シエンの国の最後の王

千夜ニイ

シエンの若き王

 そこは小さな国だった。
民はわずかに五百人。
国の広さは二、三の集落と、周囲の森といくつかの山々。
周りとの国交はほとんどなく、小さな国は隠れ里のように静かに暮らしていた。


 だが、ある日その村の平和はドルエドという大国によって壊されようとしていた。
険しい山の道を越え、魔物の出る森を通り、全てを破壊する勢いでドルエドの大軍は攻め込んでくる。
小さな里など大国の前では一踏みで消える虫の命とかわらない。




「王。どうか、あなただけでもお逃げください」
平屋作りの建物の中で、窓からの月光を浴び、一人の兵士が王の前で片膝を着く。王の側近の一人で名を団居まどいと言う。国の執政を助ける里の知将。
短い黒髪、鋭く光る黒い瞳。身に纏うのは動きやすさを重視した軽い部類の鎧。部屋の中にはそんな格好をした者があと七人いた。


 懇願するようなその言葉を、若い王は遮る。長い黒髪、強い意思の宿る漆黒の瞳。
「馬鹿を言うな私はシエンの里の王だぞ。シエンの戦士の王だ。皆を残して私一人が逃げるなどできるわけがない。逃げたところで私には何もなくなるではないか。この里こそが私の全てだ」
王は己の胸に手をあて言い聞かせるように言い、その兵士を立ち上がらせるために手を貸した。
王が纏うのは上等な衣服に細身の体に合った装飾美しい鎧。その鎧には幾度も戦士らと共に戦った証の傷が付いている。
「里の者達こそが私の国なのだ。それを守るために私達は戦うのだろう!」
己の剣を振りかざし、王はその部屋中に響くような大声で言い切った。


 しかし、本来鼓舞されるはずの側近の兵士達はうなだれる。
「何故、黙る。何がいけないのだ。私だって、戦える! まだ父のように偉大ではないが、皆を守るために戦える!」
力を誇示するかのように王はその剣を振ってみせた。素早い一振りはかなりの腕前だとわかる。


「あの大軍では我らは敵いません。最後の一人になろうと、必ず奴らを引き止めます。ですからどうか」
今度は入り口付近に立っていた兵が王に歩み寄り、その剣を収めさせる。国の中で国境の見張りを司るこの男の名は、山見やまみ。そして、切望するように言うと王の手を握った。
「どうか、どうかお逃げください。姫」
「……っ私はもう、姫ではない。王だ! 父が亡くなったその日から、私には国を守る責務がある!」
ついに王は、怒ったように声を荒げた。


 前王は偉大な人物だった。強く、賢く民を守り導いた。
毎日のように森から紛れ込む魔獣たちと戦い、狭い農地でできる作物を皆で分け合えるように工夫した。自ら農具を持って、皆と共に畑仕事にまで手を出して。
その王は昨年、魔物に襲われた傷が元で亡くなった。
 魔物の爪には邪気と呼ばれる毒があった。それを払うために術師が必死に頑張ったが延命する程度の力にしかならなかった。
強力な魔物の邪気は小さな国の中ではどうすることもできなかったのだ。


「国を守る使命があるのは我らです」
そう言った大柄な男の名は獅子倉ししくら。国の兵士を育て纏める里の武将。
獅子倉のその言葉で、兵士達が王の前にずらりと並ぶ。武器を持ち、足を揃え壁のように立ち塞がる。
まるで、この先へは行かせないとでも言う様に。居並ぶ皆の真剣な瞳が若き王を見据える。
困惑したように息を飲む王の耳に、遠い外から鬨の声が聞こえてきた。


 猛々しいそれは、聞き慣れたシエンの言葉ではなかった。

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