古魔術師の探偵事務所

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第一の事件・序 “白猫の足跡探し”

 魔工学にて発展した都市、月輪市。全部で五つの区域に別れた日本最大の魔術都市。魔力エーテルで動く車やバイクが町中を走り、人々との喧騒は絶え間なく町中を賑わせる“都心区”の中心街。そんないつも通りの街を見て、誰もが“平和だ”と口を揃える。

「ねぇ、最近知起きてる知ってる?」
事件の話でしょう?」
「私も知ってるわ~」

 その中に澱みが混じりこむ。日々の平穏に影を落とす暗い噂話が、カフェでお茶中の主婦から漏れた。それは店内の数人の耳に届き、中でも興味を抱いた者は自発的に内容を調べ始めるだろう。そしてそれは、存外すぐに見つけられる。

『臨海区で続く女性失踪事件』

 貿易の港にして、人の出入りが最も多いと言われる“臨海区”で発生した連続失踪事件。事件関係者は十代後半から二十代前半、種族は人間、亜人間を問わないようで既に三人の行方が分からない。記事には警察が捜査に尽力している旨が記載されている。

「心配ね~」
「早く見つかるといいのだけど……ねぇ?」
「そうそう」

 主婦達はとても心配しているような口振りで会話する。しかし、あくまでも“ように聞こえる”だけで声色から必死さや恐怖といった感情は感じられない。結局は彼女達にとって、今回の事件は所詮でしかなく、自分達は大丈夫だと信じて疑っていない。

 この事件は現段階で、十代後半から二十代前半の女性が被害にあっているだけ。此処から年齢層が上がる可能性は充分あり得る。だが誰も、その可能性を考慮しない。

「(まあ、大丈夫でしょ)」
「(私は大丈夫)」
「(どうしよう、合わせたのは良いけど良く分からない……!)」

 根拠もなく安心できるのは、“自分なら大丈夫”という慢心や危機感の欠如によるところが大きい。いや、寧ろそれが大半を占めている。

「(女性が狙いか、なら私は狙われんな)」
「(まあ、どうでもいいや)」
「(ふーん)」

 それは決して主婦達だけではない。ニュース記事を見た者も特に気にする様子はなく、記事を閉じて何もなかったかのように振る舞い始める。それが人という生命が、“平和”という仮初めに踊らされる様子である。



◇   ◇   ◇



 目の前を亜人の少女が鬼気迫る血相で走り抜けようと、誰一人気に掛けるものは居ない。ピンと立った猫耳から彼女が猫人族だと気づく者はいても、彼女が何故全力疾走しているのか理由を知るものは居ない。

「はっ…はっ…!」

 少女は息を切らして走る。影すら掴ませない素早さと機敏さで人通りの多い道を、誰に当たることもなく駆け抜ける姿はまさしく猫。髪の色も相まって、人の姿でありながら黒猫と評されるかもしれない。しかしそんな評価など、今の彼女には届かない。

「(早く……早く……!)」

 スニーカーが地面を蹴る。タイル張りの道がコンクリートで舗装された道に変わり、建物が高層ビルから2~3階建てに置き換わっていく。車の音も人の喧騒も遠のいていく。

「ッ……ゲホゲホッ!」

 郊外の住宅街に入った辺りで、とうとう少女の足が止まる。乳酸のたまった足は重く、渇ききった喉は呼吸すらままならない。それでも必死に息を整えようと苦心しながら、少女は目的地としていた建物に歩みを進める。目的地はもう目と鼻の先、辿り着くのにそう時間はかからなかった。

「此処が……」

 少し古めかしさのある木造の洋館が、其処には建っていた。まるで其処だけ時代から置きざりにされたかのような佇まいの屋敷、それなのに一切違和感を感じさせない不思議な感覚。少女はその感覚に困惑しながら、無意識のまま門に手を掛けた。


