身体の病と心の傷

王帝月ノ宮

笠原悠介の病 1

一月八日、冬休みが明けた初日に彼は学食で倒れた。
学食内と職員室はパニックに陥りかけたが無事に事態は収まり、その翌日には学校に復帰した。
彼の名前は笠原かさはら悠介ゆうすけ
サッカー部のエースで一月一日のサッカー全国大会で最弱だったうちを日本一にした選手だ。
成績も学年トップ。
しかもイケメン。
しかし私は彼とクラスメートなのに接点がない。
しかも彼が誰かと話しているところを見たことがない。
せいぜい先生や地域の人と挨拶を交わすところをたまに見るくらいだ。
私はその彼に一目惚れした。
私は学年一の美少女だと自負している。
しかし、私が私立鷹山高校に転校してきた初日、挨拶のときに彼はこちらを見て一瞬目を見開いたが首を振り、すぐに『我、関せず。』みたいに外の桜に目をやってしまった。
変だけど、その彼の暗いところに特に惹かれた。
転校してきてすぐに私はクラス中の男子全員から告白されたが彼は私に興味すら持たなかった。
私が転校してきた二学期中、ひたすらアプローチをかけまくったのに彼は私の想いに気づいてくれない。
ただ、一度だけ彼が声を掛けてきた事があった。
 内容は以前どこかで会った事ないか?と聞かれただけだけど。
 で、私は無いと答えた。
 そして、それ以来彼が声を掛けてくることはなくなった。
私は、今日もこんなに想っているのに気づいてくれない彼に声を掛けた。
「ねえねえ、笠原君。」
「ん?」
彼は文庫本から目を離さない。
「なんで昨日倒れたの?」
私がそう聞いた瞬間、彼は私を一瞬睨みつけた。
「……はあ。君も同類か……」
「同類って?」
「別に。」
そう言って彼はまた本の世界に入っていった。
そこで私は担任の貴幸たかゆき先生に聞いた。
貴幸先生は悠介君の遠い親戚で私たちの学級担任。
「先生。笠原君はなんで昨日倒れたのですか?」
「あいつに聞けばいいじゃないか。」
「彼に聞いても教えてくれなくて……」
そう言った瞬間、後ろから
「人の粗探しはやめろ。」
と、ドスのきいた声で言われた。
「おい、悠介。あんまりそう威嚇するな。」
「はいはい。」
彼はそのまま教室を出て行った。
「すまん竹内。根は悪いやつじゃないんだけどな。」
「それより、なんで彼は昨日倒れたんですか?」
「アナフィラキシーショックだ。」
「アナフィラキシーショック?」
「ああ。ただこれ以上は教えられない。」
「ありがとうございます。」
私はそう言って彼を探した。彼は中庭の枝垂れ桜の下にいた。その枝垂れ桜は冬だというのになぜか満開に咲いていた。
「おーい、笠原君!」
「はあ……」
彼はため息を吐いた。
「何の用?」
「ねえねえ、アナフィラキシーショックって何?」
「・・・・・・誰から聞いた?」
「貴幸先生。」
「おいちゃん、何のために口止めしたんだよ。」
彼は頭を抱えた。
「ねえねえ、アナフィラキシーショックって何?」
「それを聞いてどうするつもりだ?」
彼は睨みつけるような目で聞いてきた。私は物怖じせずに言い切った。
「笠原君を助けたいの。」
「………いままで君と同じことを言うやつは何人もいた。でも全員、中途半端な優しさを与えて希望を持たせた後で裏切った。君も同じだろ?」
「そ、それは……」
「いいか?中途半端な優しさは人を傷つけるだけだ。」
「そ、そんな……」
「わかったら僕の前から姿を消してくれ。さっきみたいに助けたいだのなんだの言われてもうざいだけだ。」
「あ……」
彼はさっさとどこかへ行ってしまった。肩を落として廊下を歩いていると不意に呼び止められた。
「竹内さん。」
「谷崎先生……」
そこには養護教諭の谷崎たにざき恵美めぐみ先生がいた。先生は私を保健室に入れると私の向かいに座った。
「なにか悩んでいるみたいだけど、どうしたの?」
