美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい
運命も必然も
「わたし、すっごいエゴイストだった。周りが引くくらい」
ガラスを見つめているのか、その先の雨を探しているのか、或いは反転する自分の姿か。
いずれにしても、彼女の瞳が捉えているものは、酷く見覚えがあって。
「やっぱ、根っこは女の子の集まりだからさ……自分が結果を出すことよりも、チームとして機能することの方が大事なんだよ。いや、チームっていうか……集団って言うのかな」
「まー、あるよねそういうの。女だけだとなーんかギスギスするっていうか、陰険ていうか?」
「……そういうのも、馴染めなかったんだよね」
背筋を舐められる不快感。
身に覚えがありすぎて、気持ち悪い。
「自分が点取って勝てばそれでいいっていうか、そういう感じでずっとやってきたからさ。小さい頃とか、それで周りからも嫌われてたし」
「昔からすごい選手だったんだね、愛莉ちゃん」
「ううんっ……ホントに、自分さえ良ければそれで十分だった。だから、周りの大人に言われてさ。そんなに頑張りたいなら、一番強いチームに行きなさいって。いま思えば、それも皮肉なんだろうけどね」
「おー。長瀬にも皮肉を理解できる頭があったんだね」
「うっさい、ばかっ……それでまぁ、運良く常盤森には入れたんだけどさ」
空気の読めない金澤の一言も、強く言い返せない程度には弱っている。
むしろ、今の彼女にはあれくらいが丁度良いのかもしれない。
なんならわざと言っているのだろう。改めて、良い場所だ。俺にはもったいないほど。
「最初の一年は、まぁ、順調だったかな。みんな、私のことをチームのエースだって言ってくれて……でも、段々そうも行かなくなって」
「私さ、身長だけ無駄に高いから。それでゴリ押し出来たんだよ、その頃まで。でも、ホントはへたっぴなのがバレてきて、試合でも活躍できなくなって……そしたら、みんなに嫌われちゃって」
「みんなと仲良くするとか、良く分かんないし……結果で証明するしかないって思ってて、自分からみんなのこと避けてた……かな。うん。仲間だって、思えなかった。みんなライバルで、敵ばっかりって……だから、たまに点決めても、独りぼっち。誰も私に、良いシュートだね、ありがとうって、おめでとうって……誰も言ってくれなかった……っ。当たり前だよねっ、私、一人で闘ってたんだから……っ!」
人目も憚らず涙を流す長瀬に、ついぞ誰も声を掛けられなくなっていた。
俺と彼女たちは、5mだって離れていない。
ただ壁に隠れているだけの、なんてことない距離。
今すぐにでも駆け寄りたいのに、足は動かない。
古傷が痛むわけでもない。痛むのは、ひたすらに、心だけ。
「辛いなら、上手く出来ないなら、誰かに頼ればよかったのにっ、それも、それすらも出来なかったのっ! わたしっっ……!!」
「分かんないよっっ!! 私、自分が分かんないんだもんっ! 私からサッカー取り上げられたら、なんにも残んないんじゃないってくらい……自分のことも、周りのことも、全然分かんないっ……」
「だからっ、誰にも頼れなかった……なにに困ってるのかも、なにが辛いのかも……自分がどうなりたいのかも、分かんないよっ……!」
彼女も、同じだ。
アイデンティティーが無い。無い故に、無理して作ろうして、それに縋って。縋り過ぎて。
それを失ったとき、初めて気が付いたのだ。
自分という人間が、どれほどちっぽけで。
そして、縋っていたものがどれほど小さくて、頼りないものだったかということに。
突き付けられたのだ。縋ると同時に、切り捨ててきたものの巨大さに。影響力に。
人間、誰しも一人では生きていけない。
当たり前の常識を、俺は、彼女は、その瞬間、初めて知った。気付かされたのだ。
しょうもない拠り所が、たたまた人より秀でていた、ただそれだけの理由で。
今なおこうして、日々の一つ一つを複雑に絡めている。簡単には解けない、堅結び。
「……高校には上がれなかったわ。セレクションに落ちて、普通科に転入する勇気も無かったし」
「ですが、その……女子サッカー部がある高校は他にもあるのでは? 何故、山嵜に?」
「……もう、辞めようって思ってた。だから、推薦貰ったとこで、そういうのが無いところをわざと選んだの。それが、ここだったってだけ」
何一つ違わずに、同じことを言いやがって。腹が立つ。
辞めた理由も、ここに来た理由も、また性懲りもなくボールを蹴り始めた理由も。
