ギレイの旅 番外編
ろうやぶり
アーデスと獅子が同じ牢屋に押し込められていた。
利香と白と儀礼の様子が分からないので、二人は下手に動けない。
二人はいらいらとしていた。
アーデスの魔法でも儀礼の様子を探れない。強力な結界の内部のせいだからだと思われた。
彼らを捕らえた者の狙いが、まだ分からない。
『光の剣を渡してもらおうか。』
どこからか、声が聞えてきた。牢屋の片隅にスピーカーが取り付けられていた。
同時にモニター画面が壁に現れる。
『素直に応じてくれればすぐに解放しよう。誰も苦しむことはない。』
スピーカーからはまた音が発せられた。
どうやらアーデス達を捕まえた者の狙いは獅子の持つ『光の剣』のようだった。
しかしだからと言って、そんな言葉に従って『光の剣』を差し出すほど獅子も愚かではない。
動かない獅子とアーデスの様子に、また、スピーカーからは声が流れる。
『一人ずつ痛めつければ状況が分かるかな? 自分から応じてくれる人がいましたよ。』
嘲り笑うような声で、声が告げた。
モニターに電源が入り、現れたのは――膨れっ面の儀礼。明らかに不機嫌である。
見えた限りでは怪我などをしている風には見えない。
思わず、声を上げて笑い出す獅子。
「あいつ、また女に間違われてたのか。」
ゲラゲラと笑う獅子に、ようやく状況を理解して、アーデスも口の端を上げて笑う。
つまり、こちら側の牢は、警戒され厳重に結界で封じられているが、人質の方は戦闘能力が低いと判断された。
儀礼はその、人質の方へと振り分けられたのである。
儀礼はカメラに気付いたようで、一瞬だけ、モニターに視線を合わせた。
『さぁ、どうしましょうか。正しい順序なら、爪を一つずつはぐところからはじめましょうか。』
スピーカーの声が楽しそうに語る。
儀礼にその声に反応した様子はない。モニターの向こう側には、この声は聞えていないのだろう。
両腕を背中側に回され、儀礼の両手は手錠で固定されているのが見えた。
その手が、手錠を外そうとするのとは別で、何かを示すように高速で動いている。
アーデスはそれを読み取る。
(発しろ。声に出せ。)
それは、呪文などを声に出して言えという意味だった。
アーデスは儀礼の指示通りに、その指の動きを読み上げる。
「6、12、ち、3、9、12、ち、30びょう、ばくは……って、ギレイ様、何を!」
よく分からない数字と文字の羅列を送ってきたと思ったら、30秒後にどこかを爆破すると言う儀礼の予告。
アーデスは頭を抱え、暗号文の解読に当たる。
ところが――、 ドゴーン!!
考えるアーデスを無視するように、獅子は背後の壁を壊した。
「おい、黒獅子! 人質を取られているのを忘れたのか?!」
睨むようにアーデスが言えば、苛立った様子で獅子は返す。
「その人質の場所が分かったから行くんだろ、30秒ってすぐじゃねぇか。」
獅子は走り出す。
アーデスはその後を追おうとして止まる。
「人質の居場所は分かるんだな?」
アーデスの言葉に、獅子は眉をひそめて言い返す。
「お前が言ったんだろ。後方、前進、下、右、左、前進、さらに下って。30秒、ぎりぎりだ。」
「……今のは、お前宛のメッセージか。」
しかし、アーデスが居なければ、儀礼の言葉は獅子には読めなかった。
二人が一緒にいることを儀礼は気付いていたらしい。
「人質は任せる。俺はギレイの方へ行く。」
アーデスが言う。
「ああ、任せた。」
言葉を交わし切る前に、二人は別々の方向に走り出す。
アーデスがギレイの元に辿り着いた時には、室内の者は皆、眠りこけ、儀礼は外した手錠を振り回して弄んでいた。
そして、アーデスの姿に気付くと儀礼は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あ、アーデス。無事でよかった。」
その、能天気な笑顔を見て、アーデスは頭を抱えた。
コレの心配をする必要など、初めからなかったようだ、と。
一方、人質の元へ向かった獅子は、二階分の床を壊して地下に辿り着いていた。
出た場所は牢の目の前。
鉄の柵の向こう側に、利香と白がいた。
獅子は目の前にいた、兵士二人が驚いた顔をしている間に、気絶させた。
『ばくは』
アーデスの言った言葉が気になる。
