ギレイの旅

千夜ニイ

生き地獄

 儀礼は自分のした事が正しい行いだったのか悩んでいた。
 儀礼の信念では人を出来るだけ殺したくない。けれど、手足を失った人達がこれからどうやって生きていくのか。


 あの宣言の時、儀礼を襲った襲撃者達は今、極北にあるアーデスの研究所の地下にいる。
 ある者は手を、ある者は足を、人によっては四肢の全てを失って、『延命』のために氷の谷の技術を使い、凍った人形のように暗く冷たい地下に放置されている。


 生きたまま自由の一切を奪われ、すでに二日が経過している。人間の精神はどこまで正常さを保てるのか。
 人としての尊厳を奪った事は、殺した事とどう違うのか。


「生きるのと、苦しみ続けるのと、死ぬこと」


 自然と眉間に皺が寄っていたのに気付き、考えを切り替えるために儀礼は頭を振る。


「先に書類を片付けよう。今はユートラスの事を考えるんだ」


 書類が大量に入った木箱を抱え上げて、儀礼は転移陣へと足を入れる。思い浮かべるのはユートラスの管理局。
 大きく息を吸うのと同時に、儀礼は転移陣の発動を念じた。


 足元で白い光が湧き起こり一瞬視界を真っ白に染め上げると、次にはその光が収縮していく。
 着いたのは見知らぬ場所だった。
 もとろん、ユートラスの管理局に行ったことがないので知らない場所であるのは間違いようがないのだが、儀礼の立っているそこは明らかに管理局ではなかった。


 儀礼の足元で転移陣の白い光が完全に消える。薄暗いそこは、家具も調度品もないガランとした部屋だった。床には薄っすらと埃が積もり、あまり人が利用していないことが分かる。


「あれ? どこ、ここ」


 思わず口から出た言葉は思いのほか室内に響いた。


「すまない、アーデイル。転移陣の移動ルートを妨害させてもらった。どうしても君に伝えておきたい事があって」


 儀礼のひとり言に、申し訳なさをにじませた男の声が返ってきた。


「こんな無理矢理な形を取ってしまった事を許してほしい」


 部屋の暗がりの中から一人の男が歩み出てきた。
 儀礼は、さっと視線を走らせて室内を確認するが、この男の他に人の気配はない。脱出方法を検討しながら儀礼は男を睨みつける。


「アーデイル? 人違いです」


「君が名乗った。アーデスの関係者だとは思ったが、まさか君が『蜃気楼』だったとは」


 緊張して問いかけた儀礼の言葉に、男は真剣な表情で答える。嘘を付いたり、謀ろうとするような悪意は感じられない。ただ、どこか切羽詰まったような必死さがあった。


 儀礼は眉間に皺を寄せ一瞬の間考え、思い出した。
 この男と、儀礼は一度会った事がある。氷の谷から流出した人を所持している疑惑のあったティーレマンという金持ちの屋敷に潜入した時だ。その時、確かに儀礼は『アーデス』の女名『アーデイル』を名乗った。


 この男は、その屋敷で雇われ警備をしていた。何か訳ありの様子で、潜入した儀礼達を危険だから早く帰るようにと注意を促した。
 管理局を動かした儀礼を見て、その下で働かせて欲しいと言った、この男の名前は確かーー。


「ハウスト・アールトさん?」


「覚えていてもらえたとは光栄だ」


 一瞬だけ口元を緩めた男は、またすぐに気を引き締め、顔色が悪く見える程に深刻な顔をする。


「アーデスからは離れた方がいい。あの男は危険だ。君が思っているよりもずっとあの男は悪賢く、汚い人間だ。人を人とは思わない、命を尊重する事を知らない無頼漢だ」


 儀礼を説得するように熱意を込めて喋るハウストだが、儀礼は逆に心が冷えていくのを感じた。


(無法者は僕の方だ)


 自分とアーデスを比較して、儀礼の心は沈んでいった。自分の手が血にまみれる事を忌避して、儀礼は護衛達に襲撃者の撃退の全てを任せた。『殺さない』という免罪符を与えて。


 極北の地下に生き地獄を作り出したのは儀礼だ。
 自分に刃向かう者を片っ端から武力で黙らせた。今の儀礼は恐怖政治をする独裁者と変わらない。


「アーデスよりも僕の方がずっと人を殺してる」


「君は知らないんだろう、アーデスが何をしたのか。あいつは、残酷な人間だ。何百もの人間を実験に使い、無惨に殺してきた。俺の妻も……」


 ギリと砕けそうな力で歯を噛み締めて、ハウストは憎しみのこもった顔をする。握りしめた両の拳はぶるぶると震えていた。


「妻……アールトって言う姓。もしかして、ハウストさんの奥さんの名前は、アーデイル・アールト?」


 儀礼の記憶の中で、文字の羅列が浮かび上がる。儀礼に関わって捕縛されたり、命を失った者達の名が記されたリスト。文字順で並べられたその先頭に書かれた名前がアーデイル・アールト。


「そうだ。氷の谷で人間の売買に手を貸してしまったが、罪を償う人生があったはずだ。いたずらに体を改造されて、切り刻まれて、苦しみ抜いて死んでいく必要なんてなかった!」


 怒りに震えるハウストの言葉に、儀礼の肌はジリジリと焼かれる。けれど、儀礼は首を振る。


「待って、そんなはずない。アーデイル・アールトはリストの先頭に名前がある。捕縛者のデータの中だ」


「アーデイルは死んだ! 俺に死亡の通知が来たんだ。あまりに早すぎる死の知らせに俺は調べた。アーデイルは殺されたんだ、惨たらしく、アーデスに」


 憎々しく顔を歪めるハウストから、儀礼は思わず半歩退く。ハウストの気迫に演技の様子はかけらもない。
 怯えたように下がった儀礼にハウストは頭を抑えて冷静さを取り戻す。