全部、全部一緒か。気持ち悪い。気持ち悪すぎて、震える。
「でも、やっぱり駄目。諦められないよ。プロになれなくても、ボール蹴ってるのは楽しいもんっ……」
「……愛莉ちゃん……」
「ただ一緒に、楽しくボール蹴ってくれる仲間が欲しかった。アイツに会ったのは、たまたまだけどさ」
初めて彼女に出会った日のことは、今も鮮明に覚えている。
やたら自信気に話すのに、どこか挙動不審で。見下すのに、すぐ見下されるよう分からん行動原理。
思い返せば、その全てが。理想と現実に挟まれた、等身大の長瀬愛莉なのだ。
手探りで探し始めた、自分に足りない何かを追い求める場所。
それが偶然、あのテニスコートで、その相手が、どういうわけか俺だった。
ただ、それだけの話なのだ。
運命も必然も無い。ありふれた出会い。他の三人だって、変わらない。
「……嬉しかったよ、すっごい嬉しかった。嫌々言いながら付き合ってくれるハルトのこと、大好き。そもそも相手が居なかったんだから……初めて、私と対等になってくれた、そういう人なの。アイツは」
「みんなもそうっ。ただの、コミュ障の私を仲間だって……口にはしないだろうけどさ。実力じゃなくて、私自身を見てくれたみんなのこと……ホントに大好きで、大切だって思ってる」
「だから、顧問が見つからなくて焦ってるときも、サッカー部と揉めたときも、すごく怖かった……っ! この場所がっ、無くなっちゃうんじゃないかってッ! また、独りぼっちになっちゃうんじゃないかって、怖かったのっ!! 練習場所なんて、どこでもいいのにっ……部活なんかじゃなくて、ただみんなと一緒に居られれば、ボールも、ゴールもっ、場所もいらないってっ!! ただの仲良しになれれば、それで十分だったのにッッ!!」
「でもっ、ダメなのっっ!! 私からサッカーを、フットサル部を、ボールを取り上げられたら、なにも無いからっっ!! それが無きゃ、わたしっ、どうすればいいか分かんないんだもんっっ!!」
「わたしっ、また間違えたッッ!! サッカー部に勝てば、この場所もっ、仲間もっ、全部守れるって! 私がどうにかすればっ、きっと良い方向に転がるって!! 結果だけ出しても、私が欲しいものは手に入らないって……分かってたのに……っ! 全部っ、全部分かってたのにっっ!!」
あぁ、そうか。
責任の感じ方が違うのだ。俺と彼女は。
やっぱり、その通りだった。
その身を削る覚悟が、俺には無い。
このチームの幸せに、俺という存在を省こうとしたのは、どうしたって、俺自身だ――――
「…………なら、尚更だね」
「……比奈ちゃんっ?」
「私だって一緒だよ。私も、みんなといるこの場所が大好き。一緒に過ごした時間はまだまだ少ないけど……こんなに楽しいって思えたこと、初めて」
倉畑の表情も、声色も、いつもと何一つ変わらない。
ただいつも通り、慈愛に満ちた笑みで。長瀬の手を握る。
「もし、サッカー部の人たちに勝てなくても……これからも、ずっと友達だよ、私たち。愛莉ちゃんのこと。二人のこと。もちろん、廣瀬くんも、大好き」
「……うん……っ!」
「だからって、自分のことを卑下したり、夢を諦めたりする必要はないって思う。だから、約束。もし勝てなくても、フットサル部はちゃんとやろっ?」
「……で、でも……っ」
「でもじゃなーい。私だって、あんなに色んなこと教えられて、全然興味が出ないとか、言えないんだから。何かに熱中するのがこんなに楽しいって、愛莉ちゃんたちが教えてくれたんだよ」
「比奈、少し回りくどいですよ」
一番、この活動に関心を示さなかった。そう見えていた奴まで口を開くのだから笑える話だ。
最も、彼女のことをずっと勘違いしていた俺が言えたものじゃないが。
「つまり、勝てば良いのです。無論、それが簡単ではないことは分かりますが。それが貴方という人間を。そして、このフットサル部という曖昧で、不安定な存在を確かなものにする唯一の手段でしょう」
「……楠美さん?」
「琴音で結構です。勘違いしないでください。それは、目的ではありません。そこに向かおうとする、あくまでも姿勢の問題です。成功しようが失敗しようが、その過程は、貴方にとって必要なものなんでしょう?」
まぁ、半分本当で、半分嘘なんだろう。
無謀にも的あてで俺に勝負を挑んできた奴が言う台詞じゃない。
「だいたい、貴方は責任を取るべきです。私の貴重な時間をこれだけ割いて、今更結果はどうでもいいなど、許されません。そうでしょう」
