シエンの領主は苦労する
団居蒼という男
団居 蒼は、
国の治め方を知っている。
人の掌握の仕方を知っている。
人の貶め方を知っている。
人の心を掴む術を知っている。
『お前が王を欲すれば国は滅びる』
団居がまだ幼い日に、先見の力を持つ祝の婆はそう言った。
団居の住むシエンの国は大国ドルエドに侵略された。
人口五百の小さな国は一夜にして、国としての姿を消した。
今ではドルエド国の領土に含まれる小さな村でしかない。
(俺がドルエドの王を望めばドルエド内の全ての国は滅びる。俺の愛するシエンを含めて。
だからはやく、俺を戒めてくれ。俺より強い者を。里を守る者を。
俺の郷を壊した男を、俺が殺す前に)
団居蒼は、人を動かす術を知っている。国を奪う術を知っている。
(俺は国を滅ぼす男だ。ただ王を、望めばいい)
団居は手になじんだ剣をそっと撫でる。
いつでも抜ける。いつでも掴める。
郷で一番強い男は、シエン国で一番強い男だった。
「稲穂、はやく子を産め。」
視線の先にいる娘に、団居は呼びかけた。
『お前の子は里を統べる』
祝の婆は幼い稲穂に言った。稲穂の子供は里を統べる、と。
シエン国王、玉城の名を継ぐその子どもは、団居を抑える唯一の者。
言われた少女は首から上を朱に染め上げた。
しかし、視線も空ろな団居の顔を見て、すぐにその表情を曇らせた。
「団居、そうすぐに嫁に行けなどと言うな。大勢の者が死んだ。私はまだ、夫を持っても喜べない」
団居の前に座り、稲穂は真剣な顔でそう告げる。
その顔を見て、団居は小さく笑う。
「お前は、奔放だと言うのに、昔から優しかったな」
そう言って、団居は少女の頭に手を乗せた。
大きな広い手のひら。ごつごつとした剣を握るためのこぶ。
稲穂はその懐かしい感覚に思わず笑みを浮かべた。
「私の父は前王一人だが、それでも、私はお前をもう一人の父だと思っている。幼いころからずっと、兄のように、父のように大切に思っている」
稲穂は団居の頭を抱きしめる。
「今は、お前の家族だけが私の肉親だ。だからもうしばらく、お前の娘でいさせてくれ。父よ。」
団居の母と、前王であった稲穂の父は姉弟だった。
二人共の両親が死んだ今、稲穂に残された肉親は従兄の団居とその家族だけ。
本来、父娘と言うには団居と稲穂は年が近過ぎた。
二十代半ばの男と十代の少女。兄と妹と言う方がまだしっくりとくるだろう。
言われた団居は、しばし無言だった。しかし、吐き出す息と共に、小さく呟く。
「……仕方ない。もうしばらく、うちに置いてやる」
言って、笑いながら団居は娘の頭を撫でる。
そして団居は視線を移した。
「ロク、お前早く嫁をもらえ」
「おい、今度は俺かよ!」
言われた団居の長男、ロクが顔を赤くして父に怒鳴る。
「お前の歳には俺はもう……」
「それは聞き飽きた! 父上、酔ってるなら外へ行って下さい!」
酔いを醒ませと、赤い顔のままロクは、外へと続く近くの板戸を指差した。
「お前、酔っ払った父を外で寝かす気か? 虫も蛇も魔獣も出る外でか?」
「父上がそれを驚異に感じると言うんだったら、俺は今日にでも嫁をもらってくるさ」
シエンの里、最強の戦士が虫や蛇やらを恐れると言うなら、それはきっと世界の滅びる前触れだろう。
「言ったな、よし。俺は今からちょっとばかし山へ……」
剣を持つと、足音もなく団居は扉へと歩き出す。
「行く気な時点でもう、恐れてないし。」
額を押さえるようにロクが言った。
「その泥酔振りで、なぜ剣を持つと真っ直ぐ歩けるようになるのだろうな?」
クスクスと楽しそうに稲穂が笑う。
ジャラジャラ ジャラジャラ 音が鳴る。
祝の婆が先見の時に使う砂利の音。
幾度と聞いた先見の声。
(あの時に煩わしいと思った音が、なぜこうも心地よいのか)
団居は目を細める。
ドルエドの襲撃で、壊れた家がいくつもある。
それは建物だけの話ではない。
父を、子を、母を、娘を、失った家族が多くある。
それを思うたびに、団居の耳の奥にあの石の音が鳴る。
