美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい
分かってんだよ
「手の形は、こう。三角形を作って、ボールを取る」
「こう、ですか」
「そうそう。転がってきたのは、小指を付けて、そうそう。なんや、意外とセンスあるな」
「ばっ、馬鹿にしないでください……これくらい、誰でも出来ます」
「じゃ、今から実際にシュート打つから」
「いえ、ちょっと待ってください。心の準備がっ」
どれだけ真面目に練習しても、恐怖心はある。その辺り普通の人間で非常に安心していた。
その後は、倉畑が円滑にパス回しを出来るよう二人がレクチャーし、俺が楠美の指導に回っている。
初心者らしくグダグダではあるが、倉畑もだいぶボールの扱いには慣れて来たようで。
サッカー部との試合でも同じことが出来るかと言えば甚だ疑問だが、こればかりは積み重ねだ。
楠美には、いきなりシュートを打つのも可愛そうなので、ボールを投げキャッチさせる。
加えて、飛んできたボールを外に弾く練習を。
実際の試合では、確実にキャッチするより外に弾いた方がずっと楽だし、実用的だ。
「ほいよ」
「……えいっ」
結構厳しめのコースに投げたボールを、しっかり弾き出す。
本物のシュートはこんなものでは無いが……練習初日なら及第点だろう。
「……反射神経はええな」
「なんですか。それ以外が悪いとでも言いたげですね」
「いや、悪いって。そんな全身で止めに行かんでも、腕伸ばせばええから」
「……はぁ」
「まぁ、初めてでこんだけ出来んなら十分やけどな。センスはあるわ。うん」
「…………それはどうも」
少し照れたように、顔をプイッと逸らす。
普段からこれくらい汐らしくしていれば、ダントツでタイプなんだけどな。どうでも良い話である。
「あ、もう時間じゃん。はーい、今日はこれで終わり-」
「ハルぅー。比奈ちゃん超上達したよー」
「おー。見てた見てた」
片付ける物も無いので、撤収も早い。
本当なら、ビブスとかマーカーとか色々使いたいところだけど。
この人数、この練習レベルではあっても宝の持ち腐れ。いずれは使いたい。予算があれば。
「……ハルト、その」
「はいはい、出す出す」
「ありがとうっ! これで今日は晩御飯作れるっ!」
「困窮し過ぎだろ……」
もうこの際、彼女の金銭事情には口を挟まないこととする。
着替えと支払いを終え、全員揃って駅に向かって歩く。
金澤が自動販売機のアイスを買って、それに便乗して倉畑と楠美も買っていた。
長瀬は、それを見ているだけ。見かねた倉畑が半分分けていた。それだけの金も無いのか。泣ける。
「……3週間、か」
「もう切っちゃったけどね。どーする? これ、毎日練習しないと間に合わんて」
アイスをペロペロと舐めながら、呑気な声で金澤がボヤく。
夕焼けの和やかな雰囲気のせいか、タルそうな声のおかげか、重たい空気にならず済んでいるが。
「それはそうだけど……でも、時間も場所も限られてるしな」
「二人とも、お家でも出来れば練習してほしいかなって……ダメ?」
「うん、分かった。あ、でもどうやって練習すれば良いかな」
「長瀬、ボール貸してやれば」
「あ、うん。それもそうね」
ネットに入ったボールを倉畑に手渡す。
ボール、一個しか無いんだよな。不便なこった。やはり買わないことには。
……まぁ、あるっちゃあるけど。あんまり人前で蹴りたくない。
それに、普通のサッカーボールだし。大して練習にもならないだろう。
「くすみんはほら、イメージトレーニングでも結構出来ること沢山あるからさ。我慢してな?」
「……分かりました。やるだけやってみます」
「絶対に、絶対に勝つからっ。私がずっと点取ってれば、二人の仕事も最小限でしょ?」
「いやー。どう考えてもあたしの方が活躍するね。ねーハルっ」
「……負けないからっ! アンタには、絶対ッ!」
「おーん!? 掛かってこいやッ!」
「相手間違えんなよ」
二人が競い出して点を取るような展開になれば、それはそれで楽なんだろうけど。
お世辞にも、今日見た限り二人のコンビネーションは……時間が解決すれば良いが。
本当は、ここで俺が言い出さなければいけないのだ。
いつも通り。あの頃と同じように。「俺がいれば、絶対に勝てる」と。
けれど、心はそんな言葉を否定した。言いたいけど、言えなかった。
右横を電車が通り過ぎて、二人の言い争う声が掻き消される。
「無駄な、悪足掻きだよ。ホンマに」
代わりに出て来た言葉が、あまりに女々しいもので、いよいよ泣きたくなった。
そんな俺の呟きも、きっと、彼女らには聞こえなかったのだろう。
* * * *
良い場所を教えて貰った。
誰もいない、真夜中の公園。外側の草むらのなかに、ごそごそと手を突っ込む。
数秒と掛からずにそれは発見された。
土で汚れ空気も抜けつつある、小さなサッカーボール。
