ギレイの旅

千夜ニイ

ギレイの守護精霊

 明るい空間に天上から金色の光が差し、そこでは少女達が一人の女神を囲んで座っていた。


「やはり、来たな」


 ゆらりと地面の一部が霞んで、もやが人型に集まり光を放つ。やがて光は、少年の姿へと変わった。


 綺麗。綺麗ね。
 女の子みたい。本当に。
 くすくす。くすくす。


(何か聞こえる。声じゃない、もっと小さくて心に囁いてるみたいな音)


 儀礼はゆっくりと目を開いた。眩しいほどの光輝く空間に、複数の少女達の姿がある。
 その中心にゆったりと座っているのは、いつか出会った天候を司る美しき女神。


水光源すいこうげん?」


 儀礼にとっては、女性に姿を変えられたという悪しき記憶の根源である女神で、二度と会いたくない相手だった。


「呼び捨てるとは不遜な奴だのう。まあよい。あの時、そなたの寿命は周りの者より短いと告げたであろう」


「あぁ、そうか。僕は死んだんですね」


「われが居なければな」


 にまりと口の端を上げて、水光源は得意げに微笑んだ。儀礼は訝しげに首を傾げる。


「われには肉体を再生させる力がある。のう、そなたこのまま、われの下で暮らさぬか? これ、このように女子おなごの仲間がたくさんおるわ」


 くすくす。ふふふ。
 口元を押さえて、無邪気に笑い合う少女達は、水光源への贄として一度は殺された者たちだった。けれど今は楽しそうに笑っている。


 ここは水光源によって守られた世界で、ここにいれば苦しむ事のない暮らしができるのだろう、と儀礼は幸福な空間を感じながら瞳を閉じる。


「僕は、ここには居られません」


 開いた瞳でまっすぐに水光源を見つめて、儀礼は迷いなく答えた。どれほど光溢れた世界でも、苦しみのない空間だとしても、そこに儀礼の心は留まれない。


「例え肉体があっても、僕の魂はここに居ないから、僕の心は気になって、気になって仕方がないんだ。あいつらが」


 儀礼の姿はもやのように揺れて、薄れていく。それでも儀礼は返事を変えない。微笑んで、魂の揺らめきを受け入れる。


「魂が消えるのだぞ?」


「僕が世界に溶けたら、きっとみんなを守るよ」


 精霊や魔力となって世界に溶け込んで、儀礼は絶対に大好きな人達を見守る。
 清々しい笑顔を称える儀礼に、水光源は困ったように眉間にしわを寄せて苦笑する。


「以前も思ったが、そなたは生に対して諦めが良すぎるなぁ。だが、少し早いようだぞ。そなたを全身全霊で呼び戻そうとしてる者達がおる」


「え?」


「行くがよい、そしてもう一度よく見てみるのだな。そなたの周りを」


 白い光が儀礼の姿を包み込み、明るい空間の中でも一際強い輝きを放って消えていった。






「ギレイ君、ギレイ君! 何で。目、開けてっ」


 白の上に倒れた儀礼は瞳を閉じ、荒い息を吐いていた。
 身を捩って身体を起こすと、白は儀礼の状態を確認する。触れた肌はじっとりと汗ばんでいて、何より、白衣の背中がじわじわと赤く染まっていく。


「儀礼!」


 獅子が駆け寄り傷口を見れば、赤褐色に錆びた十センチ程の矢じりが刺さっていた。白もハッとしたように儀礼の傷に回復の魔法をかけ始めるが、流れ出す血は止まらなかった。


「よりによって『赤い武器』か。解呪の儀式が必要だな」


 深刻な表情をしたアーデスが、儀礼の傷口を覗き奥歯を噛む。矢じり全体が鮮血に濡れ、吸い出すように血を流し続けている。


 『赤い武器』は何千もの人間の血から作った金属を加工した、曰く付きの矢じりだ。
 通常は棒をつけ矢として用いるが、狙撃手の男は風の力で矢じりだけを撃ち出したようだった。


「お前、何をした」


 瞳に鋭い光を宿らせて獅子は儀礼を撃った男を睨みつける。
 地に押さえつけられた男は歪な笑みを浮かべて、ガクガクと身を震わせた。


『は、はは、血と魔力を吸い取る呪われた武器だ。刺されば死ぬ。は、はは、はははははは……』


 狙撃手の男は狂ったように笑い出す。いや、狂ったようにと言うよりかは、すでに狂っているようだった。口から血を吐き出し、アルバドリスクの言葉で王家への呪詛を唱え始める。


『王女、おうじょお、お前達のせいでまた人が死ぬ。お前が受ければよかったのにな、精霊の守護で死ぬことなく守ってもらえる。俺たちを蔑ろにし、精霊の守護を独占する王家に死を死を死を死を……』


