一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。

秀典

3 狂気、理性、選択、そして祈り。

 ウォーザス帝国の大臣室で、この国の大臣グラソン・ワイトランズはイライラしていた。
 白くなりそうなヒゲを引っ張り、ブチブチと引きちぎっている。
 齢五十を超えて、この地位に盤石な自信を持っていた彼だが、この頃色々と失敗が続いていたのだ。
 王の大事にしていた壺を割ったり、躓き絵画に穴を開けたり。
 あまつさえ、王の妃であるミュレニエール様に抱き付く所までも王に見られていた。
 だがわざとではなく、ただの偶然なのだが、王にとっての印象は良くなかった。
 それからも色々と偶然が重なり、その不幸は留まる事を知らなかった。
 最早大臣の地位さえ危ぶまれる程に。

「なんとかしなければ、なんとかしなければ、なんとかしなければ……どうすればいい、どうすれば、どうやれば…………」

 グラソンは考えている。
 自分が今の地位にいるには如何すればよいのか、失敗を帳消しにするには如何すればいいかと。
 何をすれば自分から目をそらす事が出来るのかと。

「戦争なら、あるいは? …………いや、しかし如何やって。それに此方から攻めるのは不味い、民達も納得する事はないだろう」

 彼は思いついた。
 納得出来ないのなら、納得出来るようにしてやろうと。

「邪魔なのは王だ」

 帝国の王は、王国の王とは親友同士であり、どうやっても戦争などは起こさないだろう。

「ならば説得を? …………いや、そんな事をしても無駄だ。幽閉して…………それでは駄目だ。 いっそ殺害してしまうか? 駄目だ、逆賊として追われてしまう。病気にでも成ってくれればいいのだが」

 彼は思いついた。

 …………毒なら、いけるのではないか、と。

 眠り草という毒草が帝国にはあった。
 服用したら一週間は眠り続けると言われる毒草が。

 グラソンは王を食事に誘い、その毒草を飲ませる事に成功した。
 王が眠っているその間に帝国の軍を掌握する事に成功したが、この国には他に二人の大臣が存在している。
 彼の行いに、その二人の大臣が黙ってはいなかったのだ。

「グラソン、何を考えているのだ。まさか王を眠らせたのも貴様ではないのか!」

「まさかお前は、この国を乗っ取る気ではないだろうな!」

「そんな気は御座いませんよ。確かに最近は何かと危ないかもしれませんね。なのでね、私が命じさせて、貴方達二人の家族に護衛をつけたのですよ。誰にも内緒でね」

 二人の大臣は黙るしかなかった。
 家族を人質に取られたも同然だったからだ。
 王に子供が居なかったのを良い事に、帝国の権限の一切を取り仕切り、彼は思った。
 もう王が居なくなっても困る事は無いのだと。
 そして行動を起こす事になる。

「王が居なくても、この国は回る。ならば今の王は要らないではないか。私が変わりにやっても何も問題は無いな!」

 グラソンは王の寝室に忍び込み、眠り続ける王に、更なる眠りの毒を飲ませた。

「王も毒で眠り続けている。もはや起き上がる事など無い。この国は、私の物だ! ふはははは!」

 彼の才能は政治では発揮されなかったが、悪事に限っては天才的であった。

「そうだ、戦争を起こさなければ」

 もう誰も彼を裁けないのに、彼は止まる事をしなかった。

 彼は狂った。
 何処から狂っていたか分からないが、もう正気ではなかった。
 誰かに操られているほどに…………。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 王の不在や王子の不幸、実権を握りそうな者達のほとんどが居なくなり、この国には最早彼を止められる者は居なくなっていた。
 彼が手を下したのではなく、本当に偶然そうなっただけなのだ。
 彼を調べる者達も出たのだが、それはもう意味をなさなくなっていた。
 やりたい放題となったグラソンが、この日ついに行動を起こしたからだ。
 誰も居なくなった玉座の前、ただ一人立つのがグラソンである。