ジャラジャラ ジャラジャラ
『お前が王を欲すれば、国は滅びる』
『祝の婆。俺は、国より家が欲しい』
(昔の俺、よく即答した)
その答えが今も団居をつなぎとめる。
(俺は国よりも家が欲しい。やすらげる場所、くつろげる時、大切な者たちと共に居る……この空間)
団居はざわめく家の中を見る。
そこにあるのは団居。それは団欒。親しい者が居並び、円く座る姿。
(滅ぼすよりも守るために)
「父上、本当に行く気ですか?」
外に一歩足を踏み出した団居に、次男のセイが引き止めるように声をかける。
「里の中に魔獣の血の臭いが残っている」
昼間、里の中に現れた魔獣を団居と武術の道場主である獅子倉で倒した。
獅子倉はもう歳なので兵士としては招集されなかったが、未だに衰えない肉体を持っている大男だ。
多くの男がドルエドの戦争に駆り出されているので、最近、山に入る者の数が減っている。
そのために、倒す魔獣の数が激減しついに、増えた魔獣の群れを村の中にまで入り込ませてしまった。
幸い怪我人もなく、里に入り込んだ魔獣はすぐに一掃したが、その血の臭いに誘われて、山中の魔物や魔獣が興奮していることだろう。
「祝の緑に邪気払いを頼む位なら、俺が山の中を一掃する方がましだ。獅子倉はもう始めているようだしな」
外を見て、夜だと言うのに飛び交うカラスに、団居は笑う。
祝家の長男、緑は緑色の髪をした男だ。
魔物の放つ邪気を払う力を持っているが、その力は寿命を削るものらしい。
前王が亡くなる直前まで、周りの者が止めるのも聞かず、全力でその邪気を払い続けたために、かなりの寿命を減らしているはずだった。
団居は幼い頃に、その男によく世話になった。
幼い頃から大量の魔獣を狩っていた団居は、邪気の払い方が下手だったらしい。
『また、お前は悪い物をつけて』
そう言いながら、その男は団居の肩をパンパンとほこりでも払うようにはたく。
その頃団居は、その男がそれをやるたびに命を削っているなど、知りもしなかった。
「初めから、行く気でしたね。もう、なんでそんなに飲んだんですか? 俺も行きます」
ロクが剣を持って団居の隣に並ぶ。
「お前は嫁探しだろ」
「俺、父上が魔獣に驚異を感じるならって言いましたよね。『外に行ったら』じゃありません」
ロクは言いながら、剣を確かめるように二、三度振って、また鞘に納める。
武器の確認を怠ってはならない。
団居 蒼は時々いたずらのように、ロクやセイの剣から刃を外してみたりする。
そういうところは団居家の血だな、と周りの者は笑って言った。
いざ、魔獣を前にして戦おうした時に、抜いた剣に刃のないあのドキドキ感と言ったら。
ロクは心臓を押さえる。
それを、団居はフンと鼻で笑って、その魔獣に切りかかるのだ。
こいつ、本気で息子を殺そうとしてるんじゃあなんて、思ったことも一度や二度ではない。
だが、その代わりに、団居の二人の息子には常に武器を確認するくせがついた。
己の命を守る武器。それを握る時には、一瞬も気を抜いてはならない。
「だいたい、シエンの結婚年齢の平均は18です。父上が早すぎたんですよ」
文句とも溜息ともつかない言葉を吐き、ロクは周囲の山を見回す。
「あちらですね。北側は獅子倉さんに任せましょう。半分任せちゃってもいいですよね」
「いや、むしろ半分以下だとあいつは里の中で暴れるぞ」
大柄な毛むくじゃらの男が里の中で暴れ回るのを抑えることを想像し、魔獣を倒すほうがずっと楽だとロクはまた溜息を吐いた。
「シエンの平均寿命は35だぞ。孫の顔が見たいなら、早くに産ませるしかないだろう」
「産ませっ……。父上っ! 酔ってますね、確実に酔ってますね! それでどうして全力の俺に、息を乱さず並走できるんですか? 俺、かなり速くなったんですよ! 獅子倉さんに褒められたんですよ!」
全力で走るロクの息は軽く弾んでいる。
捲くし立てるように、父に話しかけているせいかもしれないが。
「そうだ、稲穂には手を出すなよ」
