美少女に恐喝されてフットサル部入ったけど、正直もう辞めたい
美味しいケーキは私を幸せにする
午後から降り出した小雨により、放課後の初練習は中止となってしまった。
長瀬と金澤は特に悔しがっていたが、初心者二人をいきなりずぶ濡れのなか練習させるのも酷だろう。
結局、練習は水曜まで持ち越しとなった。
俺としては、気楽で良いのかどうかも分からない。既に毒されている証拠だ。
月曜の夜は、俺にとってもう一つ大切な用事が入っている。
大家の親戚の中学生に勉強を教えるという、家庭教師のような何か。
週二で日給5000円。正直、並の高校生には高すぎる金額だ。
果たして仕事と言っていいのかは微妙なところである。相手も相手だし。
「あのっ、廣瀬さん。ここなんですけど……ジェシカの好物はってところです」
「んー。あぁ、これはほら。makeA Bって教えただろ。AをBにするっての。下線部ちゃんと読みな」
「『美味しいケーキは私を幸せにする』ってことですかっ?」
「そーゆーこと」
「あ、じゃあケーキで良いんですね」
勉強机に向かう彼女の隣に座り、分からなかったら雑に解説。これだけの仕事である。
汚れ掛けた眼鏡をワイシャツで拭い、再び問題集を解き始める彼女を捉えた。
早坂有希は現在、中学三年生。受験対策真っただ中の可憐な少女である。
肩まで掛かる茶髪掛かったミディアムショートは彼女の母親によく似ていた。
まだまだ顔は幼さが残るが、もう少しすれば長瀬たちに匹敵する美人になるだろう。
僅か2時間ほどのレクチャーだが、彼女とのやり取りすら俺にとって日常の数少ない会話機会である。で、あった。
「なぁ有希。お前、本当に山嵜行くんか」
「えっ……もしかして、今の偏差値じゃ足りないですか……?」
「いや、逆や逆。もっと上も狙えると思うけど、なんでまた山嵜なんや」
「そっ、それは……えと、施設も充実してるし、制服も可愛いし、いい学校じゃないですかっ!」
「あ、そう……ならええけど」
慌てて理由を説明してくれた彼女の顔は、林檎のように真赤になっていた。
何か他に、明確な志望動機でもあるのだろうか。言いたかないなら聞かないけど。
というか、俺が家庭教師として勉強を教え始めた頃は、もっと上の高校を志望していた筈で。
よほど山嵜に惹かれたものがあったんだろうな。まぁ目標があるのは良いことだ。俺と違って。
「あの……すっごくどうでもいいこと聞いてもいいですか」
「うん、どした」
「やっぱり、1年生と上級生って、そんなに関わるところとか少ない……ですよね?」
「俺の知る限りでは、ほとんど無いな。体育祭もクラス対抗だったらしいし」
「らしいっ、ですか?」
「サボったし」
「えぇっ! 駄目ですよ、ちゃんと出ないと!」
こういうしょうもない話に全力で応えてくれる存在、大切にしたい。
いや、でも、どうしようもないのだ。そもそも体育祭は日曜開催だったらしく。
そのことを知らなかった俺は、普通に寝て過ごしていたのである。
で、月曜登校したらその話題で盛り上がっていて、あ、終わったんだなと。
しかも聞き耳立ててみたら、昨日の出来事とか。
誰も教えてくれなかったんだぞ。もはや笑うわ。
「じゃあ、あとはやっぱり、部活動とかですか?」
「まっ、そーなるな」
「そっかぁ……でも廣瀬さん、部活やってないんでしたよね」
「…………いや、最近始めたぞ。部活。入った。多分」
「多分……?」
「入らされたというか……」
この数日の間に起こった出来事を正確に説明できるなら、俺はコミュニケーションで悩んだりしない。
「ちなみに、どんな部活ですか?」
「フットサル部、やな。うん。一応」
「へぇーっ! 廣瀬さん、サッカーやってたんですもんね。そっかぁ……」
彼女は俺が関西でサッカーをしていたことを既に知っている。大家から聞いたとかなんとか。
ただ、何故こちらに来たのかまでは知らない。話したくもないし。
彼女もそんな鬱々とした昔話には興味無いだろう。
有希は下を向いたまま何やらブツブツと呟き始めた。
お喋りが苦手だから、こうやって頭のなかを整理しているんです。とは本人の弁だが。
こうして近くで見ると、結構ヤバい奴感はある。
落ち着きがあるようで無い、不思議な子だ。
「……それ、来年もありますか?」
「フットサル部? まぁ、全員2年だしあるんじゃねえの」
間違いなくあるとは言い切れなかった。
そもそもまだ部活動として成立していないとか、ここで言うべきではないだろう。俺が知りたいわ。
