仮想空間でバトルロワイヤル、現実に帰るために1位を目指せ!

千夜ニイ

仮想空間でバトルロワイヤル、現実に帰るために1位を目指せ!

 気が付けば私は、暗い階段を地下へと降りていた。下の方には明かりが見えたので無意識にそこを目指して足を進めている。
 視界の中にちらほらと同じように地下を目指す人たちが見えてきた。


 地下は洞窟のような広い空間のようだったが、細い分かれ道が何本もあるようでその全容は掴めない。
 人の集まる空間があった。その人だかりの前には沢山の武器が置いてある。マシンガンのような大きな銃とBB弾だ。
 BB弾が置いてあると言うことは、銃は本物ではなく、エアガンなのだろう。


「遠慮するな、どんどん撃て! 相手は悪人だ」


 白髪の多く混じった灰色の髪の男が、細長い銃を振り上げて叫んでいる。黒いベストの下には迷彩模様の服を着ている。


 まるで軍隊の兵士のようだ、と私は思った。
 男の周りには汗にまみれた服を着た男達が集まり、手に手に武器を持ち、皆が同じ方向に進んでいく。
 その進行方向を、壁に隠れるようにして私は覗いてみた。


 広いホール状の洞窟空間に大勢の人が立っていて、その最前列では銀行員の制服を着た女の人が、黒い防弾チョッキを着た体格のいい禿頭の男に銃を突きつけられていた。


 禿頭の男と同じ防弾装備で身を固めた兵士達がそのホール内を支配している。銃を持ってうろつき回り、反抗的な者や逃げようとする者にその銃を突き付ける。


 銀行強盗、襲撃、テロリスト、様々な犯罪を示す言葉が私の頭の中を駆け巡った。その時、私の中に生まれた思いは、「怖い」、「巻き込まれたくない」、と隠れたままでいる事を望むものだった。


 息を殺して、それでも状況を知りたくてホールを覗く。先程、この道を歩いて行った先頭の集団が、犯罪集団を射程へと捉えた様だった。


 銃撃の音が始まった。ダダダ、と一つの音から始まった銃声は、直ぐにいくつもの音が重なって、どこから撃ち出されているのか分からない騒音となった。


 ホールの最前列にいた禿頭の顔に何発もの弾が当たり血飛沫を上げて倒れていく。スローで見えたその瞬間は、古いアニメの様に大雑把な線で私の目に映った。ただ、飛んでいた銃弾がとても小さく、丸かったことから、ああやはりBB弾なんだな、という何処か現実的でない感覚を持った。


 これはBB弾で、ここにあるのはエアガンで、けれど人が死ぬ。当たれば死ぬ。撃たれれば死んでしまう。
 身を縮める様な恐怖を感じて、私はジリジリと後退した。いつの間にか立つことすら出来ない程に力が抜けていて、私は尻餅をついた状態で後ずさる。


 後ろにはそれ以上進めない、壁面の端に来てしまった。右側にはエアガンの積まれたコンテナが置いてある。
 私は恐怖に震えながら、使ったこともない武器へと手を伸ばした。生きたい、死ぬのは怖い、助かりたい、「言葉」という形で脳に浮かぶよりも先に、本能と言うべき感情に突き動かされての行動だった。


 満杯の弾倉を銃へとセットする。200という数字が頭に浮かんだ。弾の数だろうか。


 銃撃の音は、近くのものだったり遠くのものだったりする。ホールの中を響いて、洞窟の細い道を木霊して、私にはどこでどの様に撃ち合っているのかなんて分からない。


 見つかりたくない、来ないで、来ないで、そう願いながら、お守りの様に銃を抱きしめる。
 銃の型なんて知らない、1メートル位の長さで、先端が細くて、後ろに持つ所がある。引き金は当然一つで、これを引けば弾が出る。それだけ知っていればいい。


 金色の火花が見えた。直ぐ目の前の通路で、撃ち合いをしている。戦い慣れた様子の屈強な男が、右肩から斜めにベルトで大きな銃を吊って左の腰の辺りで撃っている。花火の様に銃の先端から火花が出る度に、男は腕と肩を揺らしている。


 ダダダダ、と連続で弾の出る銃はマシンガンだろうか。大きい銃も小さい銃も連続で撃つのはマシンガンだったろうか。私の銃の知識なんて、そんなあやふやなものだ。


 なんでこんな所にいるのか分からない。何が起こっているのか分からない。撃ちたくない、人を殺したくない、怖い、怖い怖い怖い……。


 目の前で道を守る様に撃っていた男が倒された。死んだかどうかなんて、どうでもいい。目の前の道が開いてしまった、敵が来る、私を撃つ人が来る、殺される!


