暗黒騎士物語

根崎タケル

マンティコア

 クロキはドズミに紹介された宿屋で休む。
 出た方が良いとは言われたが、この国で確かめたい事がある。
 そのため、この国から出る事はできなかった。 
 夜になり、寝ている時だった。クロキは敵意を感じ、起き上がる。
 この世界に来てから、感覚は鋭敏になっていた。
 自らに敵意を向けている者を感じ取る事ができる。

「クロキ様。何者かが部屋を取り囲んでいるみたいでヤンス」

 クロキの横で寝ていたナットもまた起き上がる。

「ナットも気付いた? おそらく、昼間会った人達の仲間だよ。確かゲンドルだったかな」

 クロキはドズミから聞いた男の名前を思い出す。

「ああ、あの人間ヤーフでヤンスか、何しに来たでヤンスでしょうか?」

 ナットは首を傾げる。
 ナットから見て人間は下等な生き物だ。
 その下等生物の仲間と思われる者達がこの宿屋を取り囲んでいる事を不思議に思う。
 クロキは窓から外を見る。
 暗視ダークヴィジョンの能力を持つクロキの目なら夜でも昼と同じように見える。
 観察するとかなりの数の人間が宿を取り囲んでいる。
 一番の狙いはナットだと思うが、敵意はクロキにも向けられているようだった。

「来て早々、こんな厄介事が降りかかってくるなんて」

 クロキは溜息を吐く。

「クロキ様に敵意を向けるなんて、愚かなヤーフでヤンス。八つ裂きでヤンス」

 ナットは可愛らしい容姿とは真逆に物騒なことを言う。

「いや、さすがに殺すまでは……、でも、反撃はさせてもらおう。行くよ、ナット」

 クロキはそう言うと着替えて外套を身に付ける。
 そして、素早く窓から飛び降りると、取り囲む影達に向かう。
 取り囲んでいた者達はクロキが急に出てきたので驚く顔を見せる。
 武装をした大男だ。
 しかし、この世界の人間はクロキの敵ではない。素手で簡単に叩きのめす事ができる。

(悪いけど、少し痛い目に会ってもらう!)

 建物の陰にいた男を叩きのめすとクロキは次へと移る。
 クロキは数名を叩きのめしたところで、知った顔に出会う。昼間ゲンドルと一緒にいた男だ。
 その周りの男達を叩きのめしたところで、知った顔の男の前に立つ。

「馬鹿な? 何だ、お前は?」

 一瞬の事だったので男には何が起こったのかわからないみたいだ。
 しかし、クロキは説明する気はなかった。
 この男だけ叩きのめさなかったのはゲンドルの居場所を聞くためだ。

「えーっと、色々と知っている事を教えて欲しいのだけど? 良いかな?」

 クロキは素直に答えてくれるとは思わなかったが、一応聞く。

「へへっ。そう簡単に答えると思っているのか。これを見な」

 そう言うと男は懐から何かを取り出す。
 それは拳ほどもある水晶石だった。

魔晶石ジェム!?」

 クロキは石を見て声を出す。
 魔力を持った石の事を魔晶石ジェムと呼ぶ。その石を使えば魔力を強化できる。
 男は魔術師のようであった。

「俺は元魔術師なんだよ。まあ、罪を犯して魔術師協会を追い出されちまったがな。少しは腕が立つみたいだが、これには敵うまい。鉛の如く重くなれ!」

 元魔術師の男が叫ぶと周囲の空気が変わる。

「なうっ!?」

 叫び声を上げてナットがクロキの肩から地面へと落ちる。

「ナット!?」

 クロキはナットに駆け寄る。

「大丈夫? ナット?」
「はい……。大丈夫でヤンス。でも動けないでヤンス」

 ナットはうつ伏せになった状態で何とか答える。

「それは大丈夫じゃないよ……。待ってて、今何とかするから」

 クロキは男を見る。
 男は驚愕した表情でクロキを見ている。

「馬鹿な……。なぜ? 動ける? お前も魔法の範囲に入っているはずだ!」

 男が叫ぶ。

(そんな事を言われても……。普通に動けるんだけど)

 クロキも含めて魔法を使ったみたいだが、クロキには全く効いていなかった。
 元の魔力が弱いのでは魔晶石ジェムを使ったところで、神族並みの魔力を持つ者には意味がない。
 男にはそれがわからない。