「……笠原君の悩みを聞いて助けてあげたい。でも、彼は私が関わることを頑なに拒んでいて……私、どうしたらいいでしょうか?」
「・・・・・・笠原君が関わってほしくないって思っているのならすこし距離を置いてみてもいいんじゃない?」
「でも……」
私は反論しようとしたが言葉が出てこなかった。すると
がらがらがらがらがらがら
「おお、竹内。ここにいたのか。」
扉の先から細長い顔が出てきた。
「貴幸先生。」
「あいつのこと、知りたいのか?」
「知りたいです。」
私がそう言うと先生は真顔で言ってきた。
「あいつには俺が言ったってことを内緒にしてほしいんだけどあいつ、昔から自分の体質でいじめられてきて人と関わりたくないそうなんだ。」
「そうなんですか……ありがとうございます。でも、私は笠原君を助けてあげたいんです。彼の悩みを一緒に背負っていきたいんです。」
「そうか……じゃあ、俺は何も言わん。」
すると
「でも、今君が言ったことはただの自己満足だ。」
保健室の扉の奥から笠原君が出てきた。
「僕が君に助けを求めたのか?自己満足も大概にしろ。お前のそのくだらない自己満足になんで僕がつき合わされなきゃいけないんだ、ふざけろ!」
彼はキレ気味だった。
「なんでお前の自己満足のために付き合ってやらなきゃいけないんだよ。もう僕に関わるな!」
彼はそう言うと踵を返して保健室の出口へ歩いていく。私は叫んだ。
「それは、笠原君が大好きだからだよ!」
すると、一瞬彼が止まり、その唇が動いた。でも彼はその言葉を声には出さずに保健室を出て行った。その場から動けないでいた私の肩に手が置かれた。振り向くと谷崎先生が笑顔でこっちを見ていた。
「青春っていいわぁ……ねえ、竹内さん。彼のこと、教えてあげようか?」
「ホントですか!?」
「ただし!」
「?」
「その恋を成就させなさいよ?」
「はい!」
私は元気よく返事した。
「と、いうことだけどどうかしら?笠原君の遠い親戚さん?」
谷崎先生の視線の先には貴幸先生がいた。
「ああ、うん、まあ、人生で一度の青春だからな。その恋を絶対に成就させるならいいぞ。」
「絶対に悠介君を幸せにして見せます。」
私は高らかに宣言した。
「じゃあ、いいか。」
「ふふっ。じゃあ、教えてあげるね。彼は三歳のころにアナフィラキシーショックを起こしているの。」
「そのアナフィラキシーショックって何ですか?」
「食物アレルギーは知っているわよね?」
「はい。そのアレルギーのものを食べるといろいろ症状が出るんですよね?」
「そう。で、彼は三歳の時のアナフィラキシーショックで食物アレルギーだと分かったの。」
「何がいけないんですか?」
「小麦ね。で、そういう食べちゃいけないものをアレルゲン物質って言うのよ。そして昨日、米粉のパスタを食べたら症状が出ちゃって救急搬送。どうも小麦の入ったパスタをゆでたのと同じ鍋でゆでちゃったのね。もう大変だったのよ。」
「お疲れ様です。」
貴幸先生が谷崎先生の肩をもんだ。
「ありがとう、貴幸先生。」
「で、お話の続きは?」
「ああ、でアレルゲンを摂取して起きる反応をアナフィラキシーショックっていうの。人によって症状はさまざまだけど彼の場合、かなり重い部類なの。」
そこで先生はお茶をすすった。
「彼の場合、少しでも口に含むとすぐに喉頭(こうとう)浮腫(ふしゅ)が起きてしまうの。」
「喉頭浮腫って何ですか?」
「喉の内側が腫れて気道を塞ぐことを喉頭浮腫っていうの。で、彼は三歳の時以来一般的には除去食を食べる。つまり」
「アレルゲン物質を使わない料理を食べてきたってことですか?」
「当たり!これを『除去食(じょきょしょく)療法(りょうほう)』っていうの。ただ、私も詳しいことは知らないから言えるのはここまでね。」
「ありがとうございます。」
私は荷物を持って学校を飛び出した。