 男の目が真っ赤になり、血液が涙のように流れ出す。


「『黒獅子』殿、それは呪いの症状です。離れてください。其奴は、使ってはならない武器を使ったのです」


 言葉が分からず、眼光鋭くしたまま男を訝しむ獅子に、ロッドが説明する。


『喰ってやる。精霊も、王族も、貴族共も、コーナルダも関係ない。血に塗れた武器で何もかも吸い尽くして、力にする。俺だ、俺の力だ、俺が力を手にするんだ! 呪う、殺してやル、呪イ殺シテや、る、オ前らミンナ死ネ』


 男の声に反応してか、『赤い武器』は吸い出す血の量を増やした。魔力も際限なく儀礼の体から引き出し
、その力は男の下へと集まっていく。赤茶けた魔力が、男の体を覆い尽くしていく。


「シャーロット様、この呪いは危険です、流れた血に触れてはなりません。離れてくだされ」


 ロッドの言葉に、白は幾度も首を横に振って拒絶した。


「いやだ、私はギレイ君のそばにいる。ギレイ君、ギレイ君っ! 嫌だよ、死んじゃ嫌だよっ、だめだよっ!!」


 今離れれば、このまま儀礼はいなくなってしまう。そんな強い予感が白の中にはあった。必死に魔法をかけ続ける。魔力が尽きても、枯れ果ててもいいから、儀礼の傷を治したかった。離れたくなかった。


「アーデス様、持ちません! 出血が多過ぎて、ギレイさんの鼓動が、消えていきますっ」


 ヤンが泣き声で叫ぶ。
 白の膝の上で、儀礼の息が止まった。


「ギレイ君……ギレイ君!」


 白の目からは、ぼろぼろと涙が零れ落ち、儀礼の白い衣を濡らしていく。赤い儀礼の血と混じり、じわりと布地に染みていく。


 白はいつも、その白い背中を見ていた。黒い手袋から出た白い指先を見つめていた。真っ直ぐに見下ろす透き通った瞳はいつだって深い思慮を感じさせたし、じわっと涙を浮かべたり、にぱりと晴天のような笑顔を見せたり、眩しい程に生気に溢れていた。


 その顔が今、ピクリとも動かないでいる。人形のように整った顔は血の気がなく真っ白で、唇に色はなく、目は固くまぶたを閉ざしている。
 白を見て明るく微笑む少年がいない。


《消える》
《ーーの子が消えちゃう》
《ーーに伝えよう》《ーーに》《ーーよ》


 精霊達がざわめき出した。人に届かない音で、声で、叫び、騒ぎ、奏で、荒れ狂う。
 大地が揺れ、山が火を噴き、暴風が吹き荒び、空は黒雲に覆われ雷鳴が轟く。すぐに大量の雨粒が地上に叩きつけられた。


 獅子は滝のような雨も、体を引き裂く暴風も、鼓膜を破る程の雷鳴も感じていなかった。ただ、己の中に収まりきらない、重い闇が渦巻くのを感じていた。


(儀礼が、死んだ。コロサレタ……)


 獅子の持つ光の剣がその光を失い、ただの金属のかたまりへと変わる。
 世界中が騒乱の最中にあっても、獅子は静かに立っていた。


 獅子の心の内にはうごめくものがあるのに、体は血の気を失ったように冷たく、思考は外界の全てを断ったように無音だった。


「殺したのか……」


 やがて出た獅子の声は低く冷たく、感情を伴わない音だった。
 手に持った金属の棒・・・・で狙撃手の体を覆っていた禍々しい魔力を一気になぎ払う。魔力が唯の力任せの一撃に弾き飛ばされ、狙撃手が無防備に獅子の前にさらけ出された。


 獅子の握る光の剣から、暗い闇色があふれ出した。黒い煙のような影が、剣の周囲で揺らめく。
 光の剣として白く輝くかわりに、刀身を黒く染め上げ、闇の剣が誕生した。
 獅子の意識が光の剣の能力を凌駕した瞬間だった。


 魔剣の意識が人の心を蝕み、飲み込むことはあっても、その逆はなかった。
 起こり得ない事象を起こして、獅子は世界の規格を超えた力を発揮していた。


 闇の剣を獅子が一太刀振るえば、黒い衝撃波が放たれ、狙撃手の体を覆い尽くし、手と言わず足と言わず、全身の皮膚と肉を切り刻んだ。


 狙撃手はかろうじて息はあるようだが、もう立ち上がるどころか動く事も出来ないだろう。それでも獅子の怒りは治らない。傷口から黒い煙を侵入させて、狙撃手の精神へと介入する。じわじわと獅子の黒い意思が男を侵食していた。


「ギレイ君」


 涙を流しながら、白は儀礼を呼び続ける。
 獅子の様子がおかしい事は感じていたが、儀礼を治療する魔法を止められない。
 何の反応も示さない少年を抱きしめて、白は必死に祈り続ける。


「ごめん、ごめんね。私のせいで……」


(ああ、私は王女失格だ。この国のために使わなきゃいけない力を……っギレイ君のために使いたい)


 王族としていられなくても、守護精霊との契約を失ったとしても、国を守るための力を使い切ってしまっても、例え自分の命と引き換えてもーー。


「私の守護精霊、シャーロット。お願い、私の力全部使っていいから、ギレイ君を助けて。お願い!」


 荒れ狂う世界の中で、気付けば白は叫んでいた。


《伝えて、伝えて、精霊の子よ》
《……レイが……ギレイが去る、ーー目覚めて》
《《《起きてよ、エリザベス、ギレイの守護精霊!》》》


 大地が割れんばかりの揺れと、大気が張り裂ける轟音が世界を襲った。


 ドゴゴゴゴォォォン!!!