「ナットにかけた魔法を解いてもらえますか?」

 クロキは男に詰め寄る。
 ナットはクロキの仲間である。仲間を傷つける者を容赦するつもりはない。

「くそっ!」
「逃がすか!」

 クロキは素早く先回りすると、持っている魔晶石ジェムを弾き落とす。

「ひいい!」

 男は恐怖で目を限界まで開いて、尻餅をつく。

「ふう~。酷い目に会ったでヤンス」

 魔法が解けたナットが再び宙に飛び、クロキの横に来る。
 男が魔晶石ジェムを手放した事で魔法の効力がなくなったようだ。

「さて、本拠地まで案内してもらえるかな?」

 もしこのまま何もしないのなら、こちらも何もする気がなかった。
 しかし、襲ってきた。これでは降りかかる火の粉を払うしかないではないか。
 クロキは襲った者をそのままにしておく気はなかった。
 クロキは恐怖の魔法を使う。
 すると元魔術師の男の顔が青くなる。

「は、はい、もちろんですっ! 任せてください!」

 こうしてクロキは男の案内の元、黒の牙の本拠地へ向かうのだった。

 ◆

 黒の牙の拠点は外街の郊外にある。
 拠点となる建物は巨大で百名以上の人間を収容できる。
 ドズミもその建物に入った事があるが、入れるのは一階の入り口付近の部屋だけだ。
 ここまで奥に連れて来られた事はなかった。

(くそ、へまをしちまった)

 ドズミは同じ黒の牙の団員によって、クロキ達とは別に捕えられここに運ばれた。
 一瞬の事で抵抗する暇もなかった。
 ドズミが知っている以上に黒の牙の構成員は多いようだ。
 殴られ、拘束されたドズミは生きたまま、拠点に連れて来られた。
 乱暴に運ばれたので体のあちこちが痛い。
 やがて、広い部屋に連れて来られる。
 円形に造られた広い場所を中心に、すり鉢のように放射状に高くなっている。
 中心の広場の周りには、高い木製の壁が備え付けられている。
 そこはまるで、過去に一度だけ見た見世物小屋のようだとドズミは思った。

「ドズミ。お前が運んでいた積荷が行方知れずになっているそうだ? 俺は言ったはずだぞ。積荷に何かあったら責任を取ってもらうとな。おい、そいつの拘束を解け!」

 そんな声がすると左右にいた男が縄を解く。
 そして、そのまま男達はドズミを置いて広場から出て行く。
 拘束を解かれたドズミが顔を上げると木製の壁の上に団長のゲンドルがいる。

「団長……。俺をどうするつもりだ」
「決まっているだろう。処刑だよ。まあ、お前だけじゃないがな」

 ゲンドルが目配せすると、ドズミと同じ場所に誰かが連れて来られる。
 太った男と綺麗な女だ。
 ドズミはどちらにも見覚えがあった。
 太った男は商人崩れの運び屋だ。つい最近、護衛として、隣の国まで行った事がある。
 そして、女はゲンドルの愛人だ。

(どうして、この二人がここにいるんだ?)

 ドズミは疑問に思う。

「団長! 許してくれ! 出来心なんだ!」

 太った男が叫ぶ。

「駄目だ。エルネン。お前は団の金をちょろまかした。報いを受けろ」
「ひいいい」

 太った男エルネンが泣き出す。

「許して! 私はあなただけなのよ! お願い!」
「駄目だ、レネア。俺がいながら、他の男にも色目を使いやがって。手前のような尻軽は死ね」
「誤解よ! 私はあなただけよ!」
 
 綺麗な女が泣き崩れる。
 しかし、ゲンドルはレネアの弁解を聞くつもりないようだ。
 そんな二人の様子をニヤニヤと眺めている。
 笑っているのはゲンドルだけではなかった。
 木の壁の上には団の幹部達がいて同じように笑っている。

「おい。ところで、珍しいネズミを捕えに行った奴は戻っていないのか?」

 ゲンドルが少し苛立った声を出す。

「へい、もうすぐだと思います。報告じゃあのクロって野郎は逃げずにあの食堂に宿泊したそうです」

 ドズミはその言葉を聞いて驚愕する。

(何やっているんだ? 逃げろって言ったじゃないか!)

