ギレイの旅 番外編
怪しげな宗教団体に儀礼は攫われた
怪しい宗教団体に、『奇跡の人』として、聖人扱いで連れ攫われていた儀礼。
助けるはずの護衛達は、そこで床にも置かれぬ扱いをされているであろう、助けがいのない護衛対象に、しばらく様子を見ることにしたらしい。
だが、実際には、その団体は聖人の血を体内に取り込むことにより、どのような病や怪我からも治る奇跡を起こすと信じている者達の集まりだった。
事実、上位の研究者の中には、多くの病原菌や毒に耐性を持ち、その血から毒消しを作ることができるということは確認されていた。
そして儀礼は最高ランクの研究者、Sランクの『蜃気楼』である。
その団体の者達がその血を欲したのも、おかしくはない。
ただし、儀礼自身はそれほど多くの耐性を持っていなかった。
それがあるのは、儀礼ではなく、図らずも実験体となってしまった獅子の方である。
もしくは、儀礼の護衛であるアーデスも恐ろしいほどの抗体を持っていると考えられる。
アーデスの得意とする薬品の扱い。
儀礼の知る限り、数百という薬品の、そのほとんどに、アーデスは耐性を持っていると考えられた。
「……だからアーデスは怖いんだ。」
誰もいない小さな部屋で、儀礼はポツリと呟いた。
大量の血を抜かれ、塔のてっぺんのような小さな部屋に監禁され、儀礼はほとほと困っていた。
白衣も連絡手段の手袋と眼鏡も奪われてしまっている
着ているのは上質の服だが、残念ながら、儀礼のサイズに合っているというだけで何の仕掛けもない。
小さな窓はあったが、そこから逃げ出すには、最低限まで体重を落とさなくてはならない。
そして、それをしてしまえば、逃げ出すための体力が底を尽きる。
血を抜かれた現状で、すでに力は出ないのだが。
彼らに出される食事も、儀礼は食べる気にはなれなかった。
どうも、血の匂いがするのだ。
儀礼から血を奪うために、鉄分の多いレバーやほうれん草を入れてくるなら分かる。
しかし、それらの料理からは明らかに血、そのものの匂いがした。
直接血を摂らせようと言う考えらしかった。
気持ち悪くて、食欲など湧かない。
お腹は空くし、力は出ないし、血は足りないし。
儀礼は散々な思いの中で、自力で抜け出す方法を考え続けていた。
この二日の間に、儀礼はいろいろと調べだした。
部屋を出る時にはいつも監視が付くのだが、それでも広い敷地内をある程度自由に移動することが許されていた。
貧血のために、たいした距離を歩くこともできなかったのだが。
大きな組織、神殿のような建物。
精霊を祀る神殿とはまったく別の考えを持った団体。
中には貴族のような者もちらほらと混ざっていた。
信者の中には病人なども多かったが、一番多いのは、研究者の様にも思えた。
宗教という名を利用した、ただの研究団体だ。
儀礼の血を、利用されてはたまらない。
種類は少ないとは言え、まったく何の抗体も持っていないとは言えないのだ。
それから、儀礼の閉じ込められているせまい監禁部屋の中には、以前にも人のいた形跡があった。
髪の毛や衣服から考えるなら、若い女性、もしくは少女。それも一人や二人ではない。
この環境を考えるなら、いずれも儀礼と同じ目的でつれてこられ、そして……この暮らしでは長くは生きられまい。
きっと、聖なる格が上がり、神の元へ旅立ったとか、そういう理解不能の解釈をされているのだろう。
冗談ではない。
儀礼はまだ、そんな所へ旅立つつもりはないのだ。
一人でいる時間、儀礼はあまりの空腹に、大好きな木の実の事を考えた。
「食べたいな。」
何を、とは言わなかった。ぽつりと、それだけを呟いたのだ。
扉の外にも、その時には人の気配はなかった。
突然、壁の板が『成長』した。
枝を生やし、つるを伸ばし、儀礼の手の上へ、いくつかの木の実を落とした。
何が起きたのか、など、儀礼に理解できるわけがなかった。
しかし、それは食べることの出来る木の実。
久しぶりの血の匂いのしない食物だった。
儀礼はそれを少しだけ食べた。
本当は全部を食べてしまいたいほどお腹が空いている。
しかし、ここから脱出するためには、タイミングを計らなければならない。
その時のために、最終用として、儀礼はその木の実を衣服の中に隠した。
しかし、ものごとはうまくいかない。
儀礼の隠し持っていた木の実が、芽を出し一瞬で、成長し、新たな木の実を生み出した。
――――人の目のある場所で。