そのころ保健室では
「まったく。あの子のあの機動力は誰から叩き込まれたのかしら」
「それ、多分俺。」
「まったく。貴幸。」
「なんだ。恵美。」
「いつになるかな。」
「そうだな……明後日の午後、空いている?」
「うん。」
「じゃあ、明後日の午後四時に迎えに行くから。」
「分かった。待ってるね。」

竹内家にて
「ただいまー!」
そのまま私は部屋に飛んでいこうとする。
「こら!帰ってきたら手を洗いなさい!」
めずらしく早く帰ってきていた母に注意され、しかたなく手を洗う。その後、私は部屋に飛んでいってパソコンを立ち上げる。その晩は、ある調べ物が午前二時までかかった。
翌日
「笠原君、おはよう!」
「……ああ……」
はあ、まただ。また目も合わせてくれない。それどころかおはようすら言ってくれない。
彼は荷物を片付けるとまたどこかへ行ってしまった。私はこっそりと後をつけてみた。
行き先は昨日と同じ枝垂れ桜の中だった。枝垂れ桜に囲まれた彼はいつもより優しげな表情を浮かべていた。私は教室に帰ろうと踵を返した。教室に戻った後、手紙を彼の引き出しの中に入れておいた。数分後、彼が戻ってきた。彼は引き出しを開けたがすぐに閉めて、空を見ていた。
数学の授業にて
「では、竹内。昨日宿題で出しておいた問四を答えてくれ。」
「すいません、その問題分からなくて出来ていません。」
「なに?俺は調べてやって来いって言ったよな!?なんでやってねえんだ!?」
「調べても分からなくて……」
「なら分かるまで学校にくるな!」
先生がそう怒鳴っていると
「……うるせえよ、ボケ。」
と不意に窓際から声が聞こえた。振り返ると笠原君がほお杖をつきながら数学の教科担任を睨みつけていた。
「なんだと?笠原!もう一回言ってみろ!」
「だからうるせえっつってんだよ。このボケ。」
彼は確実にキレていた。
「おまえ、先生を何だと思っている!」
「ただ叫ぶしか脳のない人間。」
「てめえ……」
先生の頭に血が上っていた。
「笠原君!逃げて!」
ひゅっ
先生の拳が笠原君に直撃した。ように見えたが実際は彼の拳が先生の腹に納まっていた。
「なんでこいつらが出来ないのか自分で分かっているのか?お前の教え方が悪いんだよ。」
「じゃ、じゃあお前が教壇に立ってみろ。」
「ああ、いいぜ。」
彼は教壇に立つと黒板に式を書いた。
「では、これから皆さんにはこの式を解いてもらいます。分かった人から僕にこっそり教えてください。席を立って人と相談してもいいです。では、始め!」
数十分後
「はい、これで全員が分かりましたね。」
「おい、これのどこが授業なんだ?」
「全員が分かるまで教える。そういう授業ですがなにか?」
「お前のはただ生徒にカンニングさせているだけじゃねえか!それで学力がつくのか?」
「じゃあ……皆さん。」
彼はもう一つの式を黒板に書いた。
「今度はこの問題を誰にも、何にも頼らずに解いてください。」
十分後
「……これで全員正解です。お疲れ様。」
「なんで……なんでだよ?」
「先生は、ただ答えを教えて終わりなんです。僕は答えは教えずに解き方を教えました。とあるお話のように水の足りないところに井戸を作るか与えるかの違いです。結果二問目は十分程度でみんな解けたんですよ。そこが先生と僕の違いです。分かりましたか?」
「お前……俺をおちょくるの、いい加減にしろよ……」
先生の体がグワンとゆれたかと思うと彼の顔面にストレートが打ち込まれた。しかし、彼は軽々と受け止めていた。
「空手部顧問って言ってもこの程度か。」
「なに?」
先生は空手の黒帯だ。その先生相手にこの程度なんていったら殺される。しかし、時すでに遅し。先生の連続攻撃が彼の全身に入った。しかし彼は軽々と避けると先生の腹に二発目を打ち込んだ。
「がはっ!」
「これが僕とあんたの差だ。」
彼はそう言うと自分の席に戻り、勉強を続けた。数分後チャイムが鳴り彼は教室を出て行った。私は彼を追いかけた。彼は枝垂れ桜の中にいた。
「はあ。」
「あの、笠原君。」
「なんだ?」
彼は睨んでくる。
「あ、あの、君のアレルギーの事なんだけど……」
「関わってくんなって言ったよな?お前の耳は節穴かよ。」
「いいから聞いて!そ、それで私のお父さんとお母さんが働いてる病院にアレルギー専門機関があるからそこを受診してみようよ。」
「いやだ。」
「なんで?君のアレルギーがなんとか出来たらもっとおいしいものが食べられるようになるんだよ?」
「だからどうした。」
「え?」
私は戸惑った。
「僕がこのままでも誰も困らない。だったら無理して治す必要は無い。」
「私が困るんだよ!だから、今日の放課後一緒に行こう?」
私は懇願した。
「……しかたない。行くとするか。」
やっと彼は折れてくれた。