いったい、儀礼はどこを爆破する気なのだろうか。
3・2・1……。
ドゴゴゴゴゴ……。
獅子が鉄の柵を壊して、利香と白を抱えたところで、轟音が鳴り響き、地震の様な揺れが建物を襲った。
獅子は二人を庇うように覆いかぶさった。
しかし、細かな砂利やほこりが降ってきただけで、三人の周囲は無事だった。
儀礼は一体何を爆破したのだろうか。
地下なら普通、上に上がらなければ逃げ道はない。
逃げられないのだが……獅子たちの目の前に、外へと通じる道が見えた。
小高い丘の上にあったらしい、この建物の地下は、外から見れば高い位置にあり、トンネルのような穴を開ければそこは、外の道へと繋がっていた。
人の通れる大きさの穴を地面に何十メートルと作る。
いったい、何をどうやったらこんなことになるのか。
白は呆然と目を見張る。
「出口か。用意がいいじゃねぇか。」
にやりと笑って、獅子は言う。
「了様、必ず来てくれると思いました。」
嬉しそうに利香は笑う。
「待って、お願い、私達も助けて!!」
必死な声に振り向けば、利香たちが捕まっていた以外にも牢はいくつもあって、その中には、たくさんの少女たちが捕まっていた。
三人で逃げるだけにしては広い逃げ道。
獅子たちは何の迷いもなく、その少女達を救出したのだった。
――その後の儀礼の話によれば。
「だってさ、連れて来る時に目隠ししないなんて、場所も建物も知らせてるようなものじゃん。僕らのこと逃がす気なんてなかったよ、あの人たち。」
「それは分かりますが、それでナゼ、このようなトンネルを作ることに?」
アーデスの顔は笑っているようにも見えるが、実際にはその地面に空いた大穴を見て、呆れていた。
「だって、他にもたくさん捕まってる人がいるの見えちゃったから。絶対普通の町の女の子達でしょ。白や獅子みたいに走る体力あればいいけど、利香ちゃんみたいだって考えたら、あれ位しないと逃げられないでしょ。」
当たり前のことのように儀礼は言う。
「まさかとは思いますが……捕まってから知ったんですよね、あの少女達のことは。」
アーデスの声には軽く怒りが含まれていた。
「も、もちろんだよ。その前に知るわけないよ。僕、ここ来たことないし!」
慌てたように震えて儀礼は答える。
「宿の周辺では、何人か子供が居なくなったって言ってたけどな。」
噂で聞いたよな、と軽い調子で獅子は言う。
儀礼の顔は青くなった。
ちょっと調べれば、儀礼の情報屋たちはそれを探し当てる。
そして、儀礼一人にそれを対処する能力がなかったとしたら……。
「ギレイ様、少々二人きりでお話ししませんか。」
おだやかな、優しい微笑みを浮かべてアーデスは言う。
その表情とは裏腹に、アーデスから放たれる、身を焼く恐ろしい怒気に儀礼は体を震わせる。
「申し訳ありません。先を急ぐ旅なもので、時間を取ることができません。管理局や警備兵との後処理に関しての打ち合わせもありますし、知ってる人でも許可がなければついて行ってはいけないとの父の仰せです。」
様々な理由を並べ立てて、儀礼は恐怖を遠ざけようと試みる。
絶対に、アーデスは儀礼の情報源を突き止め、掌握しようとするつもりだ。
アナザー、サイザール、モク爺、花巫女、迷惑をかけるわけにはいかない。
怯えた儀礼の顔に、アーデスは溜息を吐く。
「素直に力を貸せとは言えないのか?」
「アーデスなら言う?」
逆に問いかけられ、アーデスは考える。
まず、誰かに力を借りようと思ったことがなかった。
借りを作れば返さなければならない。
金で解決できればいいのだが、この少年の場合は、求められて困る情報を持っている。
借りはできるならば作らない方がいい。
それでもやはり、騙されて、利用されるのは気分のいいものではない。
この結果のすべてが偶然だったのだとしても、それは儀礼の望んだ結果になった。
(読み負けたということか。)
アーデスはもう一度深く息を吐いた。
納得すれば、不思議と怒りは治まった。
儀礼の持つ、瞬時に物の構造を見抜く目は便利だ。
「言えば、力を貸してくれるのか?」
苦笑のような笑みを浮かべて、アーデスは自分よりずっと低い位置にある瞳に問いかける。
「喜んで!」
満面の笑みで、答える儀礼。
「あれ?」
次の瞬間には、自分で自分の答えに疑問を持ったようで、儀礼は不思議そうにその瞳を瞬いた。