「戦術長と十人隊長を呼べ!」

 グラソンがそう命じ、部下の中からその二人が呼ばれた。
 玉座の前に呼ばれたのは、赤い髪をした女と、背の高い大男だ。

「戦術長ハガン、十人隊長リーン、参上しました」

 背の高い男はハガンと言う。
 ただの兵士である彼は、家の名は持っていない。
 主に戦略戦術に長けた者達が集まった集団の八位にあたり、戦術長の名を持つ。
 髪は黒髪で、二メートル近くある大男だ。
 剣を使った戦いを得意として、その腕は兵士としても何ら遜色はないと言われる。

 十人隊長リーン。
 赤い髪を持つ女性で、やはり家の名は持っていない。
 武力に長け、軍の実力順位だと二十位にあたる程だ。
 背はハガンよりも頭一つ小さく、武器を選ばず殆どの武器を扱えるという。
 その二人が選ばれたのは、ただ扱い易い地位に居たというだけの偶然である。
 グラソンの前に膝まづく二人に、王の代わりとなった男グラソンが、二人に命令を下した。

「貴様達に命じるぞ。これから王国の民で、ある者を、一人殺して欲しいのだ」

「…………」

 二人は何を言われているのか分からなかった。
 そんな事をすれば、王国との関係が悪くなるのが分かり切っているからである。
 最悪は戦争という恐ろしい事にもなりかねないのだ。
 だから戦術長ハガンは、グラソンに質問を投げかけた。

「何故で御座いますか?」

 グラソンがニヤニヤと笑っている。

「答える必要はまるでないが、お前にあえて教えてやろう。この国の経済は逼迫していて、もう戦争を起こすしか手が無いのだ。三年後には食う物も無くなり、全員が飢えて死ぬであろう」

 グラソンが言った事は大嘘である。
 経済は順調に回っているし、食料も尽きる事は無い。
 それはハガンとリーンにとっても分かり切った事であった。
 それでも二人はそれ以上聞く事が出来ずにいる。
 前に居る大臣の顔がそれを許さず、聞けば身の危険さえ覚悟しなければならないからだ。

「貴様達に、この国を愛する正義があるのなら、直ぐに行動を開始しろ!」

「「分かりました、行って参ります」」

 二人はグラソンに返事をし、空っぽの玉座を後にした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 カッカッカツ、っと、城の廊下を歩く足音が響いている。
 玉座の間を後にしたハガンとリーンは、城の廊下を歩いていた。
 戦争の話を聞かされて、この国がどうなるのかを考えている。
 何度も罵倒を繰り返すが、いくら考えても答えが出ないのだ。
 経済の事は分からなかったが、食料が無くなるとは思えなかった。
 現に自分の家では自給自足をしており、足りない分を少し買い足す程度でしかない。
 親の住む田舎であれ、そんな家が多いのだ。
 隠された理由があるのかもと考えるが、その理由などは一切出て来ない。
 拒否した所で軍を辞めなければならなず、最悪命令違反で処刑もありうる。
 ハガン達にはもう選択肢がなかったのだ。
 もはや怪しさしか感じない命令に、相棒となるリーンと相談を再開する。

「クソがッ、戦争だと? 人を殺せって? 何考えてやがるんだ!」

「しかし、命令は遂行しなければならないわ」

「分かっている! だがこの作戦を成功させたとしても、俺達の未来は暗い。野盗に扮した俺達を、この国が見捨てる可能性が高いからだ。何か手を考えなければ」

 何かあってからでは遅いのだとハガンは思考を巡らせている。
 もし何もなくとも、準備するに越したことはないのだ。
 まず、この状況を誰かに相談出来ないだろうかと、ハガンは考えた。
 相談するべき上司や、仲間は大勢いるが、相談するべきではないと判断してしまう。
 万が一にも出世欲や我欲の為に裏切られても困るのである。
 巻き込まれるのを心配して家族には知らせることは出来ず、相談するべき人物はリーン以外に思いつかなかった。
 誰も居ないハガンの個室に、リーンと共に今後の話を始める。