たちまち、儀礼は強力な聖人だの、天使だのと呼ばれ、今まで異常に、監禁が厳しくなった。
「どういうことだよこれ。」
また、一人、聞くもののいない言葉を儀礼はポツリと吐いた。
そろそろ体力は限界に近付いていた。
思考はまともに働かなくなってくる。
ある日、一人の貴族が儀礼に謁見を申し込んできたという。
貴族が『謁見』とか言う時点で、儀礼には意味が分からない。
まず、間違いなく、儀礼は平民の子であるのだ。
現れたのは、身なりはいいが、疲れ果てたような顔をした初老の男だった。
「私の娘は不治の病にかかっております。どうか、どうか、あなた様のお力で娘を救っていただきたいのです。娘はまだやっと8歳です。死ぬには早すぎます。どの医者にも見離されました。この国の医学では助けることは無理だと。」
泣き付くような勢いで、男はひざまずいたまま、儀礼の服に縋る。
「この国、フェードは、魔法と機械と遺跡の文化が融合して高度な文明にはなっていますが、決して、医学が進んでいるわけではないですよ。医療を求めるならばアルバドリスクの北方の国、マルチルに行くべきです。僕の血なんか飲んだって、病気が治るわけないじゃないですか。僕は……見て分かりませんか? 普通の人ですよ。」
縋る男に、儀礼は力なく両手を広げて示して見せる。
弱った身体を回復するような力もない、ただの、人間なのだ。
「マルチルの医療機関宛の紹介状を書きます。ペンと紙はありませんか? 例えその国の医師達と面識はなくとも、僕は『ドルエドの蜃気楼』、『Sランク』の地位くらい利用して見せますよ。」
借りたペンと紙に儀礼はその男の事情と、聞き出した娘の症状。そして、最先端の治療を依頼する手紙を書いた。
この男は貴族だと言った。治療費は自分で払えるはずだ。
「移動は移転魔法でも、転移陣でも、娘さんに可能なものを選んでください。そしてもう、こんな宗教まがいのものに引っかかってはいけませんよ。」
ペンと紙を男に返して、儀礼は力なく笑う。
この男に助けを求めても、きっとすぐに他の者にかぎつけられ、この男にまで危険を及ぼしてしまうことになるだろう。
そう思うと、儀礼には目の前の、貴族ではあるが、あくまで一般の相手に助けを求めることなどできなかった。
「何か、どうしてもお礼をさせてください!!」
最初に縋ってきた時よりも強い力で、貴族の男は儀礼に懇願する。
脱出の手伝いをさせるわけにはいかない。
食事を頼んでも、結局、見張りの者に止められるか、血の匂いのする料理に変えられてしまうことだろう。
儀礼はその食事に手をつけないために、いつも長時間それらの料理は部屋の中に置かれている。
いつの間にか、その小部屋の中は、血なまぐさい匂いが染み付いていた。
「――花を。」
しばらく考えた後、儀礼はその貴族の言うお礼と言うものに、部屋のにおいが消えるほどの花を頼んでみた。
「大きなかご、一つ分くらい、のたくさんの花をお願いしてもいいですか?」
本当は、まだ、その娘が助かると決まったわけでもないので、御礼を貰う権利など儀礼にはない。
だがもう、何か助けが欲しかった。
その日のうちに、部屋が埋まりそうになるほどの大量の花が儀礼の小部屋へと届いた。
見張りの物も、団体の代表者も、何も言わなかった。
『謁見』に満足した貴族の、儀礼への貢物か何かとして解釈されたらしい。
都会に住む者は知らないかもしれないが、花の中には食べられるものも、毒になるものもある。
儀礼はあえて花の指定をしなかった。
近くの花屋の花を買い占めたようにして届けられた花には色々な種類の物があった。
とりあえず、儀礼は餓死することだけは免れそうだった。
「ぜひ、古代の言葉でのスピーチを。」
そう、この宗教団体の代表に言われたのは、儀礼が監禁されて五日目のこと。
『蜃気楼』の代表的な功績といえば、遺跡である『氷の谷』の復旧と古代の生きた人間の復活である。
古代の言葉を理解出来る者はいないが、その偉大さをアピールしたいらしい。
それなりに大きな団体らしく、あちこちに支部があるらしい。
そこに向けて一斉放送を行うと言う。
『やりたくない。』
と言えば、どうなるのだろうか。
食事は元々食べてはいないが、このままいくと無理やり口に押し込まれそうだった。
花びらと、なぜか成る小さな種だけでは身は持たない。
なぜかガタイのいい見張りの男達に、力負けするのは目に見えている。
