美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい

平山安芸

このパスを出すために、生まれてきた



「アァァァァアアァァッッッッ!!!! クソがァァァァッッ!!」


 響き渡る絶叫。


 力任せに芝生を叩いたのは――――俺ではなかった。




「ハルトぉぉぉぉーーーーっっ!!!!」
「おっしゃああああああっっ!!!! よくやったハルっっ!!!!」
「廣瀬くんっっ!! 凄いっ!! すごいよっ!!」
「たっ、助かりました……っ!」




 ゴール前に倒れ込む俺を、四人が次々と囲む。


 辛うじて右足にぶつかったボールは、その勢いのまま甘栗の前へ飛び込んでいった。
 だが、あまりに近い距離感。


 彼はトラップに失敗し、そのままラインを割ったのである。
 フットサル部のボールで、試合は再開だ。




「馬鹿野郎ッ! 点決めたわけじゃねえんだぞッッ!! 散れ散れッッ!!」
「でもっ、凄いわよっ! なんであそこで戻って来られるのアンタってやつはっ!」


 背中をバシバシ叩く長瀬は、どこか鼻声でもう笑っているのか泣いているのかも分からない。


 それでも、十分だった。
 この顔が、見たかったんだよ。走った甲斐があったわ。なぁ。




「菊池ッ! まだ終わってねえぞッッ!! 立てっ!」


 林の怒号に身体をビクつかせた奴は、顔をパンパンと叩き、スクッと立ち上がる。
 帰陣する際には、俺の顔を親の仇でも見るような目で睨み付けた。


 いや、凄い奴だ。お前は。馬鹿にして悪かった。
 FWとしては、満点だよ。あの位置取り。シュートへの躊躇いの無さ。


 ただ、相手が俺だったのが唯一の問題だな。




「……ていうか、どうするん? いや、終わってないけどさ。延長とかすんの?」


 瑞希の疑念は最もである。
 彼らもここまで試合が縺れるとは、まさか想定外だろう。
 こちらの消耗を考えれば、PK戦が有難い……が、楠美にこれ以上の負担を掛けるわけにも。


 ……というか、そもそも。
 このまま試合が終わるわけ、ねえだろ。




「……あと何秒残ってる?」
「多分、30秒くらい」
「おしっ…………瑞希、パス出すからすぐ俺に戻せ」
「えっ? お、おぉ」
「で、長瀬。お前は…………一番前だ。待ってろ」
「……どうするつもり?」
「――――最高のボールを出してやる。決めてこい」




 言っただろう。伏線は張り終えたんだよ。
 散々ボールを回す「フリ」までして、我慢重ねたんだ。
 最後くらい、ド派手にやって貰わなきゃ、こっちが困るんだよ。




「…………ハルト」
「何回ヤキモキさせんだよ。お前の仕事は……ゴールだろ」
「……うんっ」
「信じてっからな。だから、俺を信じろ」
「…………うんっ! 信じてっ! 絶対に決めるからっ!」


 差し出された右手を掴み、なんとか立ち上がる。




(信じる、ね)




 1年前までの俺が聞いて笑う。


 誰も信じられなかったから、こんなことになっているのに。
 今更、俺のなにに期待しろと。
 誰の、なにを期待しろと。




 でも、違う。


 コイツなら。コイツらなら。


 俺が本当に見たかった景色を、見せてくれる。
 共に見ることが出来る。




 これで終わりだ、廣瀬陽翔。


 そして、これが始まりだ。






「繋いでくるぞっ!」
「前から前からっ!」
「行けますよッ!」




 サッカー部からの声援通り、奴らはこちらの陣地までポジションを上げ、カットを狙ってくる。


 最前線の長瀬にこそ、林が付いているが……それで足りるわけ、ねーだろ。




「楠美っ!」
「はいっ!」


 転がってきたボールを`右足`でトラップ。
 詰め寄られるが、冷静に左サイドの瑞希へ。


 仕掛ける振りをして、すぐさまボールは俺の足元へ戻ってくる。




(あぁー。イイ距離感)