 しかし、門は開かなかった。


「――――えっ?」

 非情にも響く金属の当たる音。門にはロックがなされており、『Close』と書かれた掛札が掛かっていた。暫くの静寂、そのままの姿勢で制止した少女、無情に空を染め上げる夕日と近づく夜の闇。

「はっ……ははっ……」

 少女はその場にへたりこみ、門に施された植物の蔓を思わせる細工に指を掛けながら、泣き始めた。

「なんでなのよ……!」

 こんな事は彼女にとって良くあることだ。行く先々で不運に見舞われる、あるいは他人に振り撒く。その所為で周囲から“厄運びの黒猫”と揶揄られる事はしょっちゅうで、自分もそれは自覚している。だからといって、こんな時にまで降りかかられたら少女も堪らない。

「ぅ………うぅ………」

 堪えていた涙が溢れ出す。こんな事をしている場合ではないことは重々承知しているのに、体は重く立ち上がる気力すらない。そして追い討ちのように、夕立が降り始める。叩きつけるような豪雨が全身を濡らし、涙と混ざり合う。

「誰か………」

 “臨海区”で起きた失踪事件。消息を絶った一人である姉を見つけて欲しくて、彼女は今日だけで色々な探偵事務所を巡った。しかし帰ってくるのは拒否の言葉ばかりで、中には拒絶の言葉すら混じっていた。少女に冷たい言葉を投げ掛けた者は、彼女の目を指差して言う。

『その目でこっちを見るな』

 彼女の目は“魔眼”である。これは亜人間がごくごく稀に持って産まれる突然変異であり、症例こそ多くないが、決して世界で唯一というわけではない。しかし人間は“魔眼“を忌み嫌う傾向が強い。

『視界内の物や事象に干渉する』

 知りえない特殊な事象を“視る”という動作一つで行う“魔眼”を恐れる。それは『物事を定義し知る事で安心を得る』人間の特性が招いた隔たり、現在共存関係にある両者の埋まらぬ溝である。

 因みに彼女の目は“千里眼”。知るものも多いであろう、本来見えない距離の風景を鮮明に見れる超視力を得る能力である。呪いなどの人の害になる効果はない。それでも、“魔眼”というだけで謂れのない中傷を受けている。

「助けて………」

 それが姉なのか自分なのか、どちらなのかは本人すら分からない。限界を迎えた心の溢した弱音は雨音に混じり合い、消えていく。

「―――俺の事務所に、何か用か?」
「へっ………?」

 顔をあげると傘を差した男が、沈みかけの夕日をバックに立っていた。短く切られた黒髪に黒い瞳、上下の黒い服、そしてそれとは対象的な真っ白なローブを羽織った青年だ。左に傘の持ち手を持ち、右手には何かが詰められ膨れた紙袋を抱えている。

「ひとまず、上がっていくか?そのままじゃ寒そうだ」
「…………………キャッ!?」

 少女は濡れ猫になっている自分を改めて見直す。薄手のブラウスは濡れて透けているし、へたりこんだ所為で下着までぐっしょり湿っている。それを認識した瞬間、羞恥で顔を真っ赤に染めて体を丸める。

「取り敢えず、これ着とけ」
「有り難う、ござましゅ……」

 青年は少女を傘の下に入れてやり、自分の着ていたローブを少女へと貸し与える。それを受け取って体を隠した少女は、そのローブの不思議な点に気づく。

「(―――――?お日様の香り……)」

 掛けられたローブから汗の匂いはせず、代わりにお日様の落ち着く匂いがする。とてもだが、雨の中で着ていたものとは思えない。心の落ち着く匂いに自然と顔が綻ぶ。

「(それに………)」

 その上、傘は植物の蔓が絡み合って出来たものであると分かる。そして、それが青年の手元にある試験管から伸びている事も分かる。

「貴方は……?」
「“開け”」

 青年は一言小さく呟く。するとそれだけで門にかけられたロックが自動で外れて、独りでに開く。そして、掛札に記された『Close』の文字が『Open』に書き変わった。

「ようこそ、我が探偵事務所へ」


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