どうせなら、世話係に可愛い女の人でも付けてくれればいいのに、などと心の中で愚痴ってみるが、逃げる可能性があるからこその人選なのだろう。
確実に世の中間違っていると、儀礼は大きな溜息を吐いた。
そろそろ帰らないと、本気で獅子が心配を始める頃だ。
「わかりました。」
決して、反抗的な態度を取ってきたわけではない。
儀礼が素直に言えば、代表者は満足そうに笑って部屋を出て行った。
『飼い殺し』、そんな言葉が儀礼の頭の中に浮かぶ。
見目の良い者や、何かしら聖人と理由の付けられる者を見つけて来ては、その血やグッズを高く売りつけて金儲けをしているのだろう。
儀礼のような研究者なら、その血液は研究施設に回されているはずだ。
だが、不思議なことに、儀礼の知識を欲しがられたことはない。
本当に、その部分に関しては、宗教的なものとしての扱いなのかもしれない。
偶像、崇拝物。神の使い。
「僕、人間なのに。」
誰も、聞く者のない声を、今日も儀礼は呟く。
盛大に飾られた台の上に、黒いマイクが乗っている。
舞台の上には大量の花。
なぜか儀礼は花が好きだと誤解されたらしく、あの貴族の男が来た日から、儀礼の元には毎日新しい花が大量に届く。
食事に困らなくなったのは助かる。
栄養面に関しては多目に見るしかない。
しかしやはり、こういう状況になれば、色々な物が食べてみたくなるものだった。
儀礼はいよいよ何かのスピーチとやらをしなければいけないらしい。
それは、のりごとや、お祈りや、お経や、そういった類の物になるらしい。
今までの祀り上げられた少女たちはどうしていたのだろうか。
何か、適当なものでも作られて、読まされていたのだろうか。
儀礼も一応原稿のようなものは貰った。
無難に記された平和を願うような言葉の数々。それを、古代の言葉に直して読めと儀礼は言われた。
それを、儀礼をこんな目にあわせているこの代表の男が書いたのだと思えば、心など篭っているとも思えず、そのまま読む気にもなれなかった。
なのでもちろん、覚えてなどいない。
いや、一度は目を通したので、大体はわかるのだが、とにかく、読むつもりはない。
なので、その時スピーチとして儀礼の口から出てきたのは、全て、食べ物の名前となった。
仕方がない、そういう心境だったのだ。
『えっと、血の匂いのしない料理が食べたいな。トマトソースのスパゲッティとか、だしの効いたうどんとか、漬物もいいよね、あっさりした味の濃すぎないやつ。』
古代の言葉に置き換えて、儀礼は今の気分をマイクに向かって語りかける。
どうせ、これを聞いている人間の中に、理解できる者がいるとは思えない。
誰も理解できないからこそ、氷の谷で、人間に戻された古代の人たちは途方にくれたのだ。
遠い昔に滅んだ国の言葉たち。
それに、儀礼は願いを込める。
『本当は、から揚げとか、肉の入ったシチューとも好きなんだけど、何の肉か分からないのはちょっと、無理かな。あと、何食べて育ったか分からない雑食とか肉食の動物よりは、草食とか、穀物食べて育つ鳥の方が好きかな。うん、でもこれ食べちゃう話だよね。でも食べなきゃ生きられないんだ。』
真剣な顔で、演説台に立ち儀礼はそれらの言葉を語る。
周りの大人たちは、何か感心し、中には涙を流して感激している者までいる。
ようは、気分なのだろう。
儀礼が何を言っても、儀礼の言葉など、そこで話を聞いている者達には関係ない。
『本当は……食べるよりなにより……帰りたいよ。』
にっこりと笑って、儀礼は演説にふさわしい丁寧なお辞儀をしてその舞台を降りた。
「素晴らしい演説だった。ほら、あのように、感動に打ち震えているものまでいる。言葉など伝わらなくとも、やはり、特別な者の声にはなにか特別な力があるのだろう。」
何かを納得したように、代表の男が儀礼を褒めたて、頷いている。
「うまくできたでしょうか。僕には自信がありません。疲れたので、もう、休ませてもらいます。」
世の中の何もかもが、儀礼には、理解できないものに変わっていきそうだった。
儀礼に与えられた、塔のてっぺんの小さな部屋。
ついているのは小さな窓。
その外から、なにか声が聞えた来たがした。
聞きなれた、親しんだ、温かい声。
もう、その小さな窓を通れるほど儀礼の体は細くなっていた。
「今ならいけるかな。」
うまく着地できる確立は半々だ。
体力の落ちた今、広い敷地内を逃げ切れるかもわからない。
