美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい

平山安芸

お姉さんビックリ☆



 峯岸を全力で引っ張ったまま、皆がこちらの様子を確認できない階段の踊り場辺りまでやってくる。
 放課後の中途半端なこの時間帯に、誰かが通りかかることもそう無いだろう。


 手を離し、峯岸を壁側に追い詰める。
 傍から見れば余計な勘違いをされてもおかしくない構図だが、生憎そんなつもりは一切無い。
 それどころか俺は、焦りとある種の恐怖で、頭もいっぱいいっぱいだったのだ。




「ちょっ、いってぇテメェ……無理やり引っ張んなっつうの。いや、そういう強気な態度は先生、大好きだけどな? でも最初はまず年上がしっかりリードしてっ」
「黙れ。それ以上、無駄口を叩くな」
「…………へぇー。となると、本当に`あの`廣瀬陽翔なんだな。いやぁ、お姉さんビックリ☆」


 舌を出すなブッ飛ばすぞ。


「…………なんで知ってんだよテメェ」
「あー、私サッカー観るの普通に趣味だから。なら別に、世代別のワールドカップとか観ていたって、不思議じゃないだろぉ?」


 懸念していた予想が、最悪の形となって表れてしまった。


 いくら俺の名前が「一定のレベル」では知られていたとしても、まさかプロにすら掠らなかった人間を、それも一介の教師が知っているなんて思わないだろう。


 フットサル部の顧問としては最適なのかもしれないが、これは不味い。
 あんなことを、アイツらが知る必要は無い―――




「いやぁ、となるとおかしい話さね。なぁ、廣瀬くん」
「あん、なにが」
「浅い知識で申し訳ないけど……」


 そう言って、肩の埃を手で叩き、着ていたワイシャツの皺を伸ばす。


 仕草一つ一つが、なにか俺の考えていることを全て見抜いているような。
 底が見えない、理解し得ない恐怖を感じさせた。




「少なくとも私が知っている限りでは、廣瀬陽翔っていう選手は今後の日本サッカーシーンを間違いなく背負うであろう、10年……いや、20年に一人の「原石」だったと思うんだけど」
「…………そんな時期もあったかもな」


 否定はしなかった。でも、過去は過去だ。今は違う。




「忘れもしない、16歳以下の世代別ワールドカップ……ただ一人、14歳でメンバー入りを果たして、チームの攻撃の核としてベスト4入りに貢献。日本からは唯一の優秀選手賞も獲得した」
「…………忘れたわ、んなこと」
「まだまだあるぞぉ? そのままユースに昇格して、クラブユース選手権でもMVPに。15歳でトップチームの練習に参加して、高校1年にしてプロデビューの噂も立っていた……」
「…………」
「ところが、直後に出場したユースの大会で、数回に渡り危険なタックルを喰らい負傷退場……その後、一切の音沙汰なし」


 なにが、浅い知識だ。


「とまぁ、ここまでが私の知っている廣瀬陽翔という選手の経歴……なにか相違点は?」
「……特に」


 一句の漏れも無く完璧に解説しやがって。クソが。


 絵に描いたようなドヤ顔でこちらを見つめてくる。
 その様子と言ったらなんとも愉快気で、無性にブン殴りたくなるほどだ。
 煮え切るような腹の不具合をなんとか無視し、ゆっくりと言葉を選ぶように、俺は話し出した。




「なら、分かるだろ。わざわざ話さなくたって」
「ん。さしずめ、そのときの怪我が長引いたんだろう。しかし、納得行かないな。今だって私も引き摺りながら、軽くとはいえそれなりの距離を走ったじゃないか」
「…………別に、怪我ならとっくに治ってるわ」
「なら、なんでこんなところに?」


 あぁ、ついに。
 俺がこの半年間、一番言われたくなかったのに。
 なんで、わざわざ自分から引き出すような真似を。




「まぁ、話したくないのは分かるさ。でもよぉ、私もファン心理ってもんが働くわけで。なっ?」
「なっ? って……」
「……どうしても嫌か? 先生だってそりゃあ……話したくないことの一つや二つはあるけどね」