「琴音ちゃん、こないだ教則本買ってたよね、そういえば」
「…………そういうことです。貴方や、あの人の存在。そしてフットサルという明確な幹があってこそ、この集団は成り立っているんです。それを支えに出来ないから……いよいよ役立たずですから。私は」
負けず嫌いにもほどがある。
でも、彼女にとっては十分な理由なのだろう。あまりにも。
「理由が不純だったことは、まぁ、認めます。ですが、こうしてこの場にいることを、決して悪くは思いません。理解が追い付かないことは多々ありますが、それを差し引いても、皆さんとの日々は、中々に刺激的ですから」
「……くすみんから比奈ちゃん以外の理由を初めて聞いた気がする、あたし」
「とにかく、私が私の意志でここにいることは理解しておいてください。そして、それを焚き付けたのは、貴方と、あの人なので。勝てばいいんです。そうすれば、あの人も頭を地面まで下げてここに戻りたいと懇願するでしょう」
俺が土下座をするのは奴にとって確定事項なのか。
「まっ、そーゆーことだよね。長瀬は自分をカダイヒョーカし過ぎってわけ」
「……なっ、なによ」
「まーー、アンタがサッカー以外の脳が無いのはさ、みんな分かってるわけよ。それでいて、自分の意志でここにいんの。あたしもなっ!」
お前は良いよ。いつも同じ調子で。
けど、いつかパンクしそうで、俺は心配だ。
「ゆーてあたしもな、話す相手は沢山いっけど、特定のグループとか、そういうの無いんだわ。だから、今のあたしにとってフットサル部は、結構大事なポジションなわけよ。分かる? あんだーすたんっ?」
「……急になによ、ホント」
「だぁぁーーっ! もうっ、イジイジすんなボケっ! 一回しか言わないから聞けよ! あたしもなっ、このチームめっちゃ好きなんだよっ! 全然噛み合わないし、色々めちゃくちゃだけどさっ! でも面白いのっ! 全部フラットでさ! 居心地良すぎんだよっ! たかが一回、サッカー部に負けた程度で、壊れるかっつうの!」
その意見は、大いに賛成したい。
居心地が良すぎるのだ。だから、余計に息苦しい。少なくとも俺にとっては。
「それには、長瀬もハルも必要なんだよっ! あたしらがやることは変わんないっ! もう今週だよ試合っ! 死ぬほど練習して、勝ちに行くだけっ! あたしら、一緒でしょ! 欲張りなのっ! 結果も、仲間も、全部欲しいっていう……そんだけ!」
「…………そう、かもね。うん。そっか。みんな、一緒なんだっ」
涙を無理やり袖で拭って、呆れたように笑う長瀬の姿は、多分、今まで見たなかで一番綺麗で。
ポツリと呟いたその一言に、少なくとも半径5mのなかにいる人間の悩みを解決するほどの威力があることを、当然ながら俺も気付いていたのだけれど。
「ハルもそうだよっ! きっとそう! 負けるくらいなら、さっさとテッタイして仲良しこよししたいだけっ! うん、そうに違いないっ!」
「あ、あははっ……そ、それはどうなのかなぁ……?」
「意地を張っているのでしょう、彼も。私には分かります」
好き勝手言いやがって。なんも知らねえ癖に。
「確かに、ああ言い出したのはえーって感じだったけど……でも、ハルも悩んでると思うよ。何だかんだあたしら連れてきたのハルだしね」
「いきなり試合することになっちゃったから、責任感じてるのかな」
「試合云々を言い出したのは貴方では?」
「あ、そっか」
「……まだちょっとムカつくけど、でも、アイツも本心で言ったわけじゃないと思う。だから、私は信じるよ。信じてみたい。試合までに、戻って来てくれるって。ハルトも……私と一緒なんだって、信じてる」
「…………うんっ。私も、信じてるよ。廣瀬くんだから、きっと、大丈夫」
「おー。ハルなら大丈夫っしょ」
「…………ゴレイロの練習相手が居ないので、戻ってこられないと困ります」
なんも、知らん癖に。
(…………知らなかったのは、どっちだよ。馬鹿が)
これだけ言われたって。知ることが出来たって。
その足は一向に、その場を離れようとしない。
動かないのだ。これは何が原因かというと、ひたすらに足りないものがあって。
彼女たちは、動き出した。明日に向かって。限りなく、足並みを揃えた状態で。
一方どうだ。俺は、まだ戸惑っているのか。
震える理由は、ただ一つしかない。
知らなかった。知らなかったのだ。
無償の愛が。信頼というものが、ここまで重いものだなんて。
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