「稲穂は姉です! 俺にとっては姉です! いい加減にしてください、父上っ!」
団居の言葉に、ロクは危うく手の中から剣を滑り落とすところだった。
「魔獣に囲まれてますからっ!」
黒い風のようになって、闇の中でさえ迷うことなく魔獣を切り裂いていく団居に、聞いていないと分かっていながらも、ロクは叫ばずにはいられなかった。
「ロク。ドルエドの言葉が、うまくなったな」
囲んでいた全ての魔獣を切り倒した団居は、穏やかな笑みを浮かべて、ロクの頭を撫でて褒める。
ロクの言った、言葉の意味などまったく聞いてはいない。
自由すぎる父にロクは溜息を吐く。
『俺、シエンの言葉も忘れませんよ。父上のその体たらくは、シエンの文字だけで残してさしあげます。ドルエドの国に、我が国の恥を晒す事はできませんからね』
その少年もやはり、団居家の者なのだと、そのいたずらな笑みと楽しむように言った言葉の口調から伺える。
『俺に名を残すようなところはない。それとも俺は国を守れなかった男になるのか?』
次の標的を探しながら山の中を駆け、親子は久しぶりにシエンの言葉で会話をなす。
『とりあえず、あれですね。里一番の美女を娶って、国中の男から恨まれたと、記しましょうか』
『それは、恥なのか?』
言ってから、魔獣の群を聴覚で捉え、団居はそちらに向かって走り出す。
『父上、速いです! まったく、俺の返事は聞かないと。……ドルエドの国に吸収されながら、その国王に悪態ついて帰って来たとか、それで姫がシエンの里に残れるようになったとか、それを里の者全員が喜んだとか、誰よりも強いとか、王のいなくなったシエンの国を実質支えてたとか、実はドルエド以外の他の国の言葉も完璧に使いこなせるとか、……ドルエドに知られたら、父上、きっと召喚されますよ。里に帰れませんよ、聞いてませんね!』
笑うような溜息を吐き、ロクは団居の戦闘に加わる。
『自分が普通より少し上だと思ってるあたりで父上はまともではないですからね。周りに同じだけ求めても無理ですから。いませんから、大国ドルエドにも、父上ほどの武将も知将も。送られてきた領主様がドルエドの最高峰ですよ、きっと。父上、そのプライドずったずったに切り裂いたの、気付いてませんよね。子どもを剣の相手につけるとか、ひどすぎますから。せめて稲穂姫のがましでしたよ。姫は戦場に出てますし。はあ、聞いてませんね』
声も聞こえないほどの遠くに走り去り、大型の魔獣と一人で戦う団居を目にして、ロクは大きく息を吐く。
周囲にいる魔獣は小型だが数が多い。
それを、ロクは無言で任された。
『どこの国の言葉覚えたって、しゃべらなきゃ通じないこともあるんですよ』
言いながら、ロクはひるむことなく剣を振るう。
『父上、そちらに行き過ぎると獅子倉さんと行き当たります。酔ってますね! 酔ってますよねっ! 獅子倉さんが半分越えて来たからって、わざとぶつかるのはやめてください! 被害が広がります! 木材は里の復旧に必要なんですよ! 新しく建て直す物も多いですし。進むのは南です』
全ての魔獣を蹴散らして、ロクは、一人で走り出した父を追う。
『俺、絶対父上の子守りしてるよな』
《どちらが親か分かりませんね》
ロクの耳には、いつものように、くすくすと笑う母の声が聞こえた気がした。
シエンで最強の力と最高の知恵を持った男。
奇しくも、そんな男のいる代に、シエンの国は滅んだ。
前王の崩御した時には、団居を王にと考えた者もいた。
だが、姫は聡明で、誰にも好かれていたし、団居本人にも、王になろうと言う気がなかった。
『王になれない』と言われた姫と、『王を欲すれば国を滅ぼす』と言われた王の甥。
祝の先見によれば、その時すでに、シエンは、消える運命だったのかもしれない。
しかし、シエンは滅んではいない。
国は郷と名を変え、生き残った。
男は王を望まない。
今日もシエンを守るために。
そしてーードルエド国王の騎士に名を連ね、シエンの戦士は歴史に長く名を残すことになる。