だが、人が大勢いる今日はまぎれて逃げるには絶好の日和と思えた。
儀礼は一目で位の高い者と分かる、上質な衣を脱ぎ捨てた。
中着だけになれば、目立ちはするかもしれないが、それがここの聖人、神の使いだなどとは誰も思わないだろう。
救いを求めて来た近所の孤児とでも思ってくれればいい。
あとは、目立つ髪を隠すためにシーツを破いてバンダナの替わりにする。
「降りれるかな。」
小さな窓を見て、また一人で、儀礼は呟いた。
儀礼の声を聞く者は、いない。
「どこだ!!! どこにいるんだっ!! 出せ! 儀礼を出せ! あいつに会わせろ!」
聞えるはずのない声が、やはり、その窓の向こうから聞えてきた。
儀礼は出るはずのない力で持って、その小さな窓に駆け寄った。
いた。
いるはずのない、黒髪の少年が、その塔の下で、見張りの男達と格闘している。
剣を鞘から抜かないままに、暴れまわっている。
そのとなりで、呆れたような顔をしているのは、金髪の背の高い、世界最強クラスの実力を持った、儀礼の恐れるほど強い男だ。
気付いたときには、儀礼はその窓をすり抜けていた。
後はただ、落下するだけ。
その時になって初めて、儀礼は自分に、着地する力などなかったことに気付いた。
もう、自分の身体が思うように動かないのだ。
重力に逆らい、猛スピードで落ちる身体を支える力などなかった。
けれど、心配などいらない。
そこにはいるのだ。
儀礼の友人が。
ドサり。
その背中の上に、負ぶさるように儀礼は落ちた。
「獅子、ただいま。」
ポツリと儀礼は言った。
「ただいまじゃねぇ!! 何してやがった。何の連絡もしねぇで、やっとこいつらに聞いたら、料理がどうの、腹減っただの、帰れないならもっと早く言え!!」
状況的に帰ると言えなかったのに、無茶を言う友人だ。
「ごめん、ちょっと、力でない。おぶって。」
へらへらと笑って、儀礼は言ってみた。
疲れたからおんぶして、などといえば、大抵いつも断られる。拳つきで。
けれど、今回はさすがに体が動かない。こぶしはやめてもらいたい。
「……何が、どうなってんだよ。」
「ご飯、食べたくなかったから、食べなかった。」
負ぶわれたまま、獅子の耳元で言ったら、地面に落とされた。
冷たい友人だ。
「ごめん、アーデス。白衣取られた。みつけられないかな?」
座り込んだまま、尋ねてみれば、アーデスは儀礼のことをじっと見る。
「それならコルロとワルツが見つけるだろう。食事は何日取ってない?」
「来た日から?」
聞かれて、まともに思考も働かないので、正直に答えてしまった。
面倒で、アーデスの裏をかく気にもなれない。
「5日。水分は?」
睨むように儀礼を見るアーデスの目も、儀礼には見えない。
儀礼は地面に生える芝生の感触が気持ちよくてなんどもそっと撫でてみた。
「一日一回、水浴びはできたから、その時に。でも人口の噴水になぜか、果実が流れてきちゃって、また『奇跡だ』何だって、余計に監禁がひどくなってさ。食べておけばよかったかな。食事って、みんな血の匂いがしてさ。食べる気しなかった。花くれた人がいて、その花びらとか蜜とかで結構生きられるものだね。」
はは、と儀礼は笑う。
太陽が暖かかった。
獅子が、また無言で負ぶってくれた。
動くのが面倒だったので正直助かる。
冷たいなどと思って悪かった。
背中にあった帯剣用の金具が腰に提げ替えられている。
儀礼を負ぶうために、わざわざ持ち替えるようにしてくれたらしい。
「……食事は、最悪の場合、精神を破壊する薬品が含まれていた可能性がありますからね。摂らなくて正解です。」
口元に手を当てアーデスは言った。
「血をね抜かれたんだ。だから、動けないの。うー、血が足りない。」
めまいにくらくらとしながら儀礼は呟いた。
「私の血を分けられたらいいのですが。」
アーデスが言った。
「血は型があるからね、違うと大変だよ。アーデスの血液は何型?」
血液にいくつかの型があることを儀礼は知っていた。
先進の医療国マルチルで発見された知識らしいが、面白くて儀礼は大勢の血液サンプルを調べてみたのだ。
子供の頃に、身近で手に入れたものだけだが。
アーデスは、一瞬戸惑ったような顔をした。
「……私の血の色は赤ですが。」
「そうなんだ、よかった。僕の血の色も赤だよ。」
アーデスの真面目な顔に、なんだかとっても安心して、儀礼は獅子の背中で久しぶりの深い眠りについた。