その日の放課後、
彼の住んでるアパートに向かった。
彼の部屋は二階の端の部屋だ。
こんこん
「笠原君?」
「どうぞ。」
「お邪魔しまーす。」
そこは私の部屋よりきれいだった。いや、きれいというより物が少なかった。
本棚の中にはたくさんの文庫本がブックカバー付きで入っていた。
おもちゃの類はまったく見受けられず机の上にはノートパソコンとプリンター、ベッドのそばのサイドテーブルには小さなCDプレイヤーとCDが置いてあった。
彼はベッドの上で本を読んでいた。
「何の用だ?」
「なにって、病院に行くよ。」
「……めんどくさいな。」
「ほら、早く行くよ。」
私は彼を引っ張って連れて行こうとしたが彼は微動だにしない。
「うるさいな。今日は読書に徹する予定なんだけど?」
「なんで?ほら病院に行くよ!」
「はあ……」
彼はしぶしぶついてきたが書店の前を通るたびに中に入って本を見ていて病院に着いたのは六時前だった。
「お母さん!」
「おお、よく来た……久しぶりね、悠くん?」
「お久しぶりです、恵子(けいこ)さん。」
お母さんは笠原君のことを悠くんと呼んだ。
「なに?二人ってどこかで会ったことあるの?」
「ええ、ちょっとね。それより座って。ここがどこだか分かるわよね?」
「大学の付属病院ですよね?たしか私立鷹山大学付属病院。」
「そう。じゃあ、なんでここにつれて来られたかは分かる?」
「大方、そこのお節介焼きに頼まれて僕のアレルギーを何とかしようと連れて来られたわけですよね?」
彼はため息交じりに答える。
「そうよ。」
「でも、僕はこのアレルギーを何とかする気は無いから何かしようとしても無駄ですよ?」
「だろうね。この子から聞いているよ。でも、今回はちょっと検査させて。」
「……まあ、いいですよ。」
そう言って彼は検査室の奥に消えた。数分後
「結果待ちか。」
彼はそう呟いた後、さっき買った文庫本を開いた。本の名前は『命の後で咲いた花』
彼は一度読書に入ると簡単には戻らない。
でも、読書するときの彼もかっこいい。
けれど彼は、私をうざったいと思いこそすれ感謝の気持ちなどまったく持っていないだろう。それは少し悲しかった。
何の話も出来ず気まずい数十分を過ごした後、母さんが検査室から出てきた。
「ごめんごめん、遅くなって。」
「あれは何の検査ですか?」
「アレルギーの検査だけど?」
「僕が聞きたいのはアレルギーの何を調べる検査だったんですか?」
「ああ、そっちね。あれは何に対してアレルギーがあるか調べる検査よ。」
「で、結果は?」
「小麦ね。」
「まあ、でしょうね。小三くらいになれば治るって言われたのに治らなかったんで諦めてます。」
「その目を見れば大体分かるわ。もう死んだ魚みたいな目だもんね。」
「……よく言われます。」
彼はため息混じりにかえした。
「で、治療は受けるの?」
「……受けたくない、と言えばウソになりますね。」
彼はそう言った。
「確かにそこのお節介焼きが言ったとおり、なんとかなれば今後食べられるものが増えますけど僕はこのアレルギーを利用しているんです。」
「何に?」
「食べられないものがあれば節約になります。そうやって節約して毎月の仕送りで生活しているんです。なのに入院なんてすれば仕送りだけでは足りず、飢え死にします。」
「なるほど……」
「ねえ、お母さん。何とかならない?」
「そうね・・・・・・何とかなるわよ。」
「「え!?」」
私と彼がハモった。
「タダで治療をうけさせること、出来るわよ。」
「ほんとうですか?」
彼の目に少しだが炎が灯ったように見えた。
「ただし、条件があるけどね。」
「なんですか?」
私も彼も母さんの次の言葉を待った。
「笠原君が……」
「はい……」
「うちの……」
「お断りします。」
まだ母さんが言い終わらないうちに彼は却下した。彼の目は、再び絶対零度の氷が埋め尽くしたように見えた。
「まだ最後まで言ってないでしょ!」
「その続きは『うちの桜と付き合いなさい』か、『うちの桜と結婚しなさい』でしょ。」
いやいや、そんなわけ……
「当たり!」
あった!
私は母さんが認めた瞬間、急速に顔が熱くなるのを感じた。
「そうよ。『うちの桜と結婚しなさい』って言おうとしたの。」
「申し訳ありませんけど僕が彼女を好きになることどころか彼女に心を開くことすら絶対にありません。」
「言ってくれるわね。これでもこの子、二学期にあなた以外のクラスの男子全員から告白されたんだけど全部断ってあなたを想い続けているのよ?それでも?」
「すいませんが他人の恋愛感情なぞに興味はありません。その告白された男子から一番良い人と付き合えばいいと思いますけどね。」
「笠原君が好きだから他の人と付き合わないんだよ!なんで分からないの?」
「……ごめん。そして、もう僕に関わらないで。」
彼はそう言って診察室を出て行った。
「なんで?なんで私の気持ちが伝わらないの?」
母さんは私の背中を優しく撫でてくれた。