 しかし、今更言ってもどうにもならないだろう。
 あのまま宿泊したのなら必ず捕まるに決まっている。

「そうか、それなら良い。さて、ネグルが待ちくたびれているから、そろそろ始めるぞ。準備をしろ!」

 ゲンドルが言うと、近くにいた配下がドズミ達に対して何かを投げる。

「これは?」

 ドズミは投げ落とされた物を拾う。それは一振りの剣だった。
 投げられた剣は三つ。
 エルネンとレネアも剣を拾っている。

「おい! お前ら! 俺にも慈悲がある。今から出てくる奴を倒せたら、処刑を取りやめてやる」

 木製の壁の一つが開かれる。すると壁から何かが出てくる。
 それは巨大な赤い獣だった。四つん這いになっているにもかかわらず、立っているドズミと同じ位置に巨大な顔がある。その獣にはコウモリのような羽があり、顔は人間と同じであった。
 獣はドズミ達をニヤニヤと見ている。

「ゲンドルヨ。コノ者達ハ食ベテ良イノダナ?」

 獣が喋る。
 口を開くと無数の牙が見える。

「ひいい! 喋った!」

 エルネンが腰を抜かす。
 レネアは剣を持ってガタガタと震えている。

「だっ、団長! 何なんだよう! こいつは!」

 ドズミは泣きたくなるのを我慢しながら、叫ぶ。

「そいつの名はネグル。神殿騎士に追い詰められて、逃げているところを助けてやったのよ。それ以来、俺の忠実な仲間だ。ちょっと大喰らいなところを除けば、すげえ可愛いんだぜ」

 ゲンドルが笑う。
 そこでドズミはある事に気付く。
 今までゲンドルが攫った者の中には、いかにも売れそうにもない者も多くいた事に。

「団長……。一つ聞いて良いか? 今まで攫った奴はもしかして」
「察しが良いじゃねえかドズミ。全部とは言わねえが、ほとんどがネグルの腹の中よ」

 ゲンドルのその言葉を聞き、ドズミはやっぱりかと思う。

「コノ者ガ、儂ニ肉ヲアタエ、ソノカワリ、儂ハコノ者ノタメニ働ク。互イニ得ニナル」

 ネグルが笑う。
 ドズミはその顔を見て歯ぎしりする。
 ドズミも悪人だが、ゲンドル程には悪人になりきれなかった。

「糞野郎! 悪魔に魂を抜かれて! 魔王の支配するナルゴルに堕ちやがれ!」

 ドズミはゲンドルに罵声を浴びせる。
 邪悪な魂を持った者は魔王の支配するナルゴルに連れて行かれる。
 ドズミは幼い頃にそう教わった。
 だから、ゲンドルもナルゴルに堕ちろと強く願う。

「へん! 言うじゃねえか、ドズミ! ナルゴルの悪魔がいるのなら来てもらおうじゃねえか? そうだな、何だったら光の勇者様を倒した暗黒騎士でも構わねえぜ! そう思うよな、お前ら!」

 ゲンドルがそう言うと、壁の上で見ている幹部達も同じように笑う。
 光の勇者レイジの事はドズミも知っている。女神様に愛された英雄。
 そして、魔王を退治するために北へと向かい、魔王の配下である暗黒騎士に敗れた。

(くそ! 本当に暗黒騎士がいるのなら、こいつの魂をナルゴルに連れて行ってくれ!)

 ドズミは心からそう願う。

「さあ、頃合いだネグル! 俺に逆らった奴がどうなるか教えてやれ!」

 ゲンドルが叫ぶ。
 ドズミはその言葉から、過去にゲンドルと対立していた戦士団が突然消えた原因を知る。

「クハハハ、サア食事ノ時間ダ!」
 
 ネグルが咆える。

「ひいいい!」

 エルネンが悲鳴を上げる。
 ネグルが舌を舐めながら迫ってくる。

「ガアアアア!」

 ネグルがエルネンに喰らいつくと、そのまま胴体まで噛み千切る。
 エルネンの下半身がそのまま倒れる。

「いやああああああ」

 レネアの悲鳴。
 ネグルは上半身を咀嚼すると、次はエルネンの下半身を食べる。
 その動作はゆっくりであった。
 他の獲物はどうせ逃げられないと思っているのだろう。
 ドズミは後ろを見る。来た道はいつの間にか塞がれていた。
 壁の上には剣を持ったゲンドルの配下。そもそも、羽を持つネグルからは逃げられないだろう。
 逃げ場はない。
 ネグルがエルネンを食べ終わると残った獲物を見る。