助けるはずの護衛達は、そこで床にも置かれぬ扱いをされているであろう、助けがいのない護衛対象に、しばらく様子を見ることにしたらしい。
だが、実際には、その団体は聖人の血を体内に取り込むことにより、どのような病や怪我からも治る奇跡を起こすと信じている者達の集まりだった。
事実、上位の研究者の中には、多くの病原菌や毒に耐性を持ち、その血から毒消しを作ることができるということは確認されていた。
そして儀礼は最高ランクの研究者、Sランクの『蜃気楼』である。
その団体の者達がその血を欲したのも、おかしくはない。
ただし、儀礼自身はそれほど多くの耐性を持っていなかった。
それがあるのは、儀礼ではなく、図らずも実験体となってしまった獅子の方である。
もしくは、儀礼の護衛であるアーデスも恐ろしいほどの抗体を持っていると考えられる。
アーデスの得意とする薬品の扱い。
儀礼の知る限り、数百という薬品の、そのほとんどに、アーデスは耐性を持っていると考えられた。
「……だからアーデスは怖いんだ。」
誰もいない小さな部屋で、儀礼はポツリと呟いた。
大量の血を抜かれ、塔のてっぺんのような小さな部屋に監禁され、儀礼はほとほと困っていた。
白衣も連絡手段の手袋と眼鏡も奪われてしまっている
着ているのは上質の服だが、残念ながら、儀礼のサイズに合っているというだけで何の仕掛けもない。
小さな窓はあったが、そこから逃げ出すには、最低限まで体重を落とさなくてはならない。
そして、それをしてしまえば、逃げ出すための体力が底を尽きる。
血を抜かれた現状で、すでに力は出ないのだが。
彼らに出される食事も、儀礼は食べる気にはなれなかった。
どうも、血の匂いがするのだ。
儀礼から血を奪うために、鉄分の多いレバーやほうれん草を入れてくるなら分かる。
しかし、それらの料理からは明らかに血、そのものの匂いがした。
直接血を摂らせようと言う考えらしかった。
気持ち悪くて、食欲など湧かない。
お腹は空くし、力は出ないし、血は足りないし。
儀礼は散々な思いの中で、自力で抜け出す方法を考え続けていた。
この二日の間に、儀礼はいろいろと調べだした。
部屋を出る時にはいつも監視が付くのだが、それでも広い敷地内をある程度自由に移動することが許されていた。
貧血のために、たいした距離を歩くこともできなかったのだが。
大きな組織、神殿のような建物。
精霊を祀る神殿とはまったく別の考えを持った団体。
中には貴族のような者もちらほらと混ざっていた。
信者の中には病人なども多かったが、一番多いのは、研究者の様にも思えた。
宗教という名を利用した、ただの研究団体だ。
儀礼の血を、利用されてはたまらない。
種類は少ないとは言え、まったく何の抗体も持っていないとは言えないのだ。
それから、儀礼の閉じ込められているせまい監禁部屋の中には、以前にも人のいた形跡があった。
髪の毛や衣服から考えるなら、若い女性、もしくは少女。それも一人や二人ではない。
この環境を考えるなら、いずれも儀礼と同じ目的でつれてこられ、そして……この暮らしでは長くは生きられまい。
きっと、聖なる格が上がり、神の元へ旅立ったとか、そういう理解不能の解釈をされているのだろう。
冗談ではない。
儀礼はまだ、そんな所へ旅立つつもりはないのだ。
一人でいる時間、儀礼はあまりの空腹に、大好きな木の実の事を考えた。
「食べたいな。」
何を、とは言わなかった。ぽつりと、それだけを呟いたのだ。
扉の外にも、その時には人の気配はなかった。
突然、壁の板が『成長』した。
枝を生やし、つるを伸ばし、儀礼の手の上へ、いくつかの木の実を落とした。
何が起きたのか、など、儀礼に理解できるわけがなかった。
しかし、それは食べることの出来る木の実。
久しぶりの血の匂いのしない食物だった。
儀礼はそれを少しだけ食べた。
本当は全部を食べてしまいたいほどお腹が空いている。
しかし、ここから脱出するためには、タイミングを計らなければならない。
その時のために、最終用として、儀礼はその木の実を衣服の中に隠した。
しかし、ものごとはうまくいかない。
儀礼の隠し持っていた木の実が、芽を出し一瞬で、成長し、新たな木の実を生み出した。
――――人の目のある場所で。
たちまち、儀礼は強力な聖人だの、天使だのと呼ばれ、今まで異常に、監禁が厳しくなった。
「どういうことだよこれ。」