 恐怖に支配されたのか、生きたいと言う本能なのか、目の前の道に銃を構えた黒服の女が見えた瞬間、私は銃の引き金を触っていた。
 押したのか、引いたのか、力を入れたのかすら覚えていない。でも、私の手元の銃から弾は発射された。


 ダダダという音と、体に伝わる軽い衝撃。BB弾が銃身から複数飛び出して、目の前にいた女の人のお腹に飛び込んだ。
 腹部から血飛沫を上げて、女性は前のめりに倒れこんだ。


 私の視界の右端に白い四角が現れた。そこにはアルファベットの様な黒い読めない文字と、赤い文字が表示されていた。
 得点が入った。読めない文字なのに、私はそれを理解した。相手を倒せば点数が入る、と。


 エアガンにBB弾、入る得点に敵と味方、これはゲームだ。サバイバルゲームとか、FPSとか、バトルロワイヤルとか、そういうものだ。


 残念ながら、私は現実でそういうゲームをほとんどやったことがない。恐怖もスリルも、視点変更もキャラを操作することも、マップを移動することも、誰かや何かを狙って攻撃する事も、兎に角苦手だった。


 センスがない、才能がない、方向音痴、一つの動作しかできない。
 ゲームのできる人達は、私にやってみろと言っては、見てられないと嘆いていた。
 私にとってゲームはやるものではない、上手い人がやってるのを後ろから見るものだった。


 でも、今得点をもらった瞬間に私が感じたものは、「認められた」という高揚感。褒められたという優越感。私にもできるという、自尊心と快感。


 私は体を持ち上げて走り出した。興奮しているのか身体が身軽に感じる。走るのは得意だ、倒れている人々を軽快に飛び越えて、右に左にステップを踏む様に前進する。高速で過ぎ去る景色が楽しい。それが死屍累々の惨状でも、銃撃を繰り広げる戦場の只中でも。


 私は、最初に見たあのホールへと飛び込んだ。黒い服装の男に狙いを定め、その頭に銃口を向ける。自分の意思で引き金を引けば、もう耳に馴染んだ軽快な音が発射される。


 おなじみの、アニメ化された絵で男が倒れていく。私の視界には白い四角が現れて、加点を告げていった。
 やった。喜色が心を埋め尽くす。興奮したまま次の獲物を求めて視線を動かす。


 拳銃を女性に突き付けて盾にしている男を見つけた。幼少時に抱いた正義感が燻る。今の自分にはヒーローになる力がある。


 私は悪党の頭に狙いを付けて引き金を引いた。
 しかし、なんて事だろうか、私の狙いは大きく外れ、下劣な男の隣にいた女性を被弾させてしまった。


 視界に白い四角が現れ、赤い文字が表示される。今、私に罪悪感はなく、あるのは悔しさだった。この赤い文字は私の順位を下げる知らせだった。


 一般人を撃つと減点されてしまうらしい。不安と苛つきが心に散らつく。一般人と敵の見分けなんて付かない。服装と雰囲気、武器の有る無し、あとは感覚に頼るしかない。


「頭を狙うな、胴体を撃て!」


 誰かの張り上げる声が聞こえた。ふと思い出す。頭は小さいから狙いにくい、確実に当てるなら胴体を狙えという言葉を。


 どこで見たのか、聞いたのか思い出せない。映画か、アニメか、漫画か。どれでもいい、それが確かな情報だと知れればそれで十分。
 私は銃での標的を頭部から胴体へと切り替えた。