国の治め方を知っている。
人の掌握の仕方を知っている。
人の貶め方を知っている。
人の心を掴む術を知っている。
『お前が王を欲すれば国は滅びる』
団居がまだ幼い日に、先見の力を持つ祝の婆はそう言った。
団居の住むシエンの国は大国ドルエドに侵略された。
人口五百の小さな国は一夜にして、国としての姿を消した。
今ではドルエド国の領土に含まれる小さな村でしかない。
(俺がドルエドの王を望めばドルエド内の全ての国は滅びる。俺の愛するシエンを含めて。
だからはやく、俺を戒めてくれ。俺より強い者を。里を守る者を。
俺の郷を壊した男を、俺が殺す前に)
団居蒼は、人を動かす術を知っている。国を奪う術を知っている。
(俺は国を滅ぼす男だ。ただ王を、望めばいい)
団居は手になじんだ剣をそっと撫でる。
いつでも抜ける。いつでも掴める。
郷で一番強い男は、シエン国で一番強い男だった。
「稲穂、はやく子を産め。」
視線の先にいる娘に、団居は呼びかけた。
『お前の子は里を統べる』
祝の婆は幼い稲穂に言った。稲穂の子供は里を統べる、と。
シエン国王、玉城の名を継ぐその子どもは、団居を抑える唯一の者。
言われた少女は首から上を朱に染め上げた。
しかし、視線も空ろな団居の顔を見て、すぐにその表情を曇らせた。
「団居、そうすぐに嫁に行けなどと言うな。大勢の者が死んだ。私はまだ、夫を持っても喜べない」
団居の前に座り、稲穂は真剣な顔でそう告げる。
その顔を見て、団居は小さく笑う。
「お前は、奔放だと言うのに、昔から優しかったな」
そう言って、団居は少女の頭に手を乗せた。
大きな広い手のひら。ごつごつとした剣を握るためのこぶ。
稲穂はその懐かしい感覚に思わず笑みを浮かべた。
「私の父は前王一人だが、それでも、私はお前をもう一人の父だと思っている。幼いころからずっと、兄のように、父のように大切に思っている」
稲穂は団居の頭を抱きしめる。
「今は、お前の家族だけが私の肉親だ。だからもうしばらく、お前の娘でいさせてくれ。父よ。」
団居の母と、前王であった稲穂の父は姉弟だった。
二人共の両親が死んだ今、稲穂に残された肉親は従兄の団居とその家族だけ。
本来、父娘と言うには団居と稲穂は年が近過ぎた。
二十代半ばの男と十代の少女。兄と妹と言う方がまだしっくりとくるだろう。
言われた団居は、しばし無言だった。しかし、吐き出す息と共に、小さく呟く。
「……仕方ない。もうしばらく、うちに置いてやる」
言って、笑いながら団居は娘の頭を撫でる。
そして団居は視線を移した。
「ロク、お前早く嫁をもらえ」
「おい、今度は俺かよ!」
言われた団居の長男、ロクが顔を赤くして父に怒鳴る。
「お前の歳には俺はもう……」
「それは聞き飽きた! 父上、酔ってるなら外へ行って下さい!」
酔いを醒ませと、赤い顔のままロクは、外へと続く近くの板戸を指差した。
「お前、酔っ払った父を外で寝かす気か? 虫も蛇も魔獣も出る外でか?」
「父上がそれを驚異に感じると言うんだったら、俺は今日にでも嫁をもらってくるさ」
シエンの里、最強の戦士が虫や蛇やらを恐れると言うなら、それはきっと世界の滅びる前触れだろう。
「言ったな、よし。俺は今からちょっとばかし山へ……」
剣を持つと、足音もなく団居は扉へと歩き出す。
「行く気な時点でもう、恐れてないし。」
額を押さえるようにロクが言った。
「その泥酔振りで、なぜ剣を持つと真っ直ぐ歩けるようになるのだろうな?」
クスクスと楽しそうに稲穂が笑う。
ジャラジャラ ジャラジャラ 音が鳴る。
祝の婆が先見の時に使う砂利の音。
幾度と聞いた先見の声。
(あの時に煩わしいと思った音が、なぜこうも心地よいのか)
団居は目を細める。
ドルエドの襲撃で、壊れた家がいくつもある。
それは建物だけの話ではない。
父を、子を、母を、娘を、失った家族が多くある。
それを思うたびに、団居の耳の奥にあの石の音が鳴る。
ジャラジャラ ジャラジャラ