また、一人、聞くもののいない言葉を儀礼はポツリと吐いた。
そろそろ体力は限界に近付いていた。
思考はまともに働かなくなってくる。
ある日、一人の貴族が儀礼に謁見を申し込んできたという。
貴族が『謁見』とか言う時点で、儀礼には意味が分からない。
まず、間違いなく、儀礼は平民の子であるのだ。
現れたのは、身なりはいいが、疲れ果てたような顔をした初老の男だった。
「私の娘は不治の病にかかっております。どうか、どうか、あなた様のお力で娘を救っていただきたいのです。娘はまだやっと8歳です。死ぬには早すぎます。どの医者にも見離されました。この国の医学では助けることは無理だと。」
泣き付くような勢いで、男はひざまずいたまま、儀礼の服に縋る。
「この国、フェードは、魔法と機械と遺跡の文化が融合して高度な文明にはなっていますが、決して、医学が進んでいるわけではないですよ。医療を求めるならばアルバドリスクの北方の国、マルチルに行くべきです。僕の血なんか飲んだって、病気が治るわけないじゃないですか。僕は……見て分かりませんか? 普通の人ですよ。」
縋る男に、儀礼は力なく両手を広げて示して見せる。
弱った身体を回復するような力もない、ただの、人間なのだ。
「マルチルの医療機関宛の紹介状を書きます。ペンと紙はありませんか? 例えその国の医師達と面識はなくとも、僕は『ドルエドの蜃気楼』、『Sランク』の地位くらい利用して見せますよ。」
借りたペンと紙に儀礼はその男の事情と、聞き出した娘の症状。そして、最先端の治療を依頼する手紙を書いた。
この男は貴族だと言った。治療費は自分で払えるはずだ。
「移動は移転魔法でも、転移陣でも、娘さんに可能なものを選んでください。そしてもう、こんな宗教まがいのものに引っかかってはいけませんよ。」
ペンと紙を男に返して、儀礼は力なく笑う。
この男に助けを求めても、きっとすぐに他の者にかぎつけられ、この男にまで危険を及ぼしてしまうことになるだろう。
そう思うと、儀礼には目の前の、貴族ではあるが、あくまで一般の相手に助けを求めることなどできなかった。
「何か、どうしてもお礼をさせてください!!」
最初に縋ってきた時よりも強い力で、貴族の男は儀礼に懇願する。
脱出の手伝いをさせるわけにはいかない。
食事を頼んでも、結局、見張りの者に止められるか、血の匂いのする料理に変えられてしまうことだろう。
儀礼はその食事に手をつけないために、いつも長時間それらの料理は部屋の中に置かれている。
いつの間にか、その小部屋の中は、血なまぐさい匂いが染み付いていた。
「――花を。」
しばらく考えた後、儀礼はその貴族の言うお礼と言うものに、部屋のにおいが消えるほどの花を頼んでみた。
「大きなかご、一つ分くらい、のたくさんの花をお願いしてもいいですか?」
本当は、まだ、その娘が助かると決まったわけでもないので、御礼を貰う権利など儀礼にはない。
だがもう、何か助けが欲しかった。
その日のうちに、部屋が埋まりそうになるほどの大量の花が儀礼の小部屋へと届いた。
見張りの物も、団体の代表者も、何も言わなかった。
『謁見』に満足した貴族の、儀礼への貢物か何かとして解釈されたらしい。
都会に住む者は知らないかもしれないが、花の中には食べられるものも、毒になるものもある。
儀礼はあえて花の指定をしなかった。
近くの花屋の花を買い占めたようにして届けられた花には色々な種類の物があった。
とりあえず、儀礼は餓死することだけは免れそうだった。
「ぜひ、古代の言葉でのスピーチを。」
そう、この宗教団体の代表に言われたのは、儀礼が監禁されて五日目のこと。
『蜃気楼』の代表的な功績といえば、遺跡である『氷の谷』の復旧と古代の生きた人間の復活である。
古代の言葉を理解出来る者はいないが、その偉大さをアピールしたいらしい。
それなりに大きな団体らしく、あちこちに支部があるらしい。
そこに向けて一斉放送を行うと言う。
『やりたくない。』
と言えば、どうなるのだろうか。
食事は元々食べてはいないが、このままいくと無理やり口に押し込まれそうだった。
花びらと、なぜか成る小さな種だけでは身は持たない。
なぜかガタイのいい見張りの男達に、力負けするのは目に見えている。
どうせなら、世話係に可愛い女の人でも付けてくれればいいのに、などと心の中で愚痴ってみるが、逃げる可能性があるからこその人選なのだろう。