くくくっ、アーデスは可笑しくなって笑い出す。
この少年は、他人のためには素直なのに、自分のためには動けないらしい。
強い警戒心。
それは間違ってはいない。
『知っている人でもついていくな』そう教えられ育てられたということは、幼い頃から、身の危険を自分でも感じて育ったのだろう。
それでよく、ここまで心を開けて育った、と言えるだろう。
「お前は、利用されることには納得してるのか?」
アーデスは今度は獅子へと問いかけてみた。
この蜃気楼と、幼い頃から一緒にいるという黒獅子は、どう思っているのか。
すでに諦めているのか。それとも、利用されているということにすら気付いていないのか。
「利用?」
不思議そうに問い返す獅子はやはり気付いていないようだった。
「今回の事件、ギレイが企てたものだったとしたらどうだ?」
試すようにアーデスは聞く。
獅子はじっと儀礼の顔を見た。目を真っ直ぐに見る。
黒獅子の心そのままのように。
それを儀礼は、「何?」とでも言いたげに瞳を瞬かせ、真っ直ぐに見返している。
アーデスの時のように逃げる素振りはない。
「捕まったのはわざとじゃないんだよな。」
「うん。」
当然、というように儀礼は頷く。その姿は、アーデスがいつも見ている儀礼よりもずっと幼く見えた。
「お前は、できる範囲で最善を尽くした。そういうことだな。」
また、確かめるように獅子は言う。
「うん。ごめん。」
儀礼は謝った。瞳を伏せて。
「謝るな。利香を守れなかったのは俺のせいだ。それは『俺の役目』だからな。」
視線を逸らし、顔を赤くして、獅子は言った。その言葉は、さりげなく儀礼を威嚇している。
この少年にとってもやはり、蜃気楼はある意味では、脅威であるらしい。
利香と白と儀礼の様子が分からないので、二人は下手に動けない。
二人はいらいらとしていた。
アーデスの魔法でも儀礼の様子を探れない。強力な結界の内部のせいだからだと思われた。
彼らを捕らえた者の狙いが、まだ分からない。
『光の剣を渡してもらおうか。』
どこからか、声が聞えてきた。牢屋の片隅にスピーカーが取り付けられていた。
同時にモニター画面が壁に現れる。
『素直に応じてくれればすぐに解放しよう。誰も苦しむことはない。』
スピーカーからはまた音が発せられた。
どうやらアーデス達を捕まえた者の狙いは獅子の持つ『光の剣』のようだった。
しかしだからと言って、そんな言葉に従って『光の剣』を差し出すほど獅子も愚かではない。
動かない獅子とアーデスの様子に、また、スピーカーからは声が流れる。
『一人ずつ痛めつければ状況が分かるかな? 自分から応じてくれる人がいましたよ。』
嘲り笑うような声で、声が告げた。
モニターに電源が入り、現れたのは――膨れっ面の儀礼。明らかに不機嫌である。
見えた限りでは怪我などをしている風には見えない。
思わず、声を上げて笑い出す獅子。
「あいつ、また女に間違われてたのか。」
ゲラゲラと笑う獅子に、ようやく状況を理解して、アーデスも口の端を上げて笑う。
つまり、こちら側の牢は、警戒され厳重に結界で封じられているが、人質の方は戦闘能力が低いと判断された。
儀礼はその、人質の方へと振り分けられたのである。
儀礼はカメラに気付いたようで、一瞬だけ、モニターに視線を合わせた。
『さぁ、どうしましょうか。正しい順序なら、爪を一つずつはぐところからはじめましょうか。』
スピーカーの声が楽しそうに語る。
儀礼にその声に反応した様子はない。モニターの向こう側には、この声は聞えていないのだろう。
両腕を背中側に回され、儀礼の両手は手錠で固定されているのが見えた。
その手が、手錠を外そうとするのとは別で、何かを示すように高速で動いている。
アーデスはそれを読み取る。
(発しろ。声に出せ。)
それは、呪文などを声に出して言えという意味だった。
アーデスは儀礼の指示通りに、その指の動きを読み上げる。
「6、12、ち、3、9、12、ち、30びょう、ばくは……って、ギレイ様、何を!」
よく分からない数字と文字の羅列を送ってきたと思ったら、30秒後にどこかを爆破すると言う儀礼の予告。
アーデスは頭を抱え、暗号文の解読に当たる。
ところが――、 ドゴーン!!
