シエンの領主は苦労する

千夜ニイ

テオドラ久し振りの王都へ

 シエンの里から、山を下り一番近い町に着くまでに1日かかる。
まず、道がない。山の中をひたすらに歩くのだ。
案内するシエンの者がなければまず、迷って死ぬ。
運が悪ければ魔獣に出会い、殺される。魔獣でなくとも、野生の狼や熊が出ると言う。


 テオドラはそんな国がドルエドのそばにあることすら、知らなかった。
シエンの領主、テオドラは久しぶりに王に呼ばれ、王都へと向かうことになった。
そこにはテオドラの実家、ラクシー家がある。
久しぶりの都会に、テオはうきうきとしていた。


 長旅を終え、のんびりと長年暮らした豪華な実家でくつろぎ、色々な見慣れぬものに戸惑う団居の姿を、優越感に浸りながら眺め、日ごろの辛い環境での疲れを癒していた。
テオドラは幸せなひと時を過ごした。
――翌朝、王宮へと足を運ぶまでは。


 王の前に団居が姿を現したとたんに、明らかに王の顔色が変わった。
機嫌が悪くなったのが鋭敏なテオドラには理解できた。
王の前と言っても、団居がいるのは、謁見の間の入り口の端。
従者や護衛がひざまずいて待機している場所だ。
茶髪のドルエドの中で、あの黒髪は目立つか、とテオドラは思い直した。


「国王様。お久しぶりにございます。我が領土、シエンは遠い地ゆえに、参じるまでに時間がかかりましたことをお詫び申し上げます。拝謁賜りましたこと、光栄に存じます。」
王の御前にひざまずき、テオドラは深く頭を下げた。


「堅苦しい挨拶はいい。お前には苦労をかけることになったな、テオドラ・ラクシー。」
顔に笑みを綻ばせ、ドルエド国王は言う。
「もったいないお言葉にございます。このテオドラ精一杯の働きで、お返しいたしたいと思います。」
顔を上げ、テオドラはもう一度頭を下げた。


 それからドルエド王といくらかの言葉を交わし、テオドラは王の間を去った。
ほとんどの報告は書類で済んでいる。
今回の謁見はその書類についての最終的な確認と、テオドラの働きに対しての感謝と褒美を与えるためだった。
だがその働きの多くは、シエンの戦士たちの戦場での活躍によるものでもある。
その采配をしたのが、テオドラだと言うことになっている。
最終的な決断を下し、命を与えたのはテオドラだが、実際に、言葉の通じないシエンの戦士たちへの通達や、人選などは全て、団居によるものだった。


 しかし、それらの栄誉を受け取ることを、王都に来る前に、団居は全力で拒否していた。
王の前に出ない。それが、団居がテオドラと共に、王都へと付いてくる条件だった。
テオドラ一人では、あの山を越えられない。


 稲穂に、獅子倉か団居か、と問われれば、それは「団居」と答えるだろう。
誰が、切り捨てられる可能性のある者に案内を頼むだろうか。
出会いの時、稲穂は確かに言った。
「獅子倉だと、誤ってお前を殺しかねないが、わざとではないと書を残しておいて貰えるか?」
間違いなく、そう言った。
かの者を選べば、王都への道は確実に、テオドラ死亡への道となっただろう。




 敬慕する国王に多大な感謝とお褒めの言葉を授かり、テオドラは天にも昇る気持ちで長い廊下を歩いていた。


『こらっ、団居! 何が「任せろ」と「大丈夫」だけ覚えればいい、だ! 断る選択肢がないじゃないか! どうりで前線ばかりに行かされると思ったら!』
廊下の向こう側から黒い何かが走ってくると、いきなり団居へと襲い掛かった。
銀の線が走る。剣を持っているのだとテオドラは気付いた。


『はは、元気そうじゃないか。おかげでシエンの株は上がって安泰だ。』
その剣の刃を避けながら団居が笑う。
シエンの言葉で話す彼らをドルエドの兵士がいぶかしむ。
特に、城内で剣を振り回す男にはだれもが怒りを覚えているようだ。


「申し訳ありません、なにぶん田舎者ですので、礼儀を知らず。彼は久しぶりに会えた同郷の者に嬉しくて、思わずシエン流の挨拶をしてしまったのです。」
襲い掛かった男の腕を押さえ、団居がドルエドの言葉で流暢りゅうちょうに話す。
抑えられた男の顔を見れば、まだ十代の若者であることが分かった。
幼いその顔に、場にあった怒りは戸惑いへと変わっていく。


「言葉を知らないために、前線にばかり送られたと彼は言っています。王の御前だと伝えましたので、もう大丈夫です。」
朗らかな笑顔で団居は言う。
そのまま、団居はその少年と話しながら、同時に二人分の言葉をドルエド語に訳して伝える。
一人二役では済まない言葉の連動。
その頭の回転の速さには感嘆させられる。


 二人が交わしているのは本当に雑談。
今までどうしていたとか、元気だったかとか、誰と会ったとか、そんな話だった。
「団居、こんな所で立ち話をするな。部屋を用意させるから場所を移すぞ。」
城の通路で長話しをする二人に領主は呆れて指示を出した。


 領主の実家につき、客間に案内された少年と団居。少年は槍峰やりみねと言うらしい。
年齢は18歳らしいので、そろそろ少年と言う歳でもないかもしれない。
しかし、シエンの連中は若く見える。


 槍峰の言い分はこうだ。
召集が掛かり、戦地へと送り込まれることになったシエンの戦士たちに向かい、団居は最低限覚えておく言葉、として、『大丈夫』と『任せろ』の二言を教えたというのだ。
普通そこで教えるのは、『はい』と『いいえ』ではないだろうか。
団居が普通ではないことは、すでによく知ったことだったと、テオドラは苦笑して思い直した。


 敵の集団が群がる場所にいて、一旦退こうという味方の提案に、言葉の分からない槍峰は『はい』と答えるつもりで、団居に教わった言葉、『大丈夫』を答える。
すると、どういうわけか、先頭を任されて、敵軍の中へと突入させられるのだと言う。


 またある時は、とても大人数に囲まれて、最後尾を任される時に、一人でできるかと問われて、難しいと思い『いいえ』と答えようと思い団居に教えられた『任せろ』を口にする。
どういうわけか、一人で最後尾をまかされて味方を逃がす役を押し付けられたと言う。


 言葉が分からない苦労という、槍峰の苦労をなんとなく、テオドラも共感できた。
そして、団居の教えた言葉の恐ろしさも、十分に想像が出来る。
団居はそれでもシエンの戦士なら可能だと考えての発言だったのだろう。
シエンの戦士の強さを、ドルエドのみならず、敵国、各国へと見せ付けることになったのだ。
黒い髪、黒い瞳のシエン人はどこにいても目立つ。
シエンの名が上がれば、領主であるテオドラの名も上がり、ドルエドはより強い国へと発展してゆく。


 そこまで考えているならば、このマドイという男、本当に恐ろしい男だとテオドラは考えさせられる。


 安心したことに、それでも、今まで戦場で亡くなったシエンの戦士はいないと言う。
いや、脅威とも言えるかもしれない。

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