 戦い慣れた様子の男達を中心にして、武器を持った敵を倒しホールを制圧すると、私達は洞窟の細い道へとそれぞれ入っていった。


 元々細い道に居た者、ホールから逃げ出した者、抵抗する者、敵意ある者、狂気じみた者。様々な敵が道の先に居た。私は敵に会う度に迷い無く銃弾を撃った。獲得する点数と、上がっていく総合順位に愉悦すら覚えていた。


 その私が引き金を引くのに躊躇いを感じたのは、弾の残数が少なくなったからだ。200発あった弾は残り18にまで減っている。どこかで弾を補充したい。最初にいた場所みたいにアイテムの置いてある場所はないだろうか。


 周囲を警戒しながら、私はゆっくりと入り組んだ洞窟内を進んでいく。


 Hの様な形をした洞窟の分かれ道、右側の方に炎の揺らめきが見えた。それは段々と私のいる方へと近付いてくる。敵か味方か分からないので息を潜めて様子を探る。複数の足音と、男の声が聞こえてきた。


「おらっ、とっとと前を歩け。殺されて〜のか。敵がいたらちゃんと撃てよ、役立たずども」


 苛立たしげな男の声は、乱暴な様子で誰かを怒鳴りつけている。ひっい、と小さな悲鳴が聞こえた気がした。続いて嗚咽を押し殺した様な、苦しそうな呼吸の音が聞こえてくる。
 恐らくは若い女性の声。女性と言うよりは少女かもしれない。


 感じ取ったのは敵だという印象。残弾数18。オートで弾が撃ち出されるので、どれだけ気遣っても2回しか撃てない。足音は3人分はある。


 死ぬかもしれないと言う恐怖が、私の内で膨らみ始めた。弾を、補充しなければ。焦っても弾は出てこない。


 私はやり過ごそうと左の道へと体を隠した。見つかりませんようにっ、と呼吸を殺して敵の動きに神経を集中させる。


「お前らは俺の盾だ。前を歩いて俺に殺されたくなきゃ、敵を撃て!」


 暴論だ、嫌な男だ。自分の身を守る為に他人を犠牲にする男の矮小さに、不快感が込み上げる。倒したい、そう思った。けれど弾がない。
 死にたくない。残弾数をもう一度確認して、心を落ち着かせるために銃身を撫でる。


 撃てるのは2回。もう一度自分に言い聞かせる。1回で弾が全部出てしまうかもしれない。
 死が近付いてくる気がした。恐怖を感じながら、身を潜める。


 足音が近付く。そのまま真っ直ぐ行ってくれ、こっちに曲がってくるな。泣きそうな気持ちで壁の端から分かれ道を覗いた。


 その瞬間、金髪の泣き腫らした少女と目が合った。ちょうど道を曲がって一歩を踏み出した所だった。


 私は息を飲む。銃を撃たなかった。私も、少女も。もし少女が撃っていたら私は死んでいた。でも、顔中を涙の跡だらけにして、砂埃で全身汚れた少女は、重そうに拳銃を持っているだけで構えようとする様子はなかった。


 体の中心を針で刺したような、神経に電気を通したような恐怖の様なものが体の芯を走り抜けた。今、私は死ぬ所だった。心臓がドキドキしている。


 驚いたと目を見開いた後、少女は見逃してあげると言いたげに苦笑した。涙に濡れた瞳で、砂だらけの細い体で、死の恐怖に襲われている世界で、大人に虐げられながら、私を救おうとしてくれた。


 彼女を助けたい、と私も思った。死への恐怖はあるが、少女への想いが勝っていた。私は少女へと頷く。私達は互いに見逃し合おう、と。


 私は壁へと背を貼り付ける。誰かが振り向いてしまえば私は撃たれる。少女がH型の分かれ道右上から来て真ん中の道へと入った。私は左上の道に張り付いている。


 このまま、少女達敵チームが左下へと進んで行ってくれたらありがたい。けれど、それだと誰かが後ろを向けば、私の隠れている姿が見えてしまう。


 少女が私に背を向け、震えながら道を進んで行く。その背中を見ている内に、気付けば私の体は動き出していた。


 私は分かれ道へと体を滑り込ませた。向かいの通路から痩せた男が曲がってきた所だった。男はひい、と息を吸う音のようなか細い悲鳴をあげ、目をつぶって銃を撃ってきた。


 幸い、弾は私に当たらなかったけれど、私も銃の引き金を引いてしまっていた。残弾数1、絶望的な数字だ。焦り過ぎたっ、私のバカ! 私が狙うべきはもう1人の男の方だったはずなのに。