考えるアーデスを無視するように、獅子は背後の壁を壊した。
「おい、黒獅子! 人質を取られているのを忘れたのか?!」
睨むようにアーデスが言えば、苛立った様子で獅子は返す。
「その人質の場所が分かったから行くんだろ、30秒ってすぐじゃねぇか。」
獅子は走り出す。
アーデスはその後を追おうとして止まる。
「人質の居場所は分かるんだな?」
アーデスの言葉に、獅子は眉をひそめて言い返す。
「お前が言ったんだろ。後方、前進、下、右、左、前進、さらに下って。30秒、ぎりぎりだ。」
「……今のは、お前宛のメッセージか。」
しかし、アーデスが居なければ、儀礼の言葉は獅子には読めなかった。
二人が一緒にいることを儀礼は気付いていたらしい。
「人質は任せる。俺はギレイの方へ行く。」
アーデスが言う。
「ああ、任せた。」
言葉を交わし切る前に、二人は別々の方向に走り出す。
アーデスがギレイの元に辿り着いた時には、室内の者は皆、眠りこけ、儀礼は外した手錠を振り回して弄んでいた。
そして、アーデスの姿に気付くと儀礼は嬉しそうに笑みを浮かべた。
「あ、アーデス。無事でよかった。」
その、能天気な笑顔を見て、アーデスは頭を抱えた。
コレの心配をする必要など、初めからなかったようだ、と。
一方、人質の元へ向かった獅子は、二階分の床を壊して地下に辿り着いていた。
出た場所は牢の目の前。
鉄の柵の向こう側に、利香と白がいた。
獅子は目の前にいた、兵士二人が驚いた顔をしている間に、気絶させた。
『ばくは』
アーデスの言った言葉が気になる。
いったい、儀礼はどこを爆破する気なのだろうか。
3・2・1……。
ドゴゴゴゴゴ……。
獅子が鉄の柵を壊して、利香と白を抱えたところで、轟音が鳴り響き、地震の様な揺れが建物を襲った。
獅子は二人を庇うように覆いかぶさった。
しかし、細かな砂利やほこりが降ってきただけで、三人の周囲は無事だった。
儀礼は一体何を爆破したのだろうか。
地下なら普通、上に上がらなければ逃げ道はない。
逃げられないのだが……獅子たちの目の前に、外へと通じる道が見えた。
小高い丘の上にあったらしい、この建物の地下は、外から見れば高い位置にあり、トンネルのような穴を開ければそこは、外の道へと繋がっていた。
人の通れる大きさの穴を地面に何十メートルと作る。
いったい、何をどうやったらこんなことになるのか。
白は呆然と目を見張る。
「出口か。用意がいいじゃねぇか。」
にやりと笑って、獅子は言う。
「了様、必ず来てくれると思いました。」
嬉しそうに利香は笑う。
「待って、お願い、私達も助けて!!」
必死な声に振り向けば、利香たちが捕まっていた以外にも牢はいくつもあって、その中には、たくさんの少女たちが捕まっていた。
三人で逃げるだけにしては広い逃げ道。
獅子たちは何の迷いもなく、その少女達を救出したのだった。
――その後の儀礼の話によれば。
「だってさ、連れて来る時に目隠ししないなんて、場所も建物も知らせてるようなものじゃん。僕らのこと逃がす気なんてなかったよ、あの人たち。」
「それは分かりますが、それでナゼ、このようなトンネルを作ることに?」
アーデスの顔は笑っているようにも見えるが、実際にはその地面に空いた大穴を見て、呆れていた。
「だって、他にもたくさん捕まってる人がいるの見えちゃったから。絶対普通の町の女の子達でしょ。白や獅子みたいに走る体力あればいいけど、利香ちゃんみたいだって考えたら、あれ位しないと逃げられないでしょ。」
当たり前のことのように儀礼は言う。
「まさかとは思いますが……捕まってから知ったんですよね、あの少女達のことは。」
アーデスの声には軽く怒りが含まれていた。
「も、もちろんだよ。その前に知るわけないよ。僕、ここ来たことないし!」
慌てたように震えて儀礼は答える。
「宿の周辺では、何人か子供が居なくなったって言ってたけどな。」
