シエンの領主は苦労する
テオドラの家作り
ほとんどの男がドルエドの国の戦にかり出される中、里に残っているのは道場で若者を指導する獅子倉。
領を治める領主の仕事を手伝い、子供たちにドルエドの言葉を教える団居。
情報収集や、ドルエド王とのやりとりのための足である竹笹。
畑仕事のために残っている年老いた、わずかな男たち。
その他はほとんどが女と子供という、それだけで、村の修復をしなければならなかった。
壊された家々、荒らされた田畑。
ドルエド国内になったとはいえ、一番近い周囲の町からすら、食料や物資を送る手立てがない。
人が運ぶにしても周囲の山を荷車は走れないために、人が持てる程度の荷しか運べないのだ。
このシエンでは自給自足が基本。
幸い、シエンを囲む森にも山にも豊富に食料も素材もあった。
まず領主テオドラは、自分の住む家をどうにかしたかった。
住む家がない者たちがいることもわかっていたが、このシエンにある木で作られた家というのは、どうにも弱そうで落ち着かない。
大きな風でも吹いたら倒れてしまうのではないかと思えて仕方がなかった。
テオドラが王都で住んでいた家は、立派な石造りの建物だった。
テオドラの家だけではない。
王都にあるほとんどの家が、レンガや石で造られたものだった。
国王の住む城ほどではないにしても、万が一、敵に攻め込まれたとしても十分に持ちこたえることのできる堅牢なつくりとなっていたのだ。
それが、ここでテオドラが与えられたのは、剣を一振りすれば壊れてしまいそうな、木製の家だ。
シエンではそれが普通で、どの家もそうなのだと分かっていても、どうしても納得がいかなかった。
そのため、テオドラはシエン領に来てからすぐに、自分の住む家を造らせることにしたのだった。
今、テオドラが住んでいるのは元、王であった娘の住んでいた家らしい。
つまり、どちらかと言えば、テオドラにとってはここは仮住まいという気分になるのだ。
町の復旧の中に、作ったこともない石造りの家を建てさせるとは、非常識にも感じるのだが、テオドラは、この石で造る家をシエンにも広めたかった。
今回の戦のように、簡単に火で焼かれてなくなってしまうような家ではなく、100年でも200年でも保てる頑丈な家だ。
その造り方や必要な物の調達などをテオドラは団居に頼み、団居は竹笹という男を使ってドルエドの町々から情報を集めてきた。
その試験作としてテオドラは自分の家を作らせてみることにしたのだ。
建物は建った。
町で作るよりもずっと日数をかけて、石を探し出すことにも、大変な苦労をかけて。
――なぜか、石を切り出すことと、運び出すことには、それほどの苦労はなかったと言う。
石切り職人が必要だと、町の大工が言っていたのは嘘だったのだろうか、とテオドラは悩んだが、剣で石を切り出し、軽々と大岩を運ぶ屈強な男の姿に全てを納得した。
その毛むくじゃらの大男が、獅子倉という、シエンの里で恐ろしいほどに強い武人たちを育てている男らしい。
しかし、テオドラの石造りの立派な家が完成しても、シエンの村人たちはみな、元通り木の家を作ることを望んだ。
「だって領主様、石に囲まれてたら魔獣の気配が分かりにくいじゃないですか。」
まだ幼いとすら言える少年、白壁に指摘されて、魔獣の気配という、よく分からない理由のために、テオドラはシエンに石造りの家を建てることを諦めた。
それぞれの地域に、適した風土というものがある。
子供たちが、平屋建ての家を飛び越えて走り回る風景。
魔獣に囲まれた地で生き抜くには、この木でできた家が必要なのだろうと言うことが、なんとなくだが、テオドラにも分かってきた。
テオドラが次にしたことは『神殿』を建てることだった。
信じられないことに、シエンの里の者達は『神殿』の存在すら知らなかった。
村のはずれの草原に、小さな古びた祠がある。
鳥の巣箱と間違えそうなほど小さな、テオドラに言わせれば、木でできた小箱だ。
シエンの村人たちはその祠が何であるかを詳しくは知らないと言う。
それでもその祠に、シエンの占い師、吉凶を判断する家系の者、祝の婆という者が毎日、里で採れた野菜や、山や森で採れた食べ物を供えている。
「正体もわからぬ、こんな古びた祠に、なぜ、毎日供え物をするのだ?」
テオドラが不思議に思って聞いてみれば、祝の婆はほほほ、と歯のない口で笑う。
「何が居るかが大切なのではない。居る者に感謝することが大切なのじゃ。ここに居るのはこの土地の主じゃ。いつからいるのかなど、長く生きるわしにも分からん。」
そう答える祝の婆はしかし、とても誇らしげな顔をしていた。
本当は、この祠に住まうものが何かを知っているのではないか、とテオドラは思ったが、確信があるわけでもなく、問いただすのはやめておいた。
「祝の婆、今日も行くのか?」
にこやかな笑顔で元姫だった娘が、祝の持つ盆を受け取る。
