美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい
やってみろや
コートに戻ってきた俺たちは、予想だにもしない歓声で迎えられた。
先ほどまでの覇気が嘘のように、怯えた様子の長瀬がトテトテと歩み寄ってくる。
「ねぇ、ハルト……」
「あん」
「いま気付いたんだけどさ……なんか、お客さんメッチャいない?」
分かり易く視線が泳ぐ長瀬に釣られ、周囲を見渡す。
コートの外では、サッカー部以外にも何人かの生徒が観戦していた。
割合としては、うちの運動部の連中が半分で、もう半分は他校の制服や私服姿の見知らぬ層。
皆、説明会に合わせた催し物程度にしか考えていないんだろう。
それにしたって、最初から観ている奴らにはサプライズだろうが。
耳を澄ますと、聞こえてくるのは「サッカー部が負けそう」というフレーズが大半であった。
あとちょっとだけ俺の話題。多分「アレ誰だよ」とか言ってんだろう。癪だ。
「今日、学校説明会やしな。中学生とうちの運動部やろ」
「うわぁー、微妙にやりづら……」
「別にええやんけ。アピールしとけば新入部員増えっかもよ」
「あっ……うん。まぁ、それは、そうなんだけど……」
いまいち歯切れが悪い長瀬の思うところは、よく分からなかった。
フットサル部にとっては、これだけ「証人」が居てくれて大助かりだけど。
「……別に、今だけでも十分だし」
「え、なんて」
「いっ、いいからっ! ほら、もう始まるわよッ!」
なんで怒るんだよこえーよ。
コートチェンジを行い、反対サイドへ。
試合開始前のダラけた様子とは打って変わり、頻りに言葉を交わすサッカー部たち。
もはやフットサル部を格下扱いはできないだろう。
何よりも、スコアが証明している。
「よう、お前!」
「あ。なんだよ」
「いやぁ、さっきは悪かったな! お前、超上手いじゃんッ! こっからは俺たちも本気で行くからさァ!」
え、なに急に。キモ。
わざとらしいまでの笑みを浮かべ、こちらに歩み寄ってくる甘栗。
どう考えたって、態度を改めたわけではないことくらい分かる。
「俺も必死でさぁ! あんな思いっきりタックルしたの久々だわっ! だから`ちょっと当たったかもしれないけど`勘弁してくれよッ!」
「…………テメェ」
「くれぐれも怪我には気をつけろよっ! なっ!」
「…………わざわざご丁寧に、どうも」
「ちっとは`手加減`してくれよ、な?」
やっぱり、か。
あからさまに遅れて飛び込んできたとは思ったが。
「おい、菊池。無駄口叩いてる暇あったら身体動かせよ」
「おう、悪い悪いっ」
キャプテンに諭された甘栗は、小馬鹿にしたような冷めた視線を俺に飛ばし、自陣に戻る。
舐められたものだ。
でも、もうお前の相手はしないんだよ。一人で踊ってろ。
「……お前、名前は?」
「田中太郎だけど」
「嘘つけ。お前、廣瀬陽翔だろ。セレゾン大阪ユースで、世代別代表の……ッ」
「あぁ、少しちゃうな。前に`元`って付けといてくれ」
「……ありえねえ。なんでこんなとこにいんだよ。意味分かんねえ」
流石にバレた。ちょっと嬉しい。
至って真剣な表情のキャプテンは、大きなため息を挟んで言葉を続けた。
「顔、変わったな。全然気付かなかった。もっと人相悪くて、今にも人殺しそうな目してただろ」
「忘れたわ、んなの。なに、もしかして知り合い?」
「……中学の頃、試合したよ。横浜ブランコスのジュニアユースだったからな」
横浜ブランコス、と言うと関東では屈指の人気を誇るチームだ。
下部組織も充実しており、プロを何人も輩出している名門。
肝心のトップチームはもう何年もタイトルを取れていないが。
「……俺は忘れねえよ。何点取られたと思ってんだ。8点だぞ8点」
「…………あー、はいはい、あれか。思い出した。8-2の試合な。クラブユースの」
「忘れられるわけねえ。前半2-1で勝ってたんだぞ。それが1年生一人出てきた途端……」
「そりゃあ、悪いことしたな」
「まさか、こんなところでリベンジできるとは思ってなかったぜ」
「返り討ち、の間違いだろ」
「…………詳しい事情とか、今はいい。聞きたくもねえ」
少し見下ろして、俺の瞳をブレ一つなく、真っ直ぐ捉える。
あぁ、いいねえ。
こういう目をした奴と、バチバチにやりたかったんだよ。
んでもって、俺が勝つまでがお決まりの流れ。
「相手が女子ばっかだろうと関係ねえ。必ず勝たなきゃいけねえ理由が一つ出来た」
「……俺ばっか見てると、痛い目見るぜ。スコアが証拠や」