 私と痩せた男は、互いに後ろに下がり相手の出方を探る。タイミングを探るも何も、私には銃弾が残されていないのだけれど。


「おい、何隠れてんだよっ、馬鹿かっ。行って敵をぶっ殺してこい!」


 後ろから蹴り出されたのか、痩せた男が再び姿を現した。その顔は蒼白ですでに死人のような表情をしていた。


「弾がない!」


 私は痩せた男に銃を見せ、引き金を引く真似だけをした。こんな事をして今さら何になるのか、自分でもやけっぱちになっているのが分かった。


 痩せた男はホッとしたような、泣きそうな顔で口元に喜色を浮かべ道の奥へと戻って行った。すぐにドッと音がして、蹴り飛ばされたらしい痩せた男が通路の向こうに倒れたのが見えた。


 そして、通路からついに、先程からの声の主である男が姿を現した。頭のてっぺんに逆立ったモヒカン、鼻と唇と耳に銀色のゴツいピアスが付いている。


 男は嬉しそうに大口を開けて笑い、蛇のように舌を動かし、左手に持った大型のナイフを私に突き立てようと迫ってきた。


 私の銃に弾がない事を、痩せた男から聞いたのだろう。モヒカン男に警戒心はなく、ただ弱い者をいたぶってやろうという、醜く残虐な笑いを浮かべていた。


 捕食される。蛇に睨まれた蛙のような恐怖に私は持っていた銃を男の顔に向けて構えた。


 男は口を開けたまま、舌を動かし、ナイフを自分の顔の横で揺らしている。どこから切り裂こうか、どんな風にいたぶってやろうか、楽しみで仕方がないという顔だった。


 その表情が語っている。お前の武器は弾がないんだろう、俺にいたぶられるためにそこにいるんだろう、と。


「はっはぁあ」


 モヒカン男は、私を馬鹿にしたような、息とも言葉とも取れないような声を出した。ニタリとした顔を斜めに傾げて、勝ち誇った強者の立場で私を見下ろしている。


 私の中にあるのは恐怖だった。死への恐怖ではない、切り刻まれ、痛めつけられる事への恐怖だった。
 こんな男に負けたくない、悔しい、そんな僅かにも私の中で燃える心が、私を男の前で立たせていた。


 銃を持つ腕に今一度力を入れる。狙うのは余裕たっぷりに開いた男の大口の中。私は引き金を引き最後の銃弾を撃ち出した。


 弾は男の喉へと吸い込まれ、男はアニメ調へと姿を変えて、鼻から血を吹き出して倒れた。そこで、私の意識は一度、途絶えた。


 気付くと、私の意識は空気を漂っていた。ああ、私は殺されて負けたのか、と納得する。誰に殺されたのかは分からないが、どうせ弾はなく、生き残る術が私にはなかった。あの嫌なモヒカン男を倒せただけで満足な出来だった。


 視界の右端には現在の状況なのか、白い四角の中に黒い文字や赤い文字が並んでいる。
 その上には全体の順位が表示されていた。上位者の得点は、目が回る程に桁が違い、私はどれ程このゲームをやっているのだろう、と呆れ半分、羨望半分で眺めていた。


 ずっと動き続けていた戦況通知欄が止まった。
 順位のトップだった者に赤い文字が表示される。
 ああ、ゲームの決着がついたのだな、と私は納得する。


 1位の者の名前の下にある1行の赤い文字。私にその文字は読めないが頭の中にその意味は入ってくる。
 総合1位の者は、現実世界へ帰還、と。


 1位になれば帰れる。平和で、安全で、死への恐怖のない、家族のいるあの場所へ。


 けれど1位は遠い、遠過ぎる。全体の人数は5000人以上。今回の私は142位と、かなりの高順位に入ったと思う。でも、1位なんてかけらも見えてこない。


 攻めて行かなきゃ得点は取れない、人を積極的に殺していかなければ現実に戻れない。
 人を殺したくないという善良な心を持った者はこの世界に取り残され続ける。あの泣き腫らした少女のように。