「私も、入っていいですか? フットサルよく分からないですけど、運動部なんですよね?」
「そりゃまぁ……いや、他にも色々あるし、考えなって」
「いいんですっ。高校で何か新しいこと始めたいなって、丁度思ってたんですから」
「あ、そう……」
「それとも、ごっ、ご迷惑ですか……っ?」
少し潤んだ目でこちらを見つめてくる。
なまじ容姿が整っているから、あまり直視されると目のやり場に困るのだ。
いくら年下の中学生とはいえ、可愛いものは可愛い。
長瀬くらい可愛げが無かったら、もうちょっとマシな対応も出来るだろうが。
「い、いやいやいや。そんなことないて。むしろ有希が入るなら俺もやりやすいっていうか」
「ほっ、本当ですかっ!」
「あ、あん。まぁ期待しないでおけ」
「分かりましたっ! 絶対に合格しますからっ、わたし!」
瞳に闘志を宿らせ、再び問題集と向き合う有希。
俺と同じことやって、なにが面白いのだか。
こんなに可愛らしい顔してるんだから、男なんぞすぐに寄って来るだろうに。
…………分からんものだ。中学生の気持ちなんて。
俺だって、当時の自分のことをよく覚えていない。
忘れた方がよっぽど身のためなのは、十分理解している。
午後8時を回り、授業と言う名のお喋りを終え早坂家を出ようと靴を履いていると。
彼女の母親がキッチンの奥からこちらへ掛け寄ってきた。なんだ。クレームか。
「待って待って! まだお給料渡してないんだから。もうっ、アルバイトなんだから忘れちゃ駄目よ」
「……あの、いっつも思うんですけど、ちょっと多くないですか? 俺、大したこと出来てませんし」
そのまま帰ろうとしたが見事に失敗した。手には薄手の封筒が握られている。
実際、たかが高校生に渡すには高すぎだろう。ひと月で4万だぞ。あっても使い切れない。
しかし早坂母は、そんな俺の言葉を否定するようにハッキリと首を横に振った。
「いいのいいの。有希も廣瀬くんが来てから勉強もしっかり頑張ってるし、感謝してるのよ?」
「はぁ……まぁ、納得されてるなら構わないんですけど」
「それに、廣瀬くんのことすっごく気に入ってるから……っていうか、大好きだし、あの子」
「いやいや、んなこと無いですって。中学生は怖いでしょ、男子高校生とか」
「あら、そんなこと無いわよ。なんなら今すぐ付き合ってくれてもいいのに」
お茶目にウインクする早坂母であった。
今更だが本当に若い。女子大生でも通用する愛嬌だ。
しかし、有希が俺のことを……いや、うん。見てりゃ気に入られてるのは分かるけど、流石にそれは。
「まぁ、有希さんが真剣なら俺も考えますけど。高校入ったら彼氏ぐらいすぐ出来ますよ。美人だし」
「それが廣瀬くんなら私的には願ったり叶ったりなんだけどなぁ?」
「あははっ……」
愛想笑いでその場をやり過ごす程度の人間だ。勘弁してくれ。
早坂家を後にして、原付に乗り込みそのまま帰路に着く。
雨はほとんど収まっていた。行きは辛かったけど、交通費を考えれば安く付く。良い買い物だった。
(あ、晩飯ねえわ)
冷蔵庫の中身が空っぽになっていたことを思い出す。
スーパーはさっき通り過ぎてしまったし、他に当ても無いしな……コンビニで良いか。
自宅から早坂家は駅で5つほど離れており、この辺りの土地勘はほとんど無いのである。
というか、自宅近辺以外は全く知らない。倉畑と行った上大塚の用品店も、たまたまチラシで知っただけだし。
すぐ近くにコンビニがあったので、原付を止め店内へ。
さて、どうしたものか。お金の心配はいらないが、かといって貰ったばかりの5000円を使うのもな。
あ、なんだ唐揚げ串あるやんけ。もうこれでいっか。大して腹が減ってるわけでもないし。
後は…………あれだな。店員があまり関心の無いタイプだと良いけど。
「すいません、唐揚げ串一つと、73番を」
「あ、はいっ! からあげと、73番ですねっ! 少々お待ちをっ!」
居酒屋かよ。
やたらテンパる女性の店員。顔見てないけど、まだ若そうだったし、入って数日ってところか。
研修バッチっぽいの付けてたな。今は人いないけど、割と忙しい時間帯にワンオペとか可哀そうに。
カウンターから商品を取り出そうと悪戦苦闘している。がんばれがんばれ。
「えと、73番でしたよねっ! これで合ってましたっ―――あれ」
「…………あっ」
「え、ハルト? なんで?」
いや、こっちの台詞なんですけど長瀬さん。
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