「いやあああ! お願いだから許して!」

 レネアは剣を捨てるとゲンドルのいる壁の下まで来る。

「ふん、駄目だって言っただろ。レネア。後ろにネグルが迫っているぞ」

 レネアが振り向くとネグルがすぐそこにいた。

「おい! 逃げろ!」

 ドズミは駆け寄るとレネアを引っ張る。
 ネグルはそれを見送る。それは弄んでいるようだった。

「ドウシタ? 逃ゲナイノカ?」 

 ネグルは笑うとドズミに飛びかかる。ゆっくりとした動きであった。 
 ドズミは剣を構えてネグルの牙を受け止める。

「糞が!」

 ドズミは何とかネグルを押し返そうとする。ネグルが噛んでいる剣から煙が上がる。

(嘘だろ! 唾液で剣が溶けているのか!)

 このままでは剣は溶けて、牙が突き立てられるだろう。
 ドズミの中に焦りが生まれる。ネグルはそんなドズミを見てニヤニヤと笑っている。

(何なんだよ! 畜生!)

 ドズミは泣きたくなる。
 誰かに助けてほしかった。助かるならそれが悪魔でも構わなかった。
 助けてくれるのなら忠誠を誓っても良い。ドズミは心の底からそう思う。

「何だ? お前は?」

 突然叫び声が上から聞こえる。すると突然、ネグルが吹き飛ぶ。
 ドズミとネグルの間に何者かが立っている。
 何者かが上から降りてきて、ネグルを蹴り飛ばしたのである。。 

「大丈夫ですか? ドズミさん」

 降りてきた者が振り返る。それはドズミの知っている顔だった。

「えっ? クロ?」

 降りてきたのはクロであった。
 クロがドズミに笑いかける。
 その間の抜けた顔にドズミは力が抜けるのだった。

 ◆

 クロキは、ゲンドルの男の仲間に案内された場所でドズミが変な獣に襲われていた。
 そこで、慌てて助けたのである。

「クロキ様。あれはマンティコアでヤンス。生息地はもっと西のはずのヤンスが、何でここにいるでヤンスか? それにしてもすごい匂いでヤンス」

 クロキの肩にいるナットがすごく嫌そうな顔をする。
 ナットの言う通り、マンティコアはすごく嫌な臭いを発している。
 クロキも顔をしかめる。

「そう。マンティコアっていうんだ……。確かに嫌な臭い。ナット。戦うから離れていて」
「はい、クロキ様。マンティコアは毒を持っているでヤンスよ。気を付けてくださいでヤンス」

 そう言ってナットはクロキから離れる。
 人の顔をした獣、コウモリの羽があり、尾は蠍(さそり)。初めて出会う魔獣だが、驚く程ではなかった。

「貴様! ヨクモ蹴リ飛バシテクレタナ」

 マンティコアが唸る。

「蹴り飛ばして御免なさい。どうして、生息地から離れてここにいるのかわからないけど、このまま去ってくれるなら、追わないよ」

 クロキは敵意がない事を示すために両手を上げる。
 あくまで襲った人間を相手にするつもりだった。

「フン! 何ヲ言ッテイル! 逃ガサナイノハコチラダ! オ前ハ儂ニ喰ワレル運命ニアルノダ!」

 マンティコアの怒声。

(まずいな。かなり、怒っている。できれば穏便にすませたいのだけどな……)

 クロキは溜息を吐くと、腰の普通の剣を抜く。

「おい、馬鹿かお前! ちょっと腕が立つみたいだが、普通の人間がネグルに勝てるわけねえだろ!」

 クロキの頭上から声がする。 見上げるとドズミが団長と呼んでいた男がいる。

(どうやってマンティコアを手懐けたのだろう? マンティコアの方が強そうなのに)

 クロキが疑問に思っていると強力な敵意を感じる。

「クロ! 前だ! 前!」

 ドズミの慌てた声。
 振り向くとマンティコアが襲ってくるのが見える。

(遅いな)