『お前が王を欲すれば、国は滅びる』
『祝の婆。俺は、国より家が欲しい』
(昔の俺、よく即答した)
その答えが今も団居をつなぎとめる。
(俺は国よりも家が欲しい。やすらげる場所、くつろげる時、大切な者たちと共に居る……この空間)
団居はざわめく家の中を見る。
そこにあるのは団居。それは団欒。親しい者が居並び、円く座る姿。
(滅ぼすよりも守るために)
「父上、本当に行く気ですか?」
外に一歩足を踏み出した団居に、次男のセイが引き止めるように声をかける。
「里の中に魔獣の血の臭いが残っている」
昼間、里の中に現れた魔獣を団居と武術の道場主である獅子倉で倒した。
獅子倉はもう歳なので兵士としては招集されなかったが、未だに衰えない肉体を持っている大男だ。
多くの男がドルエドの戦争に駆り出されているので、最近、山に入る者の数が減っている。
そのために、倒す魔獣の数が激減しついに、増えた魔獣の群れを村の中にまで入り込ませてしまった。
幸い怪我人もなく、里に入り込んだ魔獣はすぐに一掃したが、その血の臭いに誘われて、山中の魔物や魔獣が興奮していることだろう。
「祝の緑に邪気払いを頼む位なら、俺が山の中を一掃する方がましだ。獅子倉はもう始めているようだしな」
外を見て、夜だと言うのに飛び交うカラスに、団居は笑う。
祝家の長男、緑は緑色の髪をした男だ。
魔物の放つ邪気を払う力を持っているが、その力は寿命を削るものらしい。
前王が亡くなる直前まで、周りの者が止めるのも聞かず、全力でその邪気を払い続けたために、かなりの寿命を減らしているはずだった。
団居は幼い頃に、その男によく世話になった。
幼い頃から大量の魔獣を狩っていた団居は、邪気の払い方が下手だったらしい。
『また、お前は悪い物をつけて』
そう言いながら、その男は団居の肩をパンパンとほこりでも払うようにはたく。
その頃団居は、その男がそれをやるたびに命を削っているなど、知りもしなかった。
「初めから、行く気でしたね。もう、なんでそんなに飲んだんですか? 俺も行きます」
ロクが剣を持って団居の隣に並ぶ。
「お前は嫁探しだろ」
「俺、父上が魔獣に驚異を感じるならって言いましたよね。『外に行ったら』じゃありません」
ロクは言いながら、剣を確かめるように二、三度振って、また鞘に納める。
武器の確認を怠ってはならない。
団居 蒼は時々いたずらのように、ロクやセイの剣から刃を外してみたりする。
そういうところは団居家の血だな、と周りの者は笑って言った。
いざ、魔獣を前にして戦おうした時に、抜いた剣に刃のないあのドキドキ感と言ったら。
ロクは心臓を押さえる。
それを、団居はフンと鼻で笑って、その魔獣に切りかかるのだ。
こいつ、本気で息子を殺そうとしてるんじゃあなんて、思ったことも一度や二度ではない。
だが、その代わりに、団居の二人の息子には常に武器を確認するくせがついた。
己の命を守る武器。それを握る時には、一瞬も気を抜いてはならない。
「だいたい、シエンの結婚年齢の平均は18です。父上が早すぎたんですよ」
文句とも溜息ともつかない言葉を吐き、ロクは周囲の山を見回す。
「あちらですね。北側は獅子倉さんに任せましょう。半分任せちゃってもいいですよね」
「いや、むしろ半分以下だとあいつは里の中で暴れるぞ」
大柄な毛むくじゃらの男が里の中で暴れ回るのを抑えることを想像し、魔獣を倒すほうがずっと楽だとロクはまた溜息を吐いた。
「シエンの平均寿命は35だぞ。孫の顔が見たいなら、早くに産ませるしかないだろう」
「産ませっ……。父上っ! 酔ってますね、確実に酔ってますね! それでどうして全力の俺に、息を乱さず並走できるんですか? 俺、かなり速くなったんですよ! 獅子倉さんに褒められたんですよ!」
全力で走るロクの息は軽く弾んでいる。
捲くし立てるように、父に話しかけているせいかもしれないが。
「そうだ、稲穂には手を出すなよ」