噂で聞いたよな、と軽い調子で獅子は言う。
儀礼の顔は青くなった。
ちょっと調べれば、儀礼の情報屋たちはそれを探し当てる。
そして、儀礼一人にそれを対処する能力がなかったとしたら……。
「ギレイ様、少々二人きりでお話ししませんか。」
おだやかな、優しい微笑みを浮かべてアーデスは言う。
その表情とは裏腹に、アーデスから放たれる、身を焼く恐ろしい怒気に儀礼は体を震わせる。
「申し訳ありません。先を急ぐ旅なもので、時間を取ることができません。管理局や警備兵との後処理に関しての打ち合わせもありますし、知ってる人でも許可がなければついて行ってはいけないとの父の仰せです。」
様々な理由を並べ立てて、儀礼は恐怖を遠ざけようと試みる。
絶対に、アーデスは儀礼の情報源を突き止め、掌握しようとするつもりだ。
アナザー、サイザール、モク爺、花巫女、迷惑をかけるわけにはいかない。
怯えた儀礼の顔に、アーデスは溜息を吐く。
「素直に力を貸せとは言えないのか?」
「アーデスなら言う?」
逆に問いかけられ、アーデスは考える。
まず、誰かに力を借りようと思ったことがなかった。
借りを作れば返さなければならない。
金で解決できればいいのだが、この少年の場合は、求められて困る情報を持っている。
借りはできるならば作らない方がいい。
それでもやはり、騙されて、利用されるのは気分のいいものではない。
この結果のすべてが偶然だったのだとしても、それは儀礼の望んだ結果になった。
(読み負けたということか。)
アーデスはもう一度深く息を吐いた。
納得すれば、不思議と怒りは治まった。
儀礼の持つ、瞬時に物の構造を見抜く目は便利だ。
「言えば、力を貸してくれるのか?」
苦笑のような笑みを浮かべて、アーデスは自分よりずっと低い位置にある瞳に問いかける。
「喜んで!」
満面の笑みで、答える儀礼。
「あれ?」
次の瞬間には、自分で自分の答えに疑問を持ったようで、儀礼は不思議そうにその瞳を瞬いた。
くくくっ、アーデスは可笑しくなって笑い出す。
この少年は、他人のためには素直なのに、自分のためには動けないらしい。
強い警戒心。
それは間違ってはいない。
『知っている人でもついていくな』そう教えられ育てられたということは、幼い頃から、身の危険を自分でも感じて育ったのだろう。
それでよく、ここまで心を開けて育った、と言えるだろう。
「お前は、利用されることには納得してるのか?」
アーデスは今度は獅子へと問いかけてみた。
この蜃気楼と、幼い頃から一緒にいるという黒獅子は、どう思っているのか。
すでに諦めているのか。それとも、利用されているということにすら気付いていないのか。
「利用?」
不思議そうに問い返す獅子はやはり気付いていないようだった。
「今回の事件、ギレイが企てたものだったとしたらどうだ?」
試すようにアーデスは聞く。
獅子はじっと儀礼の顔を見た。目を真っ直ぐに見る。
黒獅子の心そのままのように。
それを儀礼は、「何?」とでも言いたげに瞳を瞬かせ、真っ直ぐに見返している。
アーデスの時のように逃げる素振りはない。
「捕まったのはわざとじゃないんだよな。」
「うん。」
当然、というように儀礼は頷く。その姿は、アーデスがいつも見ている儀礼よりもずっと幼く見えた。
「お前は、できる範囲で最善を尽くした。そういうことだな。」
また、確かめるように獅子は言う。
「うん。ごめん。」
儀礼は謝った。瞳を伏せて。
「謝るな。利香を守れなかったのは俺のせいだ。それは『俺の役目』だからな。」
視線を逸らし、顔を赤くして、獅子は言った。その言葉は、さりげなく儀礼を威嚇している。
この少年にとってもやはり、蜃気楼はある意味では、脅威であるらしい。
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