美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい

平山安芸

すっごい憎たらしい顔



「……廣瀬さんっ?」


 甘ったるい声に、思わずハッとする。
 机に向かっていたはずの早坂有希は、気付けばこちらを不安そうに見つめている。


 時計の針は八時半のまま止まっていた。時間としては、さほど経っていない。
 夢うつつというわけでもないだろうに、頭はフワフワしたままだ。


 嫌なことを思い出すのは止めよう。
 目の前にあるのは、可愛らしい彼女の顔だけ。間違っても週刊誌のケバケバしい女ではない。




「ごめん、どこだっけ」
「いま終わりました。採点お願いしていいですか?」


 手渡されたプリントと、回答集を交互ににらめっこ。
 すべて、滞りなく正解している。なんの問題もない。


 勉強は好きでもないが嫌いでもない。
 答えが必ずあるのだから、どのようなプロセスを通過しても、辿り着く先は決まっている。
 素晴らしいものだ。答えがあるなんて。
 人生に教科書があるなら、幾らでも出して何冊分でも買いたいところだが。




「おっけー。じゃ、いい時間だし今日はここまでにしようか」
「はい……あの、廣瀬さん」


 席を立った俺を、有希が呼び止める。


「今日の廣瀬さん、なんだか変ですよ。うわの空っていうか……心ここにあらずっていうか」
「……そう、かな」
「なにか、お悩みですかっ? 私、全然頼りないですけど。相談くらいなら乗りますよっ」


 健気に笑う彼女の顔を、まっすぐ見つめるにも耐え難い。
 普段はどこかボンヤリしているのに、こういうときだけ感は鋭いな。




「……悩みってわけじゃねえけど。まぁ、困ってはいる、かな」
「それって、私が聞いてもいいことですか?」


 返答に酷く困った。
 彼女には、なんの関係もない話である。つまらない男の詭弁だ。


 しかし、だからといって何も話さず家を後にするのも、なんだか気が引けた。
 有希になら、まぁ構わないか。なんて、ただの甘えだけど。




「……ちょっと、人間関係のもつれというか、なんというか」
「えっ……廣瀬さんが、人間関係で悩んでる……ってことですか!?」


 手で口を抑え、馬鹿みたいに驚いている。
 なんだ。俺には縁のない悩みだとでも、そう言いたいのか。失礼な奴め。




「その……廣瀬さんでも、そういうことがあるんですね。なんか、意外です」
「なんだよ。俺が友達おらんみたいな言い草だな。いねえけどよ」
「あっ、いや、そ、そういうわけじゃないですっ! そのっ、決して馬鹿にしているとか、そんなんじゃっ!」


 慌てて弁明する有希の姿を見て、思わず笑いがこみ上げる。
 彼女なりに、ちゃんと俺に向き合おうとしているのだから、いろんな意味で、もう、お笑いだ。




「ええよ、別に。その……なんていうかな。例えばの話だけど」
「はいっ」
「今から、お母さんに「偏差値75くらいの高校に合格しろ」って言われたら、どう思う? まぁ、数字はなんでもええけど」
「……どうしちゃったのかなって思います」
「あ、うん。悪い、例えが不味かった」


 俺でも答えづらい質問をしてどうするのかと。
 まったく、これだから会話というものは。




「……目標ってさ。ソイツの身の丈にあったものじゃないと、ピンと来ないだろ」
「そう、ですねっ。高すぎても、やる気が出ないっていうか、何をしたらいいか分からないですよね」
「……だよな。まぁ、それで困ってるんだけど」


 結局、フットサル部で起こっている出来事を、すべて話してしまった。


 なるべく、俺個人の感情が入らないように気を付けてはいたのだが。
 気付けば彼女らへの恨み節のような、愚痴のようなものになっていることに気付く。


 有希は、そんな俺の話を横やりも入れず、黙って聞いていた。




「つまり、廣瀬さんは絶対に勝てないって、そう思ってるってことですか?」
「……確率がゼロってわけじゃねえよ。でも、自信がねえ」
「なんだか、らしくないですねっ。廣瀬さん、いっつも自信満々なのに」
「…………んなことないだろ」
「ありますよっ。俺に出来ないことは無い、みたいな感じです。いっつも!」


 悪戯に笑う彼女は、席を立ち箪笥の上にある写真を手に取って、こちらに戻ってくる。




「これ、お母さんが見つけたんです。ほら、ワールドカップのときの」
「……若っ」
「まだ数年前の写真じゃないですかっ。確かに、大人っぽくなってますけどっ」
「……嫌な顔してんな、ホンマに」
「ゴール決めたときのですよね? 見てくださいよっ。すっごい憎たらしい顔してますっ」