「私も行こう。あそこは好きだ。」
颯爽と、しかし、祝の婆の歩みに合わせてゆっくりと、娘は歩き出す。
テオドラは、まぶしい光を放つような娘と、慈しむように少女に微笑みを向ける老婆を見送った。
この時テオドラは思った。
小さなボロボロの崩れかけた祠よりも、ずっと偉大な信仰を、シエンの人々にも広めるべきだと。
貧しい地域だからこそ、より強い神の力に頼るべきなのだと。
その頃、ドルエド国のみならず、周辺国ではみな、「アルバドリスク」という国から伝わる信仰が広まっていた。
『アルバドリスク』
精霊に守護されていると言われる豊かな国だ。
その精霊の守護の恩恵を授かろうと、神殿にはアルバドリスクに生まれる「精霊の繋ぎ人」と呼ばれる深青の瞳の天使像が描かれる。
金の髪と青い瞳。
美しいその姿は、アルバドリスクの王族をモデルにしたと言われている。
その天使の姿からは、誰もが見惚れるような慈愛に満ちた神聖さを感じる。
しかしテオドラが、小さいながらも石造りの、立派な神殿を建てたと言うのに、シエンの里まで来てくれる神官が一人もいなかった――。
祝の婆は今日も、古びた小さな祠に食べ物を供える。
「また行くのか? 婆さん。」
今度は団居が呆れたような顔をして祝の婆から盆を受け取る。
「歩いていくだけでも大変でだろう、俺が供えておきますよ。」
「お前は、心がこもっておらん。それではいかんのだ。主様はきちんと人の心を見ておられる。お前もこの土地の世話になっておるのだから、礼を欠かしちゃいかんよ。」
叱りつけるように、しかし、柔らかく、祝の婆は団居に告げた。
「はいはい。心を込めてですね。」
「もうその返事が、心がこもっておらんと言うてるんじゃ、お前は。」
「分かりました。ほら、運びますから、もう、背中に乗ってください。」
そう言って、団居は盆を持ったまま、祝の婆を背負った。
「テオドラ様、先に屋敷に帰っていてください。祝の婆を送り届けたら、私も屋敷に戻り、仕事の続きをやります。」
「手伝おうか?」
片手のふさがった状態で人を一人負ぶうのだ、大変だろうとテオドラは手を差し出した。
「領主様にそのような事はさせられません。私はこの者の息子に小さい頃に恩があるのです、どうぞお気になさらず、先にお帰りください。そう時間もかからず戻りますから。」
そうしてそのまま、危なげもなく団居は歩いてゆく。
今日もテオドラは祠に向かう二人の背中を見送った。
領を治める領主の仕事を手伝い、子供たちにドルエドの言葉を教える団居。
情報収集や、ドルエド王とのやりとりのための足である竹笹。
畑仕事のために残っている年老いた、わずかな男たち。
その他はほとんどが女と子供という、それだけで、村の修復をしなければならなかった。
壊された家々、荒らされた田畑。
ドルエド国内になったとはいえ、一番近い周囲の町からすら、食料や物資を送る手立てがない。
人が運ぶにしても周囲の山を荷車は走れないために、人が持てる程度の荷しか運べないのだ。
このシエンでは自給自足が基本。
幸い、シエンを囲む森にも山にも豊富に食料も素材もあった。
まず領主テオドラは、自分の住む家をどうにかしたかった。
住む家がない者たちがいることもわかっていたが、このシエンにある木で作られた家というのは、どうにも弱そうで落ち着かない。
大きな風でも吹いたら倒れてしまうのではないかと思えて仕方がなかった。
テオドラが王都で住んでいた家は、立派な石造りの建物だった。
テオドラの家だけではない。
王都にあるほとんどの家が、レンガや石で造られたものだった。
国王の住む城ほどではないにしても、万が一、敵に攻め込まれたとしても十分に持ちこたえることのできる堅牢なつくりとなっていたのだ。
それが、ここでテオドラが与えられたのは、剣を一振りすれば壊れてしまいそうな、木製の家だ。
シエンではそれが普通で、どの家もそうなのだと分かっていても、どうしても納得がいかなかった。
そのため、テオドラはシエン領に来てからすぐに、自分の住む家を造らせることにしたのだった。
今、テオドラが住んでいるのは元、王であった娘の住んでいた家らしい。
つまり、どちらかと言えば、テオドラにとってはここは仮住まいという気分になるのだ。
町の復旧の中に、作ったこともない石造りの家を建てさせるとは、非常識にも感じるのだが、テオドラは、この石で造る家をシエンにも広めたかった。
今回の戦のように、簡単に火で焼かれてなくなってしまうような家ではなく、100年でも200年でも保てる頑丈な家だ。
その造り方や必要な物の調達などをテオドラは団居に頼み、団居は竹笹という男を使ってドルエドの町々から情報を集めてきた。
その試験作としてテオドラは自分の家を作らせてみることにしたのだ。
建物は建った。