 少し前なら、なんてことない30m弱のスペース。
 何本、何十本。何百本のパスを通してきた。


 膝が震えている。


 疲労によるものか、或いは恐怖か。
 そのどちらともかもしれない。


 自信は無かった。
 とうの昔に、失くしてしまった。




 けど、それでも。


 どんなに不細工でも、構いやしない。
 このパスが、長瀬。お前に通るのなら。


 それだけが、ただ一つの願い。




 重なる視線。
 彼女の瞳に映る俺は、いったいどんな顔をしているだろうか。


 悪いことも無かった。
 むしろ、味わったことのない感覚。




 あぁ、そうか。


 俺。お前にこのパスを出すために、生まれてきたのかもな。






「違うッ!! ダメだッッ、潰せッッ!!!!」




 林の焦燥に満ちた声がコートに響く。
 だが、もう遅い。


 最後の最後で、ようやく気付いたようだ。
 それだけは、素晴らしい。褒めてやる。


 ただ、あと数秒。
 あとほんの少し、前に気付いていたのなら。
 勝負は分からなかった。




 その一言は――――俺たちの勝利を明確にする、遺言だ。






「――――左利きだッッ!!!!」




 さぁ、行ってこい。
 準備は整えたぜ。




「…………決めろおォォォォオォォォォォーーッッッッ!!!!長瀬エェェェェェェェエエェェッッ!!!!」






 俺を縛り付けていたのと同じものが、彼女にもあったというのなら。
 それはもう外された。自らの意志で、脱ぎ捨てたのだ。


 ならば、あとはどうなったって良い。
 例え失敗したって。それは、彼女にとってはもう、失敗でも何でもない。




 似た者同士、一緒に踏み出そう。






「あっ!」




 誰かの素っ頓狂な、ひっくり返った声が近くから飛んで来る。
 次の瞬間には、自陣にボールの姿は無く。


 `それ`は悠々と、サッカー部たちの僅か数十センチ頭上をフライト。
 反対側のゴールへと、真っ直ぐな軌道で飛んで行った。


 誰もがボールの行方を見つめている。




 ただ一人、走り続けている奴が、このコートにはいた。


 その目はまるで獲物を狩る鷹のような鋭さで。
 足取りはそれこそ、本当に翼でも生えているかのような軽やかさ。


 疲れてんじゃなかったのかよ。ホントに…………とんだ化け物だ。






 ゆっくりと身体の向きを変え、飛んでくるボールを迎えるように走るペースを遅らせる。


 あとは、簡単な作業だった。
 胸を付き出すように差し出すと、ボールは迎えを待っていたかのようにそこに収まり。
 胸元で小さくバウンドする。




 時間が止まるような感覚を覚えていた。


 たかが胸トラップからのシュートに何故ここまで感動してしまうのか。
 自分でも分からない。


 瞬きの時間すら惜しく感じるほどの、うっとりするような高揚感。




 ただひたすらに、美しい。




 まるで、海を飛び出して宙を舞う一頭のイルカ。
 或いは、しなやかで弾けるような背筋。
 それはどことなく、バレリーナに近いかもしれない。




 身体は雨空と僅か零点数秒だけ飛び回り、やがて同化していく。


 永遠に続いてほしい、そんな気さえする。
 彫刻品に感慨深さや歴史の移り変わりを想像してしまうほど、俺の感受性はさほど豊かではない。


 それでも目の前で起こっている現象に、なにか芸術めいた美しさを覚えていたのは確かで。




 初めて芝生の匂いを直に感じたあの日の俺が、帰って来る。
 ただ広がる景色に見惚れ、憧れ、惹かれていたあの日。


 けれど、出来ればそれは二度と、俺の視界や思考回路に現れることすら許し難いもので。
 決して帰って来ないあの日々と記憶を心臓の裏から呼び戻す、最低で、最悪な感情。


 結局、全てはたった一言に起因し、集結してしまうのだ。






(――――すげぇ)






 誰もが言葉を失い、目の前で起こった現実に一切のリアリティーを感じられない。


 右足から繰り出された華麗なバイシクルシュートが、サッカー部のゴールに突き刺さったことに気付くまで。


 俺たちは数秒の時間を要することとなった。






【後半9分45秒 長瀬愛莉


フットサル部4-3サッカー部】





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