 完全にスローモーションだ。
 クロキはマンティコアをさっと避ける。

「逃ゲルナ! 人間ナラワカルダロウ! 弱キ者ハ強キ者ニ喰ワレル運命ニアルノダ!」

 マンティコアが苛立つ。

「いや、そんな事を言われても……。食べられたくないのですけど。あの、やっぱり退いてはくれませんか?」

 クロキはこの後におよんで、マンティコアが退いてくれるのを期待する。
 しかし、マンティコアにその気はない。

「フン! 逃ガサヌト言ッタダロウ! 炎ヨ!」

 マンティコアの周囲に複数の火球が生まれるとクロキを襲う。
 火弾ファイヤーバレットの魔法だ。クロキは魔法で盾を作る。

魔法盾《マジックシールド》!」

 クロキの目の前に光の魔法陣が現れ、火弾ファイヤーバレットを防ぐ。

「カカッタナ!」

 クロキの背後からマンティコアの尻尾が迫る。

(良く伸びる!)

 クロキは剣を振るい、蠍の尾を弾く。
 マンティコアは不意打ちのつもりであったのかもしれないが、クロキの動体視力なら見切るのもたやすかった。

(えっ?)

 尾を弾いた剣が溶けている。

「ああ、折角手に入れた剣が!」

 短い間だったがクロキは愛着を持っていたのである。
 それを台無しにされてしまった。

「オノレ! ココマデノ使イ手トハ!」

 必殺の一撃を防がれたマンティコアが怒りの表情を見せる。

「ナラバコレデ勝負ヲツケル!」

 マンティコアの体が膨れ上がり、目が紅(あか)く光る。

「パワーアップ?」

 クロキはマンティコアの表情を見る。
 目が紅(あか)くなる程、マンティコアの瞳から理性がなくなっていくのを感じる。

「ガアアアアアアアアア!」

 マンティコアが咆哮するとクロキに襲い掛かる。

「ドズミさん! 逃げて!」

 背後にはドズミがいる。そのためクロキは逃げられない。
 クロキは両手を前に出しマンティコアの突撃を受け止める。

「ひいいいい!」

 ドズミが一緒にいる女性を連れて逃げる。

「良いぞ! ネグル! そのまま殺せ!」

 壁の上から歓声が聞こえる。
 マンティコアの唾液が飛び散りクロキの服を溶かす。
 その事にクロキは苛立つ。

(替えの服はあんまり持ってないのに! 仕方がない鎧を呼び出そう!)

 クロキはボロボロになり邪魔な服を脱ぎ棄て、暗黒騎士の姿へと変わる。
 周囲から驚く声が聞こえる。

「はあああ!」

 そして、両手に力を込めるとクロキはマンティコアを投げ飛ばす。
 クロキの何倍もある巨体が空中を舞い、壁の上にいた者達のところへと落ち、その場にいた者達が逃げ惑う。

「グルアアアアア」

 投げ飛ばされたマンティコアが咆哮すると、コウモリの羽を広げ、空を飛ぶと、その尾から何かが部屋中に飛び散る。

「うわあああああ」

 飛び散った何かに当たった者達が苦しみの声を上げた。
 良く見ると顔が溶けている。

(まずい、めちゃくちゃだ! どうする! 殺すのか?)

 クロキは退いてくれるなら見逃すつもりだった。しかし、人が死ぬ姿を見てマンティコアをここで逃したら人を襲い続ける事に気付く。
 人と魔獣、どちらかを選ぶ必要に迫られる。

「いやああああああああ!」

 悲鳴が飛び交う中で一際大きい声が上がる。
 クロキがそちらに顔を向けると女性がいる。その横にはドズミがいる。
 その一際大きな声に反応したマンティコアが女性に向かう。

(マズイ!)

