ギレイの旅 番外編

千夜ニイ

朝月(あさづき)

 白い、姿をしたそのものを目に映す人は少ない。
しかし、それを見たものはみな心を奪われる。
それほどそのものは美しかった。白い肌、白い髪、白い衣。すべてが光り輝くようにそのものを惹きたてる。
その水晶のように透き通る瞳で見られれば、誰もが魂を吸い取られる。


 その力を使い、白いものは人を操った。数千の人を思いのままにし、世界にたくさんの血を流し、その血を浴びてさらに力を蓄えた。
白いものは自分がいつからこの世にいて、何のためにいるのかすらわからなかった。
人や魔物の血が自分の力を増してくれるのだけは知っていたので、たくさんの血を求めた。
赤い血をいくら浴びても、白いものは白いままだった。そして、その人を魅了する美しさも増していった。


 いつしか、白いものは人から『妖魔』と呼ばれるようになっていた。
人を操り陥れる恐ろしい悪魔と。
白いものは、人の相手をするのも飽きてきた頃だった。追ってくる人など相手にもならず、息を一吹きするだけで、雑作もなく蹴散らせた。
白いものはくすくすと笑い、新しい住処を探した。




 そこは、人が住むには厳しい環境だった。しかし、高い山と深い森があり、輝くような水面の小さな泉と豊かな川があった。
白いものはそこが気に入った。長い長い時をそこで過ごした。暇だと思い始めた頃、四つの山が同時に煙を上げた。
白い煙がその身を揺らし青い空へと昇っていく。それを白いものは毎日眺めた。


 踊る四本の煙のもとへいつしか人間がやってきた。それは白いものの見たことのない人間達だった。
黒い髪と黒い瞳。ここに住もうとするその人間達には白いものの姿は見えないようだった。


 だが、人間の一人が空に向かってこう言った。


「この地に住まうものよ、我らがここに住むことをお許しいただきたい。恵みを共に分け合うと約束しようぞ」


 その者は白いもののことなど見ていない。まったく逆の方に向かって叫んでいる。
白いものはなんだか面白くなり、わざわざ男の正面に移動してやった。
しかし、やはりその者達に白いものの姿は見えないようだった。見えていれば白いものの虜になるはずだから。


 彼らは魚や果物を木の板の上に並べた。
「我らからの最初の捧げものでございます。どうぞお納めくだされ」
男がまた、途方もない方を向きそう叫ぶ。
辺りにはこの人間達と白いもの以外に何かの気配はない。


 白いものはそれまでこういう物を食べたことがなかった。人が食べているところはよく見たが、食べたいと思ったことはない。


 しかし、なぜだか白いものはそれらを食べてみようと思った。
きらきらと光る命の片鱗がそこに確かに乗っている。
白いものは捧げ物の本体ではなく、その上に乗るきらきらとした物を吸い込んだ。


 途端に、味わったことのない爽快感が白いものを突き抜けた。きらきらとした命が白いものを輝かせる。
気が満ちる。そういう力を白いものは感じた。
白いものは、こういう物をくれるなら、この人間達が、白いものの気に入ったこの場所に住んでもいいか、とそう思った。




 また長い長い年月が過ぎた。
人というのは命が短いのだと、白いものは感じていた。彼らの生きる時間は、白いものが生きてきた時間の何万分の一にも満たない。
しかし、代が変わり人が変わり、国が変わっても、ここに住む者達は白いものにあのきらきらとした命を与えてくれていた。
その輝きを受け入れるたびに、白いものは力を増していた。かつてのように戦乱を起こし血を欲することもなくなって、穏やかな心がそこにあった。
だから、白いものはそれを与えるこの者達を失いたくなかった。彼らの叫びを聞けば白いものはその力を貸した。
彼らは気付かない。それが白いものの力だと。けれども、彼らの捧げ物は続く。
白いものは満足だった。ふよふよと毎日あたりを散歩して、時に白い煙を眺めて。




 ある日、少し変わった人が白いものの地にやってきていた。どこから来たのかもわからないが、白いものが一眠りしている間にこの地に住み始めたらしい。
金色の髪に、茶色い瞳。小さな体は白いものの半分もない。なのに、白いものの心はそれに奪われた。


 求めて止まない。惹かれて吸い寄せられる。かつてその力を持ってして『妖魔』と呼ばれたその白いものが、その小さな瞳に絡めとられる。
「父さん、見て朝月あさづき。綺麗だね」
子供は白いものを指差して言った。正確には、見えない白いものを透かして背中にある朝の月を見たのだろう。
けれど、それはもう、白いものの名になった。少年の声が朝月の存在を捕らえていた。


 その後、その少年が精霊に愛される者だと知った。
朝月はその時に初めて、自分が精霊と言う存在だったことを知った。






   おまけ


 少年は朝月の存在にまったく気付かなかった。何日経っても気付かない。
朝月は少年を付け回し、少年の母親が精霊を見る力を持っていることに気付いた。
空気に溶けていたその姿を随分と久しぶりに人の型に戻す。


 母親の前に姿を現し、目が合った瞬間に。


「キャーッ」
悲鳴をあげ、心臓を押さえ、彼女は倒れた。朝月は仕方なくまた空気に溶ける。
少年と父親が慌てて駆けつけてきた。
「どうした、エリ! 大丈夫か!?」
「かあさん」
心配そうに母親を助け起こす二人に、彼女は赤い顔で言った。
「すっごく綺麗な! 白くて、雪女みたいな、美女の精霊がっ……!!」
心ここにあらず、という様子で彼女は忙しく辺りを見回す。


 朝月は知る。『妖魔』の力は健在らしい。

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