 恐らく、週刊誌かネットニュースの写真だ思われる。
 サポーターが待つゴール裏へ、軽やかに走る俺。確か、準々決勝だっただろうか。
 相手ディフェンスをほぼ一人で抜き去り、最後はキーパーも交わして無人のゴールへ。
 両手を広げ、おもむろに舌を出し笑みを浮かべるその姿は、どうしたって苛々を募らせる。


 あの時ほど、自身の万能感に浸っていた頃は無いだろう。
 確かに、そうだ。なんでも出来る。そう思っていた。あの頃は、な。




「確かに、この頃の廣瀬さんと、今の廣瀬さんは違うかもしれないですけど……」


 写真を机に置いた彼女は、椅子にちょこんと座って俺の手を握った。


「でも、なにも出来ないなんてこと、絶対に無いです。私、全然詳しくないですけどっ」
「廣瀬さんがボールを持ったときだけ、こう、ぶわーって……周りの空気が、変わっちゃうんです」
「映像しか見たことないから、実際どうなのかは分からないですよっ? でも、なんていうのかな……なにか、凄いことをしちゃうんだろうなって、そんな気になっちゃうんです」
「実況の人も言ってました。「ピッチに魔法をかける」って」




 とっくの昔に解けている。そんな魔法。


 なんて、言えなかった。彼女の笑顔が、あまりに眩しすぎて。
 故に、直視などできない。言葉さえ、真っすぐ向けられない。
 それを奪ってしまうほど、俺は残忍にはなれなかった。


 或いは、単純に照れていたというだけのことかもしれないけど。




「根拠なんて、大したものじゃないですけどっ。でも、廣瀬さんなら出来るって、私、思いますっ」
「……その自信はどっから湧いてくるんだよ」
「分かんないですけどっ! でも、そう思ったんだから、しょうがないじゃないですかっ!」


 どいつもこいつも、今の俺に期待過ぎだ。
 あの頃の俺が、とっくのとうに消えて居なくなっていることなど、考えずとも分かるだろうに。
 俺が。俺自身が一番分かっているのだ。




「……そんなに、強い相手なんですか?」
「んなことは、ねえけど」
「じゃあ、大丈夫ですよっ。チームメートの方も、凄い人がいるんですよね?」
「……それを数万倍に薄めた初心者もいるけどな」
「廣瀬さんなら、きっと上手くフォロー出来ますよ。それに、初心者の方も、なんとか力になれるようにって、頑張ってる筈ですからっ」


 それは、分かってる。分かってるつもりなんだけど。


 むしろ、逆だ。
 今の俺では、彼女らの期待に応えられない。
 何をどうすれば、上手く行くのか。何一つ、見えてこないのだ。




「……つまり、とにかく頑張れってわけだな」
「えーっと……はい、その、そういうことですっ。ごめんなさい、相談、乗れてないですよね……」
「いや、えーよ別に。最初から期待しとらんかったし」
「えっ、えー! それは、ちょっと酷くないですかっ!」
「でも、ありがとな。聞いてくれて」


 彼女の頭をポンと撫でると、それまでの勢いはどこへやら。
 身体を丸めて、恥ずかしそうに口を摘んだ。調子に乗りよって。この。




「……あの、廣瀬さん」
「んっ」
「フットサル部、辞めちゃうんですか?」




 潤んだ瞳で見上げたその先には、どんな顔が見えているのだろう。
 少なくとも、彼女が期待している答えを俺は持ち合わせていなくて、返答に、酷く困った。




「……分かんね。そんなの」
「辞めちゃったら、私っ、困りますっ。入る部活、無くなっちゃうじゃないですかっ」
「そんなの、他んとこ入ればええやろ」
「でも、困りますっ。それも、モチベーションの一つですから。廣瀬さんが言ったんですよ? 廣瀬さんの後輩になるっていうのが、その……私の身の丈に合った目標なんですからっ」
「…………一本取られた」
「だからっ、頑張ってくださいっ。応援してますからっ!」




 無理だ。辞める。そう伝えるだけで、俺はどれだけ楽になれるのだろうか。
 少なくとも、彼女の笑顔を奪うことが解決方法なら。
 それは、今は。今だけは違うのだと。そう思った。




「……ていうか、有希」
「はいっ?」
「なんで俺の写真なんか持ってんのお前」
「…………あっ、いや、あの、そそそ、それはっ、あのっ、違いますよっっっ!?!? ただ、なんとなく、飾ってただけでッ!! ホントに、それだけですからッ!!」




 一際大きな声は、下の階にいる早坂母を誤解させるに十分な代物であった。







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