「ひっくり返すさ」
「やってみろや。森さんよ」
「林だっつうの。絶対分かってやってるだろ」
「バレた?」
1秒にも満たない、形だけの握手を交わし、背を向け合う。
なるほど。痛みを忘れるにはちょうどいい。
俺たちにも。そして、俺にも。
勝たなければいけない理由がありそうだ。
短すぎる芝生が、少しずつ。だが確実に。
コートを滑らせていくことに、まだ誰も気付いていなかった。
* * * *
フットサル部のボールでキックオフ。
まずは自陣を中心にパスを回すが、連中は早くも動き出した。
出足が早い。
こちらと同じく、ダイヤモンド型のシステムを組んだ来たサッカー部。
サイドの二人と甘栗がボールへ詰め寄る。
一番後ろの倉畑に負担が掛からないよう、俺もパス交換に参加するのだが。
「やっば!」
長瀬の露骨な一声と共に、ボールを掻っ攫われる。
瑞希からのパスが前方にズレ、縺れ合いの末にポゼッションを失った。
だが、俺の予想が正しければ。
「ヘイパスッ!」
ボールは最後方の林に戻る。
その間に他の選手は適正位置に着き、今度はサッカー部のパス回しがスタート。
やはり、林を中心としたポゼッションでリズムを作り、前線の甘栗に預けるやり方か。
(さて、こっからどうするか見物やな)
宣言通り、俺が林を追い掛ける。
無論、この程度で動揺するほど彼も腐ってはいない。
冷静にサイドへボールを散らし、受け直して、反対のサイドへ。
こんな流れを数回繰り返して、既に1分は経過しただろうか。
(…………いってえな、クソがッ!」)
右足首の痺れは、依然として収まらないままだった。
なんの用意も無いわけで、勿論テーピングやアイシングも出来ない。
だが、俺がここで踏ん張らなければ、どうしたって守備に綻びは出る。
まずは林を中心としたスタイルにヒビを入れなければ、残り9分はあまりにもシンドイ闘いだ。
…………いや、違う。本当は。
いざというときの`温存`に過ぎないと、きっとみんな分かっていた。
「長瀬、チェック!」
「任されたッ!」
少し深い位置までボールが入って、左サイドで長瀬が相手と一対一になる。
いくら女子のなかでは恵まれた体格とはいえ、男子と対峙すれば相対的には小さくなる彼女。
身体を寄せるが、なかなか奪い切れない。
我慢、我慢しろ。俺。
安易に距離を詰めれば、ふとした拍子に林までボールが戻って、数的優位を作られてしまう。
真っ当なフィジカルコンタクトが期待出来ない今、無理に奪いに行くのは愚策だ。
だが、状況は思いもよらない事故で動き始める。
中に切り返した相手に着いていこうと長瀬が身体を揺らした、その瞬間だった。
「きゃっ!」
芝生に足を取られ、バランスを崩す。
その隙を突かれ、ボールは甘栗の足元へ。
倉畑が後ろから着いていたが、いとも簡単にマークを外され、シュートモーションに入る。
不味い、これは一点モノだ――――
「あっぶなァッッ!! しっかりしろや長瀬ッッ!!」
シュートが、枠を捉えることは無かった。
間一髪のところでゴール前に戻ってきた瑞希のスライディングが、僅かに軌道を変え、ボールはクロスバー上空を通過する。
「ごめんっ、助かった……っ!」
「足元っ、気をつけろよなっ! まだ強くなりそうだしっ」
彼女の頬を伝うのは、汗か、或いは雨か。恐らく後者だろう。
気付けば自分の髪の毛も、まぁまぁの具合に濡れている。
すっかり失念していた。今日、雨の予報じゃないか。
彼女たちの技術を信用していないわけではないが……。
「ハルっ!」
未だに馴染まないそのあだ名で、彼女は切れるような声で叫んだ。
「余計なこと考えんなッ! やることやれよっ! あたしたちも、やるだけやってんだからさッ!」
「……ナイスカバー」
「濡れてるくらいがスライディングしやすいんだよっ!」
交わしたハイタッチは、水滴で僅かばかりの鈍い音をコートに響かせた。
そうだ。まずは。
やることを。やれることを、やらなければならない。
もう一度、見つめ直せ。
誰が。この俺が、わざわざ作戦まで考えたんだろう。
目に見えているものは、ちゃんと信頼しろ。
見えないものは、任せておけばいい。
「……長瀬はニア、瑞希はファーのカバーだ。倉畑はポストの横! 集中切らすなよッ!」
木霊した掛け声を合図に、雨脚は一層強くなる。
こんな些細なことでも、どうか、雨すら味方につける力になれと。強く願った。
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