「妻の面影のある君がアーデイルと名乗った。もう、アーデイルには苦しんで欲しくない。アーデスの側は危険だ」


「……あの、僕の名前アーデイルじゃありません。見ての通り、僕、男ですし」


 とっても真剣なハウストには悪いが、儀礼は話の腰を折り、持っていた木箱を床に置くと両手を広げて主張してみる。


「それと、僕がアーデスの側にいる事を知ってるってことは、アーデスの動きを見張ってたんですよね。襲撃、するつもりですね。それも僕に警告に来たってことは、あなた一人ではなく止めることのできない集団」


 鋭くなった儀礼の目に、今度はハウストが気圧される。後ろへと引きそうになった足に喝を入れ、ハウストはそこに留まる。


「アーデスを恨んでいるのは俺だけじゃない。言っただろう、あいつは大勢の人間を苦しめて殺している」


「確かに、アーデスはたくさんの人を殺してる」


 儀礼は両方の目を閉じ、集中するために深く息を吐き出した。左腕で腕輪の石が白く輝く。


「でも、アーデイル・アールトは殺してない。僕らの管理下から捕縛者を連れ出した者がいるってことだ。探すよ、朝月、力を貸して」


 儀礼の脳裏に浮かんで来たのは大勢の衰弱しきった人間の姿。儀礼達が管理している収容施設から連れ去られ、精神と肉体を痛めつけられた人々。その中の一人の女性を朝月は大きく映し出した。


(この人がアーデイルさん。それからーー)


 ごくりと儀礼は息を飲む。朝月が最後に儀礼に見せた人物が、この事件を引き起こした犯人。


「ハウストさん、移転魔法は使えますか? 間に合って良かった。ギリギリだけど、アーデイルさんは生きてる。でも急がないともう間に合わなかった人もいる」


 開いた儀礼の瞳から、じわりと涙が滲み出る。


「ごめんなさい。僕たちがしっかり見張ってなかったから。油断があったから」


「移転魔法は使える、どこに行けばいいんだ! アーデイルが本当に生きているのか?」


 急かすハウストの腕に朝月の白い光を伸ばし、儀礼はアーデイルの姿をハウストにも見えるようにした。
 アーデイルは石でできた部屋の中にいた。壁を背に、力なく座り込んでいる。


 髪はほとんど抜け落ち、瞳は白く濁り、頰の肉は削ぎ落とした様に痩けている。全身の肌を引っ掻き回した様な赤い線が走り、片方の腕は赤黒く腫れ上がり、先端の方は壊死してしまっているのが分かる。


「アーデイル!」


 白い魔法陣を描き、移転魔法で飛んで行こうとするハウストに、置いていかれないよう儀礼はしがみ付く。


 辿り着いた石造りの部屋の中でハウストはアーデイルを見付けて抱きしめる。


「アーデイル、生きていてくれてっ」


 それ以上、ハウストの口から言葉は出てこなかった。静かに肩を震わせている。
 アーデイルからは何の反応もなかった。ただ力なく虚空を見つめている。


 それでも、体を起こしていられるだけアーデイルは良い方だった。同じ建物の中には、無言の屍がいくつも倒れていた。
 大きな研究施設らしいそこに、動く者の気配はない。


「ここにいた研究員達は多分、宣言の時に僕を襲撃してきた中にいたんだと思う」


 それはつまり、極北の地下で物言わぬ人形となっているという事だ。


「最低限の世話をする者も居なくなって、こんな悲惨な状態になった」


 元々の扱いが良かったとは言えないが、何も起きなければ生き長らえた者はいただろう。
 儀礼はポケットからガラスの瓶を取り出して、中からオレンジ色の粒を選り分ける。コルロが用意してくれた回復用のマジックシードだ。


「僕の魔力を使い切ってもいいから、ここに居る人達を回復して」


 死んだ者を蘇らせる事は出来ないが、生きていれば回復される。個人ではなく全体へと放つ魔法がどれだけの効果を与えられるか不明だが、命を繋げると願い信じる。


 儀礼の手の平からオレンジ色の光が巻き起こり、建物の中を縦横無尽に駆け回る。薄暗かった室内を太陽が照らす様に明るくした。


「うっ、体が、動く」
「痛みが、消えていく」
「生きて、る?」


 しんとしていた建物の中が少しずつ騒めき立っていく。倒れていた者達が体を起こし、立ち上がり、何が起こったのかと辺りを見回す。


「アーデイル」


 濁っていた瞳が少しずつ光を取り戻すのを見て、ハウストがアーデイルの肩を揺する。


「ハウスト?」


 ゆっくりと視線を合わせたアーデイルが、そこにハウストの姿を認めて涙を溢れさせる。


「もう、会えないと思ってたのにっ、本当にハウストね? 夢じゃないのね?」


 ハウストの体に縋り付き泣き崩れるアーデイルは、それでも涙に濡れる顔に喜びの色を浮かべていた。
 しばらく泣き続け、落ち着きを取り戻したアーデイルは右手の違和感に気付く。


 儀礼の使ったマジックシードでは、アーデイルの失った指先までは戻らなかった。不安そうに自分の手を見るアーデイルにハウストは気にするな、とその手を握りしめる。


「どんな姿でもいい。生きて側にいてくれたらそれで、俺は十分だ。君が困ると言うなら、俺が君の手になるから、もうどこにも行くな」


「ええ。私、もう悪いことは二度としない。ハウストと離れる様な事はもう、絶対にしたくないから」


 恐ろしい目に遭ったアーデイルは、体を震わせ、助かった自分の命に誓う。もう二度と神に顔向けのできない事は行わないと。

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