わざわざ、原付を飛ばしてまでここに来た意味は、果たしてあるのかどうか。
分からない。分からないけれど、全て無駄ではないと、どこか信じている自分が、まだどこかにいた。
手に取って、すぐに地面に転がしてみる。
回転に違和感のようなものは感じられない。
空気はまた次の機会に入れておけばいい。どうせ使うのは俺と長瀬だけだ。
「…………雨、ではないか」
次第に風が強まってくる。
元々それらしい形を成していなかったエセパーマ状態の髪の毛も、横風に吹かれ歪になっていく。
足元には多少ばかりの寒気を生じさせた。
仕方もあるまい。下半身は動きやすいようにと、膝が少し掛かる程度のパンツしか着ていないし。
ここまですれば、誰がどこから見たって運動でもするのかという格好だ。
人に見られたって、言い訳も出来ない。
誰にするんだ、とも思うけれど。
今や俺のことを知っているのは長瀬達を除いて、ほとんどいないどころか皆無である。
そう、この街には。
それとも或いは、自分自身に対するものだったのかもしれない。
ずっと心に残っていた想いを、決して否定しないように。
さながら鎖で繋ぐような、暗示に近い。
「……よっと」
足裏でボールを引き、つま先に乗せて小さく浮かせる。
大した作業ではない。このあとが重要だ。こんなところで躓いたら、もうヤル気なんて起きない。
ポン、ポン、ポン。と、気の抜けた反発音が夜の公園に響き渡る。
思いのほか、半年ぶりのリフティングは続いていた。
右足は勿論、左足もそれなりに上がる。痛みも感じない。
ここまで来るまで、本当に長かった。半分以上、自業自得なんだけど。
やはり一度染みついたものは、そう簡単には忘れない。
ちょっと文系の大学行ったからって√の使い方くらい覚えてるだろう。そんなものだ。
だが、これで安心してしまっては元も子もない。
俺が目指すべき、目指さなければならない場所はもっと遠く、高いところにあった筈なのに。
左足のつま先だけで、軽く突っつくような形に切り替える。
特に身体のバランスが崩れるようなこともないし、続けるだけなら永遠と出来るだろう。
でも、それじゃ納得いかない。
「…………っ……!」
高く、高くボールを蹴り上げた。
身長の5倍にも届きそうなところまで登って、下降し足元へと戻ってくる。
そして一瞬のタッチと共に、再び空高く舞い上がる。
何回繰り返したって、答えは同じだった。
もっと、もっと、もっと高く。そう思えば思うほど、脚は上がらない。
バン、バンと、ボールが土を叩く。
ついに差し出すことも辞めてしまえば、無情にも地面へ叩き付けられるだけ。
「…………分かってんだよ、そんなの」
これが現実。
俺という人間の前の突き付けられた、どうしようもない事実なのだと。受け入れるしか無いのか。
そうじゃない、俺はまだ、まだ。
そんなところにまでは落ちていない。否定したくて。
こんな喪失感、さっさと拒絶したくて。
再びボールを上げ、天高く蹴り上げる。
上昇を続けるボールの少し先には、それなりの高さと傾斜を誇る滑り台が見えた。誰が使っているわけでもない深夜の遊具なら、迷惑も掛けられない。
山頂で子供たちが座るスペースには、転落防止用にしっかり壁が張られている。その大きさは、そうだな。ボール一つ分、あるかないかというくらいだろうか。
距離は5mも離れていない。まさか、あれくらいなら当てられるだろう。何十メートル以上も離れた場所から、誰かに向かってボールを蹴ることくらい、日常の一つであった俺には。
出来ない筈が、無い。筈、なのに。
「………ッ!」
視界が揺らぐ。
いつどんなときだって丸いままのボールは、どこか角ばって見えて。
雲一つない澄み切った空は、グレーの模様を描き。
やがて、全てを疑いたくなった。
俺は今、なにを見ているのか。なにが見えているのか。
ついには、たった唯一の存在価値であったその身体すら、水に溶けていくような。
弾けるような破裂音が公園に響き渡った。
いや、本当に破裂しているわけじゃ、無いんだけれど。
だがそれは、どこか遠い場所に飛んでしまった心を現実に引き戻すには、十分すぎるほどで。
転々と地面を転がり続けるボールを、なにか虚ろな瞳で眺めていた。
でももう、それすらあやふや。
なにを考えているのか、なにをしていたのかすら思い出せない。
そうか。
今、この一瞬だけ。俺は思い出そうとしたのだ。
ただ真っ直ぐ、輝かしい未来だけを見つめていた、あの頃の自分のことを。
ひたすらに、喜びだけを追い求めていた。一番なりたくて、輝きに満ちていた俺を。
でも、もう、駄目だった。思い出せなかった。
髪の毛を揺らす静かな風が、動きを止めたボールと、空っぽの心ごと。
どこかへ連れて行ってしまった。そんな気がして。
無力な身体と心ごと、風に飛ばされて消えた方が、ずっと楽だった。
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