「事が起こる前なら、王国に知らせてみるのも手じゃないの?」

「どうだろうな。今はまだ何も起こっていないのだ、あの王国の王がこの話を信じるとは思えない。いやそれ以前に面会できるのかも謎ではあるな。作戦開始まで後一日。それまでに身の振り方を考えた方がいいだろう」

 作戦開始までに、必要な道具を揃える為に、大臣から一日が与えられている。
 弱みを握るなり、大臣に取り入るにしろ、一日では大した事は出来ないだろう。
 明日の正午にはギルドに発注をかけて、作戦を開始しなければならない。

「私が大臣の部屋に侵入して、不正の証拠が無いか見て来るわ」

「確かに証拠が見つかれば可能性はある。だが俺達が持って歩いていては、結局口封じだろう。刺客を倒せたとしても、暗殺や毒殺も気をつけねばなるまい。今後永久に気を張って生きるのは不可能だ」

「最悪国を捨てるというのは如何かしら? 帝国と王都以外の土地に移住とか」

 国を捨てるには、二人には捨てる物が多すぎた。
 この帝国には二人の家族がいて、そう簡単には捨てられはしない。
 それを選ぶにしろ、最後の手段となるだろう。

「駄目だな。俺は家族を捨てる気はないし、家族と一緒に帝都を出るなど目立つだけだ。それに水も確保しなければならない。そして俺達には、農業をやる知識も、狩りをする知識もない」

「私なら狩りぐらい出来るわよ」

「国を出るにしろ、追われる事には変わりはないぞ。だがどうすれば…………いっそ隠さず民に事情を…………」

「何? 戦争の事を告発しようって言うの? 皆がそれを信じるのかしら?」

「最初は無理だろうな。だが実際起こってしまえば信じるしかないだろう」

 ハガンはそう答えたが、リーンはそれを否定した。

「それに加担した私達も罪に問われるんじゃない? そこはどうするの?」

「俺達の事は伏せる。看破されるかもしれないが、そうなったら上官の命令だったと通すしかないな。それに上手く行けば、二国の戦争が止まるかもな」

 告発を考えた二人だが、そう上手く事は運ばなかった。
 大臣により彼等には見張りが付けられ、やらざるを得ない状況に追い込まれている。
 いや、それは見張りというより暗殺者と言っていいもので、自分達が此処にいるぞとナイフまで投げつけて来ていたのだ。
 動きを封じられてしまった二人は、作戦を決行させざるを得なかった。

 色々と考えを巡らせるも、たった一日では手を思いつかず、作戦当日。
 もうやるしかないと、ハガンがリーンと作戦の最終確認をしていた。

「王国の男をギルドに誘導し、依頼を受けさせる事に成功したらしい。目標の名はジバルと言うそうだ」

「殺す相手の名前を知った所で気が重くなるだけでしょうに」

「この男には何の非もないんだ、気が重くなるぐらいはしなければ」

「…………そうね」

 リーンは溜息をついて話しを続けた。

「確認よ、男は王国の民で魔術師ね。でも私は魔法を見た事が無いわ。どうやって対処すればいいの?」

「俺も魔法は見た事がない。安全の為に一度魔法を使わせて、対策を取るべきなんだろうな。それと、一応相手の男には、箱の護衛と伝えてある」

「箱?」

 ハガンは腰の袋から箱を取り出し、リーンに見せた。

「これだ。ただの箱で中には何も入ってはいない。箱の中身を見られる様な事はするなよ」

「分かったわ。決行するのは何処でやるの?」

「王国側、最後の野営地。そこで事を成す。 …………さあ時間だ。出発するぞ」

 聞いた話では依頼者は二人の仲間、いや監視だろう。
 客の中にも潜んでいるのかもしれないと考え、もう逃げ場はないと二人は男を殺す覚悟を決めた。

 神よ、見ているのならば俺達の事を救ってくれと、そう思わざるを得なかった。

「一つの世界で起こる、万の人々が紡ぐ数多くの物語。書物に残された文字は、忘れられた歴史の記録を残す。」を読んでいる人はこの作品も読んでいます

「ファンタジー」の人気作品

コメント

コメントを書く