 嫌、とかそういう問題でもない。


 もっと根本的なところなのだ。理由なんて大事でも無い。
 本能と言えば少し聞こえは悪いけれど、つまりは論理的になる以前に心が拒んでいる。


 この足が元通りに動くことは、二度と無い。
 それだけ。ただ、それだけのこと。




「ねぇー二人とも-。内緒話とかやめよってばぁー」


 金澤を先頭に、連中がこちらまでやってきてしまった。まぁ、丁度いいタイミングだ。


「おぉ、悪い悪い。ちょっと廣瀬があまりにイケメンだったから、唾付けておこうと思ってさ~」
「は、はぁァっ!? なっ、なに言ってるんですか先生っ! ハルトはそんなカッコ良くないですっ!」
「えっ、そう? 髪の毛ちゃんと整えれば普通にクールガイだと思うけど?」
「違いますっ! 絶対にッ!!」


 もの凄い望外の角度から射撃されてるんだけど、長瀬さん。その言い草は流石に酷くね。


 峯岸も簡単に誤魔化している辺り、特に口外する気もないようだ。
 あり難いというか、まぁ大人として当然の責務だとは思うが。


 ただそれ以上に。いや、だからこそ。
 長瀬が目の前にいるからこそ、この話はもうしたくなかった。
 何故かは分からない。長瀬には、知られたくなかった。




「あー、そうそう、で、部活だっけ?」
「あ、はいっ。それで、ど、どうですか? 先生、顧問とか興味無いですか……?」


 ちゃんと会話しようとするとキョドるんだよなコイツ。はよ直せってその悪い癖。


「フットサル、ねぇ。また面倒なところに目を付けたな。良く集まったもんだ」
「それは、あたしの人脈だよ!」
「嘘付けて」


 こういうところは見習わなくていいけどな。


「あとは、顧問の先生だけなんです。どうですか?」
「んー。真面目な倉畑のお願いなら聞いてあげたいところなんだけどなぁ。ちょっと色々ねぇ」


 そう言って、俺の方へ目配せする峯岸。なんだ、俺のせいだってのかよ。


 峯岸の言いたいことは、分からんでも無い。
 彼女は教師である以前に、ファンでもある。つまり、俺に言いたいことは、そういうことだ。




「まぁ、考えてはおくよ。せっかく新しいこと始めようってのに、大人の事情ってのも可哀そうだからな」
「それも良いのですが、先生はまず、風紀委員の会議に出席するとこから始めてみては如何ですか」
「分ぁーかったって! そこんとこ楠美信用してっから、まぁいいんだよっ! ほら、もう下校時間だ、生徒は帰った帰った」


 邪魔だとでも言うように手を振り、階段の方へ追い払う。
 長瀬は終始納得のいかないような顔をしていたが、チャイムの音と共に「取りあえず行こうか」と全員を引き連れていった。


 俺と峯岸の二人が残る。彼女の顔を見る気には、あまりなれなかった。
 余計な気を遣いそうというか、ロクなこと考えてないだろうなというのは既に分かり切っていた。




「今度、ゆっくり聞かせてくれや。ほらぁ、溜まってるモンもあるだろぉ?」
「アンタの世話にはならねーよ」
「はっはっは。教師が頼れっつってんだから、素直に甘えろアホが。まぁ、それに……」


 階段下の長瀬達を見つめるその瞳には、思いを馳せるような哀愁を孕ませていて。
 彼女が何を考えているのか、そんなの見当も付かないけれど。




「…………ここが、正解だと思ったんなら、それでもいいよ。でも、どうなんだよ?」
「正解?」
「お前のことは、お前が一番分かってる筈さね。なに、まさか「女の子に囲まれて嬉ちい~」とか言うタイプでもねーだろ?」
「…………そうかもしれねえぜ」
「はっ、良く言うよ」


 峯岸に背を向け、さっさとその場を去るつもりだった。


 不愉快だった。
 彼女に全てを見透かされていることも。
 分かり切っている答えに、答えを出せない自分も。全てが苛立って仕方なかったのだ。




「今の俺は、今ここにしかおらん。あの頃の俺は、ここにはいねぇよ」




 まるで捨て台詞だ、なんて自虐的になる前に、俺は階段を下へ降りようとする。


「本当に、お前は`そこ`にいるのかね、廣瀬」




 そんな峯岸の言葉が聞こえたけれど、聞こえない振りをしていた。





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