町で作るよりもずっと日数をかけて、石を探し出すことにも、大変な苦労をかけて。
――なぜか、石を切り出すことと、運び出すことには、それほどの苦労はなかったと言う。
石切り職人が必要だと、町の大工が言っていたのは嘘だったのだろうか、とテオドラは悩んだが、剣で石を切り出し、軽々と大岩を運ぶ屈強な男の姿に全てを納得した。
その毛むくじゃらの大男が、獅子倉という、シエンの里で恐ろしいほどに強い武人たちを育てている男らしい。
しかし、テオドラの石造りの立派な家が完成しても、シエンの村人たちはみな、元通り木の家を作ることを望んだ。
「だって領主様、石に囲まれてたら魔獣の気配が分かりにくいじゃないですか。」
まだ幼いとすら言える少年、白壁に指摘されて、魔獣の気配という、よく分からない理由のために、テオドラはシエンに石造りの家を建てることを諦めた。
それぞれの地域に、適した風土というものがある。
子供たちが、平屋建ての家を飛び越えて走り回る風景。
魔獣に囲まれた地で生き抜くには、この木でできた家が必要なのだろうと言うことが、なんとなくだが、テオドラにも分かってきた。
テオドラが次にしたことは『神殿』を建てることだった。
信じられないことに、シエンの里の者達は『神殿』の存在すら知らなかった。
村のはずれの草原に、小さな古びた祠がある。
鳥の巣箱と間違えそうなほど小さな、テオドラに言わせれば、木でできた小箱だ。
シエンの村人たちはその祠が何であるかを詳しくは知らないと言う。
それでもその祠に、シエンの占い師、吉凶を判断する家系の者、祝の婆という者が毎日、里で採れた野菜や、山や森で採れた食べ物を供えている。
「正体もわからぬ、こんな古びた祠に、なぜ、毎日供え物をするのだ?」
テオドラが不思議に思って聞いてみれば、祝の婆はほほほ、と歯のない口で笑う。
「何が居るかが大切なのではない。居る者に感謝することが大切なのじゃ。ここに居るのはこの土地の主じゃ。いつからいるのかなど、長く生きるわしにも分からん。」
そう答える祝の婆はしかし、とても誇らしげな顔をしていた。
本当は、この祠に住まうものが何かを知っているのではないか、とテオドラは思ったが、確信があるわけでもなく、問いただすのはやめておいた。
「祝の婆、今日も行くのか?」
にこやかな笑顔で元姫だった娘が、祝の持つ盆を受け取る。
「私も行こう。あそこは好きだ。」
颯爽と、しかし、祝の婆の歩みに合わせてゆっくりと、娘は歩き出す。
テオドラは、まぶしい光を放つような娘と、慈しむように少女に微笑みを向ける老婆を見送った。
この時テオドラは思った。
小さなボロボロの崩れかけた祠よりも、ずっと偉大な信仰を、シエンの人々にも広めるべきだと。
貧しい地域だからこそ、より強い神の力に頼るべきなのだと。
その頃、ドルエド国のみならず、周辺国ではみな、「アルバドリスク」という国から伝わる信仰が広まっていた。
『アルバドリスク』
精霊に守護されていると言われる豊かな国だ。
その精霊の守護の恩恵を授かろうと、神殿にはアルバドリスクに生まれる「精霊の繋ぎ人」と呼ばれる深青の瞳の天使像が描かれる。
金の髪と青い瞳。
美しいその姿は、アルバドリスクの王族をモデルにしたと言われている。
その天使の姿からは、誰もが見惚れるような慈愛に満ちた神聖さを感じる。
しかしテオドラが、小さいながらも石造りの、立派な神殿を建てたと言うのに、シエンの里まで来てくれる神官が一人もいなかった――。
祝の婆は今日も、古びた小さな祠に食べ物を供える。
「また行くのか? 婆さん。」
今度は団居が呆れたような顔をして祝の婆から盆を受け取る。
「歩いていくだけでも大変でだろう、俺が供えておきますよ。」
「お前は、心がこもっておらん。それではいかんのだ。主様はきちんと人の心を見ておられる。お前もこの土地の世話になっておるのだから、礼を欠かしちゃいかんよ。」
叱りつけるように、しかし、柔らかく、祝の婆は団居に告げた。
「はいはい。心を込めてですね。」
「もうその返事が、心がこもっておらんと言うてるんじゃ、お前は。」
「分かりました。ほら、運びますから、もう、背中に乗ってください。」
そう言って、団居は盆を持ったまま、祝の婆を背負った。
「テオドラ様、先に屋敷に帰っていてください。祝の婆を送り届けたら、私も屋敷に戻り、仕事の続きをやります。」
「手伝おうか?」
片手のふさがった状態で人を一人負ぶうのだ、大変だろうとテオドラは手を差し出した。
「領主様にそのような事はさせられません。私はこの者の息子に小さい頃に恩があるのです、どうぞお気になさらず、先にお帰りください。そう時間もかからず戻りますから。」
そうしてそのまま、危なげもなく団居は歩いてゆく。
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