確実に世の中間違っていると、儀礼は大きな溜息を吐いた。
そろそろ帰らないと、本気で獅子が心配を始める頃だ。
「わかりました。」
決して、反抗的な態度を取ってきたわけではない。
儀礼が素直に言えば、代表者は満足そうに笑って部屋を出て行った。
『飼い殺し』、そんな言葉が儀礼の頭の中に浮かぶ。
見目の良い者や、何かしら聖人と理由の付けられる者を見つけて来ては、その血やグッズを高く売りつけて金儲けをしているのだろう。
儀礼のような研究者なら、その血液は研究施設に回されているはずだ。
だが、不思議なことに、儀礼の知識を欲しがられたことはない。
本当に、その部分に関しては、宗教的なものとしての扱いなのかもしれない。
偶像、崇拝物。神の使い。
「僕、人間なのに。」
誰も、聞く者のない声を、今日も儀礼は呟く。
盛大に飾られた台の上に、黒いマイクが乗っている。
舞台の上には大量の花。
なぜか儀礼は花が好きだと誤解されたらしく、あの貴族の男が来た日から、儀礼の元には毎日新しい花が大量に届く。
食事に困らなくなったのは助かる。
栄養面に関しては多目に見るしかない。
しかしやはり、こういう状況になれば、色々な物が食べてみたくなるものだった。
儀礼はいよいよ何かのスピーチとやらをしなければいけないらしい。
それは、のりごとや、お祈りや、お経や、そういった類の物になるらしい。
今までの祀り上げられた少女たちはどうしていたのだろうか。
何か、適当なものでも作られて、読まされていたのだろうか。
儀礼も一応原稿のようなものは貰った。
無難に記された平和を願うような言葉の数々。それを、古代の言葉に直して読めと儀礼は言われた。
それを、儀礼をこんな目にあわせているこの代表の男が書いたのだと思えば、心など篭っているとも思えず、そのまま読む気にもなれなかった。
なのでもちろん、覚えてなどいない。
いや、一度は目を通したので、大体はわかるのだが、とにかく、読むつもりはない。
なので、その時スピーチとして儀礼の口から出てきたのは、全て、食べ物の名前となった。
仕方がない、そういう心境だったのだ。
『えっと、血の匂いのしない料理が食べたいな。トマトソースのスパゲッティとか、だしの効いたうどんとか、漬物もいいよね、あっさりした味の濃すぎないやつ。』
古代の言葉に置き換えて、儀礼は今の気分をマイクに向かって語りかける。
どうせ、これを聞いている人間の中に、理解できる者がいるとは思えない。
誰も理解できないからこそ、氷の谷で、人間に戻された古代の人たちは途方にくれたのだ。
遠い昔に滅んだ国の言葉たち。
それに、儀礼は願いを込める。
『本当は、から揚げとか、肉の入ったシチューとも好きなんだけど、何の肉か分からないのはちょっと、無理かな。あと、何食べて育ったか分からない雑食とか肉食の動物よりは、草食とか、穀物食べて育つ鳥の方が好きかな。うん、でもこれ食べちゃう話だよね。でも食べなきゃ生きられないんだ。』
真剣な顔で、演説台に立ち儀礼はそれらの言葉を語る。
周りの大人たちは、何か感心し、中には涙を流して感激している者までいる。
ようは、気分なのだろう。
儀礼が何を言っても、儀礼の言葉など、そこで話を聞いている者達には関係ない。
『本当は……食べるよりなにより……帰りたいよ。』
にっこりと笑って、儀礼は演説にふさわしい丁寧なお辞儀をしてその舞台を降りた。
「素晴らしい演説だった。ほら、あのように、感動に打ち震えているものまでいる。言葉など伝わらなくとも、やはり、特別な者の声にはなにか特別な力があるのだろう。」
何かを納得したように、代表の男が儀礼を褒めたて、頷いている。
「うまくできたでしょうか。僕には自信がありません。疲れたので、もう、休ませてもらいます。」
世の中の何もかもが、儀礼には、理解できないものに変わっていきそうだった。
儀礼に与えられた、塔のてっぺんの小さな部屋。
ついているのは小さな窓。
その外から、なにか声が聞えた来たがした。
聞きなれた、親しんだ、温かい声。
もう、その小さな窓を通れるほど儀礼の体は細くなっていた。
「今ならいけるかな。」
うまく着地できる確立は半々だ。
体力の落ちた今、広い敷地内を逃げ切れるかもわからない。
だが、人が大勢いる今日はまぎれて逃げるには絶好の日和と思えた。
儀礼は一目で位の高い者と分かる、上質な衣を脱ぎ捨てた。