 ゲーム好きの人間は、これを喜ぶのだろうか。異世界に行きたい、VRをやりたいって人はこの世界を味わいたいのだろうか。


 先程、自分が興奮してノリノリで人を撃ちまくっていた事など忘れて、私は恐怖と絶望に飲まれていた。
 撃って、撃たれて、こんな事を後何度繰り返したら現実に帰れるのだろう。上手い人から抜けていく。いつかは私の番が来る。でもそれはいつ? 気が遠くなった。


 私は見知らぬ男に乗り移っていた。内に入り込んでいるのか、俯瞰しているのか、正確にはよく分からない。


 体を動かすのは私の意識ではないし、武器や道具の知識も私の頭の中には入ってこない。男の考えている事は少しだけ分かった。


 この男は工作が得意で、洞窟の一部に隠れられるスペースを作って、カモフラージュして立て篭もろうという作戦らしい。


 戦う事と言うよりは、人を殺す事が好きになれないらしい。情けなくとも、隠れて生き延びる、と覚悟を決めていた。


 でも、それじゃ現世に帰れないよ。言葉にもならない、相手にも伝わらない、ただの気体のような存在になった私は漠然とそう思った。


 男が隠れている場所のすぐ前を、何人もの集団や男や女が駆け抜けて行った。目の前で銃撃戦が起きた時もあった。それでも隠れた男は息を殺して耐え続ける。大丈夫見付からない、俺の作った壁は完璧だ、上手くいく、と怖気付く心を鼓舞して正気を保っている。


 何故か男の考えている事が分かった。
 そして、空気のように存在のない私には、この男の危機も見えていた。


「この辺りの壁には穴があった筈だ、俺は覚えてる。だが、塞がってる?」
「誰かが埋めたのかもしれん」


 老齢に差し掛かる容貌の男2人が、顔を見合わせて頷き合う。手にはもちろんすでに見慣れた長い銃を持っていた。
 後は、壁をはがされ絶望に青くなった男を老齢の2人がーー。


 私の視界は再び飛んだ。今度は1人の中年の男が走っている。全身が筋肉質で、髪は長く、汗に濡れたシャツの袖を肩まで捲っていた。


 急勾配の洞窟の細道を、大きな体を苦にもせず軽々と駆け上がっていく。後を追っていたと思われる男達は、息も絶え絶えに長髪の男の登った細道を歩いている。銃を杖代わりに突き、口を開けっぱなしにして乾きと苦しさに喘いでいる。


 長髪の男は何か液体の入った箱を細道の出口に設置した。そして、その先にある地面の扉を開けると地中へと身を隠した。


 長髪の男の設置した箱から炎が上がる。追っていた男達は慌てて後方へと引き下がって行った。地に隠れていた男は、同じ液体の入った箱をいくつも抱えて地中から飛び出す。


 その男の顔を見て分かった。この長髪の男は、あのカモフラージュした壁に隠れていた男だった。伸びた髪と髭、顔の皺、筋肉の盛り上がった体、あの時の年若い男とは随分と様相が変わっていた。


 男は次々と箱を設置していく。炎に当たり判定があるのか、噴き上がった炎に晒された者はアニメーションへと変わり、一頻り熱さに悶えて倒れていった。


 しばらく走り回ると、ゲーム終了が近くなり、男は急勾配な坂の上の地中へと隠れる。


「あいつは必ずこの辺りにいる筈だ、探せ」


 声にひび割れのある老齢の男が、4、5人の男を引き連れて、坂の下を歩き回る。長髪の男を探しているのだろうと見て分かる。互いの戦法を知り尽くした長年の経験を思わせる。


 それ程の長い間……。私は言葉を失った。今は私も、1位を取らない限り、彼らと同じ運命の中にあるのだ。


 坂の出口に置いていた箱の炎が弱まった。中に入っていたアルコールか、油かは分からないが燃料が切れかけているのだろう。


 それを見付けた老齢の男は、ニヤリと笑い列を成して坂を登り始める。地中に銃剣を刺し、一歩一歩踏みしめて進む。


 長髪の男の隠れる場所へと一歩、また一歩と近付いて来る。長髪の男の心音が聞こえる様だった。どくどくと心臓を鳴らし、全身に冷や汗をかき、真っ暗な地中で膝を抱えて虚空を見つめている。必死に息を殺して、恐怖に耐えていた。