「稲穂は姉です! 俺にとっては姉です! いい加減にしてください、父上っ!」
団居の言葉に、ロクは危うく手の中から剣を滑り落とすところだった。
「魔獣に囲まれてますからっ!」
黒い風のようになって、闇の中でさえ迷うことなく魔獣を切り裂いていく団居に、聞いていないと分かっていながらも、ロクは叫ばずにはいられなかった。
「ロク。ドルエドの言葉が、うまくなったな」
囲んでいた全ての魔獣を切り倒した団居は、穏やかな笑みを浮かべて、ロクの頭を撫でて褒める。
ロクの言った、言葉の意味などまったく聞いてはいない。
自由すぎる父にロクは溜息を吐く。
『俺、シエンの言葉も忘れませんよ。父上のその体たらくは、シエンの文字だけで残してさしあげます。ドルエドの国に、我が国の恥を晒す事はできませんからね』
その少年もやはり、団居家の者なのだと、そのいたずらな笑みと楽しむように言った言葉の口調から伺える。
『俺に名を残すようなところはない。それとも俺は国を守れなかった男になるのか?』
次の標的を探しながら山の中を駆け、親子は久しぶりにシエンの言葉で会話をなす。
『とりあえず、あれですね。里一番の美女を娶って、国中の男から恨まれたと、記しましょうか』
『それは、恥なのか?』
言ってから、魔獣の群を聴覚で捉え、団居はそちらに向かって走り出す。
『父上、速いです! まったく、俺の返事は聞かないと。……ドルエドの国に吸収されながら、その国王に悪態ついて帰って来たとか、それで姫がシエンの里に残れるようになったとか、それを里の者全員が喜んだとか、誰よりも強いとか、王のいなくなったシエンの国を実質支えてたとか、実はドルエド以外の他の国の言葉も完璧に使いこなせるとか、……ドルエドに知られたら、父上、きっと召喚されますよ。里に帰れませんよ、聞いてませんね!』
笑うような溜息を吐き、ロクは団居の戦闘に加わる。
『自分が普通より少し上だと思ってるあたりで父上はまともではないですからね。周りに同じだけ求めても無理ですから。いませんから、大国ドルエドにも、父上ほどの武将も知将も。送られてきた領主様がドルエドの最高峰ですよ、きっと。父上、そのプライドずったずったに切り裂いたの、気付いてませんよね。子どもを剣の相手につけるとか、ひどすぎますから。せめて稲穂姫のがましでしたよ。姫は戦場に出てますし。はあ、聞いてませんね』
声も聞こえないほどの遠くに走り去り、大型の魔獣と一人で戦う団居を目にして、ロクは大きく息を吐く。
周囲にいる魔獣は小型だが数が多い。
それを、ロクは無言で任された。
『どこの国の言葉覚えたって、しゃべらなきゃ通じないこともあるんですよ』
言いながら、ロクはひるむことなく剣を振るう。
『父上、そちらに行き過ぎると獅子倉さんと行き当たります。酔ってますね! 酔ってますよねっ! 獅子倉さんが半分越えて来たからって、わざとぶつかるのはやめてください! 被害が広がります! 木材は里の復旧に必要なんですよ! 新しく建て直す物も多いですし。進むのは南です』
全ての魔獣を蹴散らして、ロクは、一人で走り出した父を追う。
『俺、絶対父上の子守りしてるよな』
《どちらが親か分かりませんね》
ロクの耳には、いつものように、くすくすと笑う母の声が聞こえた気がした。
シエンで最強の力と最高の知恵を持った男。
奇しくも、そんな男のいる代に、シエンの国は滅んだ。
前王の崩御した時には、団居を王にと考えた者もいた。
だが、姫は聡明で、誰にも好かれていたし、団居本人にも、王になろうと言う気がなかった。
『王になれない』と言われた姫と、『王を欲すれば国を滅ぼす』と言われた王の甥。
祝の先見によれば、その時すでに、シエンは、消える運命だったのかもしれない。
しかし、シエンは滅んではいない。
国は郷と名を変え、生き残った。
男は王を望まない。
今日もシエンを守るために。
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