シエンの国の最後の王

千夜ニイ

白き力の願うもの

 馬は少女を乗せ、その戦場へと走り込んだ。夜とは思えぬ赤々しい里の姿。
煙と砂が舞い上がり、さらにはまともに息もできない焼けた臭い。
 そこには、少女の大切な者達の傷ついた姿があった。
逃げ惑う家族達、震える兄弟。諦めることなく果敢に挑む戦士達。
それは少女の想像を超えた世界だった。守ろうとしたものの無残に蹂躙された世界。


 シエンの地を埋めるように並ぶ敵の兵士達。一人、また一人と視界の中から仲間が消えていく。
埋め尽くされていく。ドルエドという人の波に。
それが、戦士達が少女に逃げろと言った現実の世界。


 恐怖の浮いた心を少女は叱咤する。たった今それを嘆いてきたというのに。
「走れ」
少女は自分を乗せる馬に言う。その言葉を聞き、少女の恐れで止まっていた馬は迷うことなく前線へと突き進んで行った。
「ドルエドの王よ! 何の恨みを持ってこのシエンの地に参った。ここは我が国シエンの領土! お前が切るのは我が民だ」
そのどす黒い戦場で、白い馬に乗る少女の身は光るように目立っていた。通る声は戦う兵士達の耳に届く。
なぜ戻ってきた、とシエンの戦士達は血の凍りつく思いだろう。
それを感じて少女は微笑む。だからこそ戻ってきたのだと。


 敵に埋もれる仲間に向かい、少女は馬を走らせる。迷うことなく剣を向けると、少女は敵を蹴散らした。
鉄の剣が光をまとう。白い刃は、敵兵の鎧をないものとして切り裂いた。その一振りで、敵をなぎ倒し味方の周りに道が開ける。
少女は馬を降り、倒れた戦士を引き起こす。
その様を、敵であるドルエドの兵士は放心して見守る。大勢の味方が、少女の一太刀に倒れたことに恐れを抱いたようだった。


 少女は動きを止めはしない。身を低く構えれば、敵国王を目指して一直線に突き進む。居並ぶ兵を悪魔の力に身を任せ、切り裂いてゆく。
走る少女の、のどの奥にまで血の臭いが張り付いたようだった。思わず少女は顔をしかめる。
少女の後を追うように、シエンの戦士達が駆けてくる。黒いその集団を、少女は見なくても感じ取ることができていた。
そして、白い刃を一振りするごとに、手元の鉄が軋んでいくこともまた、はっきりと感じていた。


 もう一振り、二振りでドルエド王に手が届く。口に弧を描き、走り続けてきた少女はもう一度、剣の先に気合を込める。
だが、歴史は簡単には動かせない。少女の剣はついに、粉々に砕けて消えた。
鉄くずが光をこぼしきらきらと輝く。
「あと少しでっ」
武器を失くした少女は悔しそうに眉を寄せる。体にめぐらせる気を高め、周囲の敵の持つ武器を見定める。
だが武器を手にしようとして、少女は何かの力が薄れていくのを感じた。


 もう血は要らない、そう心の内から囁かれた気がした。少女は目が覚めたように己の体をかえりみる。その身は赤く染まっていた。
足を止めた少女を守るように、追いついたシエンの戦士達が取り囲む。背を向け合い、中心の少女を庇うように陣を組む。
その男達の壁を見て、少女はもう一度考える。血が要らないのなら、何が欲しいのかと。少女が欲しいのはドルエド国王の首。シエンの地を荒らした憎き者達の死だ。


 少女は唸るように、味方と敵の壁の向こうにいるドルエドの王を睨む。
顔の血を拭おうとして、その手も血にまみれているのに気付く。
「姫さまこれを」
その動作を見ていた一人の男が、少女に布を差し出す。陣を崩さぬように腕を伸ばし、そっと手渡される。


 戦に向かない常に笑ったような顔の男の名は成実なりみ。畑を見守る成実一族の中でも、日がな一日畑仕事だけをしている変わり者。
大きくはないその布で、少女は顔を拭う。豊かなシエンがまぶたに浮かぶ。人々が笑い、小さな草は風を受けて実を揺らす、陽を浴びた稲穂の匂いがした。


 少女は目を開ける。何かの力が少女の内に戻るのがわかった。
私の欲しいのはそれだ。
それが少女の心なのか、内なる力の声なのかはわからない。だが、求めるものは同じだった。

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