 どれ程容貌が変わっても、行動に変化があっても、この男は最初に見たあの時から変わっていないものがあった。これを臆病だとは私は思わない。彼は、人を殺す事を忌み嫌っていた。


 彼はまだ、現実に帰り家族と暮らす事を願っていた。


 無情にも、老齢な男達は坂を登り切っていた。手当たりしだいに土に剣先を突き立てては、畑の中のミミズを探す様に土を掘り返す。


 長髪の男の作った地中への扉は小さい。干し草と土を固めて作っているので周囲の地面との見分けは難しい。けれど、あの銃剣で刺されてしまえばこの入り口は露呈するだろう。


 男の頰を大粒の汗が流れて落ちる。ザッザッと地を刺しながら男達の列が扉の横を通って行く。1人目、2人目は扉に気付かずその横を通り過ぎていった。3人目、4人目、入り口のすぐ側で靴音が鳴る。


 それ以上来るな、来るな、来るな! 長髪の男が心の中で叫んでいる。それは恐怖なのか願いなのか、私には分からない。ただ、今の私には無いはずの激しい心臓の音と、血の気の冷める感覚が体を通り抜けた気がした。


 老齢な男が扉に気付かずに通り過ぎた。ホッと安堵から体の力が抜けた気がする。しかし、6人目がいた。片足を引きずり、銃剣を杖にして掴まり、ヒョコリヒョコリと歩く、動作の鈍い男。


 顔に大量の汗をかき、片目が不自然に細められ、息も絶え絶えで歩く様子からは、思考という物が感じられない。


 マラソンを終えたばかりの様な、力尽きた体で、生きるために歩いているという風だった。その男が、地中への扉を踏んだのだ。扉はしなり、踏まれた部分だけが地中へとへこむ。


 長髪の男は生きた心地がしなかった。これで死ぬのだ、と叫びたくなるこの生への悲鳴と、出来事への否定を喉の奥で押し留める。ゴクリと生唾を飲み、体を硬直させて成り行きを見守る。


 死に体の男は柔らかな足元にバランスを崩し、銃剣に両手で体重をかけて何とか倒れるのを堪えた。


「何してる、早く来い!」


 ひび割れた声が男を急かし、男は何も考えられない様子で、呆けた顔をしたまま疲弊した体を引きずり、ヒョコリヒョコリと歩き出した。


 助かった。心の中で呟いたのは男か、私か。どちらとも分からないほど、私は今、長髪の男と同調していた。


 だが次の瞬間、男は私の意識から急激に離れた。立ち上がり、扉を開け、地上へと姿を現わす。


 そんな事をしたら死ぬのに、私の心は冷や水を浴びせられた様に震えた。
 しかし、男は朗らかに笑っていた。


「ほら、持っていけ!」


 そう言って、敵の列の中に液体の入った箱を投げ込んだ。勢いよく火炎が巻き起こり、6人の男達を飲み込んでいく。6人分のアニメーションが起こり、長髪の男の勝利が表示された。


 長髪の男は泣いていた。満面の笑みに大量の涙を零して、男泣きと言うものだろうか。
 地下の空間に天井から光が差し、男は歓喜の表情で現実世界へと帰って行った。
 男の幸福感が私の中にも流れ込んできた。家族に会える、帰れる、幸せな世界に戻れると。


 その気分を抱いたまま、今度は私の体が銃を手にしていた。動きやすそうな服に、少し重たいベスト。銃にはベルトが付いていて、私の左肩から掛かっている。このまま引き金を引けば、安定して撃てる気がした。


 そうか、今度は私の番なのか。爆弾を使ったり、仕掛けをつくったり、そういう戦い方もあるのだと知った。
 興奮、高揚、恐怖、不安、色々な物が私の中で渦巻いている。けれど一番強く感じるのは、長髪の男の残していった幸福感だった。


 私も帰る、現実世界へ!
 銃を握りしめて、私は暗い洞窟の中を駆け出した。

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