 そう思うとクロキは急いで動く。迷う暇はなかった。このままではドズミも女性も死ぬだろう。
 クロキは魔剣を呼び出す。呼び出された魔剣は黒い炎を纏い、赤い紋様を輝かせる。
 そして、高速で移動すると、ドズミ達とマンティコアの間に入る。

「はあっ!」

 魔剣を上段から袈裟懸けに振るいマンティコアを両断する。
 斬り裂かれたマンティコアの体は二つに分かれ地面へと落ちていく。
 猛毒なのだろうか? マンティコアの血が流れた所から煙が上がり焦がす。
 静寂が辺りを支配する。

(咄嗟に動いてしまった……。良い気がしないな)

 クロキはマンティコアの死体を見て溜息を吐く。

(はあ……。だけど、まだやらなければいけない事がある)

 クロキは顔を上げて周囲を見る。
 その場にいる全ての人間が恐怖を顔に浮かべていた。

 ◆

「嘘だろ、おい……」

 ゲンドルは驚きの表情を浮かべる。
 目の前でネグルが真っ二つにされてしまった。
 真っ二つにしたのはクロと名乗った男だ。
 その男が黒い炎に包まれると、漆黒の鎧を着た騎士へと変わったのである。
 ゲンドルはクロと初めて会った時の事を思い出す。
 いかにも弱そうな男だった。そんな男が珍しい生き物を連れている。
 だから、奪ってやろうと思い、配下に連れて来るように命じたのである。
 弱そうな男なので、簡単に終わると思ったのである。
 しかし、それは間違いだった。ゲンドルは後悔する。
 男は悪魔だった。
 ゲンドルの目の前で漆黒の鎧を纏った男が浮かび上がる。
 夜の闇を凝縮させたような鎧。その暗黒騎士の体から黒い炎が噴き出している。
 その姿を見ているだけで、心の奥から何かが湧き出してくる。

「あっ暗黒騎士! ナルゴルの」

 配下が突然叫ぶと、部屋の出口へと逃げ出す。
 しかし、動き始めた瞬間、黒い炎が出口を塞ぐ。

「あの……申し訳ないけど、逃げないでもらえますか? 少し怖い思いをしてもらいたいので」

 暗黒騎士が空中に浮かび上がると宣告する。そして、その言葉が終わった時だった。 
 ゲンドルの体が急に重くなる。

「何だ……。何だよ……」

 ゲンドルは震える自分の体を抱きしめる。

「いやだ、いやだ。助けてくれ」

 歯ががちがちと鳴り、ゲンドルはうまく喋れない。
 泣き出してしまいそうだった。
 ゲンドルが周りを見ると部下達も同じように震えている。
 そんな、ゲンドルに暗黒騎士が近づいてくる。
 暗黒騎士の体は黒い炎に包まれ、兜から覗く赤い瞳の輝きがゲンドルを捕えている。
 その姿はまさに地獄ナルゴルの使者だった。

「おっ俺をナルゴルに連れに来たのかよ……。ヒグッヒグ……」

 嗚咽を漏らしながらゲンドルは何とか喋る。
 逃げ出そうにも体が動かない。

「あなたはナットを狙った。だから、他の人よりも少しだけ、怖い思いをしてもらう」

 暗黒騎士がゲンドルの頬に触れる。

「いやだ! いやだ! やめて! 助けて女神様!」

 ゲンドルは泣きじゃくりながら、女神に助けを求める。
 ゲンドルは今まで女神に祈った事はなかった。自らが女神の教えに反する事をしている自覚はあったからだ。
 そして、その報いを受けようとしているように感じていた。 

「永劫の悪夢を見よ!」

 暗黒騎士がそう言った時だった。
 ゲンドルは急に目の前が真っ暗になったような気がした。

「なんだ、何が起こったんだよう……」

 ゲンドルは周囲を見る。
 すると暗闇の中に白い何かが浮かんでいる。それは人の顔であった。
 ゲンドルは叫びそうになる。
 その顔に見覚えがあったからだ。

「カリウス……」

 それは過去にゲンドルが殺した者の顔だった。

「な、何だよカリウス。化けて出やがったのかよ……。お前が悪いんだぞ。俺に逆らうからこうなるんだ。俺にお前の妻を渡さないから」

 ゲンドルは語りかけるが、カリウスは恨めしそうに見るだけだ。
 良く見るとその横にカリウスの妻もいる。ゲンドルを拒絶したので、ネグルに喰わせた女だ。

「ひいい馬鹿か……。俺を拒絶するから悪いんだよ」

 ゲンドルは目を背ける。しかし、目を背けても後ろには別の顔がゲンドルを見ている。
 金を奪うために襲った者。対立する戦士団の奴ら。へまをした部下。中には子どもの顔もある。
 名前は忘れたが、心の奥で覚えていた人達の顔だ。
 その無数の顔が恨めしそうにゲンドルを見ている。

「何だよ……。お前ら……」

 ゲンドルは目を閉じるが、顔は消えてくれなかった。顔がゲンドルの体に纏わりつく。

「ひゃ! ひああああああ」

 ゲンドルは変な叫び声を上げ、そして、何もかもが、どうでも良くなった。

 ◆

(ヤバイ! やりすぎた!)

