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ギレイの旅 番外編

千夜ニイ

礼一の杞憂

 儀礼の眼鏡。それを授業中でも勝手に掛け始めた時には家の中で揉めた。
儀礼が6年の頃だっただろうか。
何しろ、本来の用途の為の、度が入っていない。
簡単な溶接時に使うような、透明な保護眼鏡アイシールドだ。
教師として、学業に不必要な物を学校に持ち込ませるのは認められない。
それが、自分の子供であるならなおさらのこと。他の生徒に示しがつかなくなる。


取り上げようとした礼一に、ふてくされた顔で儀礼は視線を逸らした。
『必要なんだよ、目が悪いから……。』
不満げな声で、儀礼は呟いた。しかし、儀礼の視力が問題ないことを礼一は知っている。
『お前、文字が読めないほど目が悪いわけじゃないだろう!』
そう怒った礼一に、儀礼は唇を噛み締めた。
『……っ僕の目は黒じゃない。』
小さな声で、零れ落ちるように出た言葉。
(あれは、効いた)
痛みを感じて、礼一は自分の目頭を押さえる。
何よりも一番、それを言いたくなかったという儀礼の表情が、礼一には辛かった。


 父親の礼一と同じで、儀礼の目はドルエドの血を引く茶色い瞳。
ドルエドの町で差別を受けるシエンの者は逆に、村ではドルエドの血をのけ者にする傾向がある。
普通、シエンの血は濃く出る。
親の片方がシエン人だった場合、9割が黒髪黒瞳で生まれてくる。
礼一は母親がドルエド人だった。
残りの一割の確率で、礼一の瞳は茶色い。しかし、礼一の髪は他のシエンの者と同じ黒い色をしている。
そこまで、風当たりはひどくなかった。


 儀礼の髪は金色。
母親のエリの血を濃く受け継いだようで、その顔立ちまでもが生き写しの様にそっくりだった。
エリは村の人から、天女やら、天使やら、女神などと呼ばれて困ってはいたが、それで傷つけられることはなかった。
だが、子供たちの世界は違う。
親の目と言うより教師の目として、見ていて分かる、子供たちに混ざる『異質』な存在。
年齢を上げるごとにそれは、幼い子供のケンカでは納まらなくなっていく。
儀礼は確実に一人でいる時間が増えた。


 まぁ、儀礼の場合は学年が上がるごとに、年長の女子が減っているというのも、あるかもしれない。
ひらひらとした物を持った上級生に、儀礼が追い掛け回される姿を、礼一は最近見なくなった。
 そして、儀礼の着ている服が年々重さを増している。
ポケットに色々とガラクタを詰め込んでいた頃が懐かしい、と礼一は職員室の天井を眺めた。


 最近の儀礼の服を確かめたわけではない。
しかし、その中に入っているのが、ドライバーやペンチや、ネジなどだけで済まないのは確実だろう。
それを儀礼が村の子供たちに使うつもりでない、というのが今の所、礼一に取っての救いだった。
儀礼はたまに一人で山に入っている。また、町にも行っている。
村の決まりで禁止されているわけではないので、止めるつもりもないが、危険があるのは否定できない。
礼一にエリに似た娘がいたとしたら、護衛の一人や二人、雇っていたかもしれない。


 儀礼が女の子であれば、きっと守ってもらえたのだろう。
誰とは言わないが、特にエリを天使の様に崇拝しているどこかの領主の息子などを筆頭として。
それが男の子だったためにか、真逆に働く。
『シエンの戦士』という歴史にも出てくる特別な存在として、この村の子供たちは戦う術を覚える。
魔獣の闊歩する山に囲まれた地で生きていくために。


 なのに、儀礼の性格にも問題があった。
泣き虫で、弱虫で、相手が怒っていれば体を硬直させて、あるいは逃げ出す。
(シエンの戦士にあるまじき、と言うやつだな。)
礼一は眉間にしわを寄せる。
儀礼の全てがここでは異質だった。




***********************


 それから数年が経って、儀礼はシエンを旅立った。
旅に出る直前、儀礼は透明な眼鏡に色を入れた。
それで、瞳の色は完全に隠された。
唯一、礼一から受け継いだ部分。
その存在を、完全否定された気もした。
短く切られた髪、それはまた、エリへの否定でもある気がした。
しかし、儀礼は笑う。


「父さん、僕こうしてないと女の子に間違われる。」
困ったように言った後、真剣な顔になって付け足された言葉。
「ほんと、父さんに似たかったよ。」
礼一は、笑顔で儀礼を見送った。




 『弱虫で泣き虫のちび』。
シエンではそれしか認められなかった儀礼が、村を出たとたんに、世界ではSランク『最高峰』と認められた。
場所を変えれば救いもあると、礼一は初めて実感した気がした。
しかし、『最高峰』と認められた人物が、自分を底辺としか認めない地へ、帰ってくるのだろうか……。
礼一は今日も便りのない、遠い空を眺める。

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