中着だけになれば、目立ちはするかもしれないが、それがここの聖人、神の使いだなどとは誰も思わないだろう。
救いを求めて来た近所の孤児とでも思ってくれればいい。
あとは、目立つ髪を隠すためにシーツを破いてバンダナの替わりにする。
「降りれるかな。」
小さな窓を見て、また一人で、儀礼は呟いた。
儀礼の声を聞く者は、いない。
「どこだ!!! どこにいるんだっ!! 出せ! 儀礼を出せ! あいつに会わせろ!」
聞えるはずのない声が、やはり、その窓の向こうから聞えてきた。
儀礼は出るはずのない力で持って、その小さな窓に駆け寄った。
いた。
いるはずのない、黒髪の少年が、その塔の下で、見張りの男達と格闘している。
剣を鞘から抜かないままに、暴れまわっている。
そのとなりで、呆れたような顔をしているのは、金髪の背の高い、世界最強クラスの実力を持った、儀礼の恐れるほど強い男だ。
気付いたときには、儀礼はその窓をすり抜けていた。
後はただ、落下するだけ。
その時になって初めて、儀礼は自分に、着地する力などなかったことに気付いた。
もう、自分の身体が思うように動かないのだ。
重力に逆らい、猛スピードで落ちる身体を支える力などなかった。
けれど、心配などいらない。
そこにはいるのだ。
儀礼の友人が。
ドサり。
その背中の上に、負ぶさるように儀礼は落ちた。
「獅子、ただいま。」
ポツリと儀礼は言った。
「ただいまじゃねぇ!! 何してやがった。何の連絡もしねぇで、やっとこいつらに聞いたら、料理がどうの、腹減っただの、帰れないならもっと早く言え!!」
状況的に帰ると言えなかったのに、無茶を言う友人だ。
「ごめん、ちょっと、力でない。おぶって。」
へらへらと笑って、儀礼は言ってみた。
疲れたからおんぶして、などといえば、大抵いつも断られる。拳つきで。
けれど、今回はさすがに体が動かない。こぶしはやめてもらいたい。
「……何が、どうなってんだよ。」
「ご飯、食べたくなかったから、食べなかった。」
負ぶわれたまま、獅子の耳元で言ったら、地面に落とされた。
冷たい友人だ。
「ごめん、アーデス。白衣取られた。みつけられないかな?」
座り込んだまま、尋ねてみれば、アーデスは儀礼のことをじっと見る。
「それならコルロとワルツが見つけるだろう。食事は何日取ってない?」
「来た日から?」
聞かれて、まともに思考も働かないので、正直に答えてしまった。
面倒で、アーデスの裏をかく気にもなれない。
「5日。水分は?」
睨むように儀礼を見るアーデスの目も、儀礼には見えない。
儀礼は地面に生える芝生の感触が気持ちよくてなんどもそっと撫でてみた。
「一日一回、水浴びはできたから、その時に。でも人口の噴水になぜか、果実が流れてきちゃって、また『奇跡だ』何だって、余計に監禁がひどくなってさ。食べておけばよかったかな。食事って、みんな血の匂いがしてさ。食べる気しなかった。花くれた人がいて、その花びらとか蜜とかで結構生きられるものだね。」
はは、と儀礼は笑う。
太陽が暖かかった。
獅子が、また無言で負ぶってくれた。
動くのが面倒だったので正直助かる。
冷たいなどと思って悪かった。
背中にあった帯剣用の金具が腰に提げ替えられている。
儀礼を負ぶうために、わざわざ持ち替えるようにしてくれたらしい。
「……食事は、最悪の場合、精神を破壊する薬品が含まれていた可能性がありますからね。摂らなくて正解です。」
口元に手を当てアーデスは言った。
「血をね抜かれたんだ。だから、動けないの。うー、血が足りない。」
めまいにくらくらとしながら儀礼は呟いた。
「私の血を分けられたらいいのですが。」
アーデスが言った。
「血は型があるからね、違うと大変だよ。アーデスの血液は何型?」
血液にいくつかの型があることを儀礼は知っていた。
先進の医療国マルチルで発見された知識らしいが、面白くて儀礼は大勢の血液サンプルを調べてみたのだ。
子供の頃に、身近で手に入れたものだけだが。
アーデスは、一瞬戸惑ったような顔をした。
「……私の血の色は赤ですが。」
「そうなんだ、よかった。僕の血の色も赤だよ。」
アーデスの真面目な顔に、なんだかとっても安心して、儀礼は獅子の背中で久しぶりの深い眠りについた。
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