 クロキの目の前で、ドズミが団長と呼んでいた男が泡を吹いている。
 目の焦点が合っていない。

「えひゃ。えひゃ」

 しかも、変な笑い声を上げている。良く見ると男の座っているところから、何か液体が漏れている。
 嫌な臭いだった。クロキは急いで男から離れる。

(まさか、こんなに効くとは思わなかった)

 永劫の悪夢の魔法は恐怖の魔法のように精神に作用する闇の魔法だ。
 通常の悪夢と違い、寝ている時だけでなく、起きている時も悪夢を見る。
 クロキはこれまでこの魔法を使った事がなかった。そもそも、試しで使えるような魔法ではない。
 そして、試しに使ってみたらこうなった。

(元に戻るかな? この人?)

 恐怖の魔法も普段より強めに使ってみたが、効果は抜群のようだ。
 この場にいる者達の全員が震えて動けなくなっている。
 クロキは下の広場にいるドズミ達を見る。
 ドズミとその横にいる女性には魔法を使っていない。
 しかし、その表情からクロキを怖がっている事がわかる。
 クロキはドズミのところへと降り立つ。

「ク、クロなのか?」

 ドズミが地面に座り込んだ状態でクロキを見上げる。良く見ると体が震えている。

(恐怖の魔法は使っていないはずなのだけど……)

 つまりドズミの恐怖は本物だという事だ。

「はい。ドズミさん」

 クロキはなるべく優しい声で言う。

「お、お前。悪魔だったのか?」

 悪魔と言われてクロキは首を傾げる。

(自分は悪魔なのだろうか? 確かに魔王であるモデスの部下みたいになっているけど)

 新米暗黒騎士のグネドでさえ、人間から見たら凶悪な悪魔である。
 クロキはそのグネドから閣下と呼ばれる存在である事を思い出す。
 はっきり言って複雑な心境だった。
 しかし、認めるしかない。この世界で言うところの人間でないのは確かである。
 人間というにはクロキは強すぎて、そして人間は弱すぎる。

「そうですね。悪魔なのかもしれません……」
「そ、そうか、もしかして勇者様を倒した暗黒騎士ってのは……」
「えっと……、それは自分です」

 クロキは本当の事を言う。今更正体を隠しても意味はない。
 ドズミが目に見えて震える。がちがちと歯をならしている。
 クロキはその表情に少し哀しくなる。
 暗黒騎士の噂はどれも酷いものだった。なぜなら人間の希望である光の勇者を倒したからだ。
 レイジはそれ程までに人々の希望になっているのである。
 対してクロキは人々の敵だ。立場の違いに理不尽さを感じる。

「俺も連れに来たのか?」

 クロキはその言葉に応えない。
 連れ去るつもりも、危害を加えるつもりもない。むしろ、助けようと思った。
 だけど、ドズミが自分を見る目は怖ろしい者を見る目だ。
 きっと暗黒騎士に対する態度として、これが普通なのだろう。

「別に、そんなつもりはないのだけど……。むしろ助けようと」
 
 しどろもどろにクロキは答える。

「たっ……助けてくれる?」

 そのドズミの言葉にクロキは頷く。 
 すると突然ドズミが平伏する。

「偉大なるあなた様に忠誠を誓います!」

 ドズミの宣言。見ると横の女性もドズミと同じように平伏している。
 さらに周りを見ると、壁の上にいた者達も頭を一斉に下げている。
 全員が恐怖のためか震えている。
 その場にいる者達がドズミと同じようにクロキに忠誠を誓う声を出している。

(えーっと。どうしよう、これ?)

 クロキはただ困惑するのだった。

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コメント

  • Kyonix

    C mamo

    0
  • 眠気覚ましが足りない

    マンティコアより修正報告です。

    (どうして、この二人がここにいるのだろう?)

    (どうして、この二人がここにいるんだ?)

    ドズミはこの前のセリフが“だ”で終わっています。揃えて下さい。

    0
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