その頃、帰路に着いた笠原君
「ごめんな、竹内。僕は君に恋をする資格はないんだ。」
僕は悲しそうな目を病院に向ける。
「すまない。」
僕はそのまま闇の街に消えた。

翌日、また私は彼の部屋に行った。
コンコン
「どうぞ。」
彼の部屋に入ると一人の女性が笠原君の腕に抱きついていて彼はその子の頭を撫でていた。
「あ、あんた……私という女がありながら!」
「え、なになに?この人あにぃの彼女?」
「ちがう。僕に付きまとう蚊だ。」
彼はそう言った。泣きそう。
「またまた、あにぃ。さくらさんのときと同じこと言って。」
彼女はそう言って彼の背中を叩いた。
「おい、金輪際僕の前でその名を口にするな。」
彼は彼女を睨みつけた。
「う、ごめん。」
「分かればいい。」
 私は聞いた。
「ねえ、そのさくらさんが今はあんたの彼女なの?」
「いや、彼女だった。」
「だった?」
「……悪いけどこれ以上話すつもりはない。」
彼はそう言って読書に戻った。
「じゃあ、私は帰るから。あにぃ、さっきの話、考えといてね。」
「ああ。」
彼女はそう言って部屋を出て行った。
「で?僕に何の用だ。」
「ああ。うん、もう一回病院に行くよ。」
「何でだ?第一、もう僕に関わるなって言っただろ。帰ってくれ。」
そう言って本を本棚に戻そうと立ち上がった彼に私は抱きついた。理由は分からなかった。ただ好きな人に拒絶されて寂しくて悲しくて少しでも彼を感じていたかった。こんなときだけ、彼は私を拒絶しないでくれた。それがうれしかった。どのくらいそうしていただろうか。彼のスマホに電話が来て私は彼を離した。
「もしもし?」
『話は聞いたかい?』
「ああ。さっき舞からきいたよ、母さん。でも、急な話だね。」
『仕方がないでしょ。お父さんが急に倒れて今は私が職務代理しているんだから。』
「まったく。で、父さんはいつ仕事に復帰できるの?」
『……もう、復帰は無理みたい。』
「OK で、後約二年は持つ?」
『大丈夫。私がなんとか二年は持たせる。』
「分かった。ありがとう。」
『じゃあ、あの話はOKでいいのね?』
「ええ。お願いします。」
彼はそう言って通話を切ったがすぐにどこかに電話をかけた。
「あ、もしもし?」
・・・
「あの、今から会うことは出来ませんか?」
・・・
「ありがとうございます。では十分後に駅前の喫茶、鳩ノ巣で。」
彼は電話を切った。
「さっきの電話の相手はお母さん?」
「ああ。」
「電話の内容は?」
「別に。ただ高校を卒業したら笠原家の副当主になるってだけだよ。」
「そう、なんだ。」
なぜか寂しく感じた。このままじゃ彼が私の手の届かないところに行っちゃうから。
「悪い。これから出かける用事があるからもう帰ってくれ。」
私にそう言ってダウンを羽織り部屋を出て行こうとした彼の腕を私は掴んだ。
「なんだ?これから用事があるって言っているだろ。離してくれ。」
「いやだ。」
「え?」
「離したくない。」
「……」
「お願い。病院に行って。」
「……悪い。それは無理だ。」
彼はそう言うと私の手を振り解き、部屋を出て行った。私は彼がいなくなった部屋のベッドに腰を下ろした。そこはまるで持ち主を失った物の集まった部屋のようだった。彼は三時間ぐらいしてから帰ってきた。
「なんだ。まだいたのか。もうすぐ六時だ。さっさと帰れ。」
彼はそう言うと何故か荷造りを始めた。
「どこか行くの?」
「お前に言う義理や道理があるのか?さっさと帰ってくれ。もう、僕の聖域を犯されたくない。」
そう言われて私は部屋から追い出された。