 アルバドリスク王城の地下、洞窟にある青い湖に異変が起きていた。
 精霊たちのざわめきと共に、輝く湖面が振動し複雑な波紋を描き出す。そして精霊達の願いにより、湖は青い光と共に膨大な量の飛沫を上げていた。


 白にはどこか遠くから、音が聞こえていた。雨の音でも風の音でもない、人には聞こえない精霊の発する音。
 ふと白が視線を上げた時、目に止まらぬ速さの青い光が飛んで来て、儀礼の体の中へと飛び込んでいった。


 続いて白の守護精霊、シャーロットも強い輝きを放って儀礼の体の中に吸い込まれていく。
 それを追うように淡い緑の精霊が儀礼の中へ入っていく。


《ごめんね、儀礼。でも私の体よりあなたの方が大事なの》


 儀礼の車に宿る風の精霊、愛華だった。その後に続いてふわふわと入って行こうとする子虎精霊を、風祇とフィオが抱えて引き留める。


《行くな、チビ。儀礼が悲しむ》
《お前みたいなチビ精霊が入ったら存在が消えちまう!》


 悔しそうに唇を噛んだ風と炎の精霊は、心配そうに儀礼を見守る。


《ああ、私もお前の役に立てる時が来た》


 真っ白い光の精霊朝月が、口元だけで嬉しそうに微笑んで、儀礼の体の中へ溶けていった。
 今、何が起こっているのか、白にも分からなかった。願っていたのは、ただ、儀礼の無事で。


 薄く青い光のベールの中で、ゆっくりと儀礼は立ち上がった。光に包まれているその姿は、いつも白が見ている精霊達の様だった。


 光が収まっていくのと同時に、静かに儀礼の瞳が開かれる。その二つの瞳は、守護精霊の光の様な、透き通った深い青色を称えていた。


「ギレイ……君?」


 白は涙が止まったことにも気付かず、呆然と儀礼を見つめていた。
 儀礼は、状況を確認するように周囲を見回すと、ほんの少し顔をしかめた。
 それから、白の頭を撫でふわりと、眩しそうに目を細めて微笑んだ。


「白、元気そうで良かった。移転のマジックシード、残しておいて正解だったよ」


 移転のマジックシードを使って、儀礼は狙われた白の前へと飛び出したのだ。


「トーラは、大丈夫かな」


 儀礼はポケットからピンク色の宝石を取り出す。いつも儀礼を守ってくれた障壁が今日は打ち破られた。
 儀礼の差し出した宝石を受け取って、白は寝息が聞こえてくるのを確認した。


「大丈夫、魔力が足りなくなっただけみたい。今は眠ってると思う」


 安堵してにっこりと笑った儀礼は、白から離れて歩き出す。
 周囲を覆う闇の主である、獅子のもとへ。


「何やってんの、獅子?」


 儀礼の声はひどく落ち着いていた。今、死を仮体験して来たとは思えない程、軽い調子で獅子に話しかける。


「儀礼?!」


 狙撃手を睨み付けていた獅子の視線が、儀礼へと向き、驚いたように双眸が見開かれた。
 パシンと音を立てて、儀礼は獅子の頭部を殴った。強くもなく、弱すぎもせず、絶妙な力加減だった。


 小気味良い音とともに、獅子の生み出していた闇が、たちまち払拭された。霧が晴れるように、周囲の闇が瞬く間に引いていく。


「精霊が困ってんじゃん。僕、初めて見たのに、いきなり困らせるなよな!」


 いつもの儀礼らしい、いきなりな日常会話ののりに、獅子は目をパチパチとさせ、面食らっていた。


「生きて……るのか?」


 しぼり出すような震える獅子の声に、儀礼はくすぐったいと言いたげにクスクスと笑う。


「見てわかんない? この通りだよ。みんなのおかげでね」


 そう言うと、儀礼は愛おしそうに、自分の胸に手を当てた。そこにある青い契約陣に、守護精霊エリザベスが宿っている。
 ふと、小さな風の揺らぎに儀礼は手を伸ばした。


「愛華?」


 今にも消えそうな、若葉色の風の精霊がそこに居た。存在自体が薄い精霊に儀礼は問いかける。


《うん》


 風の中から微かな返事が聞こえた。儀礼は青い目にじわりと涙を浮かべる。


「消えないで、僕の家族」


 儀礼は手の平を通して、消えかけた愛華に魔力を送る。小さな精霊が、淡い黄緑色の光を放った。


《ありがとう。あなたが願うなら、どこにも行かないわ》


 長い髪の若葉色の服を着た精霊は、慈愛溢れる笑みを浮かべていた。

コメント

コメントを書く

「ファンタジー」の人気作品

書籍化作品