い。


「桃のタルトで御座います」


 今の私には、少しキツイ量だ、サクサクの生地の上には桃が飾り付けられ、大きさもそれなりにある。
 フードファイターになった気分ね。
 デザートは別腹だと言っても、限界はあわよ…………


 そして最後のデザートが出される前に、一杯のお茶が出された。
 このお茶は飲んではいけない。
 飲んでしまったら、次に運ばれてくる物が食べられなくなる。
 もうそれぐらい私のお腹はいっぱいだ。


「ショートケーキで御座います」


 小さめのケーキ。
 これでコースは終了だが、はち切れんばかりのお腹に、それを詰める作業が残っている。
 冒険者だった時の癖か、食べられる物はなるべく残したくない。
 ケーキを胃の中に落とし込み、殆どの料理を食べ尽くした。


「うぐッ!」


 ちょっと気持ち悪い、食べすぎかしら。
 此処で吐き出したらマナーとかそんな以前の話だろう。


「…………ちょっと用事が出来たから、今日の活動はこれで終わりよ。じゃあ、私は行くから、貴方は此処でゆっくりしていらっしゃい。もし付いてきたら破門だからね」


「そうですか、ではまた明日修行をつけてください、朝一階で待っていますので!」


「わ、分かったわ。じゃあ、急ぐから、後はヨロシク」


 そう言うと私はこの店から跳び出し、走り去る。
 近くの路地裏に走りこむと、そこで胃の限界を迎えた。


「うげろろろろろろ~~~!」


 胃の中から、大量の料理だった物が流れ出した。


「あ~……勿体ないわね。まあ良いか、どうせ奢りだったし」 






 私が頭を上げると、路地裏の奥で倒れているおじさんを発見した。



「一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く