僕は母さんとの電話の後に、竹内先生に会いに行った。
「あ、悠くん!こっちこっち。」
「すいません、急に呼び出して。」
「いいのいいの。それより何の用かしら?」
僕はコーヒーを注文する。
「早速本題に入りますが。」
「うんうん。」
「その、アレルギー治療は何をするんですか?」
「毎日少しずつアレルゲンを食べて体を慣らすの。」
「でも、それだと症状が出るのでは?」
「だから病院でやるの。」
「そうなんですか……」
「ところで、急にどうしたの?」
「何がですか?」
「急にこんなに聞いてくるなんて。」
「ああ、彼女に『恋』をしたからですよ。」
僕はそう言って舌を出した。
僕にはそんな資格、無いんだけど。
「なので、『あの条件』を受けます。治療してください。」
「入院は大体一ヶ月よ。」
「お願いします。」

 その翌日
貴幸先生の言葉に驚いた。
「悠介は来ていないのか?」
彼は失踪した。
誰にも何も言わず、ただ忽然と痕跡も残さずに消えた。
彼の部屋に行ってみたがノートパソコンが消えていた。
五〇冊は在ろうかという文庫本も全て消えていた。
彼が病院にいるわけはない。
ならばどこだろう?彼の実家?
でも、それなら昨日の電話で帰る旨を伝えるはずだ。
ここまで考えて私は気がついた。
私は彼のことを何も分かっていなかった。
私はとんだ馬鹿だった。
彼を助けたいと思うばかりで彼のことを何にも分かっていない、ただの迷惑者だ。
その事実に気づいたとき、私の心はひどく傷ついた。
彼が好きだ。
彼の支えになりたい。
そう思い、願った結果、私は彼に拒絶され、彼は私の前から姿を消した。
なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?
なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?
なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?
なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?
なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?なんで?
ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?ナンデ?
なんで私じゃだめなの?なんでそのさくらって子を大事にするの?私には、分からない。
…………………………………………………………………………………………………
その時、違和感を覚えた。昨日来た時と何かが違う。それから私は部屋をひっかき回し、やっとその正体に気づいた。それは出窓の窓際に置いてあったメモ帳だ。
『二階、542』
と書いてある。しかし、何のことか分からない。どう考えてみても
『二階、542』
が、何のことを指しているのか分からない。どうしても分からない。
私には、わからない。
翌日
保健室にて
「どうしたの?竹内さん。」
「谷崎先生。」
「じつは……」
私は淡々と話した。彼が忽然と消えたことなど。そして、メモ帳のこと。
「そう、そんなことが。」
「私はどうすればいいのか分かりません。手がかりもありませんし。」
「そう……じゃあ、見方を変えてみたら?」
「見方を……変える?」
「そう。そのメモ帳には『二階、542』と書いてあったのでしょう?だとしたらあなたは何かを見逃していると思うの。」
「はい。でもどこのことなのかが分からないんです。」
「じゃあ、今日は帰ったら彼の部屋をもう一度尋ねなさい。そこに答えがあると思う。」
「ありがとうございます。」

私が出て行った後の保健室……
「これで、よかったかしら?」
「ええ、ありがとうございます。」
「まったく。あなたは自分の娘のこととなると。」
「すみません。ただ、あの子の初恋なので。」
「て、ことは彼が?」
「おそらく。」

放課後、私は彼の部屋にいた。
『何かを見逃している。』
谷崎先生に言われたとおり、部屋の中をもう一度くまなく探した。その『何か』を見逃さないように。そして私はその『何か』を見つけた。ただ、それは矢印のようにプリンターを向く王将だった。だがプリンターは何も吐き出していない。どうやらはずれのようだ。私はため息をつき、ベッドに横たわった。彼がいつも寝ているベッド。それはついさっきまで人がいたかのように暖かく感じた。そのまま瞼が降り始めたとき、
ぷるるるるるるるるるる
突然固定電話が騒ぎ出した。私が恐怖でその場から動けないでいると留守番電話に切り替わり、機械のような声が聞こえた。
『 p u r i n n t a n o g e n n k o u t o r e i』
そんなアルファベットの羅列が読み上げられた。私はいそいで聞きなおし、解読を試みた。のはいいがまったく分からなかった。このアルファベットの羅列が何を表しているのか。そ
の時、谷崎先生が言っていた言葉を思い出した。
『何かを見逃している。』
そんなはずはない。そう思ったがもう一度部屋を見渡してみた。すると彼の机の上にローマ字の表があった。彼はこれがないとパソコンが使えない?いや、だったら失踪するときに持っていくはずだ。と、その時。最初のp uがぷ、と読むことに気づいた私はさっきのアルファベットの羅列をローマ字で直してみた。すると
『ぷりんたのげんこうとれい』
なんのこっちゃ。私は解読をあきらめて立ち上がったときにさっきのプリンターが目に入った。これはもしかして。私はスマホでさっき解読した文字を変換した。すると
『ぷりんたのげんこうとれい』
『プリンタの原稿とレイ』
『プリンタの原稿トレイ』
「プリンタの原稿トレイ!」
私は叫んだ。そして、そのまま急いでプリンターの原稿トレイを開ける。そこに裏向きになった一枚の紙があった。そこにはワープロの文字で
『写真立ての中』
と書かれていた。
私は部屋を見渡した。
さっきは気づかなかったが窓際に一つだけ写真立てがあった。
その写真を見たとき、私は驚いた。
そこには小学生時代の私と同い年くらいの男の子が写っていた。
「私って昔、彼と会ってたの?」
私は、おぼつかない手つきで写真立てを開けた。
中に紙が入っており、そこには
『私立鷹山大学附属病院』
と、書かれていた。私はいそいで病院に向かった。病院で母さんに会い、さっきの紙を見せると
「へえ、意外と早かったね。」
と意外そうな顔をした。
「で、何階のどこの部屋かは分かったのかな?」
そこに関してはお手上げだったが私はもう一度メモ用紙を見た。
『二階、542』
「二階の245号室?」
「つまりそこは?」
二階の245号室。そこは確か個室だったはず。そこで私は分かった。542というのは語呂合わせで542 こ、し、つ
「個室!」
私はおもわず叫んでしまった。ただの語呂合わせなのに解けなかった。
「ふふふ、あたり。じゃあ行きましょうか。」
母さんはそう言って廊下を早足で歩き始める。私は母さんを追いかけた。
数分後
二階の245号室の前に私はいた。でも、彼に会いに行く勇気が無かった。彼に拒絶された私が彼の前に出て行っても、きっと罵詈雑言を浴びせられるのだろう。私はその勇気が出せなかった。仕方なく一階にある売店に行った。そこに懐かしい飲み物があった。
ラムネ
それは、幼馴染の××がいつも飲んでいた。あれ?その子の名前が思い出せない。とにかく幼馴染と一緒に飲んでいた懐かしい飲みものだ。それを購入して一気に飲み干すと病室の戸を叩いた
コンコン
「どうぞ。」
中から彼の声がして私は扉を開いた。その時、私は